21. 新たな依頼(あらたないらい)
「数年前、故郷を訪ねた時···」
ラケンは低く言った。
「家族は俺をまったく分からなかった」
ライネルの表情が固まる。
「···本当に、まったく覚えていなかったんですか?」
「そうだ」
ラケンの答えは断固としていた。
「親は俺を見知らぬ者扱いした。
弟の存在さえ思い出せなかった」
しばし沈黙。
「···じゃあ、モネロは?」
ラケンの口元がかすかに上がった。
「あの乱暴者だけは···俺を覚えてた」
短く息を吐く。
「ちょうど任務で村の外に出ていたらしい。
だから、村に降りた“それ”を避けられたんだ」
「だからいつも連れていたんですね」
「アイツがいなけりゃ、
俺は本当に完全に消えてたかもしれない」
ラケンの声に、わずかな寂しさが滲む。
「まあ、本人は気にもせず生きてるがな」
ライネルは黙って彼の目を見た。
「···じゃあ今まで、
一人でこの村を見張っていたんですか?」
「そうだ」
ラケンは静かに頷いた。
「怪しい司祭。
依頼に見せかけた物資集め。
そして···“忘れられた者”の痕跡」
ライネルの瞳が揺れる。
「忘れられた者···」
「それが···あなた一人じゃない、ってことですね」
「静かな時期もあったが、
最近また同じ現象が出始めてる」
ラケンは杯を置いた。
「今の慈善神殿は、誰かの実験場になってる。そう確信してる」
ライネルが慎重に問う。
「···何の実験なんです?」
「断定はできない」
ラケンは言葉を選ぶように、ゆっくり続けた。
「だが、記憶、存在、アイデンティティ。
それらを根こそぎ揺さぶる何かが育ってる」
ライネルは口を結び、静かに言った。
「村外れ。
北の丘の下に、古い家が一軒あります」
ラケンの視線が鋭く反応する。
「崩れた塀。歪んだ窓枠。
そして···倒れた井戸」
ライネルは頷く。
「数日前、あの近くを通って、薄い魔力の痕を感じました。
正確には···何かがそこに“留まっていた”感じ」
ラケンの手が一瞬止まる。
「···そうだ。あの家だ」
ライネルの目が大きく開く。
「···あなたの家だったんですね」
ラケンの顔に静かな影が落ちる。
「子どもの頃、あの家で弟と暮らしてた」
一拍置いた。
「親は俺を忘れた。
そしてあの日から、弟も消えた」
ライネルが慎重に聞き返す。
「···じゃあ、両親は?」
「任務を終えて戻った時、家は空だった。
家族はどこにもいなかった」
ラケンは視線を落とす。
「村の連中に聞いたが···
驚いたことに、誰も覚えてすらいなかった」
「···覚えていなかった?」
「そうだ」
ラケンの目が深くなる。
「ただ、“いなくなった気がするが···”
そんな曖昧な言い方だけだ」
言葉には、恐怖と混乱が絡んでいた。
「それから俺は、この村に残った」
ラケンは低く言う。
「誰かが、この出来事を覚えていなきゃいけないからな」
ライネルは静かに頷いた。
「···だから、
適任者が来るまで待っていたんですね」
「そうかもしれないな」
そして、また沈黙。
ラケンは背にもたれ、目つきを整えた。
「ここからが本題だ」
ライネルも座り直す。
「神殿は今も、“忘れられた者”を生み出してる」
「記憶を消し、存在を薄め、
人の生を根こそぎ揺らす」
ライネルは静かに息を吸う。
「···だから、あなたは動くつもりなんですね」
「そうだ」
ラケンの眼差しが短く光る。
「俺はあの村で生まれて、あの村で全部を失った。
だから···崩れていくのを見過ごせない」
彼は頭を下げ、両手を組んだ。
「正直、ひとりじゃきつい」
「今の神殿には、ただの司祭だけじゃない。
武装した連中や、魔法使いが潜んでる可能性もある」
ライネルが整理するように言う。
「だから、俺たちに協力を求めるんですね」
「そうだ」
ラケンはもう隠さなかった。
「本気で動く。
だから、お前らの力が必要だ」
ライネルは一度目を閉じ、開く。
「···助けたい気持ちはあります。
でも俺たちもチームで動いてる。俺だけじゃ決められません」
「判断は、リーダーのイヴェラにしてもらう必要があります」
ラケンは頷いた。
「なら···頼む」
ライネルはゆっくり立ち上がる。
「···ただ、ひとつ聞きたい」
「ん?」
「俺の力が何か···どうして分かったんです?」
ラケンが薄く笑う。
「この村の連中は口が堅いが、耳はいい」
彼はライネルの手首をちらりと見た。
「テレキネシス。念動力とも言う。
今じゃ元素魔法に押されて、ほとんど消えた系統だろ」
ラケンの声が低くなる。
「その力こそ、“忘れられた者”を繋ぎ止める鍵かもしれない」
ライネルは静かに頷く。
「···聞いてると、不思議とパズルが合う気がします」
彼は自分の手首に巻かれた腕輪を見下ろした。
「家の近くで感じた、あの妙な抵抗感も···
たぶん、それのせいなんでしょう」
ラケンはほんのわずかに笑った。
静かなギルド。
窓の外には濃い闇が張り付いている。
ライネルは息を整え、言った。
「···話は、きちんと伝えます」
ラケンは頷く。
「頼む。ありがとう」
◇
宿の扉は静かに閉まっていた。
アイラは眠り込んでいるのか、小さな寝息だけが聞こえる。
ライネルはそっと扉を開けた。
部屋は薄暗く、静かだった。
「···遅かったな」
窓辺にもたれて立つ影が、低く言った。
光の届かない暗がりでも、その瞳ははっきりしている。
イヴェラだった。
ライネルは扉を静かに閉める。
机の上には冷めきっていない茶が一杯。
待っていた痕が、そこにあった。
「少し確認してきた」
ライネルが慎重に言う。
イヴェラは頷く。
言葉はないが、何かを読んでいる目だった。
ライネルはゆっくり彼女の前に座り、息を整える。
「神殿の近くで···ラケンに会った」
短く簡潔な言葉。
だが、その中に多くが詰まっていた。
イヴェラは視線を落とし、続きを待つ。
「怪しい司祭を追って、
渡された箱から微弱な魔力を感じた」
ライネルは一拍置く。
「それだけじゃない」
そして続けた。
「ラケンは全部、見張ってた。
それから···俺たちを探した理由も話した」
「“忘れられた者”のことだ」
その言葉に、イヴェラの指先がわずかに動く。
「家族にさえ忘れられて、
自分の存在が村から消えたと感じた男」
ライネルはイヴェラの目を見た。
「彼の言葉には···確かな本気があった」
しばし静寂。
「それに···ひとりじゃ無理だ、と言った」
ライネルが低く付け足す。
「だから俺たちに協力を求めた」
イヴェラは何も言わない。
ライネルは慎重に続ける。
「その場では返事をしなかった。
チームの判断は、リーダーのイヴェラだから」
その瞬間、イヴェラの口元がほんの僅かに上がった。
「そう。判断は正しい」
彼女は静かに目を閉じ、開く。
「ラケン」
短く、硬くその名を呟く。
「村に着いた時、街で何度か見かけた」
「目だ。
冷たくて、崩れてるみたいなのに···最後まで折れてない目」
ライネルは黙って聞いた。
「何のことか、分からないかもしれない」
イヴェラはほんの少し、苦く笑う。
「でも···お前が感じた通り、
あいつの差し出す手には嘘はないだろう」
沈黙。
外で犬の鳴き声が遠く響いた。
ボブレの夜は静かだが、緩くはない。
「···イヴェラ」
ライネルがもう一度口を開く。
「この件、俺たちが踏み込んでいいと思う?」
イヴェラは顔を向け、短く目を閉じてから、指先を机に置いた。
「公式には、私たちはギルド依頼しか受けない」
ライネルの眉がわずかに揺れる。
「個人的な依頼はワーカーの仕事だ。請負人たちのな」
イヴェラは続ける。
「私たちは···影の組織の一部でも、表向きは冒険者だ」
ライネルは口を閉じる。
正論だった。
それでも、もう一歩踏み込む。
「もし、ただの儀式じゃなかったら?
本当に···人を忘れさせてるなら?」
イヴェラは深く息を吸う。
「神殿は信仰の領域だ。
組織も、なるべく関わらない」
その時。
扉口から低い声がした。
「そこで起きてることが···
組織に害になるなら?」
アイラだった。
いつ起きたのか、扉のところに立っている。
「どんな害?」
イヴェラが目を向ける。
アイラは一歩入ってきて言う。
「神殿が村の真実を隠してるなら、
それって組織の情報収集の邪魔になるでしょ?」
イヴェラは黙って彼女を見た。
そして静かに答える。
「···筋は通ってる」
「組織とは定期的に連絡を取ってはいるが」
イヴェラが低く付け足す。
「今回の件は···返答を取ってから動くべきだ」
彼女は長く息を吐く。
「それに、影の組織の性質上、
慈善神殿と内部が繋がってる可能性もある」
その言葉に、ライネルとアイラの視線が同時に上がる。
「本当に···組織の中に神殿と関わる人がいるの?」
アイラが慎重に聞く。
イヴェラは肯定も否定もしない。
「断言はできない。
だが今動けば、危険が大きい」
イヴェラは茶杯を指先で押しやり、言った。
「簡単な情報収集ならできる。
だが直接の介入は、まだ早い」
沈黙。
その隙を突いて、アイラが言った。
「じゃあさ、道を変えるのはどう?」
ライネルが顔を上げる。
「私たちが直接受けるんじゃなくて、
ラケンにギルドへ正式な依頼として出させるの」
ライネルの目がわずかに光った。
「···その手があった」
彼は膝を軽く叩く。
「イヴェラ。これなら問題ないよな?」
イヴェラはアイラを見た。
少し考え、頷く。
「形式上は問題ない」
彼女の声が低くなる。
「だが忘れるな。
神殿はただの建物じゃない。信仰で、権力だ。
簡単に踏み込める領域じゃない」
ライネルは静かに頷いた。
イヴェラは立ち上がり、言う。
「よし。今日は遅い。ここまでだ。
続きは明日」
扉が閉まり、部屋に静けさが戻る。
ライネルは立ち上がり、窓辺へ歩いた。
夜は深く、星ひとつ見えない。
その闇の中で、神殿の塔だけが妙にくっきり浮かんでいた。
ライネルは窓の前で、考えをまとめきれないまま立ち尽くした。
◇
太陽が真上を越えた、早い午後。
ボブレ村特有の霧がまだ路地を包み、
陽射しは屋根と塀をゆっくり伝って落ちていた。
宿の二階、小さな会議室。
三人は静かに輪を作って座っていた。
机の上には簡単な食事と、
地図と数枚の書類が整えられている。
ライネルが言った。
「さっきラケンから連絡が来た。依頼書を提出したって。
作るのに少し時間がかかったらしい。事実関係をまとめるのに慎重だったんだろう」
イヴェラが書類の端を指先で一度撫でる。
「そうだ。神殿絡みなら、言葉ひとつでも雑に書けない」
アイラが水を一口飲んで聞く。
「じゃあ、私たちはこれから何をするの?」
「依頼が正式になった。
まずギルドへ行って、登録されたか確認する」
ライネルが言う。
「神殿が何か隠してるなら、登録自体が遅れる可能性もある」
イヴェラが短く付け足す。
「入れても、核心区画は通さないだろうな」
「それでも、念のためだ」
ライネルが頷く。
「できるだけ近づいて、魔力の痕や不審点がないか探る」
イヴェラは静かに立ち上がった。
冷えた目で窓の外の神殿の塔を見て言う。
「行こう。一度、様子を見に」




