表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/75

16. 途切れない繋がり(とぎれないつながり)

アイラが突然消えた、その瞬間の現場。

二人は呆然と、虚空を見つめていた。


「······消えた」

イヴェラが低く息を吐いて言った。

彼女はまだ視線を床から離せないでいた。


ライネルは無意識に振り返った。

見間違いじゃないのか。

まだ部屋のどこかに残っているんじゃないのか。


だが、どこにもアイラはいない。

その事実が、かえって沈黙を深くした。


その時だった。


床の上で、何かがかすかに震えた。


短い揺れ。

小さな響き。

そしてその振動は、すぐに意味を帯び始める。


イヴェラが先に身を屈めた。

「······あれは?」


アイラがいつも首飾りのように持っていた精霊石。

それが今、彼女が消えた場所に残されていた。


ライネルが慎重にそれを拾い上げる。

冷たく、硬い。

けれどその内側で、微かな光が揺れていた。


彼は低く言った。

「······ただの痕跡じゃない。まだ繋がってる」


「ライネル」

イヴェラが慎重に呼んだ。


精霊石は、次第に強く光を放ち始めた。

指先で感じる震えもはっきりしている。

まるで中で誰かが扉を叩いているみたいに。小さく、静かで、それでも途切れない合図。


言葉にはならない。

けれど感覚の向こうから、確かに伝わってくる。


ライネルは目を閉じ、意識を整えた。

精霊石を中心に広がる流れが、

アイラのものだと確信できた。


······そして、


彼は感じた。

断ち切れているはずの魔力の筋が、

糸みたいに細く···それでも確かに、繋がっている。


「······繋がってる」


「裂け目の向こう?」

イヴェラが低く問う。


ライネルは頷き、呟いた。


その瞬間、精霊石が再び強く光った。

今度は短い魔力の波が、周囲へ弾けるように広がった。


空間が微かに揺れ、

床に残る魔力の残滓が反応を始める。


イヴェラはすぐに後ろへ下がり、慎重に構えた。


「その裂け目···まだ閉じてないの?」


「違う」

ライネルの視線が、光の揺らぎを追った。


「逆だ。今、開こうとしてる。

アイラが中で反応してる。

その力が裂け目を揺らしてる」


精霊石は、もうただの物じゃなかった。

今のこれは、あちらと現実を繋ぐ——核心の接点だ。


ライネルはそれを胸に抱き、ゆっくり呟いた。


「アイラ······少しだけ待ってて」


彼の瞳に、微かな蒼い魔力の筋が浮かぶ。


精霊石の光は、まだ震えていた。

まるで心臓みたいにリズムを刻み、細かな波動を放っている。


ライネルはその光を見つめたまま言った。


「······これはただの合図じゃない。

アイラはまだ、意識を保ってる」


イヴェラが慎重に近づいた。

「裂け目の中じゃ記憶が消される構造なんだろ。

それなのに、どうして···」


「記憶の刻印だ」

ライネルが言葉を遮った。


視線は精霊石を越え、さらに遠い場所を見ている。

まるでアイラの内側のもっと深いところと繋がっているみたいに。


「アイラの両親が残した記憶。

あれはただの感情や思い出じゃない。

······一種の精神結界だ」


イヴェラが驚いたように目を開いた。


「記憶で作った防壁?」


「そうだ」

ライネルは指先で精霊石の表面をなぞった。


その瞬間、繊細な魔力の線が立ち上がった。

見えなかった繋がりが···ゆっくり形になる。


「これは魔法陣じゃない。感情を基盤にした記憶の字形だ。

人の“自分”のいちばん深い層を固定する装置」


ただ“誰かを忘れない”程度のものじゃない。

存在の基準を支える、楔。


そしてその楔は今も、

裂け目の向こうで繋がり続けていた。


イヴェラが静かに言った。


「······記憶を消しても、

消えない何かがあるってことか」


「だからアイラは、まだ“アイラ”なんだ」

ライネルの目が硬くなる。


「その結界を土台にして、魔力が戻ってきてる。

微かだけど、ゆっくり······ここまで届いてる」


精霊石がもう一度、脈打った。

その鼓動がライネルの指を伝い、意識へ触れる。


その瞬間。


短い“記憶の欠片”が、耳の奥で鳴った。


「忘れないで。

あなたの名前は···アイラ。

私たちは、必ずあなたを待つ。

覚えて。絶対に忘れないで」


ライネルの目が一瞬揺れた。

あまりに温かく、切実な声だった。


彼は深く息を吸い、顔を上げた。


「まだ、可能性は十分ある」


イヴェラが目を細めて尋ねる。


「何ができる?」


「これはただの個人の感情じゃない。

意志を持った記憶だ。

裂け目が完全に閉じる前なら···開ける」


そう言うと同時に、

ライネルの手に魔法陣が浮かんだ。


精霊石を中心に、空間が微かに鳴り始める。

答えるみたいに、魔力の糸が震えて反応した。


その糸は、アイラの“中心”へ繋がっている。


ライネルは小さく呟いた。


「そこにいて。

必ず迎えに行く」


イヴェラは部屋の中央に座り、魔法陣の残痕に手を当てた。

床は冷たく、空気は不気味に響く。

精霊石の波動が、中心へ伸びる魔力の筋となって広がっていく。


ライネルはゆっくり周囲を回り、空間の結を解析した。

魔法の空間構造は普通、一定の枠を保つ。

だが今は違う。


「記憶を基盤に開いた裂け目だから、構造が流動的だ。

形が刻々と変わってる」


イヴェラが問う。


「じゃあ···扉を開く方法はないの?」


「ある」

ライネルは首を振った。

指先が魔法陣の中心をなぞり、精霊石へ触れる。


「一つだけ。

記憶が基準なら···その記憶を中心に結を固定すればいい」


彼は精霊石を床に置き、その周囲に小さな魔石を三つ並べた。


「空間計測魔法で結の振動数を測って、

精霊石の魔力周期を基準に逆位相を作る」


「裂け目を開くってことか」

イヴェラの声に緊張が混じる。


「開いて、また閉じる。

入っただけで終わりじゃない」


ライネルは頷いた。


「外で裂け目を維持してくれ。

俺が中でアイラを探して連れてくる」


その眼差しは揺れていない。


イヴェラが短く息を吐いた。


「···わかった。

今度は私も、絶対に諦めない」


彼女は魔法陣の外縁に座り、手のひらを床へ密着させた。


「支えるのは私がやる。

長くはかからないよね?」


ライネルは小さく笑った。


「できるだけ早く終わらせる。

絶対に失敗しない」


そう言うと、彼の指先から蒼い魔法陣が立ち上がった。


空間が揺れ、

空気の密度が変わる。


精霊石が中心となって回転を始め、

その周囲に光の糸玉みたいな魔力の結が浮かび上がった。


イヴェラは素早く装備を点検した。

腰に固定した道具装置の刻印を起動し、調律石を装着する。

細かな震えが指先に伝わった。


(乱れたら終わり。

裂け目は浅い感覚から引っ張ってくる···正確に固定しないと)


彼女は調律石の波動を読み、中心の振動を掴み取った。


その瞬間、空間の裂け目が裂けた。


シュッ···


空気がねじれ、現実の輪郭が膨らむように開く。


その向こうには···光も影もなく流れる、薄い霧。


ライネルは最後にイヴェラを見た。

イヴェラは静かに頷く。


「心配するな。できるだけ維持してみる。早く行け」


ライネルは裂け目の中へ足を踏み入れた。

光が消えるみたいに、彼の輪郭がゆっくり呑み込まれる。


精霊石はまだ震えていた。

その中心で、“アイラ”という名が脈のように生きている。


光が落ちた。

音も、温もりも、重さも···すべて落ちた。


ライネルは何の感覚もないまま、ただ“落ちる感じ”だけを掴んでいた。

ゆっくり、深く、果てしなく。


そしてふと···止まった。


足先が何かを踏んだ。

土でもない、石でもない、水でもない。

存在しない触感。


そこは霧に覆われた、平らな地だった。

空はなく、光は周囲から滲むように広がっている。


だが彼にはわかった。

ここは確かに“空間”で、

同時に誰かの記憶から作られた場所だ。


「···精神世界の構造か」


そう呟いた途端、霧の向こうから囁きが届いた。


「心配しないで」


「ここは楽だよ」


「重い記憶は、もう要らない」


ライネルは息を整え、前を見据えた。

形の定まらない影が、霧の向こうに佇んでいる。


近づくほどに、

その影は一つの“姿”を取り始めた。


子どもたち。

小さく、弱々しい輪郭。

だが顔はぼやけていた。


「···アイラ」


低く呼ぶと、霧が揺れた。


そして一つの影が、ゆっくり振り向く。


彼女は——

確かにアイラだった。


けれど、その目はどこか虚ろだった。


ライネルが近づくと、

彼女は少し首を傾げて言った。


「···どなた···ですか?」


その言葉に、ライネルの心臓が小さく沈んだ。


だが彼はすぐに切り替えた。

落ち着いて、はっきり答える。


「ライネルだ。迎えに来た」


「···ライネル···?」

アイラの瞳が微かに揺れる。

頭の奥で、キィ···と擦れるような動きがあった。


すると裂け目が反応した。

空間全体が一瞬、崩れる。


「記憶は痛いでしょ」


「ただ休ませて」


「ここなら···幸せになれる」


無数の声が囁いた。

子どもの影が、一歩ずつ近づいてくる。


「一緒に遊ぼう」


「大丈夫。ほんとに大丈夫だよ」


その声に、アイラの目がまた濁る。


ライネルはその瞬間、彼女の名をはっきり呼んだ。


「アイラ!」


その声は、水面に落ちた石みたいに、

静かに広がって周囲を揺らしていった。


そしてその名は、

精霊石を媒介にして、アイラの精神の奥深くまで届いた。


アイラは目をぎゅっと閉じた。

耳鳴りがし、頭の中に破裂音が満ちる。


(忘れないで)


(あなたの名前は···アイラ)


その記憶が壊れそうなほど浮かび上がり、

彼女の意識をもう一度引き上げた。


「···ライネル···?」


彼女は目を開いた。

そしてようやく、目の前の男の顔がはっきり見えた。


「···来てくれたんだ」


その短い一言に、

ライネルの目が少しだけ柔らかくなる。


だが霧は、怒りでもあるかのように歪み始めた。


彼らは忘れない方を選んだ。

記憶を選び、存在を守った。


そしてその選択が、この世界の“主”を刺激した。


霧の奥で、

蒼白い影が一つ、顔を上げる。


蒼白い子ども。

瞳のない目。

感情のない口元。


姿は人間の子どもなのに、

その内側には···あまりに古く、異質なものが宿っていた。


その子が口を開く。


「覚えてどうするの?

どうせ、もっと痛くなるだけなのに」


その問いは、ただの言葉じゃない。


囁きであり、攻撃だった。


霧が渦巻き、

空間が歪み始める。


アイラとライネルは互いを見た。


「記憶、大丈夫?」


アイラはゆっくり頷いた。

「うん···まだ全部は崩れてない。

······名前を呼んでくれて、ありがとう」


そう言って短く笑う。

けれどすぐ表情を引き締めた。


「まだ安心しちゃだめ。

ここはただの裂け目じゃない」


ライネルも頷く。

「うん。ここ、ただの空間じゃない。

記憶が固まって作られた意識の中みたいだ。

そして中心に、悪霊がいる」


「···やけに具体的だね」

アイラが小さく笑った。


そしてふと、視線を横へ向ける。


そこに、子どもが三人立っていた。

初めて見るはずなのに、

説明できない違和感があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ