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13. 箱の反応(はこのはんのう

「イヴェラ、怪我はないの?」

アイラが振り返って訊いた。


「手の甲に、小さな傷が一つ」

イヴェラは短く答えた。怪我の報告にしては、言い方があまりにも淡々としている。


「待って。すぐ治す。小さくても悪化したら面倒でしょ」

アイラはもう、彼女のそばまで寄っていた。


「いらない。この程度、勝手に塞がる」


イヴェラがきっぱり言ったが、もう指先には魔法陣が浮かんでいた。

黄緑の気流が静かに手の甲を撫で、言い返す間もなく傷は消えた。


「···頑固だな」

イヴェラが低く呟く。


「褒めてくれてありがと〜」

アイラはとぼけた顔で笑った。


それからアイラは、静かにイヴェラの腕を包むように支えた。

黄緑の気流が傷に沿って流れ、血を止め、組織をゆっくり繋いでいく。

イヴェラは何も言わず、その手当てを受け入れていた。


その最中。


「ライネル」

イヴェラが視線を動かさないまま、低く呼んだ。


ライネルが顔を上げる。

「ん?」


イヴェラは腰の小さな革袋を取り出して渡した。

「ゴブリンの耳。切って、これに入れろ」


「···耳を?」

ライネルは間の抜けた顔で聞き返す。


「うん。本来の任務じゃないけど」

イヴェラは短く息を吐き、続けた。

「討伐の証拠を持ち帰れば、ギルドで追加報酬が出ることもある」


ライネルは半信半疑のまま袋を受け取った。

「そんなのもあるのか?」


「ある。正式契約じゃなくても、ギルドや管理所が参考にする」

イヴェラは倒れたゴブリンへ、ほんの一瞬だけ視線を向けた。


「特にダンジョン外で魔物が出た時は、処理した数で報酬が付く場合もある。書類さえきちんと出せばいい」


手当てを終えたアイラが、ライネルを見た。


「でも、ライネル··· 意外。防御魔法は使えないの?」

首を少し傾ける。声には純粋な興味が混じっていた。


「防御魔法?」

ライネルは小さく首を振る。

「俺は··· 魔法そのものを、習ったことがない」


「え〜?」

アイラは目を丸くした。

「ほんと? てっきり習ってると思ってたのに···」


「じゃあ、どうやって魔法を使ってるの?」

アイラがさらに首を傾げる。


「ただ··· 集中して、気配を送る感じ?」

ライネルは短く答えた。

「考えるだけで動かす。そんな感じだ」


「···そっか。私の知ってる魔法とは、ちょっと違うな」

アイラは独り言みたいに呟き、ライネルをちらりと見た。


短い沈黙。

ライネルが静かに訊く。


「アイラは、魔法··· 誰に習ったんだ?」


アイラは少し驚いたように瞬きして、すぐ笑った。


「小さい頃、故郷の村に魔法の先生がいたの。

その人に基礎から教わった。

今使ってる精霊魔法も、その時に覚えたものだよ」


「精霊魔法···」

ライネルが呟く。


「でも、まだ精霊そのものは呼べない。流れを借りるくらいならできる」

「私の実力は、たぶん二サークルの真ん中くらい? その程度かな」


「···二サークル?」

ライネルは眉を寄せた。

「何それ」


アイラは口を半開きのまましばらく固まり、結局、乾いた笑いを漏らした。

「ライネル、あんた··· いったい何を知ってるの?」

頭を掻きながら呟く。

「不思議。あれだけ強いのに、基本の概念すら知らないの?」


「俺はただ··· その場で思いついた通りにやっただけだ」

ライネルは真顔で言った。


「それが一番不思議なんだってば」

アイラは呆れ笑いをしながら首を振る。

「理論書を十冊以上読んでも、一サークルすら越えられない人もいるのに···」


ライネルは肩をすくめた。

「ただ··· 頭の中に流れみたいなのがあった。手を伸ばすと、ついてくる。それだけ」


「あり得ない···」

アイラはぶつぶつ言いながら首を左右に振る。

「魔力の流れを完璧に掴むには、最低でも一年か二年は——才能でも——」


その時だった。


「最低、三サークル」


静かな声。


イヴェラだった。


荷を整えていた彼女が、ようやく会話に入ってくる。

顔を上げず、独り言みたいに言った。


「···え?」

ライネルが戸惑った目でイヴェラを見る。


イヴェラは一瞬だけ視線を受け止め、目を細めて言った。


「そのテレキネシス。別名、念動力と呼ばれる魔法だ」


短く息を吐く。


「それは一般的な魔術師が魔力を扱うやり方じゃない。

普通は火や風みたいな属性魔法か、精霊の力を借りる形がほとんど」


そして続ける。


「でもお前みたいに、物体へ直接作用する純粋な念動——テレキネシスだけであの威力を出すなら、最低三サークル。

それくらいはないと無理だ」


「三サークル··· 高いのか?」

ライネルはまだ感覚が掴めない様子で聞き返した。


「高いよ〜」

アイラが即答した。


「魔法士協会の基準だと、三サークルは中上級。

アカデミー卒業間近でも上位だし、実戦に出てる魔法士でも二サークル止まりの人、結構いる」


「誰も教えてくれなかったから、よく分からなかった」

ライネルが淡々と呟く。


イヴェラは軽く息を吐いて言った。

「何だろうと、ライネル。力だけは確かだ」


その言葉を聞きながら、アイラは指先の気流を整えていた。

いつも通り、黙々と自分の役割を果たしている。


派手な威力はない。

けれどアイラの魔法は、戦いの最中ずっと穴を埋めていた。

攻撃も、防御も、回復も——必要な瞬間に、最も適切な形で流れる魔法。


今も同じだった。


アイラはそっとイヴェラの腕に手を置く。

黄緑の気流が傷に沿って柔らかく流れ、血を止め、組織を縫い合わせていく。

不平も、ためらいもない治療。

この混乱の中で、それが一番の安定だった。


ライネルは黙って、その光景を見ていた。

そして思う。

今この瞬間、アイラは間違いなく——誰よりも「頼れる仲間」だった。


手当てが終わると、アイラは手を引いて短く息を吐いた。

「よし。深くない。動くのも問題ないよ」


イヴェラは無言で頷いた。


短い沈黙。

三人は無言の合意みたいに、また歩き出した。


そこでライネルが口を開く。


「···なあ」

慎重に周囲を見回しながら言った。

「今回の任務、どう考えても見習いが受けるには危険すぎないか?」


アイラが眉を少し寄せる。

「···確かに。普通、ちゃんと魔物と遭遇するのってDランクからだよね。

パーティにCランクのイヴェラがいるとはいえ——私とあんた、二人ともEだし」


ライネルはゆっくり頷いた。

「見ても分かる。割り振りが間違ってるか··· それとも、何か隠してるか」


言葉が途切れると、静けさが戻った。

森は落ち着き、風が葉の間を擦って低く流れる。

だが、その静けさの中には緊張が残っていた。


その時、アイラが足を止めた。

背中を軽く押されるみたいな感覚に、思わず横へ視線をやる。


背負われた箱——その存在が、また心を掠めた。


アイラはゆっくり箱へ近づき、慎重に金属の蓋へ手を置いた。

表面は相変わらず冷たく、魔法の印は薄く残っている。

見た目には異常はない。


だが、どこか引っかかる。


「でも··· これ、いったい何が入ってるんだろ」


アイラが小さく呟き、首を傾げた。


「ただの魔法素材って言うには、変だな」

ライネルは荷を背負っていて箱を直接見られない。

それでも背中越しに伝わる妙な気配が、ずっと神経を逆撫でした。


外から見れば箱は無事だ。

蓋は頑丈で、魔力の印もまだかすかに残っている。

中身が暴れた形跡もない。


だが。


ライネルは感じていた。

箱の内側。

そこには——確実に、何かがいる。


意識も感情もないのかもしれない。

けれど、それは動いている。

そして、反応している。


その瞬間。


とく。


振動。

まるで箱の内側から、誰かが壁を「軽く叩いた」みたいな感覚。


ライネルの目が、わずかに揺れた。


「···まただ」

彼は囁く。


「え?」

アイラが振り向く。


「何でもない」

ライネルはすぐ首を振った。


戦いが終わった直後も、そうだった。

静けさが落ちるたびに、箱は反応する。


それは偶然じゃない。

中から何かが「繋がり」を求めてくるような、そんな響きだった。



日が傾く頃。


三人は無事に街へ戻り、

イヴェラはそのまま目的地――ボブレ慈善神殿へ向かった。


見た目は小さな祈りの場にすぎない。

だがここで扱われる依頼は、思った以上に静かに、慎重に動いていた。


「ラクナの祠からの荷を持ってきました」

イヴェラが静かに箱を下ろす。


「ようこそ。お待ちしておりました」

応対したのは、灰色のローブを整然とまとった中年の司祭だった。

態度は丁寧で口調も柔らかい。だが、その目だけはどこか警戒を消せない。


司祭は手袋越しに箱の表面を軽く押さえた。

金属板に刻まれた魔法の印に沿って、指先が滑る。


「ふむ···」


息のように漏れた短い声。


ライネルは目を細めた。


司祭の手が、箱の表面でわずかに止まる。

そして、慎重に――手のひらをそっと置いた。


その瞬間。


すう···


微細な魔力の流れ。

ライネルは確かに、それを感じた。

まるで中で何かが「呼吸を始めた」みたいな感覚。


(今、箱の中が··· 生きて動いた?)


司祭も、わずかに眉を上げる。


「······この反応は?」


独り言みたいに呟き、視線を箱に固定する。

それから慎重に顔を上げ、三人を見た。


「運搬中に··· 魔力の乱れや、接触がありましたか?」


ライネルの心臓が、どくん、と鳴った。


「特に··· 変わったことはありませんでした」

イヴェラが淡々と答える。


「そうですか」

司祭はすぐ笑みを取り戻した。

だが笑みの温度は、さっきよりわずかに低い。


「ともあれ、お疲れさまでした。想定より早い反応で··· 良い兆しでしょう」

目を伏せ、呟くように言う。

「我々の探し方に、一歩近づいたのですから」


「···え?」

アイラが首を傾げる。


「あ、いえ。独り言です」

司祭は軽く笑い、頭を下げた。


頭を下げたまま、彼は囁く。

「確かに反応した··· 予言書の流れと違わない」


司祭は腰の小さな聖典を指先で撫でた。

ページの間に隠された青い印が、かすかに応えた。


その目が一瞬、アイラとライネルを交互に掠める。

表向きは丁寧でも、視線は鋭く、計算が滲んでいた。


司祭は静かに頭を下げる。

まるで何事もなかったかのように、柔らかな微笑みを浮かべたまま···


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