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10. 最初の任務(さいしょ の にんむ)

その日から三日。


「道具」という名で世界に放り出された二人の子どもは、

組織が用意した偽装身分をまとい、静かな田舎町へ辿り着いた。


「ライネル、やっと本当に着いたよ。

ほら見て、村だよ!」


アイラは両手を背中で組んだまま広場を一周して、声を弾ませた。

足先が淡い桃色の花びらをそっと踏む。

遠足に来たみたいに、笑みが広がった。


ライネルも小さく笑って、視線を巡らせる。


「···ああ。

やっと実感が湧くな」


「でしょ? 私たち、本当に冒険者になったみたい!」


アイラはくるりと回って、眩しいほどに笑った。

二人はしばらく、村の景色に見入っていた。

その瞬間だけは、ただの子どもみたいだった。


「遊びに来たんじゃない」


浮かれた空気を切り裂く一言。

声は静かで、言葉が触れた瞬間、周囲の温度が一枚冷えた。


イヴェラだった。

彼女はもう、二人のすぐそばまで来ていた。


無言で広場をなぞる視線。

わずかな通行人の足取り、露店、遠くに見える神殿まで。


そこに感情はない。

未知を前にしたためらいもない。


「忘れるな。

私たちは、この村の情報を集めに来た」


イヴェラは低く、整った口調で言った。


「ここでの言葉も行動も、全部任務の一部だ」


彼女の視線が、ゆっくりライネルのうなじへ落ちる。

それに合わせて声がさらに低くなった。


「一瞬でも忘れたら···」


言葉を切ったイヴェラが、ライネルを真っ直ぐ見た。


「その代償が何か、

お前の身体が先に思い出す」


口調は最後まで淡々としていた。

脅すためでも、感情混じりの警告でもない。

何度も繰り返してきた事実を、乾いた声で読み上げているだけ。


ライネルは小さく息を吐き、苦く笑った。


「···要するに、浮かれるなってことだろ?」


アイラは俯いた。

口元が下がり、瞳に一瞬だけ名残がよぎる。


「ちぇ。ほんのちょっとだったのに···

それがそんなにダメなの?」


小さく息を吸って、アイラは頷いた。

感情を押し込めた目だった。


広場は静かだった。

桜は盛りを過ぎたのか、淡い花びらが地面に静かに降り積もっている。

村はのどかで、そののどかさが不自然なくらい完璧だった。


ライネルが広場を見ながら、低く呟く。


「でも、ここ···何も起きそうにない。

こんな所で、どんな情報が取れるんだ?」


「むしろ、こういう村が一番危ない」


イヴェラは顔だけ僅かに向けて、短く返した。


彼女が見ているのは景色じゃない。

人の手つき、視線、歩き方。


誰がどこで迷い、何を避けているか。

微かな隙を取り逃がさない目。


「表向きは静かだ。

だが静かだというのは、何かを隠してるって意味にもなる」


風景も雰囲気も味わわない態度。

今この瞬間も任務が動き続けている顔だった。


「···慈悲の神殿(Temple of Mercy)」


アイラが慎重に口を開いた。

周囲を意識して声を落とし、瞳に緊張が張りつく。


イヴェラの視線が、広場の片隅にある石造りの建物へ向いた。

小さく目立たない造り。

外壁には擦り減って薄れた宗教紋が刻まれ、

入口では誰かが物乞いに施しの食事を配っていた。


「そう。あれが今回の調査対象だ」


イヴェラは淡々と言う。


「表向きは慈悲の神を祀る施しの神殿。

それらしい顔で外の人間を迎え入れる」


一拍置いて、さらに低く付け足した。


「だが情報によれば、

中で禁呪の魔法文書が動いた痕跡がある」


目が細くなる。


「その文書は、組織内でも『優先調査対象』に指定された。

ただの禁書じゃない。

確保命令まで下りた、危険で重要な代物だ」


「慈悲なんて名を堂々と掲げて、

中では禁忌を扱うのか」


ライネルが短く鼻で笑った。


「表向き善人面で、内側に何か隠してる可能性が高い」


イヴェラの声は揺れない。

決まった情報を伝えるだけの態度。

感情の匂いがしない声だった。


「任務は単純だ」


彼女は続ける。


「神殿内部に近づき、信徒と交流しろ。

その中の一部は、外の冒険者と接触したがっている動きがある。

揺さぶって、不審な言葉や物を引き出す」


「···私たちが潜り込んで取った情報が、

誰の手に、どう使われるかも分からないまま渡せってこと?」


アイラが静かに言い返した。

瞳に、微かな抵抗が宿る。


「くだらない質問はするな」


イヴェラは視線を寄こさず、唇だけを動かした。


「私たちは盤上の駒だ」


言葉は味気なく、

繰り返された刷り込みみたいに自然だった。


「命令が下りたら、ただ遂行する。それだけ」


そして最後に。


「余計な感情に振り回されるな。

それが一番危険だ」


「分かった···別にいいよ」


アイラが小さく笑う。


「少なくとも、こうして外に出られた。

息苦しい壁の中よりずっとマシだし。

それに今は、自分たちの手で何かできる。

自分で確かめて、自分で動ける」


一瞬、言葉が途切れた。

瞳には、小さいが確かな期待が入っていた。


けれど――


「首の拘束具が、それを許すとは限らない」


イヴェラはそう言って、感情のない顔のまま背を向けた。

彼女は無言で歩き出す。


アイラは笑みを消した。

ライネルも黙って後を追った。



三人は広場を抜け、冒険者ギルドへ向かった。


建物は古い石造りだったが、入口には明るい灯りが点き、

武器を帯びた者たちがぽつぽつ出入りしている。


黙って歩いていたアイラが、そっと息を吸った。

緊張が肌を這う。


イヴェラは潜入にしては堂々と扉を押し開けた。


「新規の冒険者登録に来ました」


丁寧で、揺れない声。


受付の男が顔を上げた。

彼女の後ろに並ぶライネルとアイラが目に入る。


アイラの指先が、わずかに震えた。


受付はイヴェラから書類を受け取り、開いた。


「···この子たち、身元照会に何の記録もありません。

王国内のどこにも登録がない」


「王国外縁の保護区出身です。

関連書類はこちらに」


イヴェラは落ち着いて封筒を差し出した。


受付は慎重に読み、指先で数行を追い、

端末へ何かを入力した。


魔法刻印が暗く光る。


『確認済み – 特区保護対象』


表面に赤い文字が浮かび上がった。


「···はい、そうですね。

ひとまず登録自体は問題なさそうです」


だが語尾には、妙なためらいが残った。


受付は書類を整え、二人の子をもう一度見た。

何か聞きたそうな顔。

しかし結局、何も言わず立ち上がる。


「新規冒険者は見習い段階として、E級からの開始になります」


彼は箱から金属のバッジを二つ取り出した。


掌ほどの銅色のバッジ。

表面には『E』を示す刻印と、

冒険者ギルドの紋章が浅く彫られている。


「お待たせしました。

登録完了です」


ライネルは軽く頭を下げ、バッジを受け取った。

目は淡々としているのに、どこか慣れた諦めが滲む。


アイラも短く礼をして、囁くように言った。


「···ありがとうございます」


小さいが、はっきりした声。

震えを隠した息が語尾に混じった。


三人はギルドを出た。


その瞬間、

存在しなかった二人の子どもが「記録」された。


短く、静かな一瞬。

けれど、ある者にとっては戻れない始まりだった。



日が傾き、

西の空が赤く染まり始めた頃。


三人は村の奥へ歩みを進めた。


目的地は、組織が先に用意していた潜伏用の宿。

表向きは普通で静かな宿だが、

彼らにとっては任務遂行のための仮拠点だった。


部屋に入ると、イヴェラが静かに扉を閉めた。


「覚えておけ。

これは休息じゃない。任務のための待機場所だ」


ライネルは目を細めた。

彼女が何を言うか、もう分かっている。


イヴェラは二人を見て、

チェックリストを読むように淡々と言った。


「ギルドや村人に好かれるのは構わない。

だがそれが任務より先に来るな」


説教でも慰めでもない。

規則の再確認。


「余計なことを考えるな。

今、お前たちがどこに属しているか。

それを···忘れるな」


時間が静かに流れた。

夕暮れはいつの間にか過ぎ、部屋は闇に沈む。


灯りは消え、

三つのベッドが沈黙のまま並んでいた。


ライネルは窓側のベッドに横たわり、壁を見ていた。

目は閉じているのに、頭の中は起きている。


アイラは背を向けて、毛布を強く抱きしめていた。

指先が僅かに震え、唇は固く結ばれている。


何も言わないが、

表情だけで何かを堪えているのが分かった。


イヴェラは部屋の隅、扉に近いベッドに座っていた。

毛布も掛けず、膝の上には短剣。

背は扉へ、視線は低く落ちる。


彼女は静かに目を開いた。

闇の中でも緩まない警戒の目。


気配を殺して立ち上がると、

つま先立ちで扉へ近づいた。


取っ手を握り、ゆっくり押す。


軋む音はしない。

昔から、音の出る癖を全部覚えているからだ。


夜風が冷たく頬を撫でた。


イヴェラは宿の裏手、崩れかけた倉庫のある方へ歩いた。

闇を慣れた足で踏み、腰から小さな鉄の笛を取り出す。


唇に当て、短く鋭い息を一度。


笛は鳴らない。

だが、彼女が呼ぶ相手に音は要らなかった。


少しして――


黄褐色のフクロウが、遠くの柱の上へ舞い降りた。


イヴェラは慎重に小さな紙片を取り出し、

フクロウの足首へゆっくり巻きつける。


そこにあるのは、たった一行。


「登録完了。動向監視中。異常なし」


彼女は小さく呟いた。


「···行け」


フクロウは一度だけ翼を打ち、

音も痕跡も残さず闇に溶けた。


イヴェラはしばらく空を見上げ、

ほんの小さく息を吐く。


宿へ戻る足音は、

出てきた時よりさらに静かだった。



部屋の中は相変わらず暗い。

三つのベッドだけが静かにそこにある。


ライネルは窓側のベッドに横たわり、壁へ向けて息を整えていた。

目は閉じているが、思考は休んでいない。


アイラは背を向けて毛布を抱えたまま。

指先は微かに震え、固く結ばれた唇に緊張が張りつく。


イヴェラは静かに扉を開けて入ってきた。

足取りはさらに慎重で、気配を一切漏らさない。


彼女はまっすぐ自分のベッドへ行き、座る。

膝の上にはまた短剣が置かれ、

視線は扉へ向いた。


静かに目を閉じたが――


彼女は分かっていた。


ライネルの呼吸が、

さっきより僅かに浅くなったことを。


彼は眠っていない。


ただ目を閉じて、

イヴェラの動きを静かに数えているだけだ。


その沈黙の中で、三人の夜はさらに深く沈んでいった···

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