第57話 ひやひやとするイアンの動向
夏楓がカフェの中から窓をのぞいていると、孝俊とイアン、そして橋浦の3人はボクシングの仕草をしていることに気づき、これから喧嘩が始まるんじゃないかと冷や冷やした。慌てて、駆け出して外に出る。
「——だからさ、こうだよ。こう」
「Is this okay? (これでいいの?)」
橋浦はイアンになぜかシャドーボクシングのやり方を教えていた。喧嘩をしていたわけではなかった。
「びっくりしたぁ……」
「Natsuha is the president? What were you thinking? (夏楓社長? 何を考えていたんですか?)」
イアンは冷や汗をかいて慌てた様子の夏楓に問う。孝俊は腕を組んでため息をつていて口を開く。
「そりゃぁ、誤解を生むよな。血の気の多い俺がいるからな?」
「……そ、そうね」
「???」
日本語で話す2人にイアンは頭に疑問符を浮かべる。ついさっきまで自分がこのカフェを仕切ってやっていこうと考えていたイアンだったが、閉店すると分かって、今ここで橋浦にシャドーボクシングのことを教わり、バイトするより鍛えることを優先しようかと気持ちが切り替わった。イアンは、日本人である橋浦におびえている自分自身の気持ちの小ささに悔しかった。強くなりたいと切に願うようになる。
「Have you always been boxing? (ずっとボクシングやっていたのか?)」
「え?」
「あ、今通訳するよ。ずっとボクシングやっていたの?だって」
夏楓は英語の分からない橋浦に通訳した。
「あーー……。えっと、小学生から習ってたから、もう10年経つかな」
「Mr. Hashiura apparently learned boxing for 10 years since he was in elementary school.(橋浦くんは、小学生の頃から10年間ボクシングを習っていたそうよ)」
「Wow, that's really strong.(うわぁ、さすがは強いですね)」
「強いねだってよ」
「まぁまぁ、そんなことはないけども……」
「強いやつ採用していたんだな」
孝俊がボソッと言う。橋浦は照れながらぺこっとお辞儀する。
「そうね、あんたみたいな血の気の多い人を制御できる人いないとね」
「もう、働いてないだろ」
「あ、そうだった。いるもんだと勘違いしてたわ」
いつの間にか、孝俊がここに存在することが当たり前だと勘違いしていた夏楓は頭をぼりぼりとかいた。無事、スタッフ全員納得して、今月末で退職という形をとることができた。アメリカの店舗を閉店させて、日本の店舗に集中しようと切り替えた。初めてやってやるとやる気を出して、お店を出した当時の自分を思い出すとこの店を手放すことに少しだけ寂しさを覚える。
2週間後の閉店当日の誰もいなくなった店舗の椅子。夕日の光が差し掛かる頃、からすの鳴き声が聞こえてくる。ぼんやりとテーブルに座り、右も左もわからなかった時を想像する。まさかここまで成長できると思っていなかった。店舗を増やすことができるなんて思いもしない。買ったばかりのグラスを何個割ったことか。何度挽いたばかりのコーヒー粉を床にこぼしたか。慌ててやる自分が悪いのに、落ち着いてできていなかったと反省する。今では遅刻すること以外は平気で仕事をこなすことができている。自分で自分を褒めたかった。涙を流していると、closeとしていたはずのドアが開いた。
「Sorry, we are already closed today...(申し訳ありませんが、本日はすでに閉店しております)」
お客様だと思っていた夏楓はドアを開けてお引き取りしてもらおうとしていたら、両手いっぱいの花束を持って入って来たため、顔が見えず誰かわからなかった。
「……お疲れ様」
アメリカの店舗で初めて見る。まさかの人だった。黒髪の寝ぐせがちょこんと見えて花束で顔が隠れている。




