第55話 壊れた壁と揺れる信頼
孝俊とイアンはしばらく向き合い、睨みあいが続いたが、だんだんとこの状態がおかしく感じた孝俊はくすっと笑う。
「ハハハ……。イアン、お前何歳だよ」
日本語で思わず言ってしまう。
「???」
「あ、悪い悪い。How old are you? (君は何歳だ?)」
「I'm 23 years old now...(今、23歳だけど……)」
孝俊の笑いで怒りが消えかかってきたイアンは、年齢を答えた。今年の誕生日が来て、23歳になったばかりだ。孝俊は、満39歳で、もうすぐアラフォーにさしかかる。若かりし頃を思い出す。いたずらや悪さをしてないこともないと考える。
「……Why do you want to be a leader so much? (なんでリーダーになりたいんだ?)」
「Isn't it fun when people listen to what I have to say? Seize the weakness and control it (みんなが言うこと聞いてくれるって楽しいじゃん。弱み握って僕の支配下に置くんだよ)」
口角を上げて笑い出す。不気味な笑いに孝俊はイアンの胸ぐらをつかんで壁まで追い込んだ。平気な顔して笑うイアンに腹が立つ。
「調子乗ってんじゃねぇぞ。まだまだひよこっこのくせになぁ、大人をなめるなよ!」
「Yes, yes, yes. There's no point in trying to avoid understanding by trying to speak Japanese like that. Now there are useful functions (はいはいはい。そんな日本語で話したって無駄だよ。今は便利な機能があるんだから)」
イアンはズボンのポケットに忍ばせておいたボイスレコーダーを取り出した。ボタンを押すだけで日本語がすぐに英語に切り替わった。何と言っていたかすぐにわかった。
「Hey, that's what Taka thought. Is it okay to say that? Isn't compliance tough these days? (へぇ、タカさんはそんなふうに思っていたんだ。今はコンプライアンス厳しいっていうけど、大丈夫?)」
孝俊は、下唇を噛んで悔しい表情を浮かべて、胸ぐらをつかんでいた手をそっと放した。イアンの顔近くの壁を思いっきりこぶしでたたいて壊した。殴りたいくらいに激怒した。壁に押しとどめたが、見事に当たり、壁に穴が開いた。
「Ah, it's hard when you have a lot of blood.(あちゃ~、血の気が多いと大変なんですね)」
そこへガチャとドアが開く。来るとは思わなかった夏楓が入ってきた。横にはなぜか橋浦も一緒だった。
「あれ、イアンと孝俊、そこで何してたの? お店の方、すごく混んでるけどさぼってた?」
2人の様子を見て、休憩室で話してるんだと思った夏楓は混んでるにも関わらず、さぼっているのかと思っていた。橋浦は荷物をテーブルに乗せるとエプロンをつけた。夏楓のすぐ近くにイアンがかけつけた。
「Ah, Natsuha president! Please listen. Right now, I'm about to get hit by Managing Director Takatoshi, and the wall is in trouble...(あ、夏楓社長聞いてください。今、孝俊専務に殴られそうになりまして、見てください。壁が大変なことになりました)」
イアンは、壁を指さして、ぼろぼろになっているのをアピールした。イアンの姿を見た孝俊は苦虫をつぶしたように舌打ちをした。
「孝俊、どういうこと? 壁、かなり壊れているけど」
「イアンを信じるなら、信じてればいいだろ。俺は、もう知らない。お前が何とかしろよ」
そう吐き捨てて、外に出ていく孝俊を、夏楓は疑問符を浮かべて壊れた壁をなぞった。
(この壁の修理費用いくらくらいかかるかな……)
イアンは涙を流して、ずいぶん前に自分でけがをした左手の甲をあたかも今傷ついたように撫でた。
「President, it hurts (社長、痛いですよ)」
かすり傷がかさぶたになっているのを見逃さなかった夏楓はそんなの大丈夫とイアンの手を撫でた。
「もう、男はこういうんだから困ったもんだわ。ねぇ、橋浦くん」
「俺だったら、もう少し範囲広く壊せますよ」
「?!」
ボイスレコーダーで必死に翻訳で聞いたイアンは顔を青くした。橋浦は元ボクサーだったのを夏楓は思い出す。
「橋浦くん、壊さないでほしいかなぁ」
「ですよね、すいません」
「さてと、イアン。詳しく話聞きに日本からわざわざ来たんだけどさ。あれ? いない」
いつの間にか忽然とイアンの姿がない。孝俊よりも強烈なやつがやってきたんじゃないかとおびえていたイアンはそっと静かにお店の方に逃げていた。
「俺のパンチを浴びたかったのか?」
「違うでしょう。その逆だわ」
「まったく、仕方ないわね。あとでお店が閉店したらみんな集めて会議しましょう。孝俊にも詳しく話聞かないと……あの人、どこに行った?」
夏楓は、バックからスマホを取り出して、孝俊に電話をかける。緊急事態だと思い、電話をするのに迷いがなかった。スタッフとしての関わりだと割り切れるようになる。夏楓の横にいた橋浦は不意にシャドーボクシングをしていた。久しぶりにグローブで練習したくなってきたようだ。
そんな状況でもポメラニアンのお店はたくさんのお客さんでにぎわっていた。




