第46話 涙を流す理由
夏楓はひったくり犯を捕まえようとしてけがをした橋浦をドラッグストアで応急処置の消毒液やガーゼ、包帯を買った。橋浦はそんなことしなくていいですと断っていたが、どうしても譲れなかった夏楓は、シャツの裾を引っ張ってでも、連れて行った。お店の出入り口付近の虫よけ扇風機前でけがの具合を確認した。
「結構、出血してたねぇ……」
「別に平気ですけど」
橋浦は出血くらい気にしないというような態度だった。夏楓はその言葉を気にせず、処置した。包帯を肘あたりに巻き付けて無事終えた。
「これで大丈夫だね」
「別にいいって言ってるんですけど……まぁありがとうございます」
「早めに手当しないとさ、ばい菌入るって言うでしょう? 消毒してあるから大丈夫。ガーゼ多めに買ってたから自分で取り換えてね」
「はぁ……どうも。こんなん別に全然平気ですけど。死ぬこと以外かすり傷って思っちゃうんですよね」
包帯を巻いた肘を上げてため息をつく橋浦を横目に不思議な考えを持つなと夏楓は思ってしまった。
「すごい強いね」
「ボクシングやってたんで、このくらいの傷、全然平気ですよ」
「まぁ、死と隣合わせの競技だよね。ボクシング。強いね、橋浦くん」
「強くあらねば、生き抜けないもんです」
「ふ、深い!」
夏楓は感心してしまう。はっと我にかえり、ひらめいた。
「せっかくだからさ。ひったくり犯捕まえてくれたし、夕ご飯おごらせて!」
「え。いや、別に大丈夫っすよ。ほら、手当してもらいましたし……」
夏楓は、バックの中の財布を確認すると大きなこと言えないなとぐったりした。
「橋浦くん。ごめんね。想像以上に今財布の中、寒かった。そうだなぁ、んじゃ、橋浦くんの家にお邪魔させてもらって何か作ってあげるよ。冷蔵庫の中って何か入ってる?」
「いやいや、部屋散らかってますし、冷蔵庫はほぼ飲み物しか入ってないので何もないっすよ」
ぐいぐい来る夏楓を変に怖くなる橋浦だ。男の1人暮らしの部屋に女性を入れたことのない橋浦にはかなりの抵抗を感じる。確かに女性としては魅力的と感じる夏楓であるのは認めるが、まだそこまでの領域ではない。
「……そっかぁ。ごめんねぇ、お礼できなくて」
「だから、大丈夫ですって」
「今度、おごらせてね。今は、持ち合わせないからさ」
「はぁ……」
夏楓の橋浦に対する思いが急に薄れて、さらりと後ろ向きに手を振って別れを告げた。さっきまでのお礼をするという意気込みはどこに行ったのか不思議だった。
◇◇◇
「ただいま」
夏楓はご機嫌にハイヒールを脱いで部屋の中に入る。台所から良い匂いがする。壁にかけているカレンダーの今日の夕ご飯当番を見ると、孝俊と名前が書いてあった。
「美味しそうな匂いだ。あれー? 今日のご飯当番は孝俊じゃなかった?」
台所にいたのは腕まくりをしたワイシャツの上にエプロンをつけた空翔だった。
「おかえり。そうなんだけどな」
じゃがいもの皮をむきながら、イライラ感を醸し出している。
「今から何作るの?」
「ポテトサラダ。メインは、カレーライスにしてた」
「そっか。でも、なんで、孝俊いないのよ」
夏楓はソファに座り、テレビをつけた。空翔はそのまま料理を続けた。
「孝俊、今日、外で食べて来るんだってさ。さっきぎりぎりになって連絡入った」
「えー、嘘でしょう。急だねぇ」
「誰かと食べてくるだってさ」
「……孝俊がまるで空翔の夫みたいな発言だね」
「違うわ」
「分かってるけど、その対応が。そう見えた」
「……お好きに解釈してください」
もう夏楓と会話をするのが飽きてきたのか話を終わらせた。夏楓はご不満そうだ。台所に近づいて、空翔の料理姿を見つめる。
「んじゃ、今日はうちら2人か。何年振りですかね。一緒に食べるの」
「さーてね。どうだったかな」
夏楓は頬杖をついて、遠くを見る。
「こんな雰囲気で過ごせるなら、あの時も無理もなく過ごせたのかな」
意味深な発言に空翔は目を見開いて、ゴロンとじゃがいもをシンクに落とした。
「あ……。ギリギリセーフ」
慌てて、シンクに落ちたじゃがいもを拾う。
「あ、深い意味はないよ! ちょっと思っただけだから。気にしないで」
「かなり気にするけど?」
「いやいや忘れよう」
「……」
空翔は複雑な顔をして出来上がったカレーライスを食卓に並べた。ポテトサラダを作るのをあきらめた。じゃがいもと向き合うのが突然嫌になる。夏楓の発言が気になったからだ。自分でもどうしたいかわからなくなる。
「食べるよ」
空翔はそういうと、1人静かに食べ始めた。夏楓は慌てて、食卓に座り、カレーライスを静かに頬張った。久しぶりに食べた空翔のカレーは美味しかった。シンプルに鶏肉とじゃがいもとにんじん、たまねぎを煮込んで、カレールーを入れたもの。懐かしい味だ。不意に涙が出る。いつも孝俊には夏楓が作っていたが、作ってくれるものが美味しいなんて久しぶりに感じた。
「たまねぎ?」
「うん、そだね。私、敏感だからさ」
そんなわけないと思いながら、質問する。ノリに乗っかった。無理してるなとすぐに感じる。
「嘘つくなよ」
「そっちこそ」
「は?」
「美味しいよ」
「お、おう」
頬を少し赤くして、2人は完食した。何気ない瞬間がほっとする。夫婦でもない。恋人でもない。この関係が良いのか悪いのか未だわからない。
「ごちそうさま」
「美味しかったようで何より……」
「たまねぎの刺激が強かったけどね」
「まだ言うか」
「へへへ……」
まったりとした時間が流れていく。孝俊がいない方が夏楓は安堵していた。




