第39話 気づかぬ熱に夜の訪問者
少しだけ欠けた夜空の月を眺めながら、フラフラと歩道の石畳みを歩いていた。
「今日も一日終わったなぁ……」
まだお酒は飲んでいないはずなのに、夏楓は右や左にフラフラしながら、アパートの階段を上って行った。徹夜して頑張った書類を見事に自宅に忘れるという大失態をしてしまった夏楓は、幸運にも税理士が予定をキャンセルした。熱が出て、出勤できないという連絡が入った。あんなに頑張ったのが、しゅーんとボルテージが下がった感覚でがっかりした気持ちもあった。そこまで頑張らなくてもよかったなぁと後悔してみたり、今日は、好きな梅酒でも飲んで、作り置きしていた麻婆茄子でも食べようかなと考えていた。階段を上りきると、自宅のドアの前にスーツを着た男性がスマホを持って立っていた。
「あーれー? どうしたの? こんなところで……」
「待ってた」
「何の用事よ。ひどいことした元カノに何を求めてるわけ?」
空翔は持っていたスマホをズボンのポケットに入れて、夏楓と向き合う。
「……孝俊と今でも夫婦じゃないのか?」
「え?」
「気になったから、直接聞いてみようと思って確認に来た。俺には関係ないかもしれないけどさ」
夏楓は、バックからアパートの鍵を取り出して開けようとした。
「はいはいはい。おせっかいかなぁ? そう、空翔には関係ない話だね。夫婦にはいろんな形があんのよ!」
指を空翔の胸に向かって差した。その夏楓の指を空翔はがちっとつかんだ。
「あのなぁ……酒飲んでる?」
「ふへ?」
夏楓は、無意識のうちに空翔の肩に顎を乗せた。頭が働かない。何をしたいのか自分でもわからない。空翔が何かを言っている。空翔は夏楓は、額に手のひらをあてる。意識が朦朧としていた。
「顔赤いし、額、熱い」
「…………」
いつの間にか高熱になっていた。夏楓は自分のことに気づいていなかった。話す言葉も思いつかない。体を空翔にゆだねてしまっていた。
「まったくもう……酷使しすぎだろ」
ぶつぶつ文句を言いながら、空翔は、夏楓の手を自分の肩に乗せて部屋の中に運んだ。靴を脱がし、バックをソファに置き、部屋の電気をつけて、身の回りのお世話をした。意識が朦朧とする夏楓を寝室のベッドに運び、体温計で熱を測ると39.0まで上がっていた。額に貼る冷たいシートと保冷剤と脇にあてて、保冷枕を用意した。やることはやったぞと達成感を味わった空翔はそろそろ出ようとした。寝室からリビングに移動すると、目をつぶる夏楓の手が空翔のスーツのすそをつかんでいた。
「……行かないで」
空翔は、体がかたまった。何をしようと言うのか。行かないでと言うのは夢でも見てるんだろうとそっと振り切って、ドアの向こうに行こうとした。
「行かないで!!!」
なぜか怒っている夏楓がいる。空翔は冷や汗がびっしょり。本当に自分に言っているのか疑った。
「俺は帰る」
「帰らないでいい」
「ここは俺の家じゃない」
「…………勝手にどうぞ」
夏楓は不機嫌になって寝返りをした。反対側の方に体を向けている。空翔は、何だか単純に帰るのは良くないだろうかと、リビングのソファに仮眠をとることにした。帰るなと言われて本当に帰らないっていうのも納得できなかった。自分の本当の想いとは反する行動をしている。仮眠と思っていたはずが、朝方までぐっすり眠ってしまっていた。
夏楓は、朝起きて、なんでリビングに空翔が寝てるのが謎で仕方なかった。帰るなと言ったのは夏楓なのに本人覚えてない。人見知りするようにそろりとトイレに逃げる。
(なんで空翔がいるの。私、頭おかしいって)
ぽかぽかと頭をたたいて、目を覚まそうとするが、熱はまだまださがらない。これはこの高熱のせいだと諦めて遠くを見た。どうにでもなってしまえと開き直る部分がある夏楓だった。




