最低な魔女がこしらえた最高なおかしの家
おかしの家を建てないと王子から殺される兄妹は、家に必要な最後のピースが見つからず、「もう王子を殺した方が早いのではないか」とヘンゼルが口にする。
「三日後だよ。城までは馬を使わないと到底無理だよ」
ヘンゼルは「そうだなあ」と首肯。
作物を食い荒らす害虫が一時期街を襲い、王国総出でこれを討伐するも小麦が無くなってしまった。
パン工房で働く見習いパン職人のヘンゼルとグレーテルは、『いくら食べても無くならないおかしの家』を作るのに奮闘していた。
「そろそろ代わるよ。ヘンゼル」
と、グレーテルは青い白い顔で咳き込みつつ、荷台から声をかける。
「体がよくなってからでいいよ」
ヘンゼルは肩で息をしながらも力強く答えた。
病弱な妹を荷台に載せて運ぶ兄は、〈魔女〉が住むという小屋に訪れる。
なんの変哲もない、丸太で組み上げられた質素な小屋だ。
兄妹が訪れるタイミングを知っていたかのように、魔女は扉を開けた。
「パンは用意できたかい」
「どこ探したってないよ。そもそも小麦がないんだもの」
「それじゃあダメだ。パンは絶対条件さ。絶対近くにあるよ。私の水晶がそう言っている」
魔女は透き通るガラス玉を、枯れ枝のような皺だらけの手でひと撫でし、不気味に嗤っている。
「その水晶壊れてるんじゃないの」
「馬鹿言うんじゃないよ。とにかく、ここからおかしの家までパンくずを落とさないと〈魔獣〉は使えないからね」
「なんでパンじゃないといけないの? おかしの家のケーキをひとつまみしてもいいじゃない」
「うちの魔獣はジャムパンしか食べないのさ。うんとあまーいジャムのね」
「注文増えちゃった」
ヘンゼルが額を抑える。
「ジャムである必要あるの?」
グレーテルも抗議する。
「煩いね。早くしないと日が暮れるよ。もたもたしてないで寝ずに働きな」
魔女に煙たがられるようにして追い出されると、ヘンゼルは小言を漏らす。
「鬼ばばあめ」
「だめだよ、そんなこと言っちゃあ。魔女に聞こえちゃう」
「森に目も耳も鼻もあるって? あんなのただの噂だよ。さもないと、怒った魔女がたちまち〈火の雨〉でも降らせてくるさ」
ヘンゼルはバカにするように、肩で息をしながら冗談で返す。とはいえ希望はない。ヘンゼルがこれからどうするか考えていると、
「何か聞こえない?」
グレーテルが変な事を言う。
「別に何も――」
いや、と口を噤む。
空気を切り裂く鋭い音。
森がざわめく。
小鳥が高い声で猛々しく鳴くように、その音は兄妹に近づくにつれ異様に大きくなる。
見上げずにはいられない。
顔を上げると、巨大な杭が眼前に突き立った。
◇
「魔女だ」
ヘンゼルの震えた声。
巨大な杭はどこからともなく、頭上から一直線に兄妹めがけて飛来した。
人工的に成形されたであろう、大木の皮を綺麗に剥いだ鋭利な凶器。それはあまりにも大きく、城もしくは魔獣を殺すために作られたと言ってくれた方がまだ納得できた。
だが、狙いは兄妹だと後続の風切り音が告げる。
「森に目があるの⁉︎」
「耳だろ。なんだっていい、走れ!」
グレーテルを無理やり引き起こし、荷台を放棄して走る。
巨大な杭は一本で止まらなかった。
最初の一本が号令だったかのように、硝煙弾雨の如く杭の雨が怒涛の勢いで降ってくる。
地を穿ち、礫が舞い、砂煙が森を汚す。轟音が地盤を揺らすと、もはやまともに立っていることさえままならない。
兄妹の叫び声は土を穿つ〈杭の豪雨〉で掻き消された。
日が暮れる頃には杭の豪雨が止み、森は凄惨な顛末を刻んでいた。
御伽噺の巨大な魔獣が森を食い荒らしたのだと、もはやそう言う他ないほどに目の前の光景は前例がなかった。
風穴を開けた大木に、奈落を形成した大地。歪な輝きを落とす星空。
そして気づく。
「杭が消えた」
一本もない。初めからそこにいなかったように、二人をバカにするように。この光景を刻んだ災害は跡形もなく消滅していた。
「やっぱり魔女がやったんだ。こんなこと出来るの、魔法じゃないと説明がつかない」
「逃げようヘンゼル。どうせおかしの家なんて出来っこないよ。逃げなくたって王子に殺されちゃう」
そう言うグレーテルが、ヘンゼルの手を握ろうとして、空を切る。
ドロっと濡れた何かに気づく。
荷台のあった場所まで戻り、雲が晴れ、月明かりの下に晒される。
奇跡的に無事な荷台と――
「 え 」
どうしようもないほどの〈赤〉が、ヘンゼルの失った左腕から溢れていた。
◇
グレーテルの悲鳴がこちらに向けられたものだと知ったヘンゼルは、振り返り言葉を失った。
左腕が肩口から抉り取られている。
杭に穿たれていたのだろう。アドレナリンなのか、痛みが一切ない。
額も切っていたらしい。
自身で気づいた時には、粘っこい額の血が口に入っていた。
「あま」
味覚がおかしくなった訳では無い。
熟成したイチゴジャムの甘味が舌を満たす。間違いなく自分の体から出た血のはずなのに。
小麦のない街で、パンを探す無理難題な道程。
無理難題ではないと、頭の片隅で理解する。
だが理解しようとすると、頭がそれを拒否した。
――どこ探したってないよ。
――絶対近くにあるよ。
試しに服を捲り、自分のお腹を摘んでみる。
すべすべで、きめ細かい肌。もっちりとしている白い肌。
摘み、引いていく。伸びる。どんどんと。そして――抵抗なく千切れた。
崩れた森がざわざわと蠢く。
魔女が嗤っているような気がした。
◇
顔をあげ、グレーテルと目が合う。何か言いたげだ。
ヘンゼルが口を開くと、グレーテルは眉根を寄せた。
「グレーテル」
「なに」
「お願いがあるんだ」
「いや」
何を言われるかわかっているのか、グレーテルは聞こうとしない。
「荷台を引いてくれ」
「絶対だめ」
声が震えている。
「そんな顔をするな」
「だって……そんなことしたらヘンゼルが」
「僕は、グレーテルが生きていてくれればそれでいい」
「私だって同じよ」
グレーテルは押し寄せる感情で顔をぐしゃぐしゃにする。
「これは僕にしかできない事だ」
こんな体になっていた自分にしかできないことだと、ヘンゼルは理解し、言い聞かせた。
「絶対に振り向いてはいけないよ」
◇
グレーテルは荷台を引く。
舗装されていない大地が、整備していない荷台の車輪を意地悪でもするように掴み邪魔をする。
こんなにも荷台が重いのかと、病弱なグレーテルは申し訳なさと色々な感情が綯い交ぜになって張り裂けそうだった。
病弱な妹の啜り泣く声が、いつまでも森の中で溶け込んでいく。
ふと、景色が白んでいくことに気づく。
雪だ。それもかなり細かい。霧のような雪。
でも寒くない。
異常気象の類。しかしこの後に及んで異常を異常だと感じる思考は持ち得なかった。
「魔女はどこまで――」
グレーテルは後ろの兄に聞こえないように怒りを漏らす。
もはや小屋までたどり着いたとしても殺されるのかもしれない。
でもヘンゼルの行為を無碍にはできない。
次第に荷台が軽くなるのを感じる。
何かが荷台の後ろでぶつかる。
引きずるような音。
――絶対に振り向いてはいけないよ。
今はただ、ヘンゼルの言葉で頭の中を満たすことに集中した。
◇
「完璧じゃないか。ちゃんと小屋まで〈パンくず〉を並べたね」
魔女は妹の気持ちなど知らず、大喜びで跳ねる。
「丸めて叩いて甘くなる叩いて伸ばして甘くなる伸ばして千切って甘くなる――」
グレーテルは魔女の言葉の意味を理解しないよう、ぶつぶつと無意味な言葉を吐き出し続けた。
パン職人から教えてもらった魔法のパンの作り方を、呪文のように呟き続ける。
魔女は諦めたように手をあげた。
「じゃあ最後だ。おかしの家まで行こう」
巨大な獣が森の奥から現れる。見上げるほどの巨躯。長い毛が頭部を覆い、顔が見えない。
グレーテルと魔女を乗せ、おかしの家まで一粒一粒、ヘンゼルの肉片――ジャムパンを食しながらの道程。
それを魔獣の背中から見下ろす旅路は、途方もなく長く感じた。
「ついたよ」
二人が背中から降りると、魔獣が勢いよく跳び上がり、おかしの家に乗る。あんな乗り方をすれば屋根から崩れるのではないかと不安になるが、グレーテルの予想を裏切り、びくともしなかった。
やがて、あんなに大きかった魔獣が、屋根に居座るとその体積を縮ませ――家の一部だったかのように動かなくなった。
砂糖細工のトナカイと成り代わり、飾られている。
「これでおかしの家は完成だ」
――これだけ?
これだけのためにヘンゼルは死んだのか。
もう全ての出来事は、グレーテルの理解の外だった。
「よく頑張ったね。辛かったろう。家の中で休むといい」
家の中。
そういえば兄妹はこの家の中に入ったことはなかった。
魔女が扉を開けると、眩い光が森を満たす。
あまりにも広い室内。広すぎる空間。
思わず目を細め、覗き込む。
煌びやかな光。賑やかな歓声。
巨大な子供達がこちらを見下ろしていた。
◇
「――なに」
グレーテルはいよいよ開いた口が塞がらなくなる。
巨大な子供達はグレーテルの方を指さして、意味不明な会話をする。
「これタダで食べていいの?」
巨大な嗄れた声が、はるか頭上で応対している。
「試食会だからね。でも完成品はちゃんと親に買ってもらうんだよ」
魔女と全く同じ顔をした巨大な老婆が、子供たちに言い聞かせる。
子供の嬉しそうな二つ返事が重なり、大気を震わせる。思わず耳を塞いだ。
「これ」
喉を突き破る思いで後ろの魔女に大声で問うと、魔女はニンマリとした顔で口を開いた。
「先に逝ってるよ」
魔女がケタケタと笑う。巨大な杭に腹部を貫かれ、笑いながら宙に浮いていく。
巨大な子供の指に挟まれた〈杭〉は相対的に、あっけなく折れそうな細長い串にすら見えた。
次々に杭が降ってくる。
おかしの家は無常にも、無垢な子供達によって原型を失っていった。
トナカイの頭部が目の前に落ちる。
生気のない瞳がグレーテルを捉えて離さなかった。
「これも食べていいの?」
「ああ。食べられるよ。この魔法のパンはうんと甘くなってるはずさ」
いい加減聞きなれた会話だったと、グレーテルはぼんやりと事実を反芻する。
――ここはパン屋だ。子供に愛されたパン屋。その中に作られた、小さな森と家に、人型のジャムパン。
子供の指に拾い上げられる。
壊れないように、優しく。
空を突き破り、はるか高いところまでくると、自分のいた森があまりに小さく見えた。
ガラス――ショーケースの後ろでは、自分のいた森と全く同じ世界が均等に並べられていた。
――ヘンゼルとグレーテルのおかしの家。
パン工房で使うようなプラスチック製のカードにそう書かれ、机に置かれている。
この森の商品名だと悟った頃には、乾いた笑いしか出せなかった。
最低な魔女がこしらえた最高なお菓子の家――おしまい。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
良ければページ下より「いいね・ポイント(☆マーク)・ブクマ・感想など」よろしくお願いいたします