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姫様、お手柔らかに  作者: 摩莉花
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前編

「久方ぶりの殿様とのご対面、どうか鈴姫様、お手柔らかに」

 梅の花が盛りの肌寒い午後のことである。

 養育係の松島が何かと『お手柔らかに』と言うので、江戸家老の武部をはじめ、腰元のお裕までが口癖のように同じ言葉を繰り返す。

「わかっています」

 と、鈴姫が不機嫌な様子で廊下にひざまずけば、

「では」と、松島が部屋の中へ声を掛けた。

「殿、姫さまがおいでになられました」

「そうか、入れ」

 いらえに応じて松島が障子を開け、平伏する。

 鈴姫も一礼してから立ち上がり、花車模様の打掛の裾をさっとさばいて部屋の中へ入り、父親の前で座り直してから三つ指をつき、しとやかに挨拶をした。

「父上、ご健勝のご様子、お慶び申し上げます」

 と、顔をあげて、にこりとすれば、それは芙蓉の花のよう。

 椿森藩二十五万石、鳴沢伊豆守のひとり娘、鈴姫は茶道、書画、琴、囲碁、立花、香道、和歌など婦女子の教養を立派に修めただけでなく、薙ぎ刀、小太刀も免許皆伝の腕前、それだけでなく四書五経の知識も並み以上という文武にすぐれた才女だった。それならば伊豆守も自慢の娘と吹聴しただろう。が、気が強く男勝り、上屋敷の地名から『外神田のじゃじゃ馬姫』と陰で言う者もあった。

「そなたも黙っておれば、花のようなのにのう……いや、元気そうでなにより」

 自慢でもあり、困り者でもある姫が、ことさら女らしく振舞う際には何か思惑があると屋敷の皆は知っていたので、伊豆守はため息まじりに言い、松島はそっと障子を閉めて部屋を離れた。

「武部から、そなたの縁談がまとまったと聞いておると思うが」

「はい、先日聞き及びました。若年寄を勤め、次には老中にもなるであろうと噂され、大御所様にもお覚えめでたい高坂播磨守様のご三男、伊三郎信景様とか。祝言は、秋とも」

「十七のそなたと二十六の伊三郎どの、歳も釣り合っておる。譜代の高坂家から養子を迎えるのは、悪い話ではあるまい」

「さようでございますね」

 と、答えた鈴姫の瞳がきらりと光る。

 鈴姫の父、鳴沢伊豆守好継は、早世した正室との間に子がなく、日本橋駿河町の呉服商・井筒屋の娘、お美代を側室として、鈴姫が生まれた。その後は子宝に恵まれず、二年前、お美代の方が亡くなってから国許で迎えた側室との間に男子が生まれたものの、その子は半年で亡くなり、このたび鈴姫に婿養子を迎えて跡継ぎとすることに決まったのだった。

「武部から、牛若丸のように眉目秀麗で文武に秀でたお方と聞きました。一方、噂では、脇腹のため正室とそりが合わず、一時家を飛び出して無頼の輩と付き合いがあったとか」

 江戸家老から縁談の相手のことを聞くと、腰元たちに高坂家と婿になる伊三郎について鈴姫は調べさせた。女は女同士、そのつながりを使って。

「そなた、どこで」

 しかしそんなこととは知らない伊豆守は絶句したのち、言った。

「……いや、噂は千里を走ると言う。深窓のそなたの耳にも入ったか。されど、今は身を修め、藩主となるにふさわしい人物ということだ」

 とは答えたものの、じゃじゃ馬と評判の鈴姫の婿になろうという相手が見つからなかったという事情もある。

 年頃が釣り合う相手として、分家の部屋住みの慶七郎という者を鈴姫の婿に迎えるか、養子として次期藩主にしてはどうか、という話もあったが、慶七郎は文武の才はあっても人に対して冷たいところがあり、一族の集まりで会った鈴姫が嫌っていることもあって、その話は立ち消えになった。そこで伊豆守は良き相手を探したのだが、大名同士の縁組はなかなか難しく、江戸家老武部が旧知の高坂家の家老から、正室から嫌われて持て余されている若君の話を聞き、奔走した結果、譜代の高坂家ならよかろうと幕府からお許しを得たという次第だった。

 この経緯は、武部や腰元たちの話から鈴姫も把握している。そのため、まなじりを決して言い切った。

「父上、わたくしも椿森藩を背負う覚悟は出来ております。家同士の決まりで夫婦となる相手とはいえ、婦道を守り、夫として仕えましょう。されど、昔の無頼の生活を思い出し、藩のためにならぬと判断した場合は……斬って捨てます」

「それほどの気概」

 ぐっと、伊豆守が娘への愛しさと感情の激しさに、言葉をつまらせる。

「女にしておくのは惜しい。……そなたが、男子であったなら」

 伊豆守は、これまで鈴姫に向かって数えきれないほど言ってきた繰り言を再びつぶやいた。

「けれども、わたくしはおなごでございます。女として生まれた最善の道をとるのみ。さて、父上……縁談が決まったことでもあり、つきましては父上に、お願いの儀がございます」

 鈴姫はまたもや、にっこりと華やかな笑みを浮かべた。




*****




 鈴姫が父に願ったのは、「生き別れた妹に婚儀の前にひと目会いたい」というものだった。

 鈴姫に妹がいたというのは父親である伊豆守にも初めて聞くことだったようだ。驚いて耳を傾けてくれた。

 二年前、母のお美代の方が亡くなる際に、鈴姫が実は双子であったのだと聞かされた。

 産気づいたあと、難産になったので産婆役をするはずだった介添えの女中が、町方で評判の産婆、お芳を呼んだのだった。無事に子供は生まれたのだが、双子だったため、当時仕えていた老女が畜生腹との外聞をはばかり、伊豆守にもお美代の方にも知らせず、お芳にその子を託したのだった。そのときの老女はお役を退き、尼となっていたが、お美代の方が重い病に罹ったと聞いて見舞いにやってき、懺悔とともにその子の行方を語った。

 鈴姫の妹であるその子は、何度も流産して子供を持てなくなった神田明神近くに住む大工夫婦の養女となっていた。

 鈴姫が腰元のお裕に調べさせたところ、その大工、又兵衛は今では棟梁となり、妹は又兵衛の弟子の佐吉とこの春に祝言を挙げるという。

「武家の娘と知らずに育った妹に、姉妹と名乗って困らせることはいたしません。ただ会って、祝いの言葉を贈りたいのです」

 と、言う鈴姫に、跡取り娘が屋敷を出ることを渋った伊豆守だが、最後には折れた。

「屋敷を空けるのは、三日。影供をつける」

 条件をつけた父を鈴姫は説得した。そして、「自由に動けるのは五日。影供は無しにしても、祖父である井筒屋の庇護を受けること」と伊豆守も譲歩した。

 もとより、父との会見の前に母方の祖父、井筒屋九兵衛へ妹を探す旨の手紙をしたため、『父上様のご了承が得られましたら、当方へおいでくだされますよう』との返答を得ていた鈴姫に否やはない。




*****




 翌日、腰元のお裕から着物を借りて女中の宿下がりといったふうを装い、上屋敷の通用門を出た鈴姫を、一丁の町駕籠とひとりの町人が待っていた。

「井筒屋の手代、新吉と申します。お嬢様、お迎えにあがりました」

 上背があり、目元の涼しげなその若者は、商家の娘として鈴姫を扱い、駕籠に乗せて、自分は脇につき、日本橋へと向かった。

 駿河町にある井筒屋に着いたのは昼過ぎだった。すぐに奥座敷へ通され、上座に坐った鈴姫の前に、隠居の九兵衛と妻のお梶、お美代の方の弟で当主の伊兵衛と妻のお涼、十二歳になる孫娘のお加代が並んで挨拶をした。総領の宗三郎は商いの修行のため京へ行っていて留守とのことだった。

「初めてお目にかかります、おじじさま、おばばさま。手紙を差し上げただけで、わたくしのわがままをよくご了解してくださいました」

「いえ、初めてではありません。姫のお七夜の折、お祝いを申し上げにお屋敷へ参上し、お目にかかっております」

「ほんに、美しくお育ち遊ばして。お美代の面影も……。殿様のご寵愛を受けてから、娘はもういないものと思っておりましたから、姫様に頼っていただいてうれしゅうございます」

 祖父の九兵衛は相好を崩し、祖母のお梶は嬉し涙を袖で拭いている。

「叔父様、叔母様にも、ご迷惑をお掛けしますが、こちらに逗留する間、よろしくお願いいたします」

 鈴姫が丁重に頭を下げると、叔父と叔母も驚いて頭を下げ、「何でもお申しつけください」と答えた。

「ここにいるときは、どうか姪の鈴として扱ってくださいませ」

 縁者であっても身分を気にする叔父たちに、鈴姫は言った。

「そうや。お美代の娘で、わしの孫や。五日間だけは、そのようにし」

 祖父の九兵衛もそれを受けて、出身の京なまりの言葉で家族へ告げた。

「そうそう。ここにいる間に着る振袖をあつらえよう、思って。うちの縫い子は一晩で縫い上げますの」

 と、祖母が手を叩いて別室へ反物を持ってくるように女中へ言いつける。

「お召し上がりものは、何がよろしいでしょう。すぐに作らせますわ」

 と、叔母もいそいそと立ち上がった。

 するとそれまで好奇心で目を輝かせていた孫娘のお加代が膝歩きでするすると末席から近寄ってきた。

「ねえ、本物のお姫様って何をしているの。鈴ねえさまと呼んでもいいかしら」

 と、鈴姫を見上げる。

「おばばさま、お気づかいなく」

「叔母様、好き嫌いはありませんから」

「呼んでもよろしくてよ。わたくしも、お加代ちゃんと呼んでいいかしら」

 祖母と叔母、従妹のお加代にそれぞれ答えながら、鈴姫は(自分も町方に生まれていれば……)と、ふと思った。

 母が生きているうち、父の伊豆守は上屋敷の奥向きでよく過ごしていたが、亡くなってからは数えるほどしか訪れず、会っても儀礼的な話しかしなくなった。養育係の松島や腰元たちが傍にいるが、一日を習い事だけして過ごす毎日。人と心が触れ合うことはない。きっとそれは結婚しても同じだろう、と鈴姫は思う。夫となる殿方とは藩と家臣、領民のための婚姻。心を通わすことなど考えてもいない。子が産まれても、それは跡継ぎとして。自分の手で育てることもないだろう。武家の暮らしでは、これが普通のことだ。

 ――寂しい。

 そう感じてしまった自分を鈴姫は叱りつけた。

(わたくしは大名の家に生まれました。生まれた場所は選べなくとも、生きる心得は自分で選べましょう。しっかりなさい)

 それは亡き母の声のようでもあった。

(行儀見習いでお屋敷に上がり、父に見初められて側室となった母は、幸せだったのだろうか)

 正室が早世していたのは、母にとって幸いだった。他に側室もいず、女同士の争いとも無縁で、父は永く母のみを伴侶としており、両親と過ごした幼い頃の情景は幸福なものばかりだった。

(いいえ。その思い出だけで、わたくしは生きていける)

 迷いを断ち切り、鈴姫は屋敷でのお話をねだるお加代に微笑みかけた。

「お加代、姫様……いや、お鈴様と少し話があるので、おまえはおっかさんのところへ行っておいで」

 と、祖父が言い聞かせるのを不満そうな顔をしながらも承知して、お加代は部屋を出て行った。祖母も叔母も鈴姫をもてなすためにおらず、その場には祖父と叔父だけが残っている。

「姫様のことは、屋敷奉公に出ている私の娘だと周囲には言ってあります。実際、お美代がそうでしたから、年齢が違うことなど五日間ばかりの滞在では不審に思う者などおらぬでしょう。ここにいる間は、お鈴という町方生まれの娘として扱わせていただきます」

「お気づかい、感謝いたします」

 鈴姫の返事にうなずいた祖父の九兵衛が、話を続ける。

「お美代が産んだ子は、お菊といいまして小町娘として地元では有名です。養父の又兵衛は腕のいい棟梁で、夫婦は娘をかわいがって育ててくれたようです」

 九兵衛の声が湿っている。

「それにしても、産婆のお芳という人はどうしてうちにその子を寄こさなかったのだろう。姪を我が子として育てたものを」

 叔父の伊兵衛が残念そうに言った。

「母の話では、その指図をした老女が、縁者より、赤の他人に渡す方が後で問題が起きないだろう、という判断だったそうです」

 うむう、と祖父と叔父がうめいた。

「お武家は難しい」

 腕組みをした九兵衛がそれを解き、再び鈴姫の方を向いた。

「うちの方はいずれ祖父母と名乗りを上げるつもりです。しかし先方にも事情というものがあろうかと思いまして、手紙をいただいてからすぐに、まずは知り合いになろうと、私どもの隠居所としている向島の寮の改築を棟梁の処へ頼みました。お菊の祝言のことも聞きましたので、格安で晴れ着をあつらえるようにと申し出て、明日、店の方に来るよう手はずを整えました。お鈴様には、そのとき折を見て会っていただく予定です」

「なんと、手回しの良いこと。さすがです」

 鈴姫は祖父の行動の速さに舌を巻いた。大店を切り盛りしてきた商人は機会を逃がさないようだ。

「たやすいことです」

 九兵衛が笑っている。

 その後は別室に呼ばれて祖母があれこれ見立てた反物で振袖を作ってもらうことになり、それが終わったあと、お加代とお手玉や切り紙で遊び、母が屋敷へ奉公に上がるまで使っていたという部屋で夕餉を摂った。食後には、祖母から母の若い頃の話を聞き、夜も遅くなったので、勧められるまま寝支度をした。

 敷かれた布団の上へ座り、鈴姫はすでに畳んで乱れ箱に入っていた、お裕から借りた着物を探って紫の袱紗を取り出した。

 袱紗を開くと、二本の金簪が出てきた。菊の文様と鈴の文様が刻まれた平打ちの簪。それは母の形見の鏡台の引き出しにあった物だった。病床でふたりの娘を想い、母が造らせたようだ。

「母上は、父上の許へ参るまで、このような暮らしをしていたのですね。この簪は、きっと妹に届けます。あの子を……お菊をお守りください」

 それを枕元に置いて鈴姫は眠った。心がほんのりと暖かくなるような眠りだった。




*****




 翌朝、女中に起こされ、身支度をした。昨日選んだ反物がすでに縫い上がっており、その振袖を着つけてもらい、祖父母と叔父夫妻の許へ朝の挨拶にいってから朝餉を摂った。

 こういうところは武家も大店の商家も変わりないのだと、鈴姫は感心した。祖母のお梶と叔母のお涼は娘の頃、行儀見習いの屋敷奉公に出ていたということなので、見習った習慣を取り入れたのかもしれないと、思い至った。

 それから鈴姫は、従妹のお加代と人形で遊んだ。

「鈴ねえさまの妹というと、あたしの従姉なのね。その人がじきにいらっしゃるの?」

「そうよ」

 どんなふうに顔を合わせよう。簪はどうやって渡そうか、と鈴姫は考えを巡らせている。

「たぶん、おじじさまは奥の座敷へお通しするわ。大事なお客様はそうするの。だからね、お庭で鞠つきをするといいわ。廊下を通るあちらからも、あたしたちも互いによく見えるんだから」

「まあ、お加代ちゃんの聡いこと」

 これから悪戯をする悪童のように、ふたりは顔を見合わせて笑った。

「鈴ねえさま、ひいふうみい……とお、ってついたら、あたしに投げてね」

 お加代が先に部屋を飛び出し、女中に沓脱石の上へ用意させた草履をはいて庭へ降りた。鈴姫もそのあとを追う。

 ふたりで鞠つきをしていると、廊下を人が歩いてくる気配がした。

「この寒いのに、外で何をしているんだい」

 九兵衛が娘たちへ声をかける。

「おじじさま」

 と、それにお加代が返事をした。

 鈴姫も廊下を見やった。そこには祖父の他に初老の男と黄八丈の着物を着た町娘がいた。

「まあ、鈴ねえさまに、そっくり」

 お加代が町娘に駆け寄り、鈴姫の方を振り返る。

 鈴姫は立ちすくんでいた。用意していた言葉が出て来ない。まるで鏡を見ているようだった。

「ああ……でも、このあねさまの方は片えくぼがあるのね」

 お加代の声で呪縛が解けたように鈴姫の体が動き出した。一歩ずつ妹へ近寄っていく。

「これは驚いた。うちの娘と瓜二つじゃないか」

 伝法な口調の初老の男は、養父の又兵衛のようだ。

「こんな偶然もあるものですねえ。あちらの娘は、屋敷奉公をしておりましてな、宿下がりで戻っているところなのです。これも何かの縁だ、棟梁。晴れ着のことを申し訳ないと思われるのなら、うちの娘が家にいる間、お菊さんに話し相手をお頼みできませんか。祝言の準備で忙しいとは思いますが、なに、二、三日のことです」

「そりゃまあ……ご隠居様がおっしゃるなら、あっしに異存はござんせんが。お菊、おまえは、どうだい」

「ええ、あたしでよけりゃ。でも、大店のお嬢様のお相手、あたしなんかができるのか……」

「そんなことはありませんわ。お菊……さん。わたくしからも、お願いいたします」

 鈴姫が咳き込むように言うと、祖父の九兵衛は満足そうな笑みを浮かべた。




*****






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