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13 穏やかな町の反応

 それはなんの変哲もない、小さな町だった。

 周りには麦畑が広がる。町から上がっている煙は、火事ではなく鍛冶屋。あるいはパン屋の釜とか公衆浴場のボイラーから発生しているものだ。


 夕暮れ時。

 教会の鐘で時間を知った人々は、そろそろ今日の仕事を終えようかと後始末に取りかかる。

 酒場では夜の客に備えて、仕込みを急ぐ。

 人口は決して多くないが、住民はこれといった不安もなく暮らしている。

 穏やかな町だ。


 しかし今、この町に異変が迫っていた。

 最初に気づいたのは麦畑で作業していた人々だ。


「おい、あんなところに森なんてあったか!?」


 一人が遠くを指さして叫ぶと、周りの人たちもその方向を視線を向ける。

 確かに、さっきまで存在しなかった森があった。

 目をこらしてよく見ると、それはゆっくりとこちらに近づいているように見えた。

 人々が唖然とする中、森を乗せた地面が、麦畑のすぐ手前まで来て、停止する。


「たまげた。こりゃ噂に聞く、機動都市ってやつじゃないか? まさか生きてる間に見られるとはなぁ」

「精霊の力を使って地面ごと動かすっていう、あの? へえ、これがねぇ」

「けど機動都市なら上に町が乗ってるんじゃないのか? 森とか丘しか見えないぜ?」


 やがて異変に気づいた兵士たちや、領主、司祭などが慌てた様子で町から飛び出してきた。

 農民たちは、なにが起きているのかと質問されたが「ご覧の通りでさぁ」としか言いようがない。


 しばらくすると、更なる異変が起きた。

 機動都市と思われる土地から、白いドラゴンが飛び立ったのだ。


 この町の者は全員、ドラゴンを見るのが初めてだ。

 本とか、吟遊詩人が語る物語で、その逸話は知っている。

 だが物語によって人間の味方だったり、敵だったりとバラバラだ。

 強靱な体と長い寿命を持っていても生物であり、いつかは死ぬという点で人間と変わらない、という説がある。

 その一方、肉体は仮初めのもので、寿命はない。つまり精霊の類いだという説もある。


 翼の生えた大きなトカゲのような存在を人間がドラゴンと呼んでいるだけで、その生態は様々であり、動物のドラゴンがいれば、精霊のドラゴンもいる、というのが神聖教会の公的な見解であるらしい。


 今。町の人々にとって、目の前のドラゴンが霊的存在か、動物的存在かは、さほど重要ではない。

 重要なのは、町や畑を焼き払ったり、人間を食べたりする意思があるのかどうかだ。


 ないのであれば安心だ。

 珍しいものを見られてよかったと酒の肴にし、孫の代まで語り継げばいい。

 もしドラゴンが襲い掛かってくるなら……どうしたらいいのだろう。

 走って逃げ切れるとは思えないし、この町の兵力で撃退するのも無理そうだ。


「やあ、みなさん。どうも、どうも。お騒がせしてます」


 降りてきた白いドラゴンの背には、なんと人間の少女が乗っていた。

 十五歳くらいだろう。

 法衣と思わしき黒い服を着ており、黒いベールで頭部を包んでいる。おそらく僧侶かなにかで、つまり町民たちと同じく神聖教団の教えを信じる者だ。

 そうと分かると、たちこめていた緊張感が和らいだ。

 ドラゴンの背にいる少女が容姿端麗だとか、ベールから見える黒髪が艶やかで綺麗だとか、そういうのに気を向ける余裕が生まれる。


「驚かせてごめんなさい。土地ごとやってきて、しかもドラゴンで降りてくる奴がなにを言うかと思うでしょうが……大げさな用事はないんです。ただ旅の途中で食料などを買いに寄っただけで」


 少女の言葉に、誰もが虚を突かれた。

 穏やかそうな顔と声、それと法衣を着ていることから敵意がないのは分かっていたが、まさか食料を買いに来ただけとは。


「ワシはこの町の領主だが……そう多くは売ってやれんぞ。住民が食べる分は確保しなければならないからな」


「あ。それは大丈夫です。私たちの機動都市『バイシャジャ』は二人しか住んでませんから」


「二人……それは都市と呼んでいいのか?」


「いやぁ、お恥ずかしい。実は小さな家が一軒あるだけなんです」


 少女は照れくさそうに頭をかく。


「私はこの町の教会を管理している司教だ。あなたも神職とお見受けするが……旅の僧侶にしては移動手段が大げさではないか?」


「成り行きでこうなっちゃったんです。まあ精霊が張り切って土地を動かしてくれるので、せっかくだからお世話になろうかと。ああ、申し遅れました。私はエリシア・リュミエット。つい先日、ギルバート卿より『黒の聖女』の称号を賜りました」


「黒の聖女……!」


 司祭だけでなく、その場の全員がどよめいた。

 白の聖女が見つかったことで、それまで聖女とされていた少女が偽物と判明したとか。偽物というのは間違いで、聖女が二人同時に存在する珍しい状況になっているとか。

 聖都から伝えられる話は二転三転し、人々の話の種になっていた。

 その噂の渦中の、元偽聖女にして、黒の聖女。


「聖女様がこの町を訪れてくださるとは光栄の至り。して、どのようなご用件で?」


 司祭は心の底から感動しながら尋ねる。


「いや。ですからお買い物に……」


 黒の聖女の返答は、司祭が期待したものではなかった。


「失礼だが、あなたは本当に聖女なのですか……?」


「むむむ。せっかく本物になったのに偽物の疑いが。そんなに聖女っぽく見えませんか、そうですか。ならば……ギルバート卿からいただいた、この紋所が目に入らぬかぁ」


 黒の聖女は、胸元のペンダントに魔力を送る。

 するとペンダントが輝き、空中に模様を描き始めた。

 子供でも知っている模様。神聖教団の紋章である。


「これは……教皇と枢機卿、あるいはその方々が認めた者のみが持つことを許されているというペンダント! この輝き、この魔力波長……間違いなく本物!」


「そして私の右手には、聖女の紋章が」


 黒の聖女は右腕を空に向かって伸ばす。

 その手の甲から、濃紫の光が放たれる。やはり、これも本物の聖女の紋章であった。


 司祭はすぐに態度を変え、跪いた。

 領主や兵士、農民たちもそれに続く。


「そ、そんなかしこまらないでください。逆にこっちが緊張しちゃいます。ただ買い物をさせてくれたらそれでいいんですから」


「もちろん聖女様が町に入るのを止めるつもりはありません。ただ……そのドラゴンはちょっと……聖女様のペットでしょうか?」


 領主は、町を壊されたらたまらん、という顔で言う。


「えーっと……はい、ペットです。大人しくさせるんで、町の入口に置いておいてもいいですか?」


 聖女が言うと同時に、ドラゴンがむくりと顔を上げ、そして不機嫌そうに喋った。


「こらこらエリシア。嘘をつくんじゃない」


 人語だった。

 領主も司祭も、その場にいる全員が、それを正確に聞き取れた。

 続いてドラゴンが光に包まれ、シルエットが小さくなり……顔が整った若い男の姿になってしまう。まだ二十歳にもなっていないような少年だった。


「聖女様……そちらの方は……人間? ドラゴン?」


 領主は驚きで声を震わせつつ、辛うじて質問を口にする。


「はい。ペットというのは冗談です。この人は私の護衛にして婚約者のメイナード様です。精霊の加護を使った魔法で、ドラゴンに変身できるんです。ちゃんと人間ですよ」


「そういうわけだ。驚かせるつもりはなかったんだ。済まない。それにしてもエリシア。俺をペット扱いは酷いよ」


「ペット扱いが嫌なら、すぐ人間の姿に戻ればいいじゃないですか」


「まだ変身に慣れてないんだ。集中力がいるんだよ」


「もしドラゴンから戻れなくなっても、ペットとして大切にしますからね……」


「君は日々、口が悪くなっていく気がするな」


 メイナードという少年は、聖女の髪を無遠慮にわしゃわしゃと乱した。

 聖女は楽しそうに悲鳴を上げる。


 領主や司祭たちには、それがイチャつくカップルにしか見えなかった。

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