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マザー・ライト  作者: 九条シオ
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第六話

 小刻みに、何度も吐息が漏れる。

 汗で滲む化粧。荒くなる呼吸。女性であれば気になるそれらが、全く気にならない程急いでいた。街の風景やすれ違う人が一瞬で過ぎ去っていく。

 すれ違いざまに目に入った店の灯りや、人々の笑顔が記憶に鮮明に残る。

 これは、私の心が晴れ渡っている証拠に思えた。仕事に疲れ、思い悩んでいる時は街の風景も荒んで見えていたからだ。

「浩二! お待たせ!」

 今日は私の心を晴れやかにしてくれた、太陽みたいな、王子様みたいな人とのデートの約束があった。

 そう。急いでいた理由は彼、浩二との待ち合わせ時間が迫っていたからだ。一刻も早く彼に会いたかったのだ。

 手を膝につけ、荒くなった呼吸を整えるために深呼吸をした。

「全然待ってないよ。俺も今着いたところ。」

 彼はそういうと、ポケットからハンカチを取り出し私の額を拭ってくれた。

「汗、掻きすぎ。」

 私の額に滲む汗を拭きながら彼は笑った。彼、浩二とはあれ以来よく会うようになっていたのだ。これは五回目のデート。

「あっ、ごめん……」

 無我夢中になって走ってきたものだから、彼に言われるまで自分がデートには相応しくない姿をしていることに気が付かなかった。

 羞恥心で耳が真っ赤になっているのが手に取る様に分かる。

 とっさに自分の顔を、両手で覆う。

「大丈夫だよ。そんなに化粧落ちてないし。急いできてくれてありがとね。」

 浩二は出会った時の印象とはまるで違い、恐ろしい程紳士的だった。並んで歩いているとさりげなく車道側に行く。ヒールを履いてきた日は、私に合わせてゆっくり歩いてくれる。

 そして今日も、こんな風にさりげなく気遣いをするのだ。女性慣れしている感じが時々不安を駆り立てるのだが嬉しいことに違いはなかった。

「ううん……私も、早く、会いたかったし……」

 慣れない事はいうものではないな。見事にテンパった。噛み噛みの言葉に、うつむく視線。急にトーンダウンした声量。

 恥ずかしさのあまり、首が弾け飛ぶ勢いで後ろを向いた。

「ははは。嬉しいこと言ってくれるね。」

 浩二は後ろから私の手を握った。

「それではデートに参りますか。お姫様。」

 片目だけ瞑り、ウインクをして見せた浩二。下手くそなウインクだったが、私にはその笑顔が眩い光を放っているように見える。

「うん。」

 重なり合った手。さらに指を絡める様に繋ぎ直す。まだ正式に交際をしているわけではないのだが、すぐにそうなると思っている。きっと浩二もそう思っているに違いない。

 それくらい関係を深めてきたのだ。

 喉が渇いていた私たちは、一旦喫茶店に入ることにした。

 入口のドアを開けると来客を知らせる鈴の音が鳴る。行きつけのバーの鈴の音を思い浮かべる。浩二と最初に出会ったのはバーだったな。あの頃、といってもほんの数か月前なのだが、比べると随分私は笑顔を見せる様になっていた気がする。

 仕事漬けの毎日で明日が憂鬱だった私が、日が変わっていくことを楽しみに待つようになったのだ。浩二のおかげだった。

「ふふっ」

 そんなことを思い出していたら自然と笑みが零れてきた。口角が上がるのを堪えるとおちょぼ口になってしまう。

「え? どうしたの?」

 浩二は私の顔を覗き込みながら訪ねる。

「なんでもなーい。」

 笑顔で返した。

「変な奴。」

 と言いながら浩二も笑顔になった。

 私がレモンティー、浩二がブラックコーヒーを注文した。飲み物が来るまでの間、しばし何気ない雑談を繰り返す。

 雑談と言っても、私が一方的に会社の話や私生活の話をするだけだった。それでも浩二は嫌な顔一つせず、話を聞いてくれる。

 そこも彼の優しさなのだろう。

 二十分程の私のマシンガントークがひと段落着いた時、浩二はワイシャツの胸ポケットから煙草を取り出した。

 煙草を咥え、テーブルに置いてある灰皿を自分の近くに手繰り寄せた。

「またタバコ~。体に悪いよ?」

「まぁいいじゃん。一本だけ!」

 そう言って、ジッポライターで火をつけた。ジジジ、と音を立てたタバコから灰色の煙が天井に向かって昇っていく。

 難癖はつけたものの、私は別にタバコが嫌いではない。男らしいとさえ思っている。しかし、彼の健康のことを考えると一応は止めて置こう。と思っていたのだ。

 浩二は短くなったタバコを灰皿に押し付けた。次第に煙が消える。タバコの臭いだけが席周辺に漂ってきた。

「お待たせしました。」

 吸い終わると同時に注文して商品が届く。

 早速レモンティーを手に取る。グラスの周りに付着している水滴は冷たい。

 一口飲むと、柑橘系の爽やかな香りが、仄かに喉から鼻先まで透き通った。口腔内には甘味料の甘さが残るいい塩梅のレモンティーだった。

 美味しい。半分程飲むと、グラスの中の氷がカラン。と音を立ててさらに爽やかさを感じさせた。

「そろそろいこっか。」

 一気にレモンティーを飲み干した私は、次の目的地に向かうべく店を出る準備をした。

「ちょっとトイレ行ってくるね。」

 準備が終えた私は鞄を持ってトイレに向かう。尿意が催したわけではない。店の隅にあるトイレに入ったが個室には行かずに手洗い器の前へ行く。

 鏡の前で身だしなみを整えたかったのだ。

 鞄の中から口紅を取り、塗り直す。化粧は落ちていないか。髪の毛は乱れていないかを確認した後、トイレを出て席に戻った。

「お待たせ。」

「うん。」

 浩二はタバコの箱を、再び胸ポケットに入れながら席を立つ。机の脇に裏向きに置かれた伝票を手に持ってレジへと足を運んだ。

 その後ろをついていく。広々とガッチリした背中。おそらく肩幅は私の倍以上あるだろう。この男らしい背中を見ていると、なんだか安心することが出来た。

 喫茶店から出た私たちは、近くのコインパーキングに止めてある浩二の車へと向かった。

 浩二が運転席に、私が助手席に乗り、海が見える海岸までドライブに行くことにした。途中、道の駅で牛たん串とソフトクリームを二つずつ買って食べた。

 道の駅にある売店はドライブの雰囲気も相まってか、やけに美味しく感じる。車内で軽食を済ませた私たちは再び、車を走らせた。

 今日は天気が良い。太陽は出ているものの、照り付ける程ギラギラに輝いたりはしていない。黒色の車に熱が籠るまでではなく、窓を開けると少し強い風が顔に当たる。

 風と心地よい暖かさをしている太陽のマッチングは、体中に健やかに澄み渡った。

 心が落ち着いていくようだ。

 海岸に近づくにつれ、ビルや飲食店は姿を消す。その代わりに田んぼや川が現れ始めた。

 故郷を思い出す。

 私の実家は秋田県の県北に位置している田舎町だ。有名なものはきりたんぽとまげわっぱ。

 仙台ではあちこちで見かけるビルも地元には一つもなく、ちいさな山に登るだけで町が一望出来てしまう程、平坦な土地だ。

 家の周りは田んぼだらけ。夜になると蛙や虫の鳴き声で騒がしい。

 それを子守唄にして眠りに付いていた私は、仙台にきて何日かは静かすぎて逆に寝ることが出来なかった。

 遊ぶところは川。友達と一緒に泳いだり、川魚を釣ったりと自然に囲まれて生きてきた。

 地元は盆地だったから、近くに海はないけれどもその田舎感が懐かしさを感じさせる。

 海岸に到着すると浩二が、降りよう。と提案したため車を降りて浜辺まで歩いた。海に近づくにつれて波の音がどんどん強くなっていく。それは話し声をかき消すほど、壮大な音になった。

「ねぇ! ねぇってば!」

 至近距離でも届きづらい声に鬱陶しさを感じて、浩二の肩を掴む。

「え? ごめん! 全然聞こえなかった。」

 振り返った浩二は広げた手のひらを耳の裏に当てて、耳を私の方に向けた。

「もう! あっ」

 砂に足を取られた私は、ついつい転びそうになってしまった。運動不足の私にとって、砂浜を歩くことは意外としんどさを感じさせる行為だった。

「おっと。危ないよ。」

 浩二が手を伸ばし、私の腕を掴む。その後、抱きしめるように体を引き寄せると、にっこりとした笑顔を見せてそういった。

 電気ショックを受けたような衝撃が、心臓を襲う。抱き寄せられた体が磁石の様に離れることを拒んだ。

 風の音と共に懐かしい恋メロが流れ出してきそうだった。

 髪の毛がなびく。真っ黒の私の髪の毛が、光に照らされて黒光りしていた。

「へっくちゅ。」

 突然、この雰囲気を台無しにするかのように浩二が大きなくしゃみをした。浩二の顔を見ると、黒光りした髪の毛が、顔面を覆うように纏わりついている。

「ごめん。髪の毛、邪魔だったね。」

 長い髪の毛を束ねた私をそれを後ろへ持っていく。ヘアゴムやピンを持ち合わせていなかったため、後ろに持っていった髪の毛は、風と一緒にすぐに舞い戻って来る。そうして再び、浩二の鼻先をこちょばした。

「へくっしゅ、へくっしゅ。」

 何度もくしゃみを繰り返したあと、浩二は私の方をじっと見た。そうして顔を合わせると、同じタイミングで笑い出した。

「髪。長すぎ。」

 鼻の下をこすりながら浩二が言う。

「ごめんごめん。浩二、鼻水出てるよ。」

 空に輝く太陽の光が霞んで見えてしまう程、傍から見たらバカップルだと指を指して笑われてしまいそうなくらい二人ではしゃいでいた。

 この世界の他に、私たち二人だけの特別な世界が誕生してしまえばいいのに。

 そこでなら私はこうして笑顔を絶やさずに、幸せに生きていける気がしていた。

「今日もありがとね。楽しかったよ。」

 日が暮れ、街が街灯の光に照らされ始めた時間。ドライブを終えた私たちは家の近くの公園に来た。

 家まで送るよ。と言って車を走らせた浩二に、まだ帰りたくない。と駄々をこねたのだ。

 楽しかった時間が何度も思い返され、幸せな気分になるのと反面、そろそろお別れかと思うと無性に寂しくなってしまう。

 正式な交際ではない五回目のデート。楽しいのは間違いないのだが、そろそろ恋仲になってもいいのではないか。

 浩二は奥手には見えない……だとすると、これだけデートを重ねても私の事が好きではないのかもしれない。

 そう思うと一気に気分が急降下していく。恋とは面倒なもので、情緒があっという間に不安定になってしまう上に自分では全く制御することが出来ないのだ。

「んっ。」

 浩二に向かって右手を出す。デートの終わりには毎回握手をしていた。別に抱擁でも接吻でもいいのだが、一応交際する前は辞めておこうと決めていた。

 私なりのけじめだ。かと言って、ただ別れるだけでは味気がないので握手を求めていたのだ。

 浩二は差し出した右手をそっと見つめ、同じように右手を伸ばして私の手を握った。

「じゃあ。ま……」

 さよならを言おうとしたそのとき、右手に伝わる力がギュッと強くなった。浩二が力を入れているのだ。

 どうしたのだろう。右手から彼の顔へ視線を移そうとしたとき、体を強く引かれた。

 浩二が包み込むように私の体を抱きしめたのだ。肌寒さを感じる夜の公園では、彼のぬくもりを全身で感じることが出来た。

「どうしたの?」

 浩二の背中を同じように抱きしめながら尋ねてみた。

「好きです。」

 突然の告白だった。しかし、戸惑いや驚きは一切なく、ただただ安心で満ち溢れた。この言葉を待ち望んでいたのだ。

「俺と付き合ってください。」

 浩二はそのまま言葉を繋げた。抱き合っているから、顔は見えない。けれどその言葉から、彼の真剣さが伝わってきた気がした。

「はい。」

 浩二を抱きしめる腕にさらに力を入れてそう返す。

 遂に私は彼と恋人になることが出来たのだ。

 この時の私は、死がふたりを分かつまで。という言葉を本気で信じていた。

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