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マザー・ライト  作者: 九条シオ
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第四話

 今日は金曜日。仕事終わりにいつものようにバーに足を運ぶ。その足取りはいつもより軽かった。

 次々に声をかけてくる客引き達の間を通り抜ける様に軽快に歩く。普段は、大丈夫です。の一言くらいは返すのだが、今日は顔を見ることなく歩き続けた。

 毎週通っているその場所は、もう地図を見なくても迷わず行くことが出来る。

 入口のドアを開けると、鈴の音が、客の来店を知らせるためにカランカラン、と音を立てた。一瞬、他の客たちの視線がこちらに向いたが、すぐに自分の友人に視線を戻していた。

 深い息が自然と口から零れる。慣れた店内のはずなのに今日はやけに緊張していた。

 誰が見ているわけでもないのだがその緊張を悟られないように、意識して真っすぐに前を見ながらカウンター席に向かう。

「いらっしゃい。今日はどうします?」

 マスターは慣れた手つきでグラスを拭きながら、ちらりと私を見た後にそう尋ねてきた。

 バーのカウンター席はどうしてこんなに座面が高いのだろうか。毎回、多少の脚力を用いらなくては座ることが出来ないのが苦悩だ。

「ワインを……」

「赤ですか?」

「ああ、はい。」

「今ですと、レゾルム ド カンブラスか、エコ・バランス ピノ・ノワールの二種類置いてあるのですがどちらにしますか?」

「……では、甘い方を……」

 ワインが嫌いだった私は、赤だの白だの、さらには横文字の名前をつらつらと言われても何も分からなかったので、とりあえずマスターに任せることにした。

 なぜ、嫌いなワインを注文したかって? それは、ゆっくりと時間をかけて呑むことが出来ると思ったからだ。美味しいカクテルではすぐに飲み干してしまうのだ。

「どうぞ。レゾルム ド カンブラスです。カシスやブラックチェリー、レーズンを使用して作られたフルーティーなワインです。」

 マスターは私のオーダー通りに真っ赤に染まった赤いワインを目の前にあるシリコン製のコースターの上に置いた。

 一口飲む。酸っぱい。果実の酸味が口の中に広がるのだが、あまり美味しいとは思えない。

 お通しで出されたカシューナッツとアーモンドを二、三個口の中に放り込み、酸味を緩和させる。

 一息ついた後に店内に視線を向ける。サラリーマン風の男女。カジュアルな服装をしている若い青年。比較的今日はこのバーに合いそうな客が多いと思った。

「あの……」

 店内をぐるりと見た後、マスターに声をかける。

「どうしました?」

 マスターは決して愛想がいいわけではない。寧ろ悪い。常連客である私でさえ、笑顔のマスターを見たことがない。それでも客足が遠のかないのは、マスターの作るお酒とおつまみが絶品だったからに他ならないのだろう。

「この前の……いや、何でもないです。」

 マスターのあまり友好的ではない態度と、恥ずかしさが交じり合い、途中で口を閉ざしてしまった。

 マスターも追及しては来ない。ほっとして胸を撫で下ろしたのと反面、少し残念な気持ちが湧き出てきた。

 会話が途切れたので、ふと視線を目の前に置かれたワインに落とした。

 赤いワインに映し出された自分の顔がなんだか乙女の表情をしているように見える。

 それがたまらなく気持ち悪く感じた私は、ワインを一気に飲み干してすぐにお会計をお願いした。

 何を考えているのだろう。実のところ、ここ数日、前回声をかけてきた男の顔が何度も脳内をよぎっていたのだ。

 また会えるだろうか?

 いつもここに飲みに来るのだろうか?

 その男のことが知りたくてしょうがない自分がいた。

 確かに楽しいひと時ではあったのだが相手は不良のような連中なのだ。関わらない方がいいに決まっている。

 首を左右に振り、しっかりしろ自分。と頬を両手で挟むように引っ叩いた。

 よし。帰ろう。バックを手に取り、財布と携帯電話をポケットにしまう。

「あれ? この前のお姉さんじゃない?」

 身支度が済んだと同時に、後方から声をかけられた。突然の出来事に私の背筋は糸を張ったように伸び、心臓は一度だけ強く鼓動した。

 振り返るとそこには、ずっと脳内をちらついていた男が立っていた。

「またこのバーで飲んでたの? 好きだね~。」

 男は口元に手をやり、少し馬鹿にしたように微笑んだ。

「ええ。マスターの作るお酒が好きなんです。」

 目を見ることが出来ず、きょろきょろと辺りを見ながら答える。事実、通うようになったのはマスターのお酒が好きだから。で、合っているのだが、今日バーに来たのは目の前にいる男に会いたかったからだった。

 そんな気持ちを絶対に知られたくない私は、マスターのお酒が好きなのだ。ともう一度念を押すように語尾を強めながら言った。

「そうなんだ。まぁいい雰囲気だしな。」

 男がニカっと歯を出して笑う。この時、一瞬だけ胸が高鳴ったことを私は、ワインを一気飲みしたせいだと言い聞かせる。

「にしても……帰るには早くない? まだ22時だよ。」

 手首に巻き付く金色に輝いた腕時計を見た後、私が手に持った鞄を指さしながらそう言った。

「そうですね。今日はなんだが呑む気分じゃなくなったので。」

 私はまたも周りをきょろきょろしながらそう答えた。この不自然極まりない態度に、男はなんて思うだろうか。変な女だと思われているのではないだろうか。

 男の前で平常心でいることが出来なかった。体はそわそわして、目線は宙を泳ぎ何度も瞬きを繰り返している。

 なぜだろうか。慌てている自分に不安を感じ、体温が上がった。脇から滴り落ちる汗を気にする余裕もなく、ちらちらと男を見ては視線を下げる。

「良かったら少しだけ一緒に飲まない? これもなんかの縁だと思ってさ。」

 男は、一歩前に出ると私に顔を近づけてそう言った。

「えっと……」

 どう答えるのが正解なのだろうか。正直に言うと願ってもないお誘い。しかし、簡単に頷いてしまうと軽い女だと思われてしまいそうで嫌だった。

 返答を悩んでいる私に、男はさらに言葉を重ねてきた。

「お願い! もちろん驕り! うまい酒が置いてある店知ってんだよね。」

 そう言って顔の前で手を合わせている。

 ここまで向こうから誘ってきているのだからもういいだろう。この男がしつこかったから、仕方がなく一緒に行くのだ。

 誰に向けてのものか不明の言い訳をした後、私は彼に言った。

「そこまで言うなら……分かりました。けど、あまり遅くまでは呑みませんからね。」

 彼は感謝の言葉を口に出したと同時に私の手を取り、スキップでもしそうな軽やかな足取りで歩き始めた。

 あぁ。私は相当お酒が回っているみたいだ。なぜなら、こんなにも頬が紅色してしまっているのだから。

 彼に連れられてやってきたのは和食専門の居酒屋だった。小汚く安っぽい居酒屋を案内されると思っていた私は、店に入ってすぐ目に入った豪華な盆栽を見て驚いた。

 こんな雰囲気の店も知っているんだ。人を見かけでは判断してはいけないと、改めて認識した。

「ここの居酒屋。料理が絶品なんだよね。山菜の天ぷらとか、セリ鍋とかさ。」

 彼は無邪気な笑顔で私にそう言った。金色に光る腕時計やネックレス。半袖の隙間から見える入れ墨は、その笑顔にはまるで似合っておらず、ひたむきな少年のような雰囲気が漂っていた。

 前回のバーの時に垣間見えた気遣いといい、不思議な魅力を持ち合わせいる人だと思った。

「それでは、改めてお姉さんとの再会を祝して、乾杯。」

 彼は自分のグラスを私のグラスに当てた。カチリと金属がぶつかり合う綺麗な音。その衝撃で小さな波のように揺れる液体。

「こうゆうのっておしゃれなフレンチレストランとかでやるものなんじゃないですか?」

 彼の乾杯の音頭が紳士っぽく見えた私は、ドラマや映画でよく見る高級なレストランを連想させていた。

「別にいいじゃないですか。乾杯は大事っすよ。」

 後頭部を掻きながら照れ臭そうに彼は言った。

 次第に料理が運ばれてくる。牛タンやセリ、笹かま。仙台と言ったら。と他県のひとに聞いたら、真っ先に思い浮ぶであろうものばかり。地元愛を感じる料理だった。

「牛タンとか食べ飽きてるっしょ? 俺は好きで毎回頼んじゃうんだよな。」

 よほど好きなのか、運ばれてきたばかりの牛たんを口いっぱいに頬張りながら、彼ははにかんで見せた。バーで安いおつまみばかりを肴にしていた私にとって、今日のつまみは贅沢なものばかりだ。

 彼の食べっぷりに触発させて、次々に料理を口に運んだ。それに比例するようにお酒のペースも上がる。

 今思うと、ここまでも戦略だったのかもしれない。上手い飯を食わせてお酒を呑せることが。

 この時の私は、お酒と彼と自分に確実に酔いしれていた。

 男らしい、血管が浮き出た手。服の上からでもわかるその筋肉量は、彼の男としての魅力をさらに際立たせている。

 店内は客の声や店員の声でごった返している。それをBGMとして聞きながら、グラスを口に運ぶ彼を見つめた。それがやけに心地よく感じたのは、間違いなく、恋をしている証拠だった。

 こうして二人きり話して分かったことは、彼の名前は有田浩二ということ。職業は、詳しいことは伏せていたがサラリーマンであるということ。

 今は交際中の女性がいないこと。それ以外は教えてくれなかったし、人の過去を掘り下げていくことがいいことだとは思わなかったから辞めた。

 それに、謎めいているところにも魅力を感じていた。ここまで行くともう病気だったと思う。恋は盲目とはよく言ったもので本当にその通りだったのだ。

「では、今日はこれで! 前回同様楽しかったっす!」

 二時間ほど二人でお酒を呑んだ後店を出ることになった。

 彼は真っすぐに伸ばした手をおでこにもっていき、兵隊のようなポーズをした。あざとい一面もあるのだな。と、話す度に彼への興味が増してしまっていた。

「私も……楽しかった……です。あの」

「あっ! いけねぇ。すみません、この後予定があってすぐに行かなくちゃいけないんでした。」

 彼は私の言葉を遮るように慌てて言った。と同時に私に背を向け、小走りに駆け出してしまった。

 ショックだった。二回も一緒に飲んだとすればそろそろ連絡先を聞かれても良かったのではないか? 少しも意識されていないということなのだろうか? 湧き上がる不安と酔いが、まるで洗濯機に入れられているかのように視界を回転させる。

「……えさん……お姉さん?」

 ぼーっと立ち尽くしていた私の元に彼が戻ってきた。振り返ったら茫然と突っ立っていたため心配になって戻ってきたという。

「あ、いえ、なんでもありません。少し呑みすぎてしまったのかもしれません。でも、大丈夫です。」

 うつむく私の顔を見るように彼が下から顔を覗かせてきた。

「ほんとに大丈夫ですか?」

 そう言ってくれた彼の瞳に淀みはなく、本気で心配してくれているのだと思った。

「ほんとに大丈夫です。」

「ほんとに?」

「ほんとに。」

 間髪入れずに言い合う会話がどこかのお笑い芸人のようで、私は声を吹き出しながら笑ってしまった。彼も。

「なんか今のおかしかったすね。」

「そうですね。」

 クスクスと笑う私を見て彼は言った。

「なんか良かったです。前バーで声かけたときもなんですけど、お姉さんこの世の終わりみたいな顔してたんで心配だったんですよ。」

 彼の言葉に驚いた。まさかそんな風に思われていたなんて。今の生活に楽しさはなく毎日退屈を噛みしめていたためあながち間違いではないだろう。

 それよりも彼がそんな細かい所まで見ていて、それを気遣って声をかけてくれていたことが嬉しかった。

 渡すは再び俯いて黙ってしまった。これは戸惑いと照れのせいだ。

「これ、良かったら。」

 俯く私の顔に彼の手が目に映った。その手にはアルファベットと数字が書かれている紙切れがある。顔を上げ、彼を見ると彼は照れ臭そうに言ってくれたのだ。

「俺の連絡先です。悩み事とか相談があったらいつでも連絡してください。」

 そう言って彼はそのまま走り去っていった。

 その姿が見えなくなるまで目で追いかける。胸の中では蝋燭を灯したようなじんわりとした温かい気持ちが充満していった。

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