第二話
仙台市の飲み屋街と言えば誰もが国分町を思い浮かべるだろう。私もお酒を呑みたくなった時はいつも足を運んでいた。毎日のように賑わいを見せる国分町だが、特にそれを感じさせる中央通りに行くことはなかった。人込みが嫌いなのだ。
飲み屋が軒並み連なる国分町の隅。
決して人通りが多いとは言えないその場所に行くのが、週末限定の唯一の楽しみだった。
居酒屋。というには少しオシャレ。しかし、バーというには少し品がない。それがこのお店の印象だった。それでも十数個と並んでいるカウンター席に、薄暗い店内を彩る多数のキャンドル。加えて、マスターがここはバーだと言い張るのだから、バーなのだろう。
「ぎゃはははは! それやべーな!」
品がないと感じるのはお店が原因ではない。
ただ、ここに似つかわしくない客が蔓延っているだけなのだ。
「お姉さん。一人? 一緒に飲もうよ。」
カウンター席の一番端でカクテルを呑んでいた私に、その似つかわしくない客が声をかけてきた。胸元を大きく開け、アロハシャツをワイルドな風に着こなすその男性は街ですれ違えば、道を譲りたくなるような、そんな風貌をしている。
その身なりに嫌悪感を持った私はなるべく視線が合わないように俯いたまま口を開いた。
男性からしたら随分気取った女性に見えていたかもしれない。
「ごめんなさい。私は一人でゆっくり飲みたいの。」
よく一人でバーに足を運んでいる私は、この手のお誘いに慣れている。決して男性を魅了するような美貌を持ち合わせていたわけではないのだが、一人で呑んでいる女性は男たちにとって絶好のカモだったのだと思う。
「いいじゃん! 一人だと寂しいっしょ? お酒奢るよ!」
男は躊躇なく私の肩に腕を回してきた。パーソナルスペースという言葉を母親のお腹にでも忘れてきてしまったのだろう。
ため息が自然と口から零れ落ちた。
「分かりました。明日も仕事なので、少しだけ。」
しかし、私はこの男の誘いに乗ったのだ。勘違いして欲しくないのだが、別にこの男に興味があったわけではない。嫌悪感の方が強いことになんら変わりはない。
ではなぜ誘いに乗ってしまったのか。
「あんた、そろそろ結婚しないの?」
それは先日した、母親との電話が原因だった。
久しぶりの親子の会話だというのに、開口一番母はそう言った。仕事で毎日遅くまで残業しているのだ。そんな暇などない。と再三母には告げていたのに。
「もういいじゃん。別に、今は結婚なんてしなくても生きていけるのよ。」
「あんた、孫の顔を見せてやりたいとか思わないわけ?」
「別に……」
結婚願望がないわけではない。寧ろ、結婚して我が子を授かりたいという気持ちは強い。しかしこの時は反抗心の方が強かった。
「まぁ、いいけど。」
そう言って母は電話を切った。
こんなことがあったものだから母に言いたかっただけなのだ。私はモテているのだと。ただ好みの相手が見つからないだけで、こっちが妥協すれば結婚なんてすぐに出来ると。
とどのつまり、この男達と呑むことが楽しいのかつまらないのか、そんなことは私にとってどうでも良いことだったのだ。母に明日電話してやろうと思っていただけだ。
私、昨日ナンパされたんだ~と。それだけのためにこの男達を利用してやろうという気持ちしかなかった。
「いいねぇ。じゃっいこ。」
男は私の腕を掴むと自分達の席へ案内してくれた。さっきまで座っていたカウンター席とは違い、大人数人が座れるテーブル席。その席には同じような風貌の男が合わせて四人程座っていた。
「おい。急にいなくなったと思ったらナンパしてたのかよ!」
一人の男が嬉しそうにそう叫ぶ。相当酔っぱらっているのか真っ赤に染めたゆでだこのような顔になっている。
「どこでもいいから座って。」
そういうと男達は席を詰めて座り、私用にスペースを確保してくれた。
「ビールでいい?」
「いや、カクテルを。」
万が一にでも過ちが起きない様にアルコール度数の低いカクテルを頼む。酒癖が悪いというわけではなかったのだが、初対面の男達とお酒を交わすのだ。これくらい安全策を取った方がいいだろう。
なんせ、この男達に興味など一切なかったのだから。
しばらくすると店員が注文したカクテルを持ってきてくれた。
「では、改めまして。かんぱーい。」
音頭に合わせて全員がグラスを持ち上げる。重なり合ったグラスたちは爽快な金属音を立てた。
男達はウイスキーだろうか。私が手に持つグラスの半分くらいの大きさのグラスを持っている。中の液体はお茶のような淡い茶色だった。
それを味わう素振りなど一切出さず、一気に飲み干している。こんな飲み方をしていたらそりゃあ酔うだろうな。
ゆでだこ四人衆は酔いのせいか頭をふらふらさせながら話をしていた。その様子はもうゆでだこにしか見えない。滑稽に思った私はついつい笑ってしまった。
「え!? どうしたの?」
すかさず突っ込まれる。
「いや、楽しそうだなぁと思って。いつも四人で呑んでいるんですか?」
「基本的にはね! 腐れ縁ってやつだよ。」
そういって肩を組んだ四人は鼻歌を歌いだした。
聞き覚えのある楽曲。なんだったけな。そうだ。夏の野球中継で、よく聞くWE、なんとかっていう奴だ。
ほんとに仲が良いんだな。一人でしか飲まない私はこの男たちの関係が少し羨ましかった。
「お姉さんは? いつも一人?」
「えぇ。」
大勢で呑むのは会社の飲み会だけだ。あれはすごくつまらない。上司の所へお酒を注ぎにいって、愚痴を聞かされる。常套句のように最近の若者は~しか言わない挙句、酷い時はセクハラまがいのことをしてくる。
あれはただの接待。出来れば行きたくないものだ。
「彼氏はいないの?」
「今はね。」
本当は五年ほど異性との付き合いはなかったのだが、見栄を張ってしまった。
「意外。お姉さん美人だからいると思ってた。」
「えっ?」
容姿を褒められることが滅多にない私は、例えこれがお世辞だろうと嬉しかった。それと同時に恥ずかしくなった。
頬は真っ赤になっているだろう。
咄嗟にそれを誤魔化すように、カクテルに口をつける。私の笑みを見て男達も笑い出す。その風景に悪い気はしなかった。
「お姉さん。今日はありがとね! 楽しかったわ。」
日付が0時を回る少し前、私はそろそろ帰ると言った。お酒の場では男達はすぐに下心を出す。あわよくば一夜を共にしてやろうと気張っているはずの男達を前に、帰る。と口に出すことは心臓の鼓動を少しだけ早くした。
簡単には返してくれないのだろうと予測していたのだが、男たちの返答は違った。あっさりと私が帰ることを許したのだ。
席を立って店から出るまで、男達は私に手を振り続けていた。
店を出る。お酒のせいで火照った体を冷ますように心地よい風が吹いている。
自宅までは徒歩二十分弱。いつもなら音楽をかけながらセンチメンタルな気分に浸って帰るのだが、今日は違った。
ちなみに、センチメンタルというとマイナスなイメージかもしれないが、私はこの感情を……なんと言えばいいか、自分に酔いしれているような気持ちが好きだったので、これは私にとっては心地よい感情。
まぁ、そんなことはさておき、心地よい感情になることが出来なかったのは虚無感に襲われていたからだった。久しぶりに誰かとお酒を飲んだからだろうか。接待をすることもなく、上司に気を遣うこともない飲み会は楽しかった。
最初は無礼な奴らだ。と思っていた彼らも別に悪い人ではなかった。
特に、最初に私に話しかけてきた男は、他の男達の数倍いい人だと思っていた。明るく話しかけてくれ、面白いジョークをたくさん言ってくれた。仕事漬けで癒しのない毎日を送っていた私にとって、たかだか酒の席で話しただけの男のジョークが妙に心をすっきりさせていったのだ。
彼らは下心で私に声をかけたのではなく、一人で寂しそうだった女性を救ってくれるヒーロー達だったのかもしれない。とさえ思えた。
さらには、もしかして私って相当魅力がないのかな。などとあっさりと帰ることを許されたことに対してそんな不安を抱いてしまっていた。
引き留められていたらそれはそれで面倒だったはずなのに。
楽しさの余韻と一人になった虚無感。それらがごちゃ混ぜに合わさり、なんとも不思議な気分だ。
真っ暗な夜道を照らす電灯に群がる虫達が、光にぶつかっては痛々しい音を立てている。
そんな音がまるでオルゴールで奏でられた鮮やかなメロディーに聞こえてしまう程、男の顔と彼らが口ずさんでいた音楽が頭の中に流れ込んできていた。
この気持ちの正体は何なのか。考えると浮かんでくる答えを答えだと受け止めたくない私は、首を何度も左右に振りながら自分の気持ちを押し殺した。
カーブミラーに映る自分の顔がにやけていたことは、酔っぱらってテンションが上がっているだけなのだと、強く言い聞かせた。