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恋する乙女のひとりごと   作者: みなみまどか
3/20

その仕事場はエアロクイーン

それは、明後日盛岡駅迎えで始まる業務の前に急遽ねじ込まれた業務でした。


そんな業務は、まず夏帆の勤める三五八交通バスの本社がある八戸市から仙台市まで回送し、お客様を迎えた仙台から松島・平泉を経由し宿泊地である花巻温泉まで移動し、翌日盛岡市内観光後盛岡駅送りとなる業務です。


その日夏帆の乗務するエアロクイーンは仙台駅前をスタートし案内業務が始まりましたが、乗客の中には定番の酔っ払いがいたりして夏帆は困惑しました。しかし、その酔っ払いがリクエストした歌で反撃した夏帆はなんとか案内業務を続けます。


そして一つ目の案内箇所である松島で下車しその松島について説明する中、八戸のバスガイドでありながら地元のバスガイドと遜色ない口調で案内する夏帆がその乗客である老夫婦から驚きの声をかけられますが・・・そこで八戸のお国言葉である南部弁を披露してしまいました。


その方言に驚いた老夫婦を前にしたところからこの物語は始まります。

それでは・・・

「えっ・・・?」


その時、ニッコリと微笑む夏帆を前にその老夫婦は固まってしまっていた。


しょうしい(はずかしい)・・・」


その老夫婦の唖然とする表情を見て、急に恥ずかしくなる夏帆・・・


その老夫婦が固まってしまうのも無理もない。今の今まで標準語で話していたバスガイドが突然聞いたこともない言葉で喋っているのだから・・・


でも、夏帆は仕事中お客様のそんな驚いた顔を見るのもちょっとした楽しみではあったのだが・・・


しかし、そこは乙女・・・チョット恥ずかしい(しょうしい)



お国言葉(南部弁)・・・


琉球地方の言葉や関西の言葉。また、山形や津軽の言葉など日本という国にはさまざまなお国言葉が存在する。それはどこかで聞いたことがある言葉として大多数の人たちは認識しているが、この夏帆の話す「南部弁」という独特のお国言葉はあまりメジャーではなかった。


ちなみに青森県には津軽弁と南部弁という二つのお国言葉がある。


そのうち津軽弁というのは聞きようによってはフランス語にも聞こえると言われることで有名だが、一方南部弁という言葉は残念ながらそれを知る人はあまりいない。その言葉の境は青森市の若干東に位置する平内地方と野辺地地方の間とされ、そこを境界にして面白いように言葉が違っていた。


なお、青森県内では津軽衆と南部衆の口喧嘩は見ている方も何を言っているのか分からないと言うのは普通のことだ。しかも、喧嘩している当人同士もお互いの言葉が理解できない・・・というのが通説となっているくらい言葉が違う。


そんなお国言葉は、遠方から八戸に観光に来た観光客にその言葉の違いを実践するとウケがいいというのもバスガイドたちの間では普通のことになっている。特にそのお国言葉で「リンゴの唄」を歌うと盛り上がることも・・・


そんな言葉のやりとりのあと、夏帆は旅行会社の旗を掲げて客を誘導し遊覧船乗り場に向かっていた。


すると先ほどの老夫婦が、再び夏帆に声を掛けてきた。


「あっ、ガイドさん。景色がいいので記念写真を撮ってもらえませんか?」


そう言って手渡されたのは一眼レフのカメラだ。


時折こう言うこともあることから一応は使い方を知ってはいたが、念のために基本的な使い方の確認をする。


「露出とかは合わせておいたから、あとはピントを合わせてシャッターを押すだけ・・・」


そう言われた夏帆はその老夫婦から少し離れてカメラ構えた。


「は〜い、撮りますよ・・・」


いつものようにそう言いながら次の「ハイ・・・チーズ!」と言う段になって、その老夫婦の表情が硬いのに気づく。それはまるで証明写真のような硬い表情・・・


そんな表情を見た瞬間、昨日あの滝沢の言っていた「モノの本質」と言う言葉が頭をよぎる。


「この写真の本質ってなんだろう・・・」


夏帆はシャッターを切る前に一度その老夫婦に声を掛けた。


「2枚撮りますのでお願いします。ハイ・・・チーズ!」


そう言ってシャッターを切ったそのカメラのファインダーには、ちょっと中身から右側に映るその老夫婦とその左側背後に少しピントのボケた映り込む背後の島々収まっている。さらに夏帆はその老夫婦の上半身が写るようにズーム調整をしてその老夫婦に再び声をかけた。


「わたし・・・さっき頭に何か落ちてきたんで何かな?って思ったんですよね・・それで帽子をとって見たらそれがウミネコのフンだったんですよね・・・コレってウンがいいのか悪いのか・・・」


そういった瞬間その老夫婦が爆笑・・・


もちろんその笑顔を狙って2枚目をカメラに収めた。


その時夏帆が考えたのはこの写真の本質とは、この景色のいい松島を夫婦で訪れたと言うことに加え、それが楽しいモノだったと言うことを記念に残す・・・それがこの写真撮影の意味と捉えたからだった。


そしてこの後何組かの写真を撮影する事になったのだが・・・その笑顔を頂くネタを考える事がこんなに大変なのかと言う事思い知ることになる。最後には八戸の蕪嶋神社でウミネコのフンが雨のように降ってきて、傘をさしていても防ぐことが出来なかったエピソードまで披露していた。


でも、そのウミネコのフンにまつわる話がそんなに受けるとは・・・


しかし・・・笑顔を引き出すだけでもこんなに大変なのに、女性の美しさを引き出すってことがどれほど大変なのか・・・?その時は夏帆は、昨晩寮まで送ってくれた滝沢の父親である逢った事もないカメラマンのTakisawaをリスペクトしていた。


その後目指している遊覧船乗り場へ目をやると、その遊覧船に乗船する客たちの列が出来つつあった。その客層に子供たちの姿が目に付いたが、その子供たちの年齢層がまちまちであったことから「どこかの子供会かなにか」なんだろう・・・なんて思っている夏帆のほうに向け、先ほど遊覧船のチケットを買いに行っていた添乗員の佐倉が夏帆目掛けて小走りで走って来た。


これは添乗員の佐倉が遊覧船乗り場の発券場に先回りしてあらかじめチケットを購入する段取りとなっていて、観光案内に同行していたその佐倉がいつの間にかそこから離脱しチケット売り場に向かっていたものだ。普段であれば客をその辺で散策させている間にバスガイドがチケット購入したりするものなのだが、誰かがチケット購入してくれると非常に助かる。


しかしその佐倉の姿というのが、その身なりが窮屈というか・・・何かを隠しているというか・・・スーツの胸の辺りが大きく上下に揺れていて、そんなスーツが千切れそうというか苦しそうである。そんな佐倉は大して暑くもないのに額に汗しながら戻って来た。


そして今度はその佐倉が客にチケットを手渡し、逆に夏帆が旅行会社の旗をその佐倉に手渡すとそのまま乗客を引き連れて遊覧船に乗って行った。その後夏帆は出港する遊覧船に向かって大きく手を振って送り出す。


「ふ〜・・・やれやれ・・・」


その遊覧船が戻ってくるまでの間訪れるしばしの休憩時間である。


そんな時は変にフラフラせず、無駄な体力を使わず乗務員の休息場所で時間を潰す(体力を温存)のもガイドの仕事だ。


そんな休息所は船着場より少し離れたところにあり、見ようによっては景色もいい。そんな場所には見たこともない制服に身を包み、遠方からかなりの台数口で来たと思われるバスガイドたちがあちこちで業務の打ち合わせや雑談をしている。



@因縁のライバル・・・


その中で1台口で来ている夏帆は、当然業務を打ち合わせる相手どころか話し相手すらいない。そんな時だ。


「あの・・・すいません。ちょっといいですか?」


ベンチに座ってこれからの路程を確認しようとして鞄を開け中を覗くと、ドライバーとの連絡用に入れて置いた業務用トランシーバーが何か混線していて嫌な雑音を放っていた。ソレを手に取りボリュームを絞っていた時、そんな雑音に混じって夏帆の後ろから聞こえた女性のそんな声。


振り返ったところになぜか申し訳なさそうに立っていたその女性は、紺の制服に身を包んだバスガイドだ。身長は夏帆と同じくらいで髪は栗色のソバージュ。


「あの・・・わたし宮南バスの佐藤といいます。ちょっとお願いしづらいのですが・・・」


「なんでしょうか?」


「あの・・・ちょっとナプキン分けて欲しいんです。ちょっと予定より早く来ちゃって・・予備も使い切っちゃって・・・」


バスガイドの間ではこんなことしょっちゅうである。


夏帆はこういう時に備え予備をいくつか持ち歩くようにしていた。そしてそれを手渡すと「ちょっと緊急(トイレ)・・・」と言い残し彼女はトイレに向かった。


「行ってらっしゃい・・・」


そして数分後、その彼女が両手に何か持ちながら戻ってきた。


「さっきはありがとうございました。すごく助かりました。コレ・・・どっちがいいですか?お礼です」


その差し出されたのは缶コーヒーだ。しかも苦いのと甘いのをそれぞれ両手に持っている。


その時その両手に持たれた缶コーヒーを見て夏帆は固まってしまった。なぜなら、それは両方ともあのエンちゃんと出逢った日、洗車場で夏帆がエンちゃんに差し出したコーヒーと全く同じものだったからだ。


さらにこの時、夏帆は思わず吹き出してしまう。それはその時のその佐藤というバスガイドの不安げなその表情がエンちゃんにコーヒー渡す時の自分の表情と同じ感じに思えたから・・・


「それじゃ、せっかくですので・・・」


そう言って手に取ったのはその時エンちゃんが手に取ったものと同じ苦い方の缶コーヒー・・・。


そしてその隣に座りながら甘い方の缶コーヒーのプルタブを開けながらその佐藤が尋ねる。


「あの・・・何かおかしかったですか?」


そう聞かれた夏帆は、以前あのエンちゃんと一緒に過ごした洗車場の出来事を思い出していた。


「あっ、ごめんなさいね。前にコレと同じことがあったもので・・・」


「コレ・・・って、缶コーヒーのことですか?」


「そうなの・・・」


それから夏帆は、運転するクルマがパンクしてしまってそこに現れた赤いクルマのところからの経緯をその佐藤に説明した。その時の夏帆の表情はすごく明るかった。それを聞いていた佐藤がその質問をするまでは・・・。


「じゃ、そのカレとお付き合いしてるんですね?いいですね・・・その出逢いって運命的ですよね・・・」


この時そう言葉を返した佐藤に全く悪気はなかった。でも、急に曇った夏帆の表情に焦り始める。


「えっ、あっ・・・ソレってちょっと聞いちゃダメな・・・」


その時夏帆は少し考えてそれに答えた。


「うん。東京のバスガールの2番・・・的な?」


「えっ・・・それじゃそのカレにオンナがいて、恋・・・儚く破れちゃった・・・の?」


その佐藤がとても心配そうな表情でそう聞いている、でも、諦めきれない夏帆はこう答えた。


「ううん・・・完全には破れてないと思う。少しは望みはあると思うの・・・そう思わないとやってらんない!」


そう言った夏帆の表情をじっと見ていた彼女が少し微笑む。


「あれ?どうしちゃったの?あなたらしくないんじゃない?」


そう問いかけられた夏帆は、その時どこかで聞いたことのあるその特徴的な言葉のイントネーションに違和感を感じつつ、何か意味ありげにそれを口にしたそのバスガイドの顔を見た。


ん?どこかでみたような気がする。


するとそのバスガイドが夏帆の前に立ち上がってピッチャーが投球する格好を演じた。しかもそれはサウスポーのウィンドミル投法・・・


「少しは望みがあるならズバッと投げなさい・・・よっ!あの決め球のライジングボール」


「えっ?」


この時夏帆の瞳には、その左手の指先から放たれたボールがバッター手前で変化する球筋が映った。


「今のカーブって・・・?」


夏帆の中でサウスポーピッチャーの記憶は数少ない。

そのバスガイドが今度は夏帆の目の前で中腰になって夏帆を見つめた。さらにはその瞳をどこかで見たことがあると思った夏帆に畳み掛けるように問いかける。


「どうしちゃった!その度胸で全国までのし上がって行ったんじゃないのか?その時の度胸って全国大会に置いてきちゃったの?」


この時は夏帆は改めて目の前の佐藤というバスガイドを見た。そのネームプレートには「佐藤果穂」とある。どこかで聞いたことがあるような・・・そしてもう一度その顔を見た時やっとその記憶が蘇る。


「あっ・・・思い出した!その身体を捻るような投球フォーム・・・今のカーブ覚えてる!」


「もう・・・いつになったら思い出すのかと思って。忘れないわよ、あの決勝のビリビリしたあの雰囲気・・・。で、何?わたしの癖知ってたの?」


夏帆はその佐藤果穂というバスガイドと面識があった。正確に言えば高校3年生の時、ソフトボールの東北大会決勝で投げ合った仙台にある某有名私立校のピッチャーだ。


当時のテレビで「北の夏帆と南の果穂・・・因縁のサウスポーピッチャー対決!東北大会決勝の軍配は北に・・・」なんて放映もされたくらい有名な名勝負を演じた二人がここで再会を果たしていた。しかも、何の因果か二人ともバスガイドになっていたとは奇遇である。


この時顔を見合わせた夏帆の口から言葉が出なかった。それほど驚いていたのだ。


「もう・・・何よ!そのお化けでも見た顔は!失礼しちゃう!」


「だって、当たり前でしょ?後にも先にもあんな緊張した試合したことないもん!その相手が同業者としてこんなところにいるんだもん!」


「ゴメンなさいね。コレ返すね・・・」


そう言って夏帆に返したのはさっきのナプキン・・・


「えっ?」


「さっきさ、なんか見覚えある人がいるな・・・って思ったんだけどイマイチ自信がなくってね。ソレで顔と名札確認するのにウソ付いたんだよね・・・」


「もう・・・人がせっかく親切にすれば・・・」


「でも・・・あなた、あの時のポニーテールどうしちゃったの?・・・その髪」


「え〜っ、それ言う?それだったらその言葉そっくりお返しするけど・・・」


そんな思いもしない再会に驚く夏帆だった。


その相手が矢継ぎ尋ねる。


「でもさ、あなたたちってわたしたちを破って全国に行ったじゃない?」


「うん!」


「それで準々決勝でノーノー(ノーヒットノーラン)やったでしょ?」


「うん。決勝で負けちゃったけどね・・・」


「実はその試合見に行ったんだよね・・・」


「見に来てくれたんだ・・・」


「それであの何万人も入る球場があなたのその一球一球に注目して、その球がミットに収まる度沸き起こるどよめき・・・」


「うん。わたしの投げる球がミットに収まる時のあの「パンッ・・・」って音、今でも忘れない」


「凄く緊張したでしょ?だってみんなあなたに注目してるんだよ。」


「うん。緊張はしたよ。でも、その時周りのことは全然気にならなくって・・・」


ソフトボール全国大会の試合の球場は、全国各地の各県が毎年持ち回りで球場を準備することになっている。それは立派なスタジアムから高校の校庭まで・・・


この時の全国大会は立派なスタジアムで行われていたが、観客といえば保護者や関係者ばかりで決して観客席が一杯になることはなかった。


しかし・・・そんな少ない観客でありながらその試合は一種異様な雰囲気を醸し出していた。


それは夏帆の迫力ある投球と、回が進んでも一向にバットに球の当たらない相手チーム・・・


そんな試合を観ていた誰しもが自ずとその「ノーヒットノーラン」を意識していた・・・そんな試合だった。


そんな異様な雰囲気を肌で感じていた佐藤が問いかける。


「ゾーンに入ってた?」


「恐らく・・・」


この日の夏帆の投球は初回から冴え渡っていた。それは夏帆の持ち味であるストレートにキレが凄かった・・・


そんな様子を思い出しながら佐藤が呟く。


「そして最後のバッターが空振りしてノーノー(ノーヒットノラン)達成した後、静まり返ったスタジアムで『ヨッシャー・・・』っていうあなたの雄叫び凄かった・・・」


「これってみんなには言ってなかったんだけど・・・叫んだ後全身の力が抜けちゃって、膝から崩れ落ちたの。駆け寄ったキャッチャーに支えられてバレなかったんだけど・・・」


「そういえば、キャッチャーって双子の妹だっけ?」


「うん。凄くいい音で球を受けてくれるからピッチャーとしてもテンションが上がって・・・」


「そういえば、その音聴くだけでビビっちゃって球が速く感じるんだよね。・・・まっ、実際速かったけど」


「本当にどうすればあのいい音で捕球出来るのか不思議なんだよね・・・」


「試合前の練習投球ってあるじゃない?」


「うん。足元のプレート周りの調整も含めたヤツでしょ?」


「それなんだけど、その時その音聞かせられて・・・みんなビビっちゃったのよね・・・」


「なんか、ソレ聞いたことある。その時からすでに既に試合が始まってるって、よく監督から・・・」


「わたしがバッテリー組んでたキャッチャーはその辺イマイチだったの。司令塔としては優秀だったんだけど・・・」


「でも、結局わたしの本気の球を捕れるのは妹しかいなくってバッテリー組んでたんだけど・・・」


「あのライジングボールでしょ?」


「ちょっと・・・変な名前付けないでよ!手元ですごく伸びるストレート・・・ってのは聞いたことあるけど・・・」


「バッターにとってはそれが手元で浮き上がるように見えるの。だからライジングボール・・・」


「うん。そんなキャッチャーが捕りづらいって評判の球を受けてた妹は、専門学校通いながらカメラマンとして広告制作会社に出入りしてて・・・」


「そのキャッチャーって凄く目が良いって噂だったんだけど・・・やっぱりそうだったんだね。カメラマンなんて目が良くなければ・・・」


「うん。何せ水平線の漁船を見てどこの船かわかるくらいだったからね・・・」


「でも、そのキャッチャーって本当に凄かった。本当にこっちの裏の裏まで知ってるようなリードで・・・」


この時佐藤の話す試合とは夏帆と投げ合った東北大会の決勝戦のことである。


「うん。なんてったって試合の前に今までの試合運びと選手ごとの癖の統計取ってたんだよね」


「あら・・・双子なのに、お姉ちゃんと違って頭脳派なのね?」


「えっ?それってどういうこと?!」


これは度々言われることだった。見かけはそっくりでも、頭の中身というか物事を考えるアプローチの方向が違うというか・・・。総じて、直感派のお姉ちゃんに対して慎重派の妹というところだろうか。


この時、どこか懐かしそうな目をしながらそのライバルが言葉を繋いだ。


「でもさ・・・あの試合ってわたしも誇りに思ってる。だって、あなたってあんなビリビリした試合してわたしたちを破って全国行ったピッチャーだよ!」


そんなことを言われて嬉しくなった夏帆はその時の心中を打ち明けた。


「でもさ・・・決勝の時は1回の表に獲った1点を守り切るのに本当に必死で・・・しかもバッターがみんなあなたに抑え込まれて・・・」


「そうだよね。わたしの立ち上がりが安定しない時に犠打(スクイズ)でやられた1点だよね・・・」


「うん。最初のバッターをフォアボールにしたじゃない?それでウチの監督が立ち上がりが乱れている間に何としても1点獲ろうってことになって・・・だって、前の試合までのあなたの投球見てたから点獲るチャンスはこれしかないってことで・・・」


「でもさ・・・あなたのチームってわたしの投球フォームを研究してたんじゃないの?さっきだってその投げ方で球種がわかるんだから・・・」


「うちの監督って工業科の土木の先生でソフトボールってものが全くの素人なの。普段は特に何も言わないんだけど、それじゃサマにならないってことでベンチでサイン出すフリだけするのね」


「えっ?・・・・フリ・・・って?」


「サインを出していたのはキャッチャーで、それを伝達してたのがベンチにいるマネージャー・・・」


「えっ?どうやって?」


「スコア付けてるバインダーをあげたり下げたり、あとウチワみたいにあおいでみたり・・・」


「それって・・・」


「うん。あとあなたの球種なんかも・・・。でもその時、そんないつも何も言わない監督が 『ここはスクイズ・・・』って自らサイン出してね。バッターボックスの4番(里帆)のあの二度見した目・・・今でも忘れない」


「そうだよね・・・初回にスクイズだよ!しかも4番バッターにソレ(スクイズ)やらせるとはね・・・」


「うん・・・4番()って地方大会で打率三割超えてたからそのサイン見た時は驚いたって!」


「それだけその1点が欲しかったんだね・・・」


「うん。そこで獲れなかったらって考えるとゾッとする・・・」


「でもさ、やっぱり知ってたのね・・・わたしの投球フォーム()


「うん。試合の前に何度も観たビデオで研究して・・・でもその癖を知ってたはずの試合だったのに打っても打っても球が前に飛ばなかった。狙って打ってたカーブだったのに・・・」


「ごめんね・・・。実はそのカーブには2種類あって横に曲がるヤツと縦に曲がるヤツ・・・」


「えっ?そうなの?どおりで前に飛ばないはずだ!わたしたちってその横に曲がるヤツしか想定してなくて・・・」


「うん。でも、その日の立ち上がりはどうもそのカーブが決まらなくって・・・・。それでストレート主体に組み立ててたんだけど・・・」


「そうだよね・・・。2回以降はバントですらともにバットに当たらなくなってね・・・」


「うん。1点盗られたら嘘のように身体が軽くなって思うところに球が入るんだよね」


「うん・・・苦労した。でもあの大会で一番大変で一番楽しい試合だった」


「でもさ・・・その1点って、盗られたスクイズが4番のキャッチャーだよ?反則じゃない?・・・でもわたし、その試合の日の朝まではスクイズだろうがなんだろうが1点も取らせるつもりはなかったんだからね。朝・・・お腹が痛くなるまでは。前の日の夜、ヤバイとは思ったんだけどね・・・」


「えっ?それじゃあなた・・・そんな日に決勝投げてた訳?」


「そうだよ。だって、それって・・・仕方のないことでしょ?そうなっちゃったんだから・・・」


「そっ、それは・・・そうだけど・・・それじゃピッチャー前に転がった球をうまく捌けなかったのは?」


「うん。でも、そんな日じゃなくてもホームインを阻止できたかどうかは分からない・・・」


その試合(決勝)でその相手チームのピッチャーの体調がそうでないとすれば、恐らく夏帆は悲願の全国大会に勝ち進むことはなかった。そして自分の心の中で最も誇りに思っている「全国大会でのノーヒットノーラン達成」はなかったのである。


この後、思い出話に花を咲かせた二人だったが時間が経つのは早いものだ。先ほど遊覧船を見送った船着場に次に乗船する人たちが集まってきているのが目に止まる。



@東京のバスガールの3番的な・・・


それに気づいた佐藤が腕時計に目をやるとそろそろ船が戻ってくる時間となっていた。


「あっ・・・わたし、そろそろ行かないと・・・」


しかし、夏帆も他人事ではない。


「わたしも・・・」


二人は並んでその船着場へ急いだ。そして隣を歩いているその佐藤が徐に右手の白手を脱いで、その素になった右手を前に出し掌をパーにして夏帆に向けた。


夏帆がその手を見るとその薬指にはシルバーのリングが・・・


そしてチョット照れた様子で再び前急ぎ足で歩き出した佐藤が口を開いた。


「わたしさ・・・結婚が近いってことになってるから仕事干されちゃってる感じなんだよね。最近教習バスにも混ぜてもらえなくってね・・・」


その「教習バス」とは、バスガイド教習バスを指す。つまり夏帆の会社でいう「トライアル」のことだ。


「えっ?辞めちゃうひとに教えても仕方がない・・・ってこと?」


「うん。だからこの頃、近場のあんな遠足ばかりで・・・」


その佐藤の視線の先である着岸間近の遊覧船を見ると、たくさんの子どもたちが遊覧船の舳先に鈴なりになっているのが見える。


「アレ?」


「うん・・・。今日は子供会の遠足なんだよね。バスの中でも子供たちを飽きさせないように役員が色々やってくれて・・・この後わざわざ別会場でお昼挟食べてから戻ってきて隣の松島水族館だもん。コレってGなし(ガイドなし)でもいいくらいなんだよね・・・」


結婚が近いって()()?干されてる?この時夏帆の頭の中にその二つの言葉が嫌な感じで反響していた。


佐藤はそんな困惑する夏帆に追い討ちを掛ける。


コレ(シルバーリング)してるとさ・・・特に左手にしてるとドライバーとかお客さんとかが言い寄ってこなくなるんだよね。先輩の噂話かな?って思っていたけど、これって実は厄介避けには効果絶大なモノなの・・・」


この時この佐藤は右手薬指に婚約指輪をはめていた。肝心な左手薬指は結婚指輪用に空けてあると言う。そんな佐藤が厄介ごと避けというリングの効果とは如何に・・・


「そんなに効果があるの?」


「うん。特に大学生の集団なんかを乗せるとスゴイのわかるでしょ?」


「う・・・うん。それ分かる・・・」


夏帆も少し前乗務した業務でそんなことがあったことを思い出していた。しかもそれは後日夜の部(合コン)まで引っ張っていたことも・・・


「オトコってさ・・・狙ったオンナに別なオトコの匂いを感じると途端に魅力を感じなくなる動物なんだよね」


「そんなもんなの?」


「それでさ、あなたは・・・小比類巻夏帆としてはどうなの?」


その時急にそんな質問をされてなんと答えていいのか迷った。


「えっ?・・・あっ・・・うん。えっと、東京のバスガイドの3番的な・・・?」


夏帆は、その「結婚」の話も、「干されている」ということも、その「指輪」の話もどこか立ち入ってはいけないような気がしたのでそう答えた。


「違うの!酔っ払いの客の話じゃなくって、オトコの話!」


「あっ・・・そっちね・・・」


「どう?・・・決め球投げられそう?」


「うん。なんか勇気出た。わたしも指輪(リング)できるように頑張ってみる!」


「あっ・・・子供たち降りてきたからわたし行くね。ガイド辞めてなかったら、またどこかでもう一度恋バナでもしたようね・・・それじゃっ!」


佐藤はその時どこか寂しげな笑顔を残して子供たちのところへ走って行く。


「それじゃまた・・・」


そう手を振った夏帆の先では、社旗を高々と掲げ営業スマイルで子供たちを集める佐藤の姿があった。


その姿を見ながら夏帆は「ガイド辞めてなかったら・・・」という言葉が重くのしかかかって来て、それに潰されそうになっている自分が怖くなっていた。


夏帆の務める会社はバスガイドが若いというのが専ら評判の会社だ。


現に夏帆に仕事を教えてくれた先輩も寿退社していたし、後輩の古河が見習いで今日一緒に乗務している良子先輩もこの秋寿退社・・・

裏を返せばこの会社はガイドが直ぐに辞めてしまい、若い新人との入れ替わりが激しい会社とも言える。


会社としては手間を掛けて新人を育てるよりも長くベテランガイドを使い続けたが経営的には楽ではあったが、会社の思惑とは反対に伝統的にバスガイドがすぐに辞めてしまっていて、常に若いバスガイドと入れ替わっているのが夏帆の務めるバス会社の特徴だった。


結果、バスガイドが若いと評判となっているバス会社となってはいたが、これがいいか悪いかは誰も分からない。


そんな入れ替わりの激しい会社だったが、その辞めていく新人のうち最終的に数人残ってくれたそのベテランガイドが新人を教育することで会社が回っていた。その一人が夏帆たちを教育している吉田ティーチャーとなっている。


実のところ、夏帆はバスガイドの煌びやかな部分に憧れてバスガイドになった訳ではなかった。それはただバスガイドになって恩返ししたかった人がいたからである。


それは高校2年生の時の秋の大会の時だった。リリーフでマウンド立った夏帆が集中砲火を浴び酷い負け方をしてしまった時、その試合の帰りのバスの車中でバスガイドのしてくれた変な話に心打たれていたのだ。


「何かを飛ばすためのスプリングはただ硬いだけではダメで、飛ばす前にどれだけ縮められるかが重要。飛ばす前にどれだけ縮められるかでその跳躍距離は全然違うから、事前に縮められない硬いだけのスプリングではものが飛ばない・・・」


確かそんな話だったと思う。後で聞いた話では、そのバスガイドのカレシという人は東京でそういう企業に勤めているエンジニアだったそうだ。そのカレシとの出会いは盛岡駅迎えで小岩井農場や田沢湖を回った際に案内したバスの車中だと聞いていた。


つまりは人生には良いことと悪い事が交互に訪れて、辛いことの後には必ず良いことが訪れると言うことを伝えたかったのかもしれない。


そんなバスガイドは東京のカレシと遠距離恋愛の末上京し結婚・・・。それはバスガイドのシンデレラストーリーとして聞かされたことがある。


そのカレシの影響で出てきたそんなスプリングの話だったが、その例えが独特で傷心の夏帆の心に刺さるものだった。


「今日の試合は、来年跳躍するためにギュッと縮んだスプリングと一緒・・・」と纏まられたその最後の言葉に救われた気がした。そして、翌年の全国大会進出・・・さらにはノーヒットノーラン達成。


正直なところ、その秋の大会で負けた試合のあと、そのバスガイドの話がなければソフトボールを続けていたかは分からない。


だからその人のいるバス会社に就職して一緒に仕事をして、その人のようにお客様の人生の一助を担えるようなバスガイドになりたかったのだ。


でも・・・


夏帆が就職した時、その人はすでに寿退社していた。


先輩バスガイドはみんな寿退社で辞めて行く・・・・シンデレラストーリーではないにしろ夏帆はいつかは自分も同じく寿(結婚)という理由でバスガイドという仕事を辞める日が来るのだろう・・・とは思っていたが、実際にそのような言葉を聞くと動揺が隠せなかった・・・。



@恋の進め方・・・


「遊覧船の乗船お疲れ様でした。いかがだったでしょうか?初めてご覧になる方も何度も来られているという方もいらっしゃると思いますが、およそ50分の乗船で大小色々な島をご覧になれたかと思います。今の季節ですとモヤがかかることのあることもあるのですが、今日は天気も良く絶好な遊覧船日和・・・」


その後夏帆は、バスの車中でその遊覧船の船旅を振り返る案内をしていた。その後、乗客をバスに乗せたまま少し離れたところにある昼食会場まで移動する。その間約5分。


「この後待望の昼食となります。美味しい海鮮料理に加え生牡蠣が皆様をお待ちしていると聞いています。今しばらくお待ちください・・・」


「出発時間の午後1時30分になりますので、それまで近くを散策されたりお土産屋さんなどをご覧いただければ・・・」という案内の後、気の早い乗客に注意を促すことも忘れない。


「安全のためバスが完全に停まるまで立ち上がらず座ったままでお待ち下さい・・・」


などと言いながら夏帆は小さなホワイトボードに13:30と書いて出口に吊るした。


そして夏帆の乗るバスが国道からその昼食会場の駐車場に左折で入ろうと減速し、その大きな車体を一度右に頭を振ってから左折を始めた時、左後方を確認していた夏帆の目に後ろから左側をすり抜けてきたバイクの姿がチラッと見えた。


「バイク来ますっ!」


その時・・・バスが車体を軋ませながらギギギッと急停車した。そして「キシー」っとエアーの抜ける音がする中、まるで円を描くように横揺れしているバスの左側をかすめるように一台の原付バイクが走り抜けて行く。


夏帆はこの横揺れが苦手だった。当然そんな横揺れはそうそう体験できるわけでのないので乗客たち時から響めきが上がる。


しかもこのバスは2階建に近い高さのエアロクイーン。その横揺れは半端じゃなかった。でもここでしなければならないのはお客さんの安全確認。


夏帆はドアのステップから階段を駆け上った。スーパーハイデッカーたるエアロクイーンはドアのデッキに立ったままでは客室が全く見えない。


そして夏帆は客室を見回しながらマイクを握った。


「大変申し訳ありませんでした。事故防止のため急ブレーキを掛けて驚かせてしまいました。みなさんお怪我などありませんか?あと、頭の上のお荷物落ちたりしてませんか?」


幸いにも膝に置いていたみかんが転がったくらいで済んだバスが左折し、その進んだ先の観光物産館の駐車場には先に来ていた3台口の観光バスがバック誘導中だった。そして既に駐車を済ませた手前側の1台口のバスのドアから次々と子供たちが降りていて、そのたくさんの子供たちを誘導している見たことのある制服を着たバスガイドの姿が見える。


夏帆がそれを良く見るとその姿は先ほどの佐藤だ。偶然といえばそうなのだが、この辺りで大人数で食事できるところといえば場所が限られているので出会う確率は低くはなかった。


そして駐車場の誘導員に指示された場所にバスを誘導する夏帆の姿があった。近くで他社のバスがホイッスルによる誘導をしていたため夏帆は地声による誘導を始めている。


その夏帆の声はバスの左後方に設置されているマイクを経由し、運転席のスピーカーからドライバーに伝えられた。


「オーライ・・・オーライ・・・オライ・・オライ・・・はいストーップ!」


その後、夏帆は添乗員と共にお土産売り場の2階に準備されている昼食会場へ客を誘導し終わると、乗務員のための昼食が準備してある厨房を挟んだ乗務員用の昼食会場に向かう。そしてその入り口からその食堂を覗くと一番窓側の席で一人で昼食を食べている佐藤の姿があった。


夏帆は配膳された昼食を両手に持ってその後ろへ回りそっと声を掛ける。


「あの・・・ちょっとよろしいでしょうか?」


当然その後ろ姿の彼女が振り返る。


「えっ?こんな早い再会?」


「そうだよね。さっき駐車場で子どもたちを先導して歩いている姿見たんで・・・。でも、バスで5分もかかるこんなところまでわざわざお昼食べに来るんだ・・・水族館って遊覧船乗り場のすぐ近くなのに・・・」


「なんかさ・・・子供会の役員たちが、昼食のあと子どもたちが楽しめるイベント考えてるみたいでね・・・」


「そうだよね・・・水族館見たら今日の予定終わっちゃうもんね」


「うん。だからここの休憩が長くて・・・」


「こっちは出発が13:30だから、食べ終わったらバスに戻ってダベらない?」


そうして食事後、夏帆の乗るエアロクイーンの前まで来た佐藤がその大きな車体を前にため息を吐いた。


「やっぱりエアロクイーンって大きいね。わたしの会社にはこのバスがなくって・・・一度も乗ったことがないの」


それを聞いた夏帆が「それじゃ・・・」と言いながらバスのライト下にある蓋を開けて、中にあるドア開閉のスイッチを操作する。すると「ピー」という音と共にそのドアが一度外側に飛び出して後ろへスライドして行く。


「あっ・・・パンツ・・・」


「ごめん・・・誰もいないと思って無防備だった・・・」


この時代のバスのドア開閉スイッチは膝下の低い位置にあることが多かった。それを操作するためバスガイドが膝を折って屈んだ時パンツが見えてしまうというのも定説になっている。


「いつも思うんだけど、このスイッチもう少し高いところについていればいいのにね?」


「やっぱりそう思うよね・・・」


この数年後モデルチェンジされる各社の観光バスのドアスイッチは、揃ってその場所が高い位置に変更されることとなる。それはそんなバスガイドたちの意見を取り入れてのことだ。


その後バスに乗車した夏帆と果穂は運転席とガイド席に分かれて座り、再び思い出話に花を咲かせていた。そしてそれはいつしかその「果穂」のほうの昔話になっている。


「わたしってさ・・・大きくなったらおばあちゃんと一緒に志田浜の売店を切り盛りするのが夢だったの。志田浜って知ってる?あの猪苗代湖の・・・」


「えっ?そこって春のトライアル(研修旅行)で行った!猪苗代湖の向こうに会津磐梯山が綺麗に見えてる場所・・・」


その場所は、春のトライアルで夏帆が吉田ティーチャーから注意を受けた場所だった。


「うん。その志田浜って観光シーズンになるといろんな観光バスが立ち寄って、お客さんやガイドがおばあちゃんの店でアイスクリーム買って行くの・・・」


この時夏帆はその売店でソフトクリームを買っていたことを思い出す。しかし、その時はエンちゃんのハチロクと同じ管轄のナンバーの車たちが気になって味など全然分からなかったが・・・


「えっ?わたしもそこで買ったけど・・・ちょっと寒かったけどヤッパリ買っちゃうよね・・・。」


「じゃ、小比類巻ってそこでおばあちゃんに出会ってるんだね。そのおばあちゃんの家ってその近くなんだけど、わたしの実家ってそちょっと離れた磐梯山の麓でスキー客向けにペンションやっててね・・・」


「スキーって凄く意外・・・わたしの街って基地と海しかないから・・・」


「ウチの家族って春から秋は田んぼとおばあちゃんの売店、冬はペンションと町営スキー場の仕事やってて・・・」


「なんか羨ましいかも・・・」


「でもさ、冬は本当に雪しかなくって、冬休みになるとスキー場の整備の仕事に携わるお父さんについていってそのスキー場に行って1日中滑って・・・リフトで上まで登ると猪苗代湖が綺麗に見えて・・・」


「それっていつ頃の話?」


「小学生の頃。それでわたし小学5年生で大回転の選手に選ばれていろんな大会に行って・・・」


「じゃ・・・ソフトボールは?」


「中学生に入った時、スキーの基礎トレーニングになるからって先生に騙されて始めたんだよね・・・」


「それじゃ本業はスキーの選手?」


「うん。中学卒業と共にソフトボールに転業しちゃったけど・・・そのソフトボールにスカウトされた理由が腹立つんだよね」


「もしかして、左利きだったこと?」


「えっ?もしかして小比類巻も?」


「うん・・・」


この時、二人が実は似た者同士だったことが分かり話に花が咲いた。そしていつしかその話はお決まりの恋バナへ・・・


「ところでさっき、佐藤が結婚が近い・・・って言っていたけど?」


「うん・・・。実は近々結婚する予定だったんだよね・・・」


「ん?・・・だった?」


「うん・・・だったの。話すと長くなるけど・・・カレって仙台の設計コンサルタント会社に勤めていたんだけど、前に東京本社勤務の新人研修があってその指導係としてバスに乗ったのがカレだったの」


ん?コレってどこかで聞いたようなハナシかも・・・


この時夏帆はそう思った。それはもちろんこの前の大学のオリエンテーリングのハナシだ。でも、それから続く佐藤の話というのがその相手が大学生だったらあり得ないきっかけだった。


「それでさ・・・その研修が終わった後バスの掃除してたらそのカレの名刺入れが落ちてて・・・」


「それじゃ会社とか役職とかわかっちゃったの?」


「うん。なんか小難しい役職ついてて・・・しかもその会社が女子寮の目と鼻の先にあって・・・」


「運命的だね」


「それでその日の夕方、その名刺入れをその会社に届けに行ったの。そしたら・・・」


「そしたら?」


「救急車で搬送されるところで・・・」


「えっ?どうしちゃったの?事故か何か??それでまさかのストレッチャーの上の瀕死のカレと再会?」


「まっ・・・瀕死ってほどじゃないんだけど、過労で倒れちゃったんだって。仕事が立て込んでいた上に研修の資料が間に合わなくって徹夜してたんだって・・・。バスの中でもバスを降りてもその新入社員に説明してて「なんか無理してんな・・・」なんて思ってたんだよね・・・」


なんかコレって夏帆とエンちゃんの時のような・・・


「それってなんか運命的じゃない?」


「うん。今考えれば・・・。それってあり得ない巡り合わせなんだけど・・・」


「それじゃさ・・・その後その病院に行って看病したってこと?」


そこまで話を聞いた夏帆は興味津々だ。


「うん。名刺入れだけ会社に置いて帰れば良いものの、彼女が来たから丁度いいっていうことになってどういう訳か一緒に救急車に乗る羽目になって・・・それから病院で意気投合して・・・」


「うん。それから?」


「その後心配になってその会社に行って事情を聞いたら、彼女と決めつけて看病させたお詫びを言われてね・・・」


「そりゃそうだよ・・・でもその会社が寮の近くってもの奇遇だね・・・」


「そんな会社なんだけど、今度は訪れたわたしに1万円握らせて「これで食料買って届けてほしい。食い物がなくって餓死するかもしれない」ってアパートまでの地図書いてくれて・・・」


「その会社・・・この後に及んで佐藤のこと使おうとしてたって訳?」


「きっと会社の人も忙しかったんだよ・・・」


エンちゃんがバイト先で倒れた時も、どう言うわけか居合わせた夏帆が病院で付き添うこととなっていたのを思い出していた。でも、ここからは話が違った。どうやらそのカレはアパートに一人暮らしだということ・・・


しかもそのカレは猪苗代に程近い会津若松というところが実家だという。この時この佐藤の言葉のイントネーションがあのエンちゃんによく似ていることを思い出していた。そして、夏帆がそのエンちゃんの下宿で未遂に終わったアノことを聞いてみた。


「じゃ・・・そのカレのアパートでヤっちゃった訳?」


「ちょっと・・・何?その言い方!まっ、結局最後はそうだったどさ・・・」


「そうだよね・・・」


そんな話を羨ましく思う夏帆がそこにいた。


「でもさ・・・最初にその彼のアパートに行ったときの有様ってさ・・・」


「もしかして・・・ゴミ屋敷?」


「うん。それに近いものが・・・でも、オトコの一人暮らしって大抵そんなもんじゃない?小比類巻のところもそんなもんでしょ?」


「わたしはカレのところにまだ1回しか行ってないけど、とりあえず足の踏み場はあったような・・・」


「でもゴミ屋敷はわたしが片付けたからいいとして、バスガイドとサラリーマンの交際がこんなに大変だとは思わなかった・・・何せ休みが合わないでしょ?」


「そっか・・・わたしのところは大学生だからなんとかなってるけど・・・」


「大学生か・・・なんか羨ましいかも。わたしのカレってさ、いつも帰りが遅くって・・・せっかくお泊まりに行っても、夕ご飯作ってテレビ見ててもなかなか帰ってこなくてさ・・・二人で過ごせる時間があまりなくって・・・。しかも奇跡的に休みが合ったとしても急な仕事で休日出勤なんてのも茶飯ごと・・・」


「まっ、会えないのも辛いけどそのカレの身体も心配だね・・・」


「うん。だからわたしが一緒になって支えてあげようとしたんだよね。それでそんな仕事だしお金使う事もできなかったみたいで・・・」


「そうだよね・・・お金使うのは深夜のコンビニくらいかも・・・」


「ある時そのカレから貯金通帳の記帳を頼まれたことがあって・・・」


「忙しくって記帳もできなかったんだ・・・」


「そうみたいなの。銀行の窓口で記帳お願いして呼び出された時戻ってきた通帳が3冊になってて・・・」


「そんなに記帳できてなかったの?・・・っていうか、それって奥さんの仕事だよ?」


「なんか、カレが仕事行ってる時にカレのアパートに行って片付けしたり・・・なんか家政婦みたいなこともにもなっちゃってね・・・。それで、その時頼まれた記帳の時悪いとは思いつつ最後の残高見たらとんでもない数字になってて・・・」


「それって・・・?」


「うん。場所さえ選ばなくちゃマンションをポンって一括で買えるくらいは・・・」


「えっ?・・・そんなに?」


「うん。カレの会社って大手のコンサルできちんと残業代も出るらしくって・・・。その数字見たらわたしの給料って何なんだろう?なんて思えて来ちゃってね」


「そうだよね。バスガイドの給料って手当つかないと本当にキツイよね・・・。わたしはシーズン入って2回目の5連勤だけど、ほんと冬場なんて雀の涙・・・」


「えっ?それじゃ今日って何日目の業務?」


「うん。今日は5連勤の初日なんだよね。これから平泉行って花巻まで。そして明日は盛岡・・・そして明後日は逆方向の合計3業務・・・」


「そんな・・・東北道を行ったり来たり?それで身体持つの?」


「うん・・・なんとかなってる。わたしってどういう訳かそういう乗務にあたることが多くって・・・」


「そうだよ・・・そんな業務って、普通の女子じゃ務まんないって!」


「何よ!わたしが鉄人みたいじゃん!」


「当たってない?」


「ハズレではないけど・・・なんか悔しい!」


「給料いいでしょ?」


「うん。繁忙期(ハイシーズン)の給料なんてみんなに教えられない・・・」


「そうだよね・・・わたしたちの給料ってとても安定してるとは言えないもんね。でも、繁忙期のそんな過酷な乗務こなせるバスガイドってそんなにいないと思う・・・小比類巻って本当に体育会系だよね」


「うん。未だに走ってるからね・・・」


「そっか・・・わたしはもうそういうのから足洗っちゃってるから身体が鈍る一方で・・・」


「わたしのことはいいから・・・そのカレどうしたの?」


「それがさ・・・この春の転勤で名古屋に行っちゃってね。本当だったら今頃結婚式の日取りとか話してる頃だったのに・・・」


女性が20代前半で結婚するのが当たり前だったこの時代でも、二十歳そこそこで結婚とは少し早いように思えるが・・・


「えっ?これからって時に・・・そりゃタイミング悪いし場所も遠いね。でも、なんでそんなところに行っちゃったの?」


「そのカレの会社って、道路とか橋とか設計する会社で・・・そうね、小比類巻の住んでる八戸にある八戸大橋もその会社で設計したって言ってたよ」


「えっ?あの夢の大橋?」


夏帆が休日にランニングをしているその夢の大橋の大きさというのを夏帆は身をもって知っていた。しかも、馬淵川という大きな川の河口にかかるその橋の地盤も悪かったらしい。それでここに橋が架かると聞いた市民が「それは夢物語だ!」と言っていた歴史も知っていた夏帆はすごく感心していた。


そんな思いに耽っている夏帆に佐藤が話を続ける。


「うん。それで3月まで仙台にある東北支社勤めだったんだけど、そのカレが大学の時都市計画っていうのを選考してみたいで・・・その関係で名古屋支社が役所から受注した業務委託の担当者ということで急に引っ張られて・・・」


「それじゃついていかなきゃ・・・」


「でも・・・名古屋じゃ実家にあまり帰れないじゃない?」


「うん・・・そうだよね・・・流石に遠いよね・・・」


「それに磐越自動車道が開通するまではおばあちゃんに頑張ってほしいから近くに居たいし・・・」


「そうだよね・・・新幹線に乗れば直ぐだよね。でも開通するまで・・・って、なに?」


「うん・・・それなんだけど・・・今って、その猪苗代湖に向かう大きな道って国道49号しかないでしょ?高速道路が出来ればその国道沿いの志田浜に人は立ち寄らなくなるんだよね・・・」


「でも、地域じゃ重要な観光地でしょ?」


「それはそれまでの話・・・。これからの時代高速道路が出来れば志田浜どころか、町自体にも立ち寄る人が激減するっていう調査結果が出てるんだって・・・」


夏帆はこの時、この前のトライアルで吉田ティーチャーが「磐越自動車道が開通したら頻繁に来ることになる・・・」と言っていたのを思い出した。高速道路が開通するということはそこで商売する人、またその道路を利用する人にとって大きな影響を及ぼすものだと改めて感じた。


でも、今彼女が言った「調査結果・・・」というものが気になる。


「もしかして、それってカレの会社でそういう仕事もしてたってこと?」


「うん。どうやらその調査によると高速道路が出来ればできるほど地方が衰退するんだって」


「えっ?逆じゃないの?行きたいところに直ぐに行けるようになるんだよ?」


「考えてみて?直ぐに行けるってことは直ぐに帰れるんだよ・・・」


「それじゃ、日帰り出来る範囲が広がっただけ?もしくはただの通過地点になっちゃうってこと?」


「う〜ん・・・そんな感じじゃないかな?今まで1泊してたところを日帰りしちゃうんだもん。その旅行が宿泊を伴うものとすればその宿泊先っていうのがもっと遠方になる・・・。それで、まずダメージを受けるのは宿泊業・・・」


「それじゃ実家のペンション・・・」


「うん。宿泊するスキー客は激減するでしょうね・・・。考えてみて。昔は猪苗代とか山形蔵王止まりだったスキー客がいきなりあんな遠くの安比まで行っちゃうんだよ。あなたの会社で冬場、新宿〜安比で走らせてるスキーバスだってその高速道路がなかったら出来なかった・・・」


「じゃ、その客って・・・その昔だったら安比じゃなくって猪苗代に行ってた可能性だってあるってこと?」


「うん・・・。だから、わたしが実家を助けたいってのもあるの・・・」


「でも・・・カレが名古屋に・・・」


「うん・・・。せめてもっと近かったら・・・」


「それで迷ってるんだ・・・。でもさ、まず自分の幸せというものを優先すべきじゃないの?まず自分が幸せにならないことには自分の周りも幸せに出来ないと思うんだよね・・・」


「まっ・・・そういうことだね!ということで生理が来なかったら直ぐにでも会社辞めるつもりなんだったんだけど・・・」


「ちょっと・・・避妊は?」


「してない。この前のゴールデンウィークにカレが来た時も避妊なんてしなかった。だって、既成事実が出来れば踏ん切りもつくでしょ?」


「いや・・・ちょっと待って!それって違うと思う。だって・・・」


この時夏帆は、その「だって・・・」の次の言葉が出てこなかった。子供は望まれて生まれてこそ幸せになるものと考えていた夏帆はその妊娠に対する考え方に違和感を感じていた。


でも・・・何が正解かなんて解らない。



@恋もソフトの試合も空きあらば・・・


「でもわたし・・・その考えには反対」


「うん。みんなそう言う・・・」


「だって、赤ちゃんって望まれて授かるわけでしょ?結婚のきっかけって言うのはちょっと違うと思う。結果的にデキちゃって結婚する人も多いとは思うけど、その結婚をするために・・・ってのは違うと思う」


「じゃ、どうすれば?」


「うん。そのカレもそんな仕事じゃ身体も心配だよね?」


「うん。カレはポケベル持ってて、連絡すれば折り返しの電話があるのは良いけど・・・」


その「ポケベル」というものは当時出始めたポケットベルというものとなる。そのポケベルの番号に電話をすればそのポケベルに着信があったことを知らせるメッセージが出て、それを確認したら公衆電話で折り返しの電話を掛けるというものとなっていた。それは外回りに忙しい営業系の会社員が多く持たされているものだ。


この佐藤のカレシというのは役所との打ち合わせが多いポジションで働いていて、いろんな仕事を掛け持ちしていて外回りが多いと聞いていた。それでポケベルを持たされているとのこと。


そのポケベルも時代と共に進化していき、公衆電話の数字のプッシュボタンの組み合わせでメッセージが送れるようになると、所々の公衆電話からカレにメッセージを送る女子高生の姿も見かけるようになる。しかもそのメッセージを打つ指の動きは目にも止まらない速さで動いていてまさに神業というものだった。


そんなポケベルを持たされるような多忙なカレを想像した夏帆は、そんなカレを持つ佐藤のことが心配になってきた。


「もし、そのカレに何かあったりしたら結婚どころじゃなくなっちゃうよね?」


「うん。そうだよね・・・名古屋で倒れたなんてことがあれば向こうの女性が付き添って、わたしみたいな関係になっちゃたりする可能性だって・・・何せカレも()()()だしね・・・」


「そう・・・現地妻ができる前にカレに転職とか、またコッチとは言わないけど東京くらいに転勤してもらうとかしてもらわくちゃ!」


「それじゃ結婚まで何年もかかっちゃう・・・」


「でも、会社の都合で急な転勤になっちゃたんだから、今度は本人の都合を会社に聞いてもらわなきゃ。それに、その引っ張られた急な仕事が終われば帰って来れるような気がするけど・・・」


「うん・・・それもそうかも・・・そんな気がして来た!」


それまで少し暗い表情の佐藤が少し明るくなったところで夏帆は話題を変えた。


「それでさ、わたしの好きな大学生って他に彼女がいるんだけど・・・」


「それって、ちょっとは望みがあるって言ってたカレ?」


「うん。その彼女って今、親の再婚で旭川に行っちゃってるんだよね。あの北海道の真ん中の・・・」


「それじゃ遠距離恋愛ってヤツやってるんだ・・・」


「でも、その彼女を縛り付けたくないってことで連絡もあまりしてないみたいで・・・」


「それって自然消滅の流れだよ・・・。それって焦んなくっても大丈夫だって!」


「でもさ・・・それって、人の不幸を願うみたいでなんか嫌じゃない?」


「でもさ、恋もソフトの試合も「空き有らば・・・」でしょ?スクイズでもなんでもやって、決勝点もぎとりなよ・・・」


「そりゃそうだけど・・・」


「だったら・・・点数もその恋も、もぎ取れる時に奪っておかなきゃ。あの決勝戦の時のように・・・」


「わたしの恋はそんなこと想定してないから・・・」


「だからさっき「望みがある」って言い方してたのね?」


「うん。それはそうなんだけど・・・」


「それって相手のミスを待っているような試合だよ・・・それってキツくない?」


「うん・・・」


「あなたってソフトの試合じゃあんなに強気なのに、恋に対しては消極的なのね?」


「だって・・・試合はリードしてくれるキャッチャーがいるでしょ?」


「そうだよね・・・恋はなんでも自分で決めなきゃなんないから慎重にもなるよね・・・」


「うん・・・」


「でもそんな中、そのカレがその彼女が戻ってくるのを信じて待ってる訳だ・・・」


「うん・・・」


ソフトボールの試合では変幻自在に変化球を使い分けていたこの佐藤果穂という彼女が、自分の恋になるとストレート一本勝負でその恋を掴んでいた。一方、試合では豪速球のストレートで押し切るタイプの小比類巻夏帆という彼女は・・・慣れない変化球に頼って恋の勝利を掴めないでいた。


でも、その恋の進め方に正解なんてものは存在しない。


強いて言えば、直感で動くタイプか慎重に動くタイプに分かれることかと思うが、悲しいことにその直感で動く方が結婚に近いという現実もある。


しかし、何度も言うようであるが、恋の進め方などに正解など存在しない。


その直感派の佐藤は驚いたように夏帆に尋ねた。


「えっ?でもなんでそのカレって自然消滅しそうな彼女のこと律儀に待ってるの?」


「うん・・・何でも1年後に戻って来るって言われたらしいの・・・」


「なんで1年?」


「高校卒業まで1年ってこと」


「えっ?高校生?」


「うん・・・今3年生・・・しかも高校の後輩・・・」


「手強いね・・・高校生から見たら、わたしたちってもう「おばさん」だよ」


「ちょっと・・・まだおばさんじゃないよ・・・」


「でも、女子高生っていうブランド力は半端ないよ・・・しかも小比類巻のところの高校ってセーラー服だよね?」


「うん。転校しちゃってるから今どんな制服着てるのかは分かんないけど・・・」


「まっ・・・どっちにしても女子高生やってるうちはあのパワーはある訳だ・・・」


「なんか、そんな気がする。修学旅行で乗せる女子高生のあのテンションにはもう付いていけない・・・」


「ちょっと待って!1年経ったらその女子高生は女子高生じゃなくなってるんだよ?」


「女子大生になってるかも・・・」


「いや・・・大丈夫!バスガイドの方が強いって!」


「なんで?」


「制服・・・ってものがあるでしょ?」


「あんた・・・わたしのカレって変態じゃないって・・・」


と・・・行っては見たものの、その肝心なエンちゃんはバスガイドの制服で鼻血を出しそうになるほどの制服フェチであるこも知っていた。なんか複雑である。


そんな下世話な想いに耽っている夏帆の前で佐藤は何かを考えているようだった。そしてその中で何かを結論づけたように夏帆の目を見て息を吸った。


「うん!ちょっと焦らないでカレのこと待ってみようかな・・・?」


「それって制服に関係ある?」


「ないに決まってるって・・・ハダカだろうが制服着てようがわたしは変わらないんだから!」


「そうだよ!それに何せわたしたちまだ二十歳(ハタチ)なんだからさ・・・。人生80年って考えれば1年や2年くらい・・・」


今まで恋に関する考え方が相反すると思われたその二人の意見がやっと近づいた。


そこで肩の力が抜けた佐藤が話題を変える。


「なんかそう考えたら楽になった気がする。実はわたしバスガイドって仕事が好きで・・・一度仕事でおばあちゃんの売店行ってアイスクリーム買いたいって思ってるの」


「それって小学生の頃、志田浜に立ち寄る観光バスのバスガイドを見てたのと逆の立場だね!」


「うん。それに、おばあちゃんにもこのこの姿(バスガイドの制服)見て欲しいし・・・」


「あっ・・・そういえばわたし、この制服姿親にも見せてない・・・」



@バスガイドとドライバー・・・


そんな話をしているところへ渡部ドライバーが戻ってきた。


「おおっ!これは宮南バスの・・・」


「お邪魔してます。宮南の佐藤と言います。お仕事邪魔しちゃ行けないのでわたしバスに戻りますね・・・」


その時、バスから降りようとした佐藤を渡部ドライバーが呼び止めた。


「いや〜宮南さんは良いよな・・・あのブルーリボンって新車でしょ?」


さらにその渡部ドライバーが斜向かいに駐車してある真新しいバスを指差す。


そのブルーリボンというのは日野自動車の観光バスだ。つまり三五八で使っている古いスケルトンの後継モデル・・・。この時、夏帆の会社のふそう好きの新社長は、会社のバスを日野からふそうに統一するために代替えを進めている最中だった。つまりそのブルーリボンは夏帆の会社には導入されないバスとなる。


しかもそのブルーリボンも後のモデルチェンジにより「セレガ」という名称に変わってしまうということになっていたのだが・・・。


一方、その宮南バスは各社のバスを満遍なく導入しているバス会社だったが、会社の規模が三五八観光とは全く比べ物にならないことから単一メーカーで揃えることが難しかったようだ。


その時、呼び止められたままの格好になった宮南のバスガイドはその問いに答える。


「はい。あのブルーリボンは、ついこの前納車された新車10台の中の1台でして・・・」


「じゅっ・・・10台?一気に10台新車になったのかい?」


この時渡部ドライバーの目が丸くなっている。


「はい。今まで使っていたエアロ5台が代替えで新型のエアロになって、あとのブルーリボン5台が増車だって聞いてました」


「増車?」


「ハイ・・・。もちろんそうです。今年の春に新人のガイドもたくさん採用しましたし、それでもガイドも足りなくなりますのでクラブのガイドさんも総動員です」


その「クラブのガイド」というのはどの会社にも所属しない「バスガイドクラブ」という組織に属するバスガイドとなる。そのバスガイド達は結婚などで一度一線を退いて復職したベテランバスガイド達のことだ。


そんなクラブバスガイドは、自前のバスガイドが足りなくなったバス会社からの依頼を受けて乗務するということになっていた。


その時その増車の話に驚く渡部ドライバーが呟く。


「それじゃ、その代替えされたエアロの中の2台がウチに来るわけだ・・・」


今度はそんな呟きを聞いていた夏帆が、そんな意外なことに驚いている。


「えっ?ウチの会社でスケルトンの代替えで来てるエアロって、みんな新車じゃなかったの?」


そんな驚きを見せる夏帆に対して渡部ドライバーがヤレヤレ・・・という具合に答えた。


「夏帆ちゃん。バスの新車って高いんだぜ・・・。だから、ウチの会社のバスってみ〜んな中古車。来年やっと新車買うみたいだけど・・・現にこのエアロクイーンだって中古なんだよね。でも慣らしが終わったばかりの新車みたいなバスだけど・・・」


夏帆はそう言う渡部ドライバーの言葉に釣られて自分の座っている運転席前のスピードメーター下のオドメーターを見た。


「う〜ん・・・イチジュウヒャク・・・ん?このバスって70万キロも走ってる!さっき慣らしが終わったばかりって・・・?」


「夏帆ちゃん。観光バスってその生涯で何キロ走るか知ってる?」


「いえ・・・考えたこともありません・・・」


「200万キロ・・・」


「えっ?そんなに?」


「うん。だから70万キロなんて慣らしのうち・・・」


そんな会話を聞いていた佐藤がその話に加わる。


「ウチの会社っておよそ100万キロが更新の基準って聞いたことがあります。クルマにもよりますがそれはだいたい7〜8年くらい・・・」


「そうだよね・・・何せ宮南さんは関西まで足延ばしてるもんね・・・東北を回ってるウチのバスは年間10万キロが精々・・・。でも、宮南さんみたいに高速道路を主に走ってるバスって程度もいいからお下がりを受ける方としては助かるけど・・・」


そう言うと渡部ドライバーが夏帆達を社外に連れ出し車体の脇を指差した。


「コレ見てみ?」


「ん?」


「ここに前のバス会社のロゴマークの跡があるのわかる?」


それは若干段差として残っていた前オーナーであったバス会社のマークの形跡だった。それはどこかで見た記憶のある関東の大手バス会社のもの・・・


このバスが三五八に納車される前に全塗装された時、前の塗装を剥離せず上塗りしていたためそうなっている。


そんな様子を見ていた佐藤が再び口を開いた。


「バスが新車になる度今まで使っていたバスがその後どうなるか不思議だったんですが、こうやって使ってもらっていたんですね。なんかホッとしました・・・」


そんな佐藤を見た渡部ドライバーが諭すような口調で話し始める。


「観光バスって、まず大手のバス会社が新車で買ってそれをある程度使うとそのバスがウチみたいな地方のバス会社に渡って、その次にさらに小さなバス会社に渡って・・・最後は海外・・・」


「海外までですか?」


「日本のバスは優秀だからね・・・」


夏帆は渡部ドライバーが自信満々にそう言う言葉に半分納得していた。でも・・・


「でもですよ・・・ウチのスケルトンっていつも火を噴いてますよ!」


「えっ?バスって火を噴くの?」


その夏帆の言葉に驚いたのはそばで話を聞いていた宮南の佐藤だ。


「うん。結構な頻度で・・・ウチには古いスケルトンと新し目のふそうのエアロを使ってるんだけど、その古いバスが高速道路で時々やらかすの・・・」


「炎上・・・?」


「いや・・・燃えはしないんだけど、煙いし・・・臭いしで、特に台数口で走っている後ろのバスのお客さんが大騒ぎになって・・・」


「それって貴重な体験かも・・・一応わたしも会社でそう言うことを想定した訓練は受けてるけど・・・まさかそんなことが起きてるなんて・・・」


「うん。悲しいことにわたしの会社じゃ度々起きることで・・・だから会社はバスの更新を急いでいるらしいんだけど・・・なかなかね・・・」


そこに割り込んできたのは渡部ドライバーだ。そんな渡部ドライバーは再びヤレヤレ・・・という雰囲気で口を開いた。


「夏帆ちゃん。そんなスケルトンだって調子のいいヤツはいっぱいいるんだよ。でも、流石に200万キロ近いヤツはある程度仕方ないんだよね。そういうバスって幼稚園とか、近場の遠足で使うようにしてるんだけど、エアロが車検の時なんてクルマが足りなくなるとどうしても観光に回さなくっちゃならなくなって・・・」


「そんな時・・・火を噴く・・・と?」


「そう・・・。きちんと直せばまだまだいけるんだけど、更新の決まってるバスにあまりお金かけられないじゃない?」


「まっ・・・そうですけど・・・」


「恐らく宮南さんで手放したエアロって、今ごろ塗装が終わってウチの整備工場に入ってんじゃないかな?」


「よろしくお願いします。もしかするとわたしが乗務したバスかもしれませんので・・・」


「大事に使わせてもらうよ」


その渡部ドライバーの言葉を聞いた佐藤は渡部ドライバーに頭を下げ、そして夏帆に向かって目で合図した。


「じゃ・・・今度手紙書くね」


そして夏帆のその言葉に手を振りながら答える。


「うん、わたしも・・・」


そう言いながらその宮南バスのバスガイドは、夏帆の乗っている三五八のバスの斜向かいに駐車している自分のバスに戻って行った。そんな佐藤が停まっているブルーリボンの左前のライトのところで前屈みになるとそのドアがスライドするように開く。


そんな様子を見ながら渡部ドライバーが夏帆に尋ねた。


「夏帆ちゃん。あのガイドさんと知り合いだったの?しかもフィアンセがいるみたいだね・・・」


「フィアンセ・・・って、どうして?」


「だって、薬指にシルバー(リング)してたでしょ?」


「いや・・・ただのカレシかもしれないし・・・」


「違うね!ただのカレシだったらもっと安物のファッションリングだけど、今のはシンプルだけど結構値の張るリングだった」


「えっ?確かに結婚を決めたカレシがいるって聞きましたが、一瞬でそこまで見てたんですか?」


「うん。オレの奥さんって元ガイドさんだったんだけど、引退後は会社近くにあるショッピングモールの貴金属店で働いてて・・・いろんな話聞くうちにオレも自然とそういうの詳しくなって・・・」


「えっ・・・なんか人って見かけによらないです。だって、渡部さんって腕時計もごく普通の・・・」


「これ?」


「はい・・・」


「これも値段知ってる?」


「もしかしてお高い・・・とか?」


「うん。50万円だって。」


「えっ?・・・わたしのGショックの何倍?」


「そう言えば夏帆ちゃんってオトコモノの時計してるよね?」


「はい。これが一番見やすいので・・・」


なんて言ってはいるものの、その腕時計はあのエンちゃんが愛用しているモノと同じものを探して買ったものだ。しかも買ったのは今話に出た貴金属店・・・


そんな貴金属店に勤める奥さんがいる渡部ドライバーが話を続ける。


「なんでも営業成績がいいからって特別ボーナスが出たらしいんだけど・・・それがコレ」


「現物支給ですか?」


「うん。売れ残りみたいなんだけど・・・。でも、なんかオレの奥さんって接客に向いてるみたいで・・・冷やかしで来店した客と仲良くなって何かしら買わせちゃうんだよね・・・」


確かに・・・夏帆は不意に立ち寄ったその店のショーケースにエンちゃんのと同じG-ショックを見つけて興奮した時、そこの店員さんと仲良くなって思わずそれを購入したという経緯があった。今思えば凄く話術に長けている人だと思うところである。


その人が元バスガイド(夏帆の先輩)だったとは・・・


「それで営業成績が・・・それじゃ渡部さんってその奥さんがバスガイドの時、その話術にハマって結婚することになっちゃったんですか?」


「押し切られちゃったんだよね。実はその時付き合ってた彼女がいたんだけど・・・」


「その彼女も、もしかして(バスガイド)・・・?」


「うん。その、「もしかして」なんだよね・・・」


「それじゃ、修羅場じゃないですか?そんな修羅場もその奥さんが、カタ(決着)・・・つけたんですか?」


「うん。自分の後輩からカレシをぶん取ったって事になるんだけど・・・」


「渡部さん。よくぞご無事で・・・」


「うん。自分自身もそう思う・・・。でも、その別れた彼女も後輩のドライバーとデキちゃったから結果オーライじゃない?」


「なんか・・・そんなにガイドとドライバーってくっつくもんなんですか?」


「夏帆ちゃん考えてみてよ・・・オレは妻帯者だから別に良いけど、これが若いドライバーでしかも何日も一緒の業務してごらんよ・・・変な気も起こしちゃうって!」


「変な気って・・・」


その時夏帆は、後輩の湯浅が若手のドライバーに言い寄られている言っていていたことを思い出していた。


「もしかして、若いガイドに手を出すドライバーとかってもいるんですか?」


「あんまり大きい声じゃ言えないけど・・・過去に、今ガイドの先生やってる吉田主任に怒られたドライバー何人か知ってる・・・」


「吉田ティーチャーってそんなことまでしてるんですか?」


「そうだろ?だって、せっかく育てたガイドがお腹おっきくなって辞めちゃうなんてことになるんだから・・・」


「ま・・・そうですけど・・・」


この時、夏帆はエンちゃんとのデートの前にその吉田ティーチャーからコンドームを手渡されたのを思い出した。ガイドが辞めてしまうということがそこまで切実な問題だったとは・・・


そんなことを思う夏帆をよそに渡部ドライバーは話を続ける。


「でも、ガイドさんもそうだけどドライバーだってカレンダー関係なしに休みがバラバラでしょ?それじゃ普通の相手とは付き合えないって・・・」


「でもですよ?さっきの宮南の彼女ってカレシが一般サラリーマンなんです」


「まっ、中にはそういうガイドさんもいるとは思うけど・・・大変じゃない?」


ドライバー歴の長い渡部運転手はコレまでいろんな「モノ」を見てきた。それは成就したりしなかったり・・・中には縺れてしまったゴタゴタまで。しかも、そのゴタゴタに巻き込まれてしまったとうの本人でもある。だからその言葉に実感がこもっていた。


「やっぱりそうですよね・・・大変っていうことは言っていました。でも、バスガイドの仕事が好きだからもう少し仕事続けるってことになったんですが、さっきの彼女って高校の時わたしのライバルでしかも東北大会の決勝で投げ合った仲なんですよね・・・」


「そういや夏帆ちゃんってソフトボールやってたもんね」


「そうなんです」


「ウチのガイドさんって体育会系が多いよね?」


「全くそうです」


その体育会系が多い・・・というものの理由はバスガイドの入社前研修にあった。


この研修が結構キツく、体育会系の部活経験者ではないと根を上げると言われていた。だから、そこで生き残るのが体育会系というものとなる。


そんなことなどつゆ知らない渡部ドライバーが話を続ける。


「バスガイドって職業は体力勝負なところあるからね・・・あの谷川ちゃんも夏帆ちゃんと並んで頑丈なバスガイドってことになってるけど・・・」


渡部ドライバーがいうその「谷川ちゃん」と呼んでいる谷川こだまというバスガイドは、昨日の合コンに参加したこだま先輩のこととなる。


「頑丈・・・ってどういうことですか!?。まっ、こだま先輩ってサッカー部でキーパーやってましたからね・・・しかもキャプテン」


「うん。谷川ちゃんってあんな感じだから声さえ掛ければ誰でも落とせちゃうような感じなんだけど・・・」


「えっ?けど・・・どうなんですか?」


「案外身持ちが固いっていうか・・・実際谷川ちゃんを落とそうとしたドライバーもいたんだよね。彼女グラマーだし・・・」


「こだま先輩っておっぱい大きいですもんね。でもこだま先輩がその誘いに乗らなかった・・・ってことですか?」


「うん。でも相手が学生ってなると妙に積極的だって聞いたけど・・・あっ、そういえば谷川ちゃんがガイドになってすぐに乗務した5台口で運行した・・・あの大学の・・・」


「毎年春にあるヤツですね?」


それはもちろんエンちゃんの大学で毎年恒例になっている新入生を対象としたオリエンテーリングのことだ。


「あっ・・・そうそう。あの中村ちゃんの話聞いてから大学生以外眼中にないみたいで・・・」


「えっ?それってまさか・・・」


それはこの秋寿退社を予定している良子先輩の相手というのがその大学生だったということだった。しかもそのカレシは卒業後地方公務員となって地元に戻ったという。さらに、その時良子先輩が乗っていたクルマが調子悪くなってしまった時、ピンク色のキャロルを買ってくれたという・・・そんな羨ましい話。


こだま先輩はそんな羨ましい話にあやかろうと奮闘するものの空回りしていた。実際にあのエンちゃんの時も夏帆をダシにしていろんなところにエンちゃんを連れ回していたこともあったが、夏帆の生娘卒業に免じて身を引いたという優しい一面も持った先輩でもある。


「あの中村ちゃんって、この秋寿退社する予定だろ?」


「良子先輩ですね?」


「うん。その中村ちゃんの相手ってどんな人か知ってる?」


「いや・・・詳しくは知りませんが・・・」


「その中村ちゃんの相手っていうのが大学生だったんだよね・・・しかも、3年前の春のその乗務で知り合ったっていう・・・」


「そうだったんですか?」


それはエンちゃんが入学する前の年のことだ。しかもそれは大学のオリエンテーリングで新入生のリーダー学生として同乗した4年生。しかもその学生は教員課程も受講していたと言うことから、なんとなく真面目な学生であることは想像出来た。


そんな出逢いを求めているからこそ、昨晩の合コンでこだま先輩が気合を入れていたのか・・・と納得。


「その話聞いたら谷川ちゃんが「二番煎じでもいいから」って頑張ったんだけど・・・どうもチャンスに巡り合わないようで・・・」


この時夏帆はそのこだま先輩が狙っていたのがあのエンちゃんだとしたらものすごく失礼なことをしていたのかなと自分を責めそうになった。


でも、夏帆はここでなんとなく納得していた。今回エンちゃんの大学で例年行われているオリエンテーリングの乗務から外れてしまって落ち込んでいたことも知っていたから・・・。でも、高校の時そのオトコ関係で辛い体験をしているはずのこだま先輩が、そんな真面目な学生狙いだというその理由がなんとなくわかったような気がした。



@あの酔っ払い・・・


この時、目の前に並んで駐車している3台口の観光バスの前でドライバー達が輪になって何かを話しているのが見えた。どうやらコレからの路程を確認しているようだ。そんなバスのドアの前にバスガイドが立ち、お客さまを迎える準備が整ったのが伺える。


時間を確認すると出発の時間まで20分足らずとなっていて、そろそろ気の早いお客さまが戻ってきてもいい時間だ。それでこちらのバスも出発の準備に取り掛かる。


夏帆は室内に周り座席周りの乱れとカーテンを整えて回る。そして座席後ろの網ポケットに挟まっているエチケット袋がゴミで一杯になっているのを交換した。さすが中高年の団体である。特に女性の座席のエチケット袋がみかんの皮でいっぱいになっていた。



「おかえりなさい・・・お足元にお気をつけて・・・」


その後ドアの前に立ってそう言いながら乗客が戻って来るのを待つ夏帆だったが、出発時間になっても乗客の中の一名が戻って来ていないのが気掛かりだった。


それは、今朝の出発直後に騒いでいた酔っ払いの男性だ。腕時計を見ながら焦り始める添乗員の佐倉を横目に夏帆は連絡用のトランシーバーを肩に掛けている鞄に入れる。


「わたし・・・探して来ますので、何かあったら連絡ください!」


そう言い残して夏帆は海岸線に向けて駆け出した。


駆け出した夏帆の足元からは小砂利を踏み付ける音と、合皮のローヒールのカツカツ・・・という音が遠くから聞こえる波の音に混じって聞こえてくる。


その昼食会場は海岸線に程近い場所にあり、その会場から海が綺麗に見ある場所にあった。しかも海岸線に繋がる遊歩道もあることから絶対そこに行けば巡り合えると踏んでのことだった。


夏帆が駐車場から走ること数百メートル。その遊歩道が海岸に到着したところにある木製ベンチで項垂れるように居眠りをしているその人を見つけた。


「お借りします。三五八の小比類巻です。7005(バスの車番)取れますか?」


夏帆はこの時、肩に掛けている鞄から取り出した連絡用トランシーバーで渡部ドライバーで連絡を入れる。


「はい・・・こちら7005」


「お客さま見つけました。体調がすぐれないようでしたら手を借りるようになりますので・・・」


「はい了解。連絡待ちます・・・」


そんなやり取りの後、夏帆はその項垂れている初老の男性に声を掛けた。


「お客さま・・・出発の時間です。お迎えに参りました。ご一緒にバスまで・・・」


そう声を掛けられたその男性は驚いたように目を覚まして夏帆を見上げる。


「あっ・・・すまない。こんなところでうたた寝しちまって」


「いいんです。それよりご気分すぐれないとかございませんか?」


「いや・・・大丈夫。」


その言葉を聞いた夏帆は再びトランシーバーの通話ボタンを押した。


「お借りします。こちら三五八の小比類巻です。7005取れますか?」


「はい・・・7005」


「お客さま大丈夫そうです。これからお連れしますので少しお待ちください・・・」


「手・・・貸さなくて大丈夫そうですか?」


「はい大丈夫そうです。」


「それじゃお気をつけて・・・」


夏帆はそんな無線のやり取りの後その男性の手を取って立たせようとした。しかし・・・


その男性が膝から崩れるように倒れてしまった。


「すまない・・・足に力が入らなくって・・・」


その時夏帆はその男性を右肩に乗せるようにして支えながら、左手で鞄から再びトランシーバーを取り出した。


「お客さんが歩けないようですのでおぶって戻ります・・・」


そう伝えた夏帆はその男性を背負ってバスに向かうことにした。でも、背中を差し出す夏帆の夏帆の後ろでその男性が躊躇している。


「いや・・・そんな華奢な身体におぶってもらうには・・・」


しゃがんだまま背中を向ける夏帆が振り返って言葉を返す。


「心配いりません。わたし・・・こう見えても体力には自信がありますので」


その後夏帆はその男性を背負ってバスが待っている駐車場を目指した。その歩みはゆっくりではあるが確実に・・・と言いたいところだったが、チカラの抜けた人間を担いで歩くことは容易なことではない。


高校の部活ではいつもこんなトレーニングをしていたが、何せ現役引退してからはや2年・・・いつも身体を鍛えているとはいえ現役通りというわけにはいかなかった。そんな夏帆を案じてかどうかは分からないが、夏帆の背中から申し訳なさそうな声が聞こえた。


「ガイドさん。朝は失礼なこと言ってすまなかった・・・。松島は昔、連れあい(自分の奥さん)と来た思い出の地で、来るのがちょっと怖かったんでね。それに地元のガイドさんを期待してたのもあって・・・」


その時、ちょっと意外なことを言われた夏帆が少し驚く。


「えっ?どうして来るのが怖かったんですか?それにどうして地元のガイドって・・・?」


「うん。連れあいに先立たれて、この前その3回忌だったんだ。それで弟がその連れあいが大好きだった松島に誘ってくれて・・・。このツアーって松島にある伊達政宗ゆかりの寺院を詳しく説明するって触れ込みだったんでね。その・・・連れあいが伊達政宗ファンだったんで・・・今までなんとなくしか知らなかった松島と政宗公のことをきちんと知ろうと思って・・・」


この時夏帆は、このツアー会社からその説明するポイントが指示されていたことを思い出していた。一応勉強もしたし、その通り説明もできたはず・・・


でも、「そんな思いでその説明を聞いていた客がいたことなんて少しも感じていたかった・・・」と、少し反省する夏帆だった。


そんな事情も知らず一度はその酔っ払いの態度に腹を立てた夏帆であったが、そこはやはり業務の一環として処理することとした。


「そうだったんですね。わたしって酔ったお客様に当たることが多くって・・・結構対応にも慣れてますのでお気になさらずに・・・。まっ、酔っ払ったふりしてお尻を触ってくるお客さんの足を間違って踏んでしまうことはありますけど・・・」


バスガイドという職業は、その相手をするそのお客さんが優良なお客さんだけとも限らない。今回みたいな事情を抱えた方もいれば、ただのすけべオヤジもいる。また、些細なことにクレームを付けたがるご婦人方や全く無反応な方まで・・・。


今、ここで事情を抱えたおその客さんが心に秘めた何かを話し始めた。


「あと、その・・・その連れあいが松島の観光案内の仕事してて、その・・・バスガイドみたいなこともしてた時期もあって・・・その・・・それでさっきのベンチでそんな連れあいの夢を見ててね・・・」


夏帆に背負われてそう話すその男性の話がそこで途絶えてしまった。


「どうかされました?」


「いや・・・すまない。どういう訳かその連れあいとあなたが重なってしまって・・・意地悪したくなったんだよね。それに・・・」


「どうかされましたか?」


「仙台の言葉を期待したものもあって・・・その連れあいの地元だったもんで・・・」


「すいません。わたしって青森の南部(三八上北)地方のものなものですから・・・こちらの言葉は・・・」


「いや・・・いいんだ。恐らくこれから病院に行くことになる。そこで看護婦さんからその言葉聞くことになると思うから・・・」


そんな会話をしながら歩いていくと、向かい側から渡部ドライバーと背負われている男性の弟という男性が走ってきて背中の男性を二人で両側から挟むように肩に担いで歩き始めた。


「今、タクシー呼んだから・・・オレと兄貴はそれで病院に向かいます。途中下車になりますけど、お世話になりました・・・」


そういう弟に付き添われたその男性はタクシーで病院に向かっていった。



@お湯が沸く・・・


「2名減りましたが全員お揃いです。お願いします・・・」


その後バスに戻った夏帆は、添乗員から人数確認報告をもらいドライバーにそう伝えた。


そしてバスが動き出した直後エンジン音が消え、代わりに「ピー」というアラームが鳴る。


「あっ・・・お湯が沸いたようですね!」


その言葉で夏帆の午後の部がスタートした。もちろんそのアラームはお湯が沸いたものではなく、単なるエンストである。バスガイドはそのエンストを知らせるアラームを「お湯が沸いた」と表現する。


普段エンストなどしたことのない渡部ドライバーだったが、先ほどの男性を支えて結構な距離を歩いたことからクラッチを踏む足が言うことを効かないのだった。


その後一行を乗せたバスは途中3回ほどお湯を沸かせながら一般県道を西に向かい、朝に通過したばかりの大和ICから再び東北自動車道へ流入した。


このエアロクイーンWと呼ばれるバスには、V型8気筒の総排気量16000ccのディーゼルエンジンにインタークーラー付きのツインターボを装着した390馬力エンジンが搭載されている。


夏帆はバス後方からそのV型エンジンの独特のその鼓動に似た音と、時折聞こえるタービンの音を聞きながら次に向かう平泉についての説明を行うものの、昼食後の眠い時間帯に差し掛かった事もあり夏帆の説明に耳を傾ける乗客は半分にも満たなかった。


いつもこうだった。乗客の年齢層に合わせいろんな話題を取り混ぜながら飽きさせない話をするものの、この時間帯だけはどう頑張っても乗客の睡魔に勝てないでいた。でも、一人でも自分の話に耳を傾けてくれるお客様がいる限り、心折れず説明を続けるというのも夏帆の信念だ。


この後平泉前沢ICから一般道へ降りたエアロクイーンは目的地で夏帆や乗客たちを下車させ共同駐車場へ向かった。


そして夏帆は、この時代から20年余り後に世界遺産に登録されることとなる中尊寺を含めた各寺院の案内を行う。案内については先ほどバスに揺られて寝てしまった乗客にも配慮し時折その復習的な内容で案内を続け、各所で添乗員と役割分担しながら各所の説明をして最後に向かったのは本日の宿泊地となる花巻温泉だ。


そしてバスは三度東北自動車道を走行した後、花巻ICを降り一般道を西に向かって走行を続ける。


「本日は朝早くから大変お疲れ様でした。朝9に仙台駅前で皆様をお迎えしまして、松島では瑞巌寺をご覧になって頂いた後遊覧船にご乗車いただきました。そこでは松島の美しい島々をご覧に慣れかかと・・・」


夏帆が今朝からの行程を振り返る挨拶をしている間に宿が近づいて来ていた。


そして温泉街の入り口にある大きなゲートを潜ったすぐ先にあるのが本日の宿となる大きなホテルだ。


今回の業務指示書によれば、本日の宿となる大きな観光旅館に乗務員も泊まれることになっていた。夏帆がバスガイドをやっていてすごく良かったと感じることの一つに「観光地の旅館に泊まれる」というものがある。


夏帆は小さな頃から双子の妹と共にリトルリーグに所属しており、いつも学校が休みの日には練習と試合が控えていたことから休日に親がどこかへ連れていってくれるという環境ではなかった。しかも、中学校の部活が忙しくなって来ると休日どころではない。


それで唯一、試合の遠征の時泊まれる旅館が旅行に一番近いものだった。


ちなみにリトルリーグ時代のポジションがファーストで、中学入学と共に陸上部へ入部した夏帆を引き抜いたのがソフトボール部の顧問だ。ちなみにそのスカウトの理由がその・・・リトル経験のある左利きの1年生というもの。


その後、妹の里帆とともにソフトボール部へ移籍し誕生した姉妹バッテリーが、その中学校をソフトボールの強豪校へ導いたという歴史があった。



@これってピューマ?


その後、旅館玄関手前に横付けしニーリングしたエアロクイーンから乗客が次々と降りてきている。ちなみにこの旅館の玄関エントランスの庇が通常のハイデッカーバスの高さに合わせて造られているため、車高の高いエアロクイーンはそのエントランスに入ることはできない。


ちなみにそのニーリングとは、フロントのエアサスペンションのエアーを抜いて車高を下げ、乗降しやすいようにする機能である。


「お足元にお気をつけて・・・あとトランクにお預かりしましたお荷物はあちらでドライバーからお受け取りください・・・」


夏帆はそう言ってトランクを開けて荷物を出している渡部ドライバーのところへ案内する。


「行ってらっしゃいませ・・・」


そう言って見送った乗客は添乗員の佐倉に先導され旅館の自動ドアの向こうに消えていった。その後向かった観光バス専用駐車場は周辺旅館の合同駐車場になっていて、全国各地から集合した色とりどりの観光バスがずらりと並んでいる。


そして、地元旅館組合の法被を着た誘導員に指示された場所でバスのバック誘導をする夏帆の姿があった。


「ピピ〜イッ・・・ピピ〜イッ・・・ピピッ・・・ピピッ・・・ピッピッピッピッ・・・ピ〜〜!」


駐車場に夏帆のホイッスルでバック誘導された三五八交通のエアロクイーンがかなりの台口で駐車している関東ナンバーのバスの隣にピタリと駐車した。


ソフトボール全国レベルの夏帆の肺活量は半端ではない。そのためか夏帆のホイッスルの音は大きい。しかも、夏帆が新人の時たまたま高校3年生の時の担任が顧問をしている吹奏楽部の送迎をした時、その顧問である舞衣先生からタンギングとアクセントの付け方を指導されていた。それで他のガイドとは一味違う音色を奏でるものとなっている。


そんな駐車場には各社のハイデッカーと呼ばれる観光バスがズラリと並んでいた。でも、さらに背の高いスーパーハイデッカーと呼ばれるバスは夏帆が乗務しているエアロクイーンだけだった。


そのエアロクイーンの隣に駐車しているバスは関東の大手バス会社のエアロエースと呼ばれる一般的なハイデッカーバスになっていて、これは三五八でも一般的に使用しているものだ。


しかし、その2台を比較するとフロントガラスの大きさが明らかに違う。この前、会社のエアロのフロントガラスが飛石でヒビが入ってしまって会社内の整備工場でそのガラス交換をしていたのを目にしていた夏帆は、普通のエアロでさえあんなに大きなガラスなのにエアロクイーンのガラスが割れてしまったらどうなるのだろうといらない心配をしていた。


「うん。一台だけど一番偉い感じ・・・」


それは、バック誘導が終わった夏帆がバスの前に出てきて周囲にバスを見回しての第一声・・・しかし、宿に着いたからといってバスガイドの仕事が終わったわけではない。


「あっ・・・掃除しなきゃ・・・」


夏帆はそう呟きつつバスに乗り込み、各座席のリクライニングを戻しながら一番後ろまで進んだ。そして、その帰りに網ポケットに挟まったゴミを回収する。今度は再び前の座席からエチケット袋を挟みながら車内を一往復すると今度はシートベルトをきれいにたたみつつカーテンを整えていく。


そのカーテンを整えていく中で、隣のバスの車体脇に貼り付けられている動物を模ったメッキのオーナメントが目に入った。


「ん?これってピューマ?」


夏帆はそんな疑問の中、運転席でスピードメーターを開けタコグラフの交換をしていた渡部ドライバーに声を掛けた。


「隣のバスのコレってなんでしょうか?」


「ん?どれどれ・・・」


その時、作業を中断して客席後方中程まで進んだ渡部ドライバーが夏帆の指差す「ソレ」を見た。その見下ろす角度に見えるそのキラキラ輝いたオーナメント・・・。


「あっ・・・それってどうやら何とかハウンドっていうイヌらしいぞ」


「それって、どうしてイヌなんですか?」


「オレに聞かれても・・・」


そのバスは、関東から関西にかけて営業所をたくさん構える超大手バス会社のバスだ。この後、夏帆がその数を数えるとなんと10台口の団体・・・。


と、いうことは・・・少なくともこの会社のドライバーとバスガイドがこのどこかの旅館に10人づついることなる。


夏帆の会社でも5台を超す台数口での運行はまずお目にかかれない。それほど会社の規模が違う会社であるということである。


「コレって多勢に無勢だよね。いくらエアロクイーンでも敵わないな・・・」


そこでそんな夏帆の囁きを聞いた渡部ドライバーが夏帆の肩を叩く。


「会社のエアロキングだったらどうだ?」


それは会社に1台だけあるふそうのエアロキングというバスである。そのバスはエアロクイーンよりさらに全高の高い2階建てのバスだ。しかも後輪が縦に2列並んでいる珍しいバスであるが、社長が会社のパンフレットに載せたいがために趣味で導入したと噂されるソレはその大きさが災いしてあまり稼働の良くない代物だった。


「そうですね。アレだったら絶対勝てると思うんですが・・・で、一体何に勝つんでしたっけ?」


「まっ、そうだね。しかもオレ・・・アレ(エアロキング)運転するの嫌だし・・・」


「そうなんですか?」


「だって、あんなに全高が高いのに運転席があんな低いところにあって、2階建の上の様子が分かったもんじゃない。それが他のバスと感覚が全く違うところかな・・・?しかも、街路樹なんかが張り出してたりするととても危なくて・・・」


「それは大変ですね・・・」


「うん。この前なんて街路樹に引っかかって、左上のマーカーランプ壊したって話だし・・・。それで専務が市役所に街路樹剪定の要望に行ったり・・・」


「なんか大変ですね・・・」


そんな社長の肝入りで導入されたエアロキングだったが、今までそのエアロキングが表紙を飾っていた会社のパンフレットも今年の秋までに刷新する作業を始めていた。しかもそのエアロキングが新しいパンフレットには登場しないとも聞いていた。ということはその社長自慢のエアロキングが会社のパンプレットから消え去るということになる。


この時そんなエアロキングを導入した社長が落胆するかと思えばそうでもないようであることだった。それは後で分かることなのだが、そのパンフレットに掲載できない理由があったのだ。


それは・・・そのエアロキングの更新。


社内では密かにすでにエアロキングを売却し、代わりに機動力のあるエアロクイーンの新車を5台導入することが決定していた。それでパンフレット刷新ということになったのだ。


しかも今まで主に旅行会社向けに作成されたお堅いイメージでまとめられたそのパンフレットを、バスガイドの人材確保のためリクルート向けに構成を変えるというもので、この時すでに来年度のバスガイド採用に向けた作業が始まっていたのだ。


夏帆が花巻温泉に到着したちょうどその頃、ボンネットに穴の開いた黒いレビンが夏帆の務める三五八交通本社の駐車場に入ったところだった。


そしてそのクルマから降り立った滝沢という学生が小脇に抱える茶封筒には、先日夏帆が乗務した業務の時撮影された写真が詰められていた。


それは「エンちゃんの大学のオリエンテーリング」の写真・・・


その滝沢は、行く先々で学生に加えてバスガイドの写真も撮影していた。それで焼き上がった写真を会社に持参した次第である。


しかもプロの写真家の元修行してきたその腕は相当なモノであり、そんな写真を見た会社の人々が驚くこととなる。しかもその夏帆を撮影した写真が社長の目に止まり、この写真を新しいパンフレットに載せると言い出す始末・・・


この時夏帆は、この騒動のおかげで自分自身が渦中の人となってしまうことになることなど知る由もなかった・・・




今回のストーリーはここまでとなります。


これから宿泊することとなるのですが・・・ここでも波乱が起きてしまうようです。


それでは今日もご安全に・・・







一日の業務の最後はやはり温泉です。

疲れを癒そうとした時発生したトラブルですが、これをどのように解決できたのでしょうか?


体育会系バスガイドはまだまだ奮闘を続けます。

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