彼女の想いと想いとカレシの言い訳
この時バスガイドの夏帆は、高校時代の担任と共に後輩バスガイドが運び込まれた病室の扉の前まで到着していた。
その病室には、高速道路の本線上で腹痛のために倒れてしまった古賀が心細い思いをしているはず・・・
そう思いつつその病室に入った夏帆を待っていたのは・・・・
「舞衣先生・・・行きますか!」
病室の扉の前に立ち、夏帆は舞衣先生にそう告げた。でも、夏帆の眼に映るその表情が曇ったままの舞衣先生がボソッと呟く。
「そうだな。しかし、いつもこういう場面に首を突っ込む時って気が乗らないんだよね・・・」
当たり前である。こんな修羅場に誰が好んで入ろうものか・・・しかも、舞衣先生は教師という立場上こういう場面に何回も遭遇していた。教鞭を執っている付属高校では、生活指導担当でもないのにそういう事案に巻き込まれた女子生徒の事情聴取とその後のケアーは、いつの間にか舞衣先生の仕事となっていた。そんな舞衣先生に夏帆は尋ねる。
「コレって、気が乗る人っているんですか?」
そう聞かれた舞衣先生はため息混じりにそれに答える。
「外野席で見物する分には楽しいんだろうけど、当事者とその取り巻きに取ってはそんな呑気なことは言ってられないからな・・・」
しかし、いくら外野席とは言え、見るに堪えないのがこういう事案と言えよう・・・
そう言った舞衣先生が何かを決心したかのように息を吐き、夏帆の手をのけて病室の扉に自らの手をかけようとした時、その扉にある縦長の明かり取り用の小窓に急に人影が現れる。そしてその開こうとした扉が勢いよく開いた。
俗にいう鉢合わせというヤツ・・・
そして、それと同時にその扉から出ようとした人物に向け、病室の中からキツイ口調で問いかけられる。
「あなた・・・逃げる気なの?」
そこに立っていたのはやはりこだま先輩だった。そのこだま先輩は振り返ってそれに答える
「ちょっとトイレ!」
そして、改めて病室を出ようとしたその大柄な身体が舞衣先生と正面衝突し、その直後にいた夏帆がまるで玉突き追突でもするかのように舞衣先生のお尻に跳ね返されるような体制で尻餅をついた。
その時膝上10センチのと決められている制服の裾がはだけ、太ももが露わとなっている。
当然、女子サッカー部でキーパーをしていたというガタイの大きいこだま先輩はびくりともしていない。
「えっ?」
その時、こんな場所で出会すことなど想定でにできない舞衣先生の姿を見たその大柄な身体が固まる。そして、その舞衣先生がこだま先輩の肩をポンと叩き一言伝えた。
「谷川・・・ご苦労!あとは引き受けた!」
そう声をかけられたこだま先輩は事情が呑み込めない様子・・・
「小林先生・・・「ご苦労・・・」って?、もう高校卒業していますので生徒指導は・・・」
そうである。いくらこだま先輩が教え子だからとはいえ、卒業して2年も経過している。
「谷川が困っているって聞いたもんで、居ても立ってもいられなくてな・・・それにコイツだけでは用が足りないと思ってだな・・・」
「コイツ?」
「うん・・・コイツ」
「コイツ・・・って、この水色のパンツを履いたコレ?・・・ですか?」
「うん。如何にも!」
そう言いながら舞衣先生が床に転げた夏帆を指差した。
「オマエ・・・脚は見せられるうちに見せておけとは言っていたが、いくらなんでもパンツまで見せなくても・・・」
「見せたくて見せたわけじゃありません!」
夏帆はそう言いながらスカートの裾を直していた時、不思議そうな顔で夏帆を見下ろすこだま先輩と目が合う。
「小比類巻・・・オマエ・・・いくらなんでも、今乗務中じゃなかったんじゃ・・・」
「こだま先輩が巻き込まれてピンチだって聞いたもんですから舞衣先生と一緒に駆けつけました。お客様には承諾もらっています」
そう言われたこだま先輩は、夏帆の顔を見て何かを思い出したかのように驚いた表情をした。
「あっ・・・すいません!そうでした!舞衣先生、ご無沙汰してます・・・って、なんで小比類巻と一緒に?」
「小比類巻が義理の姪になるってことだから助けてやんなきゃ・・・ってな。それと、中の彼女を放って置けないっていうのはこだまもわたしも同じだから・・・」
「ん?義理の姪?なんだそりゃ?・・・小比類巻!後日復命よろしく!」
そう夏帆に伝えたこだま先輩は、どこか安堵の表情をして今度は舞衣先生の耳元で囁く。
「ダメです。この親子・・・日本語が通じません・・・すいません。わたし、何とかしようと思いましたが力不足でした。それでもう堪えられないんで戦線離脱します。間もなく古賀の母親が到着するはずですので・・・」
こだま先輩はそう言い残すとその病室に背を向けた。夏帆が見たその背中からはその疲労感が感じ取れる程疲れきっている様子だった。一体、この病室で何があったのだろうか・・・
そんなこだま先輩の後ろ背中を見送った舞衣先生は改めてその病室に足を踏み入れた。続いて、舞衣先生に手を引き上げられるようにして立ち上がった夏帆もそれに続く。そして、ベッドを取り囲んでいるカーテンをめくった夏帆を見つけた古賀が真っ先に口を開いた。
「あっ・・・夏帆先輩・・・すいません。厄介ごとに巻き込んでしまって・・・この綺麗な方は?」
その古賀は、この時舞衣先生とは初対面だった。この舞衣先生は八戸理工大付属校の先生であるが、古賀は三沢中央高校の卒業生である。
そんな古賀を前にその病室を見渡すとそこは四人部屋の病室で、住人の居る古賀のベッドだけがぐるりとアイボリー色のカーテンで囲われていた。そんな病室では古賀のベッド以外シーツも敷かれておらず、ここにいる誰かの荷物置きと化している。そんな病室の窓際に寝られた古賀は、病院から借りたと思われる水色の寝巻きを着ていた。
しかも古賀の左腕には点滴が刺さっており、真っ白な顔をしてそのベッドに横になっていた。そんな状況を見た夏帆は思わず尋ねる。
「古賀・・・オマエ大丈夫か?それで、お腹が痛いって言っていたのは、やっぱりその腹に・・・」
その質問は禁句に近いものだった。この偶発的出来事をここにいるメンバー全てがそれを否定したい気持ちでいっぱいなのは夏帆も同じだ。
そんな質問に当事者である古賀が答える。
「すいません・・・夏帆先輩にはことある度に気をつけるように言われていたんですが・・・油断しちゃいました。まさか自分が・・・って感じです」
「それじゃ現場で言ってた生理がいつ来たか分からないって・・・」
「そうなんです。最終の生理がいつだあったのか覚えていないので正確には分からないそうなんですが、エコーで見る限りではおそらく2ヶ月後半から3ヶ月くらいだって・・・さっき先生が仰ってました」
「お腹に・・・いたのか?」
「はい・・・実感はまったくないですが・・・」
「それで、大丈夫だったのか?それ・・・」
「結構出血していたみたいなんですが、結衣さんと芽衣子さんが適切に処置していてくれて・・・」
その「二人」と言うのはあのエンちゃんの従姉妹であり、それぞれ研修医と現役の救急外来の看護婦だ。そんな話を聞いた夏帆は、エアロキングのカーテンで閉ざされたVIP席で行われたと思われた処置を想像した。
・・・あの結衣さんと芽衣子さんがいなかったら、わたしはあの場で何ができたのだろうか?しかも、出血していたと言っても古賀が横になっていたシートにはシミひとつ残されてはいなかった・・・
その時遠くを見るような目をしていた夏帆に、ベッドに横になったままの古賀が声をかける。
「心配無用です!切迫だったそうなんですが、流産は免れたと言いますか・・・」
その時だ。古賀が横になっているベッドの向こう側のカーテンが勢いよく開き、その開いたカーテンの向こうに今まで隠れていた大きな窓と、その窓から眼下に見える東北自動車道にクルマが走っているのが見えた。
そんな中、そのカーテンを開けた中年女性が口を開いた。
「全くいい迷惑なんだよ!流れるんだったらさっさとそうすればいいものを・・・」
病室に入った夏帆には古賀以外の人物は目に入っておらず、その声を聞いた夏帆は少々驚きの表情を見せる。それは、先ほどこだま先輩を足止めした時の声と同じ声だった。
「この子のお方は・・・?」
夏帆が横になっている古賀にそう答えると、古賀は俯きながら口を開いた。
「ヒロくんのお母さん・・・」
そう言われた夏帆がその女性を見るとその女性脇のカーテンが開いて若いオトコが姿を表した。どうやらそのカレが古賀のカレシのヒロ君というオトコらしい。しかし、そのオトコは初対面の夏帆や舞衣先生に挨拶するでもなく窓の外を眺めていた。それはさぞ自分に関係ないと言うかのように・・・
しかし、そんなオトコの隣の女性は眉間にシワが寄っていて、同じ女性として見るに堪えない表情をしている。
「その制服ってことは三五八のバスガイドだね?さっき逃げて行った大きいバスガイドの後輩かい?」
その時、とても好意的とは言えない交戦的な口調でそう尋ねられた夏帆は、その中年女性の顔をキリッと睨んだ。
「左様でございますが何か・・・」
夏帆がその問いにそう答えると、その女性は夏帆の足の先から頭のてっぺんまでまるで値踏みでもするかのように見て、最後にネームプレートを確認して再度口を開いた。
「アンタ、小比類巻って言うんだね?」
「左様でございますが・・・」
「全く・・・アンタの先輩の谷川っていうバスガイドがもっともらしいこと言って、わたしの息子を非難したけど、結局これって尻の軽いアンタたちの責任じゃないのかい?もしかすると別のオトコの子を孕んで、うちのヒロシになすりつけようとしてるだけじゃないのかい?」
その女性がそう言い切った直後病室が沈黙が流れる。聞こえるのは隣の病室からの点滴アラームだけ・・・
尻が軽い?別のオトコ?これって女性が同性に対して言う言葉としては最大級の侮辱の現れだ。なぜ、ここに来たばかりの自分がそんな言われ方をするのか、高校の時から自分の息子が付き合っている女の娘に向かってそんなことか言えるのか・・・夏帆はそれが理解できなかった。
その時夏帆は左手で拳をギュッと握りつつ、冷静を装ってその侮辱に反論する。
「ん?今、尻が軽いと伺いましたが、聞き間違えでしょうか・・・?」
そう尋ねられたその女性は、その夏帆の質問を聞いて大きく息を吸った。
「ああ・・聞き間違いじゃないよ!尻が軽いから軽いって言っただけのこと!本当のこと言って何が悪い?」
それを聞いた夏帆は、自らの頭に血が昇ったのを感じ取っていた。その言葉は自分やこだま先輩だけではなく、日本中のバスガイドすべてを侮辱しているに等しいものだからだ。その時夏帆は何かを叫ぶために息を吸った。でも・・・その息を吐き出す直前に舞衣先生が夏帆を制する。
「小比類巻、そこまでにしておきな!」
舞衣先生は今にもその女性に飛び掛かる勢いの夏帆を静止させると、夏帆の前に歩み出た。
「申し遅れましたが、わたくしはこの小比類巻の元の担任です。あと、同じく先ほどの谷川もわたしの教え子です。この古賀さんを含め、バスガイドの3人がなぜそういう言われ方をするのか理解ができません。それに、第1当事者の息子様がどう思っているかも伺ってみたいところですが・・・」
舞衣先生がそう言った直後再び訪れた沈黙・・・それを打ち破ったのは意外にもベッドに横たわる古賀だった。
「ヒロくん!おなかの子と3人で幸せになろうよ・・・結婚式と指輪は、お金がたまってからでもいいから籍だけいれてさ・・・」
好きなオトコの子を身籠った女の娘はおそらく誰しもそう言うだろう・・・
夏帆はそう思いつつ、そのヒロくんとやらがどう答えるのか待っていた。しかし・・・高校時代にこだま先輩がそうなったときのことも知っている夏帆はどうにも不安で仕方がない。
そんな夏帆の不安が、そのヒロ君が発した次の言葉で的中する。
「産みたきゃ産めば?妊娠したのは古賀の勝手だから・・・オレは妊娠してくれなんて一言も・・・」
そのオトコが男として最低なことを言い切る瞬間、病室の扉が突然開き、三五八観光の青い制服が病室に飛び込んできて夏帆の前を横切った。そして次に夏帆の視界に入ったのは、その最低な言葉を言い放ったそのオトコが横に吹っ飛び壁に激突して床に仰向けに倒れ込んだ瞬間だった。
「!」
そのオトコは何が起きたか理解できないような顔で夏帆の方を見た。その鼻の片方から鼻血が滴っている。
「ヒッ・・・ヒロくん・・・」
呆気に囚われつつ、息子に駆け寄り抱き上げようとしているその母親に向かって、今ほどそのオトコの横っ面を張り倒した青い制服が息を切らせながら口を開く。
「親も親なら子も子だよ!勝手に妊娠した?じゃ、聞くけどその妊娠させたのはどこのどいつなんだよ!古賀は高3でコイツに処女を捧げてから、コイツとしか付き合ってないんだよ!」
そう怒鳴りつつこだま先輩はその鼻血を出しているオトコの首根っこを掴んで持ち上げた。
「おい!答えろ!!お前が妊娠させたんだろ?お前の遺伝子が古賀の遺伝子と出会って、今・・・古賀の子宮で成長してるんだよ!お前はどう思ってるんだ!」
高校時代に女子サッカー部でキーパーをしていたこだま先輩の声はい大きく、病院の廊下の先でその声が反響していた。
その時である。騒ぎを聞きつけたと思われる看護婦たちの走る足音が近づいてきた。
「古賀さ〜ん・・・どうかされ・・・えっ?」
その時、その病室に入ろうとした看護婦が見た光景とは、大柄なバスガイドが片手一本でオトコの胸元を掴んで高々と持ち上げている状況だった。
夏帆がいつも頼りにしているのがその谷川こだま先輩である。そんなこだま先輩は、高校時代に後輩の古賀と同じ思いをしていた。
信頼し、身体を許していた彼氏に妊娠を伝えた途端に無関係を装われ捨てられてしまったこだま先輩・・・
そのこだま先輩を救ったのが、今回夏帆と一緒に病室を訪れた舞衣先生だった。その一部始終を知っていた夏帆は、たった最近までオトコというものは信用ならないとして彼氏をすつらなかったが、そんな夏帆でも今は彼氏持ちとなっていた。
実はその夏帆の彼氏というオトコも、過去にやらかしていたということを夏帆はこの時はまだ知らない・・・
と、いうところで今回のストーリーは終了いたします。
牛歩の如き展開ですが、今しばらくお付き合いください・・・
みなみまどか




