元カノの過去と、後輩のコレからと・・・
「恋する乙女のひとりごと」を読んでいただきましてありがとうございます。
また、平成初期の八戸市を中心とした東北地方を舞台として繰り広げておりますこの物語にお付き合いいただきありがとうございます。
なお、参考までにここに至るまでに登場人物が多くなってきましたので、後書きへ登場人物を記載いたしておりますのでご覧いただければ幸いです。
この物語の主人公であるバスガイド2年生の小比類巻夏帆は、今回盛岡〜仙台間での乗務に指名されその三業務五連勤の真っ最中でした。そして今回の物語は業務2日目の2業務目に突入したところから始まります。
その業務はトヨタ自動車関連の研究所の一行で、近いうちに渡英し世界ラリー選手権でメカニックとして従事するための準備説明会と、その車両の車体を製作する関連企業の新規工場の視察を兼ねたものとなっていました。しかも、そのメンバーが東北と北海道のディーターメカニックと渡英先のイギリス人メカニックたちで構成されています。
ただ・・・その中に紅一点、本家イギリス人顔負けのブロンド女性が混じっていました。その女性は通訳を兼ねたメカニックでしたが、なんとその女性メカニックが夏帆の恋するエンちゃんの元カノだったとは・・・
前話では、思いがけず夏帆が恋するエンちゃんが夏帆に向かってシルバーリングを渡す場面で、その元カノである理央さんが今までの怨念を晴らすかの如くエンちゃんに往復ビンタをしていました。
今回のストーリーは、そんな気まずい場面をなき事にしてしまったかのように談笑するメカニックたちの会話から始まります。それは、ボンネットの開いた3台のクルマたちの前でのことでした。
それでは・・・
バスの乗客である日本人とイギリス人が入り混じる中、そんな大勢のメカニックたちがボンネットの開いた3台のクルマのエンジンを見ながら、何やら分からない専門用語と英語が飛び交う談笑が始まっていた。
その3台のクルマたちは、この団体でチーフと呼ばれる森山チーフが手がけたクルマ達だ。しかも、そのエンジンはエンちゃんの元カノが組み上げたという・・・
そのクルマは、エンちゃんの赤クロレビン(AE86型)とエンちゃんのお姉さんである麻美子さんのセリカGT-Four(ST165型)、それにエンちゃんの義姉であり、夏帆の高校時代の担任だった舞衣先生のスターレット(KP61型改(4AG型エンジン搭載車)) である。
そんな中、夏帆の近くに停めてあるレビンの前で何やら話している森山チーフと呼ばれるエンちゃんの義父たちの会話が聞こえてきた。
「・・・う〜ん。コレって、今本部で開発中の5バルブヘッドじゃないですよね?」
「コレ」と言うのは、エンちゃんの愛車である赤クロレビンに搭載されているエンジンのことだった。何やらエンジンの脇にパイプが蛇のように畝っている以外、夏帆にとってはごく普通のエンジンにし見えないソレが、このメカニックたちにとって話のネタであることはなんとなくわかるのだが・・・そんな中、夏帆の理解のできない会話が続いている。
「そう・・・これはまだ現役の4バルブヘッドのヤツなんだよね・・・」
「噂じゃ、チーフのところで仕上げているエンジンって次期型4AGだと聞いたんですが・・・」
「いや・・・まだこれは現行のAE92後期のヘッドと初期型AE86用の初期ブロックを組み合わせて仕上げてあるヤツなんだけ・・・」
「それじゃAE86のグループA・・・のヤツ?」
「うん。前回横流ししてもらったエンジンでさ・・・」
「それじゃ、最近本部の試験課が廃棄したエンジンを譲り受けたっていうヤツは?」
「5バルブのヤツだろ?それって今理央くんがファクトリーで腰下まで仕上げていて・・・」
もちろんそのファクトリーとは、夏帆から10メートルも離れていないところに停められたセリカの前で外人たちとメカニック談義をしているブロンド女性専用ピットのことだ。
それはそもそも小林ボデーの整備工場の片隅にあり、あまり稼働していなかったピットを再整備し、リフトなどを女の娘らしいピンクを基調とした色合いとした場所・・・そしてそのファクトリーの名前こそ「RioーFactry」となる。
さらに、夏帆の前では森山チーフとメカニックの話はもっとコアな方向に・・・
「でもこれって、次期型エンジン用の4連スロットルのアッセンブリーですよね?」
「うん。5バルブエンジンに装着されてきたヤツを向きを変えて着けてる・・・」
「それじゃ、吸気系だけは次期型のモノって訳ですか?」
「うん・・・4連スロットルがどんなものか分からないから実装テストも兼ねてるってことですか?」
「そうなんだよね・・・これって実用レベルのモニターも兼ねていて・・・」
「それってあの義息さんがモニターしてるっていう噂の・・・?」
「あの若い・・・カレ?
その時、森山チーフと会話をしていた数人の若いエンジニアが揃って別のエンジニアと話をしているエンちゃんを指さしていた。その指の数は3本ほど・・・
そんな森山チーフは一呼吸置いてからその質問に答える。
「実は、あのGT-Fourに乗っている女性は僕がお世話になっている工場の専務でさ・・・その彼女はあのカレの姉さんなんだよね・・・」
「あの女性って、チーフの会社の専務なんですか?」
「うん・・・跡取りの嫁さんでさ・・・」
「なんか・・・女性にしては詳しそうですね?」
「排気ガスの匂いで燃調がヤバいのなんかも見つけたりもするんでね・・・腕がいいというよりは・・・」
「鼻がいいんですね・・・羨ましいです。それでその専務とやらがどうしたんですか?」
その「鼻がいい」という情報も夏帆の知っている情報だった。ただ、その噂されている本人は自分のことを「イノシシ級の嗅覚」と表現していたが・・・
そんな夏帆の脇で話は続く・・・
「実はあのカレより運転センスはピカイチなんだ。あのアンダーの強いGT-Fourでも、峠のヘアピンでゼロカウンターのドリフトやるくらいでさ・・・」
「すごいですね・・・」
「しかも、隣に座る僕にクルマの挙動を解説しながらそんなことするんだよね・・・」
「かっ・・・解説付きでですか?」
「そうなんだよね・・・あのセリカのミスファイアリングシステムって、シリンダーの点火を間引く方法で作動させるんだけど、作動させた後エンジンがグズるって言い出した時には驚いたさ・・・」
「もしかしてアレ・・・ですか?」
「そうなんだよね・・・計算上コンマ数秒プラグがかぶる(ガソリンで濡れる)ってだけで支障ないはずなんだけど・・・」
「そのコンマ数秒が分かっちゃうんですか?それこそテストドライバーじゃないですか!」
「うん。でも・・・エンジンのテストには向かなくてさ・・・」
「腕も勘もいいのに・・・ですか?」
「いや違うんだ!センスが良すぎて、クルマの状態に自分の運転を合わせてしまうという特技があって、モニターにならないってこと・・・今までクルマを壊したことがなくってね・・・」
「それって耐久レーサーみたいな・・・」
「しかも、それが元・・・白バイ乗り・・・なんだよね・・・」
「えっ?それじゃ、元・・・婦警さん?」
「そうなんだ。しかも、白バイ運転大会の県代表で全国出場の経験もある・・・」
「すごいですね・・・あの華奢な身体で、総重量300キロ以上ある白バイを操る・・・って・・・」
「その彼女はあのエンジンでもマーチみたいに転がすことが出来てさ・・・」
「ええっ?このエンジンって高回転に全振りしたっていう変態的なエンジンって聞きましたよ?」
「それにその弟もそれに劣らずすごいセンスで・・・」
「そのエンジンって・・・アレですよね?」
「うん。コレこそ廃棄を装って横流ししてもらったっていう・・・例のアレ・・・」
「例のアレ・・・と言いますと、特命チームがB16エンジンに勝つために耐久試験してたっていう噂の・・・」
今、夏帆の目の前ではこんな訳も分からない会話がなされていた。もちろんその内容は、赤クロのAE86型レビンに搭載されている4AGEUというエンジンのことだ。しかも、この森山チーフの元には横流しされたエンジンが2回届けられていた事になる。
それは、AE86で実際にグループAに参戦後メーカーが回収してデータ取りされ廃棄されたエンジンと、グループAで無敵だったホンダに勝ために研究され耐久試験され廃棄されたエンジン・・・
しかし、夏帆にとってそんな会話で英語以上にその難解な専門用語の中にある「グループA」という単語だけはピンときていた。それは、夏帆が恋してやまないエンちゃんの愛車であるAE86型のレビンに搭載されているエンジンであるということ・・・
あっ・・・昨日麻美子さんが言っていたのってコレのことなんだ・・・確か、ホンダに負け続けているトヨタが本気を出した・・・って。でも、エンちゃんが普通に運転しているレビンのエンジンがそんなに難しいエンジンだったなんて・・・
話はズレてしまったが、この平成初期というバブル全盛期は自動車レースというものが非常に盛んであり、市販車ベースの改造車レースが大人気であった。そんな当時は、国外のWRC(国際ラリー選手権)とBTCCの成績が市販車の販売に直結していた時代であリ、特にBTCCの日本版であるJTCツーリングかーレースのグループAというカデゴリーは、日頃見かけることの多い市販車がそのままの外装(空力パーツを含め、外装は市販車状態)である車両がレースをしていることから熱狂的なファンが多かった。これは、令和となった現代では信じられない話である。
話をまとめると、そのJTCのグループA向けにメーカーが耐久試験し、廃棄を装って横流しをされたエンジンが小林ボデーのRio-Factryでリビルドされ、間も無くエンちゃんのレビンに搭載されるということになる。
また、そのエンちゃんの実の姉が乗っているセリカGT-Fourに搭載されている3S型ターボエンジンもその同じRio-Factryでネジ一本に至るまで材質に拘ったリビルドがなされ、データ収集用の車両に仕上がっていた。しかもそのセリカには、本場WRCレギュレーションに則ったリストリクターの装着と、リストリクターの装着によりパワーの出せないエンジンを補う意味で試験されているミスファイヤリングシステムが搭載されているのは前に説明した通りだが・・・
そんな事情満載のクルマを舐めるように眺めているのは皆メカニック達だ。メカニックの興味というのは万国共通なんだな・・・などと考えている夏帆の傍では理央さんが流暢な英語でこれまた分からない説明をしている。
しかし・・・それまでそんな風景を傍観していた夏帆の耳に聞こえた次の会話で耳がダンボ状態に・・・
「そう・・・それをあの理央くんが組み直したエンジンなんだよね・・・」
「すいません・・・今まで聴きそびれてしまっていましたが彼女って何者ですか?チーフの愛弟子・・・としか紹介されていませんでしたが・・・」
その時、森山チーフから何かの説明を受けていた若手社員の人差し指がそう言いながら、ブロンド女性の背中を指していた。この時夏帆もその指に釣られるようにブロンドのポニーテールを揺らして何かを 説明するその彼女をぼんやりと眺めながらブツブツとひとりごとを呟き始める。
「ん?何者って・・・?そりゃ・・・そもそも理央さんってエンちゃんの中学校の同級生で、そのエンちゃんの元カノだよね・・・」
今度はそんな夏帆の中では別な疑問が湧き上がってきていた。
ん?ちょっと待って!エンちゃんの元カノはあの亡くなってしまったあおいさんだよね?
・・・ってことは、そのお姉さんである理央さんは元の元カノ・・・?
そんなどうでもいいことを必死に考えている夏帆の前で、その容姿端麗の理央さんが、外人たちを前にその長いポニーテールを右に左に揺らしながら何かの説明を続けていた。
そう・・・夏帆に与えられていた情報は、そんな流暢な英語でクルマのエンジンについて説明している彼女のことは、「エンちゃんの元カノ」で、現在は「小林ボデーで自動車検査員をしながらRio-Factryという特設ピットを運営している」というものだけだった。
しかし・・・そんな彼女は高校入学後付き合ったカレシの影響で不良になってから、高校中退後森山のおじさんに出会うまでの数年間に何があったのかという情報がスッポリと抜けている。
さらには中学3年生の時の時エンちゃんを襲ったという事件で、エンちゃんが逃げ出さずそのまま二人が付き合っていたなら、その理央さんの人生が変わっていたとも聞いていた。
・・・・その後、理央さんが中退してしまったという高校時代はどんなものだったのだのだろうか?中退後森山のおじさんに助けてもらって現在小林ボデーの自動車検査員と言うみなし公務員という立場に上り詰めるまでどんなことがあったのだろうか・・・
夏帆はそんなことを思いながら、きらりと輝く自らの「右手」薬指に嵌められているシルバーリングを眺めていた。それは本来なら左手の薬指に嵌められるはずのものであったが、それは執行猶予というか取り敢えずというか・・・本当に理央さんに認めてもらってから嵌めたいという夏帆の申し出により、一旦フィアンセの一つ手前に立ち止まる・・・ということになり、それが右手という訳だ。
そんなシルバーリングを眺める夏帆の背後から聴き慣れた声のひとりごとが聞こえてきた。
「いや〜・・・ネイティブな英語って久しぶりだな・・・・英検用のヒアリングテープとは全然違うこの英語って、まるでまるかいラーメンのような・・・」
ちなみに、この「まるかいラーメン」とは、青森市内にある煮干しの出汁の効いたラーメンのことで、舞衣先生が青森市に行った時に必ず食べるというお気に入りの一杯だ。つまり、初めは違和感のある味かと思ったその違和感が後にクセになる・・・というものだ。普段標準語的な英語としか付き合うことのない英語教師はそんなところに驚きを感じていたようだ。
そんな舞衣先生が、夏帆の昔の学業成績をほじくり返すようなことを言い出した。
「なあ小比類巻・・・お前って英語の成績振るわなかったよな?」
「それって高校時代3年間も担任だった舞衣先生が一番ご存じのはずでは?」
「多分、教えられるという立場にうちは覚えないと思うんだが、あの乗客たちと2〜3日一緒にいてみろ!喋れないにしろ聞いて理解できるくらいにはなると思うぞ・・・あっ!そうだった!」
「何か思い出したんですか?」
「お前ってさ・・・なぜかヒアリングの成績は良かったよな?当て図っぽうというか、勘がいいんだよ・・・」
「そうです!なんとなく・・・で答えるとそれが当たってしまって・・・」
「なあ・・・この団体って、何ヶ月か後にイギリスに向かうんだろ?」
「はい。今回はその説明会を兼ねていると伺っておりますが・・・」
「試しについて行ったらどうだ?」
「無理に決まってます。仕事だってありますし、そもそもついて行く理由がありません・・・」
「そうだよな・・・。でも、それはそうかも知れないが、これから外国人を乗せる機会も多くなるんだから、英語を身につけても損はないと思うがな・・・」
「そう・・・ですね。あの理央さんも麻美子さんも・・・それに舞衣先生も英語ペラペラですもんね?」
「ん?それじゃ英語が喋れないのはオマエだけってことになるが・・・」
「えっ?エンちゃんは?」
「日常会話くらいならできるって聞いてたぞ・・・」
そう言い残すと舞衣先生はエンジニアと談笑していたエンちゃんに声を掛け、腕を引っ張り夏帆の元へ連れてきた。しかも二人の話す言語はなんと英語・・・
「え・・・エンちゃん?英語・・・できるの?」
夏帆は、腕を掴まれ半ば舞衣先生に体重を預ける体勢となっているエンちゃんにそう尋ねた。
「う・・・うん。道に迷った外国人に、道案内できるぐらいは・・・」
「えっ?そんなの聞いてない!」
「うん。話してない・・・」
「どこで勉強してるの?もしかして教職課程を執ってるから?」
「いや・・・教職課程って言っても工業高校の土木の資格だから英語は関係ない・・・」
「それじゃ・・・」
ここで、そこまで話を進めたエンちゃんが照れくさそうに口を開く・・・
「実は、母さんから困った女性がいたらいつでも助けてあげるのがオトコってもんだ!っていつも言われていてね。しかも、その女性は日本人とは限らない。外国人かもしれない・・・だから最低でも日常会話ができようにはしておけ!って言われて、英語だけは勉強しててさ・・・」
「それで、道に迷った外国人・・・ってわけね?」
その質問に対し、なぜかエンちゃんの声が低くなる。
「うっ・・うん。でも、その前に困った女の子が身近にいてさ・・・」
その時、そのエンちゃんの視線がブロンド女性の背中をチラッと見たのを夏帆は見逃さなかった。
「もしかして理央さん?」
「うん。中学3年の時、1学期の中間テストで赤点取ったら部活のバスケの試合に出れないってことになって、英語の成績だけは良かった僕のところに相談に来てさ・・・」
「それで?」
「部活が終わった後、ウチのガレージで英語の勉強会を開いていたんだよね・・・」
「ガレージって、エンちゃんがいつもこもって作業してたっていう?」
「うん・・・家に上がってもらうのはハードルが高いでしょ?」
「そっ・・・そうだよね・・・」
夏帆はその時、苦笑いしながらそう答えつつ身体のどこから来るでもない焦りというか、嫉妬というものでもない何かが自分の身体を支配していくのを感じていた。
そして考えるより先に身体が動いてしまう夏帆は、今さっき目の前のエンちゃんがチラッと見たブロンド女性のところへ駆け出していた。
「理央さん!」
そう言いながら肩に手を掛け、驚いて振り返ったそのブロンド女性に向かって夏帆が口を開いた。
「エンちゃんはもう渡しません!絶対わたしのものにして見せます!理央さんより、わたしの方がエンちゃんのことが好きですから!」
そこでそう啖呵を切った夏帆の元へその啖呵を切られた理央さんが歩みより、腕を夏帆の首の後ろから回し下から夏帆の顔を覗き込んだ。そして、まるで内緒話でもするかのように囁く。
「ふ〜ん・・・サシで決着付けようか?何ならハンデつけてもいいけど・・・どう?」
夏帆は過去に、1回だけこう言うシュチエーションに出会ったことがあった。それは、くるぶしくが隠れるくらい長いスカートを履いた不良によるカツアゲだった。その時夏帆はその首に回された腕というか手首をリンゴが潰れるくらいの握力で掴み、それを捻り上げて成敗したのだが・・・でも、この時の夏帆はまるで金縛りにでもあったかのように身動きできなかった。
ちなみに、その不良は夏帆のことを「バケモノ・・・」と言い捨てて逃げていったという・・・それほど力の強い夏帆だったのだが・・・
「サシって・・・それじゃやっぱり理央さんって今でも・・・」
「そうだよ!ポッと出のアンタなんかに渡すわけにいかないんだよ!あんな優良物件そんなにないんだからさ・・・」
「そんな・・・エンちゃんを投機目的の不動産みたいに言わないでください!」
「いろんなオトコ見たきたけど、あんなマトモで伸び代のあるヤツなんてそうそういないんだよね・・・改めて食っちゃおうかな・・・」
「そんな・・・「喰う」だなんて・・・」
「アンタ・・・まだ喰ってないんだろ?だったら文句も言えないよな?」
「でもコレ・・・」
その時夏帆は自らの右手をその夏帆を覗き込んでいる彼女に見せた。
「おっと・・・そうだった。でも、結局フィアンセにはなり損ねた訳だし・・・」
この時だ。誰かが遠くから駆け寄る足音が聞こえてきた。
「夏帆ちゃん!今、搬送された彼女の病院に電話してみたの・・・」
それを聞いた夏帆は、首に巻かれたその腕からスルリと抜け出しその声の主の元へ・・・」
夏帆が向かった声の主は麻美子さんだった。
「駅の公衆電話から病院に電話して、唯(従姉妹で研修医)にこっそり状況を聞いてみたら結構なことになっているらしくて・・・」
「古賀(夏帆の後輩バスガイド)に何かあったんですか?」
「うん・・・まずその彼女のカレシが駆けつけて、その後両親と会社の方が来たそうなんだけど、なんかカレシと両親がモメ始めて・・・後から来た会社の方が仲裁に入ったのはいいけど・・・」
「いいけど?」
「今度は会社の方が責められて・・・」
この時夏帆は、会社の誰が駆け付けたのか疑問に思いつつ答える。
「どうして責められてるんですか?意味がわからないんですけど・・・」
「分からないけど、小比類巻さんに来てもらいたいそうで・・・小比類巻さんが近くにいる事を知っていて・・・」
夏帆がこの時間にその病院の近くにある盛岡駅にいるというのを知っているということは、夏帆の業務指示書を知っている人物となる。・・・ということは会社の運転課もしくは観光案内課の人間しかいない。でも、この時夏帆が業務中であることは百も承知のうえ病院まで来てもらいたいと言っている。それによりこれは大ごとであることはなんとなく分かる。でも・・・
「わたし業務中ですよ!」
その時だ。先ほどまでスケバンさながらに夏帆の首に手を回していた理央さんが涼しい顔で囁いた。
「別にいいですよ・・・これから花巻温泉まで行ければいいだけですので、あのデッカい箱をコロがしてもらって宿まで行ければいいので・・・」
その時、今度は舞衣先生が夏帆の肩を叩いた。
「おい、小比類巻・・・」
そう声を掛けられた夏帆は、そのドスの効いた声の主に反応する。
「なんでしょうか?」
「古賀って誰だ?」
そう・・・その古賀とは、昨晩女子寮の夏帆の部屋にフラリと現れ、バスを掃除している時に補助席にぶつけ、紫色に変色したお尻を見せたに来た彼女のことである。
「はい。わたしの一年後輩のバスガイドで・・・」
「もしかして三沢の・・・か?」
「なんで知ってるんですか?古賀の実家は三沢ですが・・・」
「そっか〜・・・やっぱり古賀のお姉ちゃんだったか・・・」
「まさか・・・」
「妹がわたしのクラスにいてな・・・その古賀がお姉さんが三五八のバスガイドだって言ってたもんで・・・」
「舞衣先生って今、確か普通科2年生の担任でしたよね?」
「そうだが?・・・ん?」
そこまで言った舞衣先生が、夏帆の隣にいる麻美子さんに向かって尋ねた。
「麻美子さん。その古賀のお姉ちゃんは病院の何科にいるのか聞いてる?」
そう言われた麻美子さんが小さなメモ書き見ながらそれに答える。
「えっと・・・さ・・・産婦人科・・・」
それを聞いた夏帆と舞衣先生・・・それと後ろで話を伺っていたエンちゃんの三人が同時に息を飲み込む・・・
そして今度は舞衣先生がエンちゃんに向かって口を開いた。
「ちょっと・・・男子は席を外してもらえるかな?ここからは女子の会話になるからさ・・・」
そう言われたエンちゃんは小さく頷きつつ後退りすると、何も言わず振り返って今も話に花が咲いているメカニックの中に消えて行った。
そんな後ろ姿を見ながら、夏帆はその後輩バスガイドとのある会話を思い出していた。
「避妊はカレまかせなのか?」
「はい。きちんとしてもらえてると思いますので・・・」
「思いますので・・・って、オマエ確認しないのか?」
「信じてますから・・・」
夏帆はその会話に出てきた「信じてますから・・・」という言葉に違和感を感じたのを思い出した。、こういう場合オトコを信じちゃいけないということを身をもって知っていたからだ。
それは夏帆の高校時代の先輩であり、今は先輩バスガイドとして活躍しているこだま先輩が高校時代に巻き込まれた事件にある。
そのこだま先輩は高校2年の秋所属している女子サッカー部のキャプテンに選出され、高校の伝統となっている男子サッカー部のキャプテンと交際を初めてことに始まる。そしてそれは自然の流れでオトナの交際へと発展していくことに・・・
そして迎えた3年生の春、そのこだま先輩の身体が変調を来したのであった。
それはこだま先輩の妊娠・・・だった。
夏帆は女子ソフトボール部専用グラウンドから見える女子サッカー部専用コートで、いつもならキーパーとして大きな声で指示を出しているそんなこだま先輩の姿が見えなくなってからしばらくして、ひと学年下の夏帆の耳に届いたのが「こだま先輩の妊娠」という噂だった。
そして、父子家庭であったこだま先輩をを陰で支えたのが、その隣のクラスの担任だった舞衣先生となる。
そんなことから、そんな男女の関係に敏感な舞衣先生は何かに取り憑かれたかのようにそのスイッチが入る。そして一言・・・
「これも、ふたばの手を煩わせる案件になるかもな・・・」
夏帆は、その「ふたば」という名前に聞き覚えがあった。それは、エンちゃんと同学年でエンちゃんの下宿の一人娘のオオオンナのことである。しかも元空手部の有段者であり、その身長は193センチを誇るという伝説の先輩である。今は、県外の大学で小学校の先生になるための勉強をしているというが・・・
その時だ。先ほどエンちゃんが消えていった人だかりの中でクルマのエンジンが始動した音が聞こえた。
「あっ・・・この音はエンちゃんのレビン・・・」
夏帆がその聞き覚えのある方を見ると、外人メカニックたちを押し分けるように姿を現した赤クロレビンがゆっくりと夏帆のところへ近づいて来てその運転席の窓が開いた。
「夏帆ちゃん乗って!」
「えっ?」
「病院は盛岡総合病院でいいんでしょ?」
「う・・・うん」
そんな会話を聞いていた麻美子さんが手に持っていたメモ書きをエンちゃんに渡した。
「了解!コレってあの国道4号脇の・・・」
そう言いつつ、地図を取り出し道順を確認しているエンちゃんに麻美子さんが尋ねた。
「あと、理央ちゃんになんかいう事ない?夏前にエンジン載せ替える時まで、しばらく会えなくなるかもよ・・・」
そう尋ねられたエンちゃんはドアを開け理央さんに向かって叫んだ。
「理央〜・・・夏帆ちゃん借りるね!」
それを聞いた理央さんがそれに答える。
「高くつくわよ・・・後で身体で払ってもらうけど良い?」
「わかった!労働力で返すから・・・工数決めておいて!」
「バカ!」
そんな会話を聞きながら、レビンのRECAROと書かれたシートに座って4点式シートベルトを締めていた夏帆だった。
CAST
株式会社三五八交通株式会社
貸切観光運行部 運転課運転士 渡部 恒一 48歳 (エアロキング運転)
観光案内課バスガイド 小比類巻 夏帆 19歳 (本編主人公)古賀 恵 18歳 (夏帆の後輩)
八戸理工大学工学部土木工学科 3年 風谷 円 20歳
有限会社小林ボデー専務 小林 麻美子 26歳(まどかの実姉)自動車検査員兼整備士 真島 理央 20歳(株式会社東富士研究所へ出向中)
株式会社東富士研究所 海外特命チームチーフ 森山 孝一 42歳(元の職場に引き抜かれた元役人)
医療法人五本松医療センター 救急外来看護婦 佐倉 芽衣子 28歳(まどかの従姉妹(長女))二戸市立二戸診療所 医学実習生 佐倉 結衣 24歳(まどかの従姉妹(三女))
学校法人八戸理工大附属高校 英語教諭 小林 舞衣 26歳(まどかの義姉・夏帆の高校担任)
当たり前ですが、上記会社名、学校名は全て架空のものです。
次号で修羅場というフィールドに足を突っ込む羽目になってしまった夏帆を応援ください。
みなみまどか