えっ?・・・そもそもわたしが誰の彼女だって?
ブロンド女性たるマリオさんの正体がわからないまま対応する夏帆はバスガイド2年生の19歳。イギリス人が主体のこの団体の通訳もしているというそのブロンド女性は、実は夏帆が話に聞いたことのある女性だったのです。
このストーリーはそんなところから始まります。
「えっ?なんで麻美子さんが?」
そう思いながら一度立ち止まり、麻美子さんがハンドルを握るその白いセリカに向かってお辞儀をした。というのも、そのセリカが道路の中央で後続車をブロックする形で停車していたがら・・・
そのセリカというのは「わたしをスキーに連れてって」のあのセリカGT-Fourと外見そっくりな白いセリカだ。しかし・・・その正体は、世界ラリー選手権向けのテスト車両だったりする。
そんなセリカのバリバリバリ・・・というアイドリング音が轟く中、周りの状況を確認し夏帆はエアロキングの左後方にある外部マイクに向かって後方の安全確保を報告する。
「後続車止めました。歩行者もオッケイです・・・」
すると車体の前方から「パン〜」という了解クラクションが鳴り、エンジン付近から「キシッ・・キシッ・・」とギアの変わる音が聞こえた。するとその大きな車体がゆっくりと動き出し、一度大きく右側に膨らんから「ギリギリ・・・」というタイヤが軋む音とともに左折を始めた。そこで夏帆ははじめての光景を目にする。
「えっ?後ろのタイヤが変な方向を向いてる!」
それはフロントタイヤが左を向くのと逆に連動するかのように右を向く3軸目のシングルタイヤだった。
エアロキングはその車体の大きさから前輪1軸・後輪2軸の3軸構造となり、さらにシングルタイヤの3軸目が逆操舵(前輪が向く方向と逆の方向に向く)する特殊な造りとなっている。この時夏帆が見た光景とは、その3軸目が右を向いていて、結構な小回りが効いていたことだった。
そして、先ほど運転士の渡部が言っていた「尻振り」が大きいこともはじめて目にすることになる。
この尻振りというのは、曲がろうとしている方向とは逆の方向に車体後方の角がはみ出すことを指す。特にこのエアロキングは2軸目以降の車体長が長く、これを気にしないで小回りすると思わぬ接触事故と起こすことになる。何度かエアロキングを運転したことのある渡部運転士はそのことを知っていたのだ。
夏帆はこの時、変な方向を向いている3軸目のタイヤに気を取られ、その先に見える内輪差ばかり気にしていたが、ふとバスの右側を見ると車体の右角がそばに建っている電柱に近づいていたことに気がついた。その時夏帆は首にかけていたホイッスルを引っ張り出し思い切り息を吸ってその銀メッキのホイッスルを口に加え息を吹き込んだ。
「ピピピピ〜・・・!渡部さん!右側に電柱!あと50センチですっ!!」
その夏帆の声と同時にその大きな車体が一度止まり、キシ〜・・・ガガガッ・ガッ・・・というリバースギアに切り替わる音とともにバックランプが点くと同時にバックブザーが鳴る。どうやら一度バックしてバスの角度を調整するらしい。
すると、変な方向を向いていた3軸目のタイヤがまっすぐな方向に戻りバックを始めた。その様子を見た夏帆はホイッスルでバック誘導を始める。
「ピピ〜イッ・・・ピピ〜イッ・・・ピッ・ピッ・ピッ・・・・ピピ〜・・・」
その時バスの右角は電柱をかわし、その隣に設置してある民家の塀まで50センチとなってる。そして今度は今度は少し直進し3軸目のタイヤがまっすぐな状態から再び右方向を向いて再度左折を試みる大きな車体があった。
その時いつの間にか野次馬に取り囲まれるような状況になってい夏帆は、そんな様子を一番前で様子を見守っていたお年寄りに話しかけられる。
「ここを通る観光バスはみんな3回切返しするんだよね・・・この曲がり角は隅切りが確保されてないのと、反対側にある電柱が曲者なんだよね・・・ガイドさん。このバスってふそうだろ?あと2回はバック誘導せにゃならんね・・・頑張って・・・ここの野次馬の大半は、バスガイドの誘導を見に来てるようなものだから見せ場だよ・・・」
そう表現されるそこはまるで免許取得時の実地課題でもある狭小鋭角部通過みたいな交差点だ。夏帆の足元には、ここを通過する大型バスの切り替えしたと思われる多数のタイヤ痕が残されていた。そんなベストラインを外してしまったら3回どころか4回、5回の切り返しが必要となる運転士腕試しの隠れた名所になっていた。また、バスのメーカーによってもハンドルの切角が異なるため、そのベストラインが一本とも限らない。しかも、三菱ふそうのバスはどちらかというと小回りを苦手としているバスだった。
「見せ場なんてそんな・・・でも、すいません。お急ぎのところ足止めさせてしまって・・・」
「いや、いいんだ。観光シーズンの風物詩というところだからね。ここは大型観光バスの切り返しの名所になっていて、みんなそれを承知でこの駐車場へ向かう道を使ってるからね・・・」
そのお年寄りのそんな話が終わろうかとしている時「パン〜」というクラクションが聞こえた。これは「バスガイド戻って来い」の合図だ。
それは、目の前のその大きな車体がその1回の切り返しでこの交差点を曲がってしまったということ・・・
夏帆はその驚いた表情のお年寄りと足止めしてしまった歩行者に大きく頭を下げ、エアロキングの前扉から車内に飛び乗った。そして「ピー・・・」というブザー音と共に閉まるドアを背に、ハンドルを握る渡部に問いかける。
「ここの交差点を曲がる大型バスはみんな3回切り返しをするって聞きましたよ?なんで1回で・・・」
その質問に対し渡部は「待ったました・・・」とばかりにその謎解きを始めた。
「このエアロキングっていうバスは、1軸目と2軸目の間が短いでしょ?だから小回りが得意なんだよね・・・でも、その代わりリヤのオーバーハングがやたらと長いから尻振りが大きいけど・・・」
この渡部が言うように大型バスの「尻振り」由来の事故は多い。それはちょっとした接触事故から、他車を巻き込んだ事故まで様々・・・
こんなことで、接触などの事故なく無事出発したエアロキングの前扉デッキに立った夏帆は、マイクを手に到着予告のアナウンスをする。
「出発をしまして間もないですが、第一の目的地であります盛岡駅前駐車場へ間も無くの到着となります。この先駐車場へ入りましてから所定の位置へ停車させますので、到着のアナウンスがあるまで少しお待ちください・・・」
夏帆はこの時、条件反射的に誰もいない1階座席を向いて説明していた。そしてそのアナウンスの後振り返った目の前にある後部モニターの映像が目に入る。そこに写っていたのは白いセリカを先頭にそれに続く赤いクルマの映像だった。
ん?なんであの3台がついてきている?そう言えばこれから誰かと盛岡駅で待ち合わせような話していたような・・・?
夏帆はそんなことを思いつつエアロキングの左方確認を怠らない。
「左後方OKです・・・歩行者横断ありです・・・横断歩道左に歩行者がいます・・・」
こんなアシストをしながら狭小路を抜け目的地の駐車場入り口まで辿り着いた。
この駐車場は観光バス用と一般車両用が隣り合うような配置となっており発券機から駐車券を取る渡部の向こうに白いセリカを先頭に赤いレビンとスターレットの姿が見える。
なんかすごい偶然なんだけど・・・ん?もしかして、「これからの待ち合わせ」というのはあの3台だったりして・・・?なんて思っていた夏帆のそんな予感がこのあと的中する。
「これ・・・」
そう言われ、渡部から受け取った駐車券をガイド席前のカードホルダーに挟みながら、夏帆はフィンガーシフトを前方に押し上げギアを2速に入れた渡部に聞いてみた。
「さっき滝沢インターチェンジで別れた3台のクルマが向こうに見えるんですが・・・」
「あれ?夏帆ちゃん聞いてなかった?なんでもこの団体のチーフとあの茶髪ねーちゃんとで組んだエンジンを乗せたクルマを見てもらう算段になってるって・・・」
「じゃ、そのクルマって・・・」
「あの3台じゃないか?途中からずっと後ろ付いてきてたし・・・」
すごい偶然・・・こんなところでもエンちゃんに逢えるなんて。つい小一時間前には滝沢インターチェンジで、そして滝沢パーキングで会話している。それは夏帆にとってこれは信じられない出来ことだった。
ちょっと前までは会いたくても逢えない・・・しかも、顔を見るのだってわざわざエンちゃんのバイト先のスタンドまで行かないとダメだったのに・・・そう思っていた夏帆に待っていたのはバスを駐車場所まで誘導するバック誘導だった。
しかし、そんな駐車場では先行して駐車を始めていた他社の大型観光バスがバックのための切り返しの真っ最中だった。そんなバスは運転士が初心者なのかなかなか駐車マスに入れられず苦労している様子が見てとれる。そのバスは地元で貸切バス事業を行うの国際交通のバスだ。
「夏帆ちゃん・・・アレ、今頃市内観光しててガイドが同乗してないクチだから誘導なしのワンマンだよ・・・一台口だから他の運転士の手助けもない・・・しかも旧型バスだからバックモニターもついてないよ・・・アレ」
「なんか苦労してるみたいですね・・・」
「そうだね。でも、アレの駐車が終わらないとコッチの駐車もできないんだよね・・・こっちは実車だから早いとこ停めてほしいんだけどね・・・」
そんなぼやきを聴きながら夏帆がデッキ前の左側バックミラーを見ると、もうすでに2エアロキングの後ろに2台ほど観光バスが並んでいた。そんな様子を見た夏帆は居ても立っても居られない・・・
「わたしアレの誘導してきます!」
「そうだな・・・」
そんな会話が終わらないうちにデッキ脇のドアの開閉ブザーがなり、プシューという音と共にドアがゆっくりと開く。
夏帆はドアから飛び出し、エアロキングの前方でバックに苦労しているそのバスに駆け寄った。そのバスは旧型のバスで、夏帆の勤める三五八交通で主に幼稚園バスとして使われているバスと同タイプだ。そのバスのドアの外から夏帆が運転士に話しかける。
「今から誘導しますので、外部マイクをオンにしてください!」
夏帆がバスの後ろを指差しながらそう伝えると、その折り戸となっているそのドアが内側に開いた。そんな開いた入口から見える運転席でハンドルを握っていたのはなんとも若い運転士だ。夏帆の印象ではあのエンちゃんとそう歳が変わらないのでは?と思うほど・・・
観光バスを実車で走らせるには大型2種免許というものが必要となる。令和の現代では教習所で取得することのできるその免許も、夏帆の時代では免許センターで免許を取得するいわゆる「一発免許」のほかに取得方法はなかった。
しかも、通常貨物運送を経験してからバス業界に入るのが通例なのに、その運転士は一発免許を取得してすぐにバスの運転士になったと推測できる。しかも、そんな経験不足でしかも単独で業務を任せられるなんて・・・
そう思ったものの、この時代も運転士の数が逼迫しており十分な経験を積まずして営業運行に出されるものも多かった。そんな経験不足の運転士は、どこからどう見てもバスガイドと分かる夏帆の顔を見て安堵の表情をみせた。そんな運転士が申し訳なさそうに夏帆に伝える。
「ありがとう・・・でも、このバスって外部マイクがないんだ・・・」
「わかりました!ホイッスルで誘導しますので・・・」
「ありがとう・・・よく聞こえるようにドアはこのままにしてバックするから・・・」
そう言いながらその若い運転士は、当時主流となっていたフィンガーシフトではない旧式のスティックシフトをリバースに入れ直そうとした。しかし、そのギアがなかんか入らずその運転士の焦りが高まっているのが外で待機する夏帆にも伝わってきた。
そんな様子を見つつ夏帆はバスの後方でそのバスが動くのを待った。しかし、そのバスは「ガガガガ・・・・」どいうギアが入らない音を立てながらも一向に動かなかい。
そんなギアがリバースに入らないそのバスに見かねた渡部が、エアロキングを降りそのバスの運転席に駆け込んだ。するとなにやらエンジン付近でガチャガチャ動く音がした後、今まで一向にいうことを聞かなかったギアが「ガガッ・・・ガッ」という音と共1発で入り同時にバックブザーが鳴る。どうやら渡部が運転を変わったようだ。
ここで現在の担当車がエアロクイーンである渡部の前の担当車がこれと同じスケルトンだったのを夏帆は思い出した。
「うん・・・さすがね・・・」
その後、このバスとエアロキングを誘導し各々停車させた夏帆はウミネコのマークを模った社旗を掲げ、一番先頭に立ち乗客を誘導し一般車駐車場を目指して歩いていた。そんな時、「チーフ」と名札にあった男性が夏帆に近づき声をかける。
「ガイドさん・・・いや、小比類巻さんちょっと・・・」
「あっ・・・何かございました?」
「このマークなんだけど・・・」
その声を掛けてきた男性は夏帆の掲げる社旗を指差している。
「コレ・・・がどうかいたしました?」
「バスにもこれと同じマークが書いてあったんだけど、これってJRバスのツバメのマークじゃないし・・・カモメにしちゃ・・・」
「これでこざいますが、八戸には蕪嶋神社という神社がありまして、そこがウミネコの繁殖地になっております。八戸の有名な景勝地でもありますので、そのウミネコを模ったマークとなってございます」
「へえ〜ところで、ウミネコってカモメとどう違うんだい?」
この時夏帆は、三五八交通のバスガイド教本に載っているその違いを説明した。海沿いに住んでいる方なら知っているそんな違いも、内陸に住んでいる方には分からないから丁寧に・・・。でも、そんな話はこれからの話のきっかけである事に夏帆は気づいていなかった。
そんな夏帆の説明に一旦納得したその男性がいきなり話題を変える。
「いや・・・この研修を企画したのは僕なんだけどさ、君は僕がなんで八戸の君の会社を指名したのか不思議に思ってないかい?」
「左様でございます。ここ、盛岡市でも貸切バス会社が数社ございますが・・・」
そう言えば先ほど停めたエアロキングの両隣のバスも盛岡市のバス会社だった。
「僕がね、なぜ三五八交通を選んだかというと君がバスガイドをしている会社だからなんだよね」
「えっ?それじゃ・・・わたしを指名したってことですか?」
「そうだね・・・それと、会社で一番いい車両で・・・というのがこちらの条件だった」
あっ・・・それで・・・少人数なのにエアロクイーンの配車だったのか・・・夏帆はそう解釈しながらその話に相槌を打つ
「いや・・・それにしてもダブルデッカーで来てくれるとはね・・・」
「はあ・・・本当はスーパーハイデッカーでの配車だったんですが、弊社の勝手な都合で申し訳ありませんが配車替えがありましてあのようなバスになってございます。背の高いお客様ばかりなのに天井が低くてすいません・・・」
「いやいや・・・景色が良くって、僕的には満足だよ・・・」
と・・・ここまでは特になんということもない会話だったのだが、次の質問でさらにその状況が大きく変わる。
「ところで・・・君は僕の息子とのお付き合いのことなんだけど・・・」
「は?・・・ええっ?今、なんと・・・?」
「うん。今、言ったその通りのことなんだけど・・・」
「お付き合いって・・・」
「そう・・・彼女になってくれたかってことだけど・・・」
「かっ・・・彼女ってことは・・・アレですか?」
「そう・・・彼女。つまり男女の仲って事になったのかどうかってことだね・・・」
「えっ?・・・だだだっ男女の仲って・・・そっ、それは・・・つまり・・・」
この時夏帆は状況がよく飲み込めなかった。息子って・・・だれ?男女の仲って?つまりそういうコトをする仲ってことだよね?でも、そもそもわたしが誰の彼女だって?
夏帆は記憶を思い返した。自分が誰かの彼女になるという場面がどれだけあったのか・・・夏帆は業務上数多くの男性と会話をしている。それはお年寄りから若い方、またスケベオヤジから紳士な方まで・・・でもそれはみんなお客様であり、業務上の対応の一環だった。そうでなければ夏帆と接点のある男の人はだいぶ絞り込める・・・
そうでなければそれは会社の人か?それは営業部や会社行事でたまに声を交わす運送部門の人か?・・・そうでなければ残りは2人・・・
そのうち1人はあの有名写真家の息子という滝沢という大学生だ。恋に相当鈍い夏帆でも自分に好意を寄せているのが分かる・・・それがあの黒のレビンに乗る滝沢というオトコだった。でも、最も確率が高いのはその滝沢と同学のエンちゃんだ。・・・ということはこの方かエンちゃんのお父さん?
夏帆はその時肩にかけている正鞄のチャックを開け、旅程を確認するフリをしてこの団体の名簿を取り出し一覧を探した。それはエンちゃんと同じ「風谷」という苗字・・・
でも・・・そんな期待を裏切るかのようにその名前は見つからなかった。それもそのはず・・・そのエンちゃんの母親という人は再婚をしていて上の名前が変わっていた。しかし、その子供である麻美子さんとエンちゃんはそのまま変わらず風谷という姓を選んでいた。とは言え、その麻美子さんは結婚して小林の姓に変わってしまっていたのだが・・・と、いうことはその風谷という姓を名乗るのはエンちゃんのみ?
この時、夏帆はエンちゃんのお父さんらしきその「森山さん」を改めて見てみた。
特見ると案外若いよね・・・恐らくは歳の頃30代後半・・・う〜ん・・・エンちゃんの義理のお父さんにしては若すぎる。もしかすると、エンちゃんのお母さんは物凄く年下の男性と結婚した?・・・まさかね・・・
夏帆はこんなことを考えていたのだが、実のところその「まさか・・・」がそのまさかだったりするのだった。
そんな思考を巡らせていた夏帆は、いきなり背後から声を掛けられる。
「ねえ・・・ちょっと!さっきのキーホルダー見せてよ!」
この時振り向いた夏帆の前にいたのはブロンド女性・・・もといマリオさんだった。
夏帆は今ほど開けたばかりの鞄に名簿をしまって、そのマリオさんに見えるように鞄を持ち上げて見せる。そんな鞄の中には時折雑音を発する業務無線が入っており、結構パンパンなうえに結構な重さだ。
そんな鞄を手に取って、チャックについているキーホルダーを凝視するマリオさん・・・
そんな瞳は、まるで興味津々な女子高生みたいだった。
「森山さん。このキーホルダー・・・わたし、実物を見るの初めてなんだけど・・・」
ん?さっき「自分の息子の彼女か?」と尋ねてきたこの人は「森山さん」というらしい・・・?でも、あのエンちゃんの上に名前はやはり「風谷」・・・
やはり、この人とエンちゃんは無関係で自分の思い過ごしなのか?
そう思う夏帆の前で二人の会話が続く。
「うん・・・そうだね。これって試しに10個創って、そのサンプルが間も無く届くだけと聞いてたんだけど・・・その実物を持っているのは小林ボデーの専務くらいなものじゃないかな?」
そこでそんな会話を傍観的に聞いていた夏帆にいきなり話が振られる。
「それがどういう訳かこんなところに・・・なんで、小比類巻さんがソレ・・・持ってるわけ?」
「あの・・・実は、先ほど滝沢インターチェンジで、このチャックが壊れてしまった時に麻美子さんから頂いたもので・・・」
それを聞いたその目の前のマリオさんが理解に苦しむ表情をしている。そんなマリオさんの疑問符の中、隣の森山さんがそれに応える。
「滝沢インターチェンジって盛岡の北・・・だよね?朝、専務と電話で話した時は時間潰しに小岩井牧場に行ってジンギスカンを食べるって聞いてたけど、その後どうして北に向かったのか・・・」
これを聞いた夏帆は、昨晩宿泊した宿で「明日は帰るだけ・・・」と言っていた麻美子さんが花巻から小林ボデーと逆の方向に向かっていた理由が分かった気がした。この森山という人が盛岡駅で待ち合わせる提案をしたからだったのだ。
でも、その「森山」という名前について麻美子さんが重要なことを言っていたのを夏帆はすっかり忘れていた。それは、この人があのエンちゃんの義理のお父さんであるということに・・・そんな傍ら、昨晩の夏帆と麻美子さんのやりとりなど知らないマリオさんが頭を傾げている。
「う〜ん・・・不思議ね・・・」
そんな会話に夏帆が割って入る。
「あっ、あの・・・すいません。実は、八戸から従姉妹の女医さんを乗せて盛岡に向かっていた・・・あの・・・」
「どうしたのよ急に・・・ん?従姉妹の女医さん?」
「赤いレビンも・・・一緒にその・・・」
「あっ・・・もしかして、それってドカのAE86のこと?」
「なんで知ってるんですか?」
「専務から二戸で研修医をしている従姉妹がいるって聞いてたからさ・・・」
「そう・・・です。同僚が非常電話前で倒れているところを対向車線から見つけて、盛岡インターチェンジで引き返してきてくれたんです。それで手当てをしていただきまして・・・」
「それは大ごとね・・・でもなんで専務と一緒に滝沢インターに?」
「その時、盛岡インターチェンジで待ち合わせしていた麻美子さんのセリカと一緒になったそうでして・・・」
夏帆はそう答えながら、エンちゃんが前に自分のことを「ドカ・・・」と呼ぶ人物がいるということを教えてくれたのを思い出していた。その人物とは大学の同級生で出席番号が一番違いの織田という親友と・・・それと、亡くなってしまった元の彼女であるあおいさんだけ・・・でも、このブロンドのマリオさんもそう呼んでいる・・・
「えっ?もしかして・・・?」
この時夏帆は咄嗟に胸のポケットから先ほどいただいたこのマリオさんの名刺を取り出し、その名前を確認した。
「真島理央」
その名刺にはそう書いてあった。当然であるがこの女性の下の名前は「マリオ」ではなく「理央」だった。
ということは、この女性はあの小林ボデーの一角にある「Rio Factry」の責任者という事に・・・
それと同時に、エンちゃんの話に出てきたあの中学3年生の時エンちゃんを襲って馬乗りになったのはこの女性という事にもなる。もちろんソレは、すんでのところでエンちゃんが逃げ出した事により未遂に終わったのだが・・・
でも・・・それが未遂に終わらず達成され、エンちゃんと付き合っていたのならこの「真島理央」という女性の人生も大きく変わっていたとも・・・
夏帆はその時、どこから来るものでもない嫉妬というものに襲われていた。こんな感覚は生まれて初めての感覚だ。しかも同時にその積極性がとても羨ましいとも感じていた。もし、自分にそんな積極性があったならもっと違う展開になっていただろうと。
でも・・・この話を整理すると、この理央さんはという方はあのエンちゃんの元カノであるあおいさんの紛れもないお姉さんということになる。この時、思ったあことを口にしないと気が済まない夏帆は当然そのことを確認する。
「あの・・・真島様ってもしかして・・・あの・・・あおいさんのお姉さん・・・ですか?」
するとその「真島様」が驚いた表情で口を開いた。
「そうよ。それを知ってるということは、ドカから聞いたのね?それじゃ、ドカと付き合ってるっていうのは・・・」
「話の流れからいうと、どうやらそれは「わたし」ということになります・・・」
それを聞いていた森山さんが納得したような表情で頷く。
「やはりそうか・・・春休みに顔を見せた僕の義理の息子から君のことを聞いてね・・・凄く可愛い娘だって聞いていてね」
この時の夏帆は当然赤面していた。エンちゃんが自分のことをそう思っていてくれていたなんて・・そんな夏帆がソレを打ち消すように現状を伝える。
「ただ・・・その「お付き合い」という事に関しましてはまだ微妙な感じなんですが・・・」
そこに理央さんか割り込む。
「全くドカのヤツ・・・隅に置けないね・・・まさかのバスガイドだなんて・・・ん?でも、その「微妙」っていうのは?」
「その・・・」
「アイツ・・・あなたに手を出してないってことなんでしょ?」
「はい。指一本も・・・」
「全くもう・・・いくら元カレだからってそこまであおいに義理建てしなくてもいいのに・・・全く昔からそういうところがあるんだよね・・・中学生の時のもそう・・・」
「それって・・・」
夏帆はそこまで口にしたところで次の言葉を飲み込んだ。それは誰にも触れてほしくないことだろうと思ったから・・・そして、つい数時間前にその当事者から伝えられたことを口にする。
「でも、あおいさんの一周忌が済んだら何か伝えるって聞きましたが・・・」
「そうだよね・・・間も無くあおいの一周忌だもんね・・・」
その会話は、その理央さんの言葉を持って沈黙へと変わる。
そんな無言のままウミネコの社旗を掲げ、一行を引き連れて歩んだ広い一般駐場で夏帆の視界に現れたのはもちろんアノ3台のクルマだった。そして、それぞれのクルマの脇にはそのオーナーが立っている。
夏帆の目に映ったのはまるでモーターショーで展示されたクルマのようだった。
すると夏帆の後ろを歩いている外人たちがため息のような声が聞こえた。やはり、そのそれぞれ個性的な日本車が魅力的に見えるようだ。そんな中、その3台のクルマたちの前でその説明を始めたのはやはり森山というチーフだ。その説明は流暢な英語で行われていたため夏帆はその内容な全くわからないが、どことなくそのエンジンについて説明しているように感じた。
その時だ。そんな様子を遠巻きに見ていた夏帆の背後から声をかけてきたのは、先ほどまでKP61型の赤いスターレットの前に立っていた舞衣先生だった。
「小比類巻・・・ちょっといいか?」
「はあ・・・何か?」
「ちょっと来い!」
そう言いって舞衣先生は夏帆の首の後ろに腕を回し、まるで拉致でもするかのように夏帆を引っ張った。そして向かった先に居たのは先ほどST165型の白いセリカGT-FOURの傍で話の受け答えしていた麻美子さんだった。そして同じくAE86型の赤クロレビンの脇で外人に圧倒されていたエンちゃんだった。
そしてその二人を前に舞衣先生が夏帆に対して命令口調で夏帆に伝えた。
「その左手に白手袋取ってみろ!」
「こう・・・ですか?」
夏帆は不思議そうに左手の白手から自分の手を取り出した。
あっ!しまった!左手の薬指にはエンちゃんからもらったリングが・・・
そう思った夏帆だったが、舞衣先生はそんな夏帆の薬指からそのリングを抜き取り、駐車場の遠くに投げ捨ててしまった。
そこで初め唖然としていた夏帆が舞衣先生に対して激怒したのは言うまでもない。
「舞衣先生!いくらなんでも・・・エンちゃんにもらった大事な・・・大事な・・・」
と言いながら今度は舞衣を両手で叩きながら泣き崩れてしまった。それはまるで駄々っ子の幼稚園児のように・・・
「落ち着け・・・小比類巻話を聞け!」
舞衣先生は夏帆の攻撃を交わしながら今度は夏帆の左手首を掴んで口を開いた。
「お前の薬指見てみろ!それを心配したのはオマエのエンちゃんだ!」
そう言われた夏帆が自分の指を見ると、なんと薬指のリングをはめていたところが緑色に・・・それは、金属が腐食した証拠となるものだった。
その自分の指を見ていた夏帆に麻美子さんが声をかける。
「マドカからオモチャの指輪を渡した話聞いてさ・・・小比類巻さんだったら絶対指に嵌めたままにするな・・・思ってさ・・・だから、3人で相談したの」
「何を・・・ですか?」
そう不思議がる夏帆の前で麻美子さんは実の弟に声をかける。
「マドカ・・・それ渡すんでしょ?」
そう言われたエンちゃんが持っていたのは白い小さな箱だった。
エンちゃんが滝沢パーキングで渡したリングは「とりあえずの仮押さえ・・・」という軽い気持ちからだったのだが、それを聞いた実の姉と叔母さんにあたる舞衣先生は大激怒していた。それで、盛岡市内のジュエリーショップで30分という限られた時間の中、当事者である本人のバイト代の3ヶ月分に相当する値段の中で探して買ってきたのがその白い箱に入っているのでした。
その展開は次号でお伝えいたします・・・
みまみまどか