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恋する乙女のひとりごと   作者: みなみまどか
12/20

ワンチャンあるかも・・・

エアロキング・・・それは三菱ふそう製の2階建てのバスです。意図せずそのバスで乗務することになってしまった夏帆に降りかかるミッションとは・・・


成金・・・それは、にわかに身にそぐわない大金を手に入れた者を指す。令和の時代には死後になってしまったそんな輩がゴロゴロいたのもこの平成初期という時代だっだ。そしてそんなオトコたちが好んで選ぶ下品な装飾のされたバッグがそこにある。


それは先ほどエアロクイーンを運転していった専務がエアロキングに忘れていったセカンドバッグだった。しかもそれは金の装飾が施されたその成金風の趣味の悪いモノだ。

そんな専務は最近、かの有名なNTT株を転がして大金を手にしていたのを噂で聞いたことがあった。しかも、その株を手放した後もそのNTTの株価が鰻登りとなっており、悔やんだ専務は他の不動産株に手を出しているという・・・そんなオトコがその専務の正体だった。


そんな悪趣味なバッグの中には、専務が毎日会社帰りに立ち寄るパチンコ店で遊戯に興じる軍資金の入った財布といろんな証券会社の資料や名刺が無造作に入っているほか、バスを運転する際に携帯が義務付けられている免許証が入っていた。このままでは会社帰りにパチンコが出来ないどころか免許証不携帯で反則金を納付する羽目にもなりかねない。

しかも、帰社後運行課にタコグラフを提出する際に車検証とともに運転免許証の提示もしなければならない事から退社もできない事にも・・・


と・・・いうことで、今エアロキングにある専務のセカンドバッグを八戸へ向かって走行中のエアロクイーンへ届けなければならない。でも、80キロ規制区間のその法定速度で走行中のそのバスに追い付くにはそれ相応の速度が必要となる。そこで白羽の矢が立ったのが、エアロキングのフロントガラス越しに見える覆面パトカーだった。


しかし・・・通常そんなことを頼めるはずのない岩手県警交通機動隊高速隊の盛岡分駐隊員は、夏帆が高校時代3年間担任をしていた舞衣先生のカレだったのだ。しかも、そんなカレは舞衣先生の尻に敷かれている様子・・・


これはワンチャン望みがあるかも・・・


そんな望みを託した夏帆が運転手の渡部から専務のセカンドバッグを受け取るとエアロキングから飛び降りた。


でも・・・バスを飛び降りた直後目に飛び込んできたのは舞衣先生とその義弟がしんみりと話す姿だった。そして、夏帆が話を持ちかけようとしている舞衣先生のカレは舞衣さんの後ろでうんうん・・と頷いている。そんな様子に夏帆は話を切り出せなかった。でも、こうしている間にも専務が運転するエアロクイーンが遠ざかっていく状況だ。気がだけが焦る・・・。


そんな焦る夏帆の前で、エンちゃんが自分の義姉に当たる舞衣先生に大学での履修について話をしていた。


「・・・・・実は僕、教職課程も履修()ってるんですよね」


夏帆はそんな様子を見守っている高速隊員(舞衣先生のカレ)に声をかけようとして、肩をそっと叩こうとした瞬間だった。


「へ〜・・・教職課程か・・・それってあおいちゃんの影響?」


しかし、その「あおい」という名前を聞いてその背の高い肩を叩こうとした手が止まった。もちろんその「あおい」とは、昨年病気て亡くなってしまったエンちゃんの元カノの名前だ。そんな夏帆の前で神妙な面持ちのエンちゃんが舞衣先生に向かって口を開く。


「もしかするとあおいの夢を引き継ぎたいのかもしれません。でも、母さんが会社を廃業しちゃった今、何を目指すか見当もつかない中で将来の選択肢を沢山つくっておきたいっていうか・・・」


実はこのエンちゃんの母さんというのが凄い人だった。労災事故で亡くなってしまった前社長(つまりはエンちゃんの父親)から建設会社を引き継ぎ、そこから会社を大きくしていった敏腕の持ち主だった。建設業という世界は結構ヤクザ気質の人も多かったが、女社長でありながらそんな世界で会社を運営していた。


しかし・・・会社の運営自体は順調だったのだが、ある時を境にして銀行の貸し渋りが始まり、それと同時に同業者の連鎖倒産が始まったのだ。しまいには元請けからの代金支払いが滞ることも発生するようになることも・・・。この時まだ世の中は好景気に浮かれていたが、そんな中経済情勢を先読みして会社運営に余力のあるうちに数十人いた従業員にきちんと退職金を支払って会社を畳んだ。しかも、一人親方として建設業を営む志のある従業員には重機まで付けてやる気前の良さ・・・これがその女社長の正体だ。


その時、とても人には聞かせられない言葉で色々と揶揄されていたが・・・その判断が正しかったということはこの数年後(バブル崩壊後)世の中が証明することになる。そんな母親に育てられたのが夏帆が恋するオトコだったのだ。


夏帆の目にはこの時語ったそのオトコの言う将来という世の中はとても鮮明なものではないように見えた。それはまるでこの先の社会情勢を予知するかのように・・・

でもこの時はまだまだ好景気の中だ。そんな売り手市場の中、希望すればどんなところにでも就職できると言われているそんな時代、そんな社会的常識を覆すような不安げな表情はを誰にもわかるものだった。でも、そんな義弟に向かって舞衣先生はそんなに悩むことはない・・・と言いたげに言葉を返す。


「でもさ・・・考えてみろ。土木を専攻してるんならなおさら就職先は困らないだろ?土木課の佐藤先生が土木専攻の学生なら大手ゼネコンに「就職の意思を伝える」だけで採用通知が来るって言ってたぞ?この好景気(バブル)だっていつまで続くとも限らないんだ。今のうちに大手に就職するっていう手も王道かと思うんだけど・・・」


ちなみに、舞衣先生のいうこの土木科の佐藤先生という人が夏帆が所属していた女子ソフトボール部の監督だ。


そんな佐藤先生が言うとおり、このバブル最盛期の時代土木と言わず理系の大学生の引き合いは物凄いものがあった。恐らく、この時代の理系学生は就職活動すらしないで就職している者が殆どではないかと思うくらいだ。一般的な例では、大手ゼネコンにツテのある研究室(ゼミ)の教授に頼まれて仕方なく会社訪問に伺ったら、軽く会社概要の説明を受けた後訳も分からないままクルマに乗せられ、行った先で夜付きの接待(キャバレーや風俗など)を受けたうえ、アパートに帰ると郵便受けに採用通知が入っている・・・そんな例も少なくなかった。


令和の時代になってはどれも戯言に思えるが、どれも本当のこと・・・これがバブルの正体だった。世の中がそんなことになっている中、健全な会社を廃業する人がいるとは・・・


でもこの時代、誰しもそんな景気が永遠に続くとは思っていなかった。でも同じく皆が「今しばらくは好景気が続くはであろう」と思って(願って)いたソレは、案外にも近いうちに弾けるこに・・・以降、平成・令和と続くその経済の低成長時代は、のちに「失われた30年」と呼ばれるようになる。


そんな事はさておいて、その時元ソフトボール部員だった夏帆は先生の言う監督の名前に反応し、背の高いカレの背後から舞衣先生前へ歩み寄る。


「あの佐藤監督ですね?」


「そうだよ・・・あの試合中居眠りコいてるっていう噂の・・・」


「居眠りって・・・まっ、嘘じゃないですけど・・・」


「毎年土木の教育実習生(教生)はその佐藤先生が教務担当になるけど・・・」


この時エンちゃんが一歩前に出る。


「来年教育実習でお世話になるかもしれませんのでよろしくお伝えください・・・」


「う〜ん・・・残念だな。通常、教育実習っていうものは母校でやるもんなんだ・・・わたしって教生全般の担当なんだけど・・・ビシバシやりたかったけど凄く残念!」


「えっ?そうなんですか?付属の高校でやるんじゃ・・・」


「なんだ、知らなかったのか?先輩にでも聞いてみろ・・・」


「いえ・・・土木に教職をとっている先輩がいないもんで・・・」


「じゃ、同じ土木に一緒に教職を履修してる同級生・・・」


「いや・・・土木で教職課程履修ってるのは僕だけなんで・・・」


もちろん教職課程の単位というのは卒業になんら関係のないものだ。しかも、ソレの授業は変な時間帯に組み込まれ、アルバイトも限られてしまう事から余程の変人でないと履修しないことで有名だった。ましてや土木工学科の連中は土建会社の社長の跡取りも多く、アルバイトをせずとも高級車を乗り回しナンパに明け暮れる輩も多かった。ということで、とにかく最低限(ギリギリセーフ)の単位で大学を卒業できるかが一番の美徳とされていた時代だ。

そんな中、貴重な時間を潰してまで教職課程を履修しているという、このとてつもない変人がこの舞衣先生の義弟・・・もとい、夏帆が恋するエンちゃんなのである。


しかもこの時、舞衣先生は翌年の教育実習で自分の義弟が意図せず自分の元で教育実習を受ける事になるとは思いも寄らなかった。そんな舞衣先生の義弟は高校3年生の時、実の姉が強盗に襲われた際にその犯人を病院送りにした経歴を持つ。しかもそれが警察沙汰になっていて、その時留置所に何日も拘留されていた黒歴史までも持ち合わせていた。

そんなことで、あろうことか母校が実習生として受け入れを拒否することになり、それでその学生の取り扱いに困った大学側が自らの附属高校に言わば強引にその身柄(教育実習生)を押し付ける事になる。


そんなことは置いておいてその二人の会話は続く・・・


「で・・・ここで改めて聞くが、あの化粧の濃いバスガイドとはどういう関係・・・ん?」


その質問をしながら夏帆を指差したそのの指先が震え出した。


「夏帆ちゃんと僕はその・・・」


エンちゃんがそのを答えを言いかけた時、そのエンちゃんの声を聞いた夏帆の足が止まる。


『エンちゃんってわたしのことなんて思ってるの?』


その時夏帆がそう思うのと同時に舞衣先生が化粧を直して戻ってきた夏帆を見て目を丸くした。


「おい!さっきの化粧はどうした!それじゃいつもの小比類巻じゃないか!」


そんなことを投げかけられた夏帆は冷静にそれに応える。


「これがわたしの平常運転ですが・・・」


「それじゃさっきのは?」


「盛岡の蕎麦会館でわんこそば大食い大会に出ることになりまして、その収録用の化粧です・・・」


「おまえ・・・収録って、もしかしてそれってテレビの収録ってことか?」


「そうです。名前は分かりませんが、芸能人の大食い自慢もおりまして、そんな芸能人担当のメークさんにメークしてもらった結果がアレでした。それよりちょっと今、大変な事になっていまして・・・」


「ん?大変なこと?なんだ・・・言ってみろ!」


舞衣先生のその口調は夏帆が3年間受けた舞衣先生の英語の授業で聴いた口調そのものだった。

そう言われた夏帆は、先ほど渡部運転手から手渡された専務のセカンドバッグを差し出す。


「あの・・・これなんですけど・・・」


「なんだ?その趣味の悪い・・・」


「はい・・・先ほど専務がハコガエしたバスに生徒たちを乗せて今八戸へ向かっているんです。けど・・・」


「なんかそんな話だったな。けど・・なんだ?」


「そのバスを運転している専務の免許証がこの中にありまして・・・」


「ん?どういうことだ?」


その時、舞衣先生が口を開くのと同時に舞衣先生のカレが一歩前に出て話に割り込んだ。


「ん?・・・ということは、免許証の不携帯・・・ということになりますね?」


「そうなんです。しかも、財布やらいろんな個人情報もたくさん入っています・・・なので、すぐにでも届けないといけないんですが・・・連絡の取りようもないですし・・・」


何度も言うようになるが、ここは平成初期の時代だ。携帯電話どころか電子メールなんてものもない。強いて言うなら、金持ちの高級車に自動車電話なるものあったこともあるがそれはごく一部の話だ。そんなことから、移動中の人間に外部から連絡するなど考えも及ばない。つまりは追いかけて届ける手法以外の選択肢がなかったのだ。


その時、夏帆の話を聞いた舞衣先生が振り返り目線を上にして自分のカレにささやく。


圭介(けい)・・・」


この時夏帆は舞衣先生とそのカレの間から阿吽(あうん)の呼吸というものを感じとった。そんな夏帆の前でそのカレが水色の帽子を被り直して姿勢を正し夏帆に事情聴取する。


「そのバスは三五八交通の3台口運行の車両ですね?」


「はいそうです。その中の一番新しい・・・」


「エアロクイーンですね?このバス(エアロキング)と同じ鮮やかなカラーリングのバスの運転手が免許不携帯なんですね?」


三五八交通では新しく導入したふそうのバスが薄ピンクを基調とした白に、そこに赤と青の差し色の入った鮮やかなカラーリングをしていた。それは今、夏帆が着ているバスガイドの制服と同じ色合いとなっている。一方の古いスケルトンは、三五八交通創業当時に豪華路線を目指した伝統のゴールドを基調とした野暮ったいカラーリング・・・


「そうです。そのバスを運転しているのががその専務です・・・よろしくお願いします」


「了解しました。本件は道路交通法第95条1項該当事案となりますので、本官はこれから事案対応に向かいますっ!」


そう言いつつ敬礼をすると回れ右をして身体の向きを変え動きを止めた。その時だ


「小比類巻・・・ソレ・・・ソレ・・・」


舞衣先生が小声でそう言いながら夏帆のもつセカンドバッグを指差す。


「あっ・・・」


そう言いつつ夏帆がそのカレにソレをそっと差し出すと、そのカレは視線を遠くにしながら手だけ動かし夏帆にそっと手のひらを見せる。


『えっ?なに?この大きな手は・・・身長が高いと手がここまで大きいの?』


そう感じた夏帆があることを思い出す。


「一般的に手の大きさと生殖器の大きさは比例する・・・」


それは数ヶ月前にエンちゃんが入院した時に、担当した看護婦さんが言っていたことだった。そんなことを思いながらその大きな手に専務のセカンドバッグを手渡した。すると、その大きな手でセカンドバッグを鷲掴みして左の小脇に抱えた。そして、右手をこめかみに掲げ敬礼しながら振り返る。


「それじゃこれから検挙に向かいますので・・・情報ありがとうございました!」


そう言い残し同僚と共に覆面パトに乗り込んだカレはエンジンをかけるとすかさず発進させた。そして料金所ブース前のパイロンの間をタイヤを軋ませる音を立てながら転回させたると対向車線をフロントを持ち上げるように猛加速する。そしてその車体中央から赤い回転等がニョキっと顔を覗かせると、それが赤い光を放ちつつけたたましいサイレンを鳴らし八戸方面へのランプへあっという間に消え去った。


そしてそのサイレンの音が小さくなって行く・・・そんな覆面パトを見送った後に訪れたしばしの静寂・・・聞こえるのはエアロキングのアイドリング音のみ・・・


「いや速いな・・・さすがV6の3リッターターボ・・・」


右手を目の上に庇のようにしながらそれを見送りつつそう言う舞衣先生の手を見て夏帆は驚く。


『凄く手が小さい・・・』


その舞衣先生は身長も小さければ手も小熊のように小さかった。そしてそんなことを思う夏帆の耳に、先ほど急加速をして走り去った覆面パトカーのある高周波音が耳から離れない。


「今・・・加速の時、「キーン・・・」って音がしてましたけど・・・」


そして夏帆がそう囁くとエンちゃんが夏帆に向かって囁いた。


「あれがターボ車のタービン音・・・」


「えっ?あれが?・・・そういえば専務が運転していったエアロクイーンもそんな音がしていたかも・・・」


そのターボというものはそもそも産業機械の方が普及が早かった。一般的に重機と呼ばれる機械を多数所有していたそのエンちゃんの母親が経営していた建設会社の大型ブルドーザーは全てターボ付きディーゼルエンジンであり、大きなものではV型12気筒のツインターボなんていうエンジンを積むモンスターマシンもあった。

そして、それが例え直列6気筒エンジンのシングルターボのエンジンであっても、それを操縦するオペレーターが「一日運転すると蝉が耳から離れない」というほどそのタービン音は強烈だった。


この平成初期の時代はそのターボの音をあえて強調するクルマが多かったが、結局のところそれが耳障りとされようになると時代と共に消音技術が確立され、令和の現代ではその高周波が聞こえないターボ車がほとんどとなる。しかし、そんな音を消す技術も確立されていなかった頃のターボ車はそのタービンが発する高周波が結構派手だった。


そんなことで幼少期からターボエンジンに慣れ親しんできたエンちゃんが夏帆の呟きに応える。


「そうだね・・・同じターボだね。でもあのパトカーがV型6気筒エンジンで、確かあのエアロクイーンもV型8気筒エンジンだったよね?排気量は4倍以上違うけど・・・」


「なんか詳しい・・・」


後日談ではあるが、その時向かった覆面パトが専務の運転するエアロクイーンに追いつき、例の「パトカーに続け」の表示の元、近くのパーキングエリアまで誘導(連行)されている場面をライバル会社である市営バスの運転手に目撃されてしまっていた。その後、「三五八交通の専務が実車運行中(客を乗せた状態)に覆面パトに捕まった・・・」という噂を夏帆が聞いたのはこの業務が終わり入庫した直後だった。


そんなことはさておいて、覆面パトのいなくなった現場では夏帆と舞衣先生の話に花が咲く。


「そういえば、さっき「テレビ」って言ってたが・・・そのわんこそば大会っていつ放映されるんだ?」


「関東では・・・」


この時夏帆はその放映日について説明する一方、自分との関係についてエンちゃんがどう答えるのか聞くのが怖かった。でも・・・その話が出ることがなく、夏帆は少しホッとしていた。


そして夏帆がそのわんこそば関係の事柄を一通り説明した後、今度は舞衣先生が口を開く。


「なんだ!青森では放映されないのか?」


「残念ながら・・・」


そうである。この時民放2局しかなかった青森県ではあの「笑っていいとも!」ですら夕方に放映されていたくらいである。しかも、通常ゴールデンタイムに放映されているドラマ番組も週遅れの昼過ぎに放映されていた・・・そんな時代だ。


その残念そうな夏帆の話を聞いた麻美子さんが舞衣先生を見て口を開く。


「多分ウチの方では放映されると思うから、録画してビデオテープ送リましょうか?・・・ベータでよければ・・・」


そう問われた舞衣先生が悔しそうな顔をする。


「わたしのところはVHSなんだよね・・・」


この時代ではこんな会話が風物詩となっていた。ビデオ事業で先行するソニーが独自開発したベータマックス方式の録画方式に対して追従する東芝が開発したのがVHS方式だった。その後しばらくはベータとVHSが競合するものの、松下電気がVHS方式を採用した事によりベータは少数派になってしまう。個人的にベータ派だった筆者にとってはそのベータが衰退する理由が分からない。そう思うほどベータ方式は優秀だったのに・・・。


そんなどうでも良いことを差し置いて二人の会話は続く。


「じゃ、森山のおじさんちでVHSに繋いでダビングしてから送るね・・・」


「サンキュー・・・」


この「ダビング」というワードもいつしか死語になってしまった。いわゆる録画テープのコピーのことである。


そのビデオデープを送ってもらえることに安堵した舞衣先生が夏帆をじっと睨んだ。


「それでテレビデビューを果たした()()()小比類巻は・・・このオトコをどう思ってるんだ?二人の間に何かあるのは知ってるんだぞ!」


そう言いながら舞衣先生は夏帆見ながらエンちゃんことを指差している。その時夏帆は『えっ?まだエンちゃんの答えを聞いてない!』と心の中で抗議しながら心臓の鼓動が激しさを増す。


「えっ?わ・・わたしですか?」


そんな夏帆の声はひっくり返った。そしてその質問を投げかけられた夏帆は困り果ててしまう。自分の気持ちは決まっているのだが、この時はまだエンちゃんとの関係があやふやだったから・・・そんな夏帆は返答に困った。


「いや・・・先ほどあおいさんの話聞いてますので・・・なんと言っていいのか・・・」


そんな模範解答の夏帆の焦った姿を見てかエンちゃんが助け船を出す。


「そんなの決まってるって・・・」


エンちゃんがいきなりそんなことを言い出した。


『それって・・・?』


夏帆はエンちゃんが自分に対してどのような感情を持っているのかを聞くのが怖かった。そんなエンちゃんが話を続ける。


「それは後々わかることだから楽しみにしててよ・・・」


この時夏帆はホッとしていた。「彼女」と言ってもらえれば嬉しいものの、「友達」とか「知り合い」なんて言われたら立ち直れない予感がしていたから・・・でも、その「後々」の真意とは・・・?


そんな煮え切らない答えに安堵しながらも夏帆はエンちゃんとその義理のお姉さんとの会話に注視する。


「・・・母さんから部活が忙しいとも聞いていました。それで、の麻美子姉さんの結婚式に来るのも予定を合わせるのが大変だったとも・・・」


そういえば舞衣先生が顧問をしているのはあのブラックな吹奏楽部。しかも、その吹奏楽部といえばエンちゃんの彼女がその部員だった。でも、そんな彼女も転校して今じゃ北海道・・・


「吹奏楽部って忙しいですよね?休みってあるんですか?」


その夏帆が投げかけた言葉は、高校生の時何度も舞衣先生に投げかけていた質問と同じだった。すると、その夏帆の質問を聞いてか聞かずかずかエンちゃんは固まってしまった。夏帆はそんなエンちゃんに問いかける。


「どうかしたの?」


「そうだよね・・・マコちゃんも吹奏楽部・・・向こう(旭川)でも忙しいって・・・」


「向こうでも吹奏楽部に入ったんだ・・・」


そうだった。エンちゃんの彼女であるそのマコちゃんは去年、舞衣先生が顧問をしている吹奏楽部を東北大会に出場させた張本人だった。しかも、次期部長に指名されていたところに来た親の再婚話・・・これにより高3の春から遠く離れた旭川の高校に通う羽目になっていた。


「いっ・・いや、いいんだ!済んだ話だし・・・」


初めて聞いたエンちゃんのこんな投げやりな自問自答・・・そんな言葉に舞衣先生がトドメを刺す。


「そういえば、2年生の終業式が終わってから3年生も呼んで卒部会をやる予定してたんだが・・・会場に行ってみたら森内がいないんだ。事情を聞いてみると、なんでも高校の校門で待機していた赤クロのクルマに乗って、別れも言わずどこかへ行ってしまったって言うんだ。しかも、そのクルマの後ろのガラスにわたしのスターレット(KP61)に貼ってあるのと同じ「Rio Factry」って言うステッカーが貼ってあったと・・・」


この時舞衣先生が呼んだその「森内」とはマコトマジックのことを指す。つまりはエンちゃんの彼女だった女子生徒のことだった。


「そうだよね・・・舞衣義姉さんのクルマにも・・・」


そう指差す赤いクルマ2台には揃って同じ場所に同じステッカーが貼ってあった。


もちろんそのステッカーは、舞衣先生の実家である小林ボデーの整備工場に併設してある特別なピットで作業したクルマでないと貼れない希少なものという。それを見た夏帆が思わず口にする。


「なんかあの2台ってお揃いで怪しい・・・」


それに対しエンちゃんが説明する。


「そのステッカーって「Rio Factry」でエンジン載せ替えたクルマに貼られる希少なものなんだ。・・・と言っても仲間内でしかわからないけど」


「Rio Factry・・・って、昨日麻美子さんから教えてもらった・・・あの?」


「うん。ウチの看板整備士の・・・」


ちなみにその「RioFactry」とは小林ボデーに併設してある特別ピットのことである。ちなみにその責任者は、中学3年生の時エンちゃんを襲った張本人の理央と呼ばれる女性だ。ちなみに夏帆はその彼女に一度も逢ったことがない。


ステッカーについて話しを聞いていた舞衣先生が少し間を置いて義弟を問いただす。


「なあ・・・ところでその女子高生を拉致したその赤クロのクルマってコレ・・・だよな?エ・ン・ちゃ・ん?」


そう言いながらそこに駐車している赤クロのレビンを指差した。


「拉致・・・って人聞きが悪いです!でも・・・すいません・・・そうです・・・」


そう言われた義姉である舞衣先生はニヤリとしながら話を続ける。


「で・・・その後どこ行ったんだ?定番の階上(ハシカミ)か?」


その名称が出た瞬間思わず夏帆の口が開いた。


「階上って・・・あの?」


ちょっと驚きながら聞いている夏帆の前で、数年前まで自分の担任だった先生が女子高生が大学生とソコに行くのは当たり前のように言っている。今時の女子高生とはそんなものなんだろうか?

ちなみにその「階上」という地名は、以前夏帆がエンちゃんと夜景を見に行った階上岳から、フェリー埠頭へ向かった時に素通りしたラブホ街のことである。そんな階上は、終業式や卒業式の夜には常にラブホが満室状態になりラブホ難民のクルマたちが彷徨うのも風物詩となっていた。


そして、何か勘違いされたエンちゃんが重い口を開く。


「すいません・・・あの後向かったのはフェリー埠頭なんですが・・・埠頭って言ってもアッチじゃありませんよ」


その「アッチ」とは、工事中の防波堤のことである。そこはクルマの中でカッブルたちがイチャつく定番の場所で、夏帆がエンちゃんに告白をした因縁の場所だった。そんな夏帆の前で舞衣先生が義弟を問いただす。


「じゃ、どっちなんだ?」


「もちろんフェリー乗り場です。マコちゃんのお母さんに頼まれて学校に迎えに行きまして・・・制服を着たまま乗船して行きました。それに苫小牧で新しい義父さんが出迎えるとも・・・」


「苫小牧からさらに旭川か・・・遠いな」


「そうですね・・北海道の真ん中ですもんね・・・」


「それでマコちゃんが言ってました。なんか吹奏楽部の仲間を裏切るような気がして合わす顔がないから卒部会には行けないって・・・」


「そうだよな・・・転校のことはみんなに秘密にしててくれって頼まれてたから喋んなかったけど、本当に最後の最後まで秘密にしてたんだな・・・」


そんな彼女の苦悩を知るエンちゃんがそれに応えるように口を開いた。


「みんなで全国に行こう・・・って言った矢先に転校が決まったみたいで言い出せなかったみたいですよ」


「だろうな・・・東北大会後の部の幹部会議で森内が次期部長に相応しいってことになって、後日職員室でその旨打診したんだが・・・辞退されちまってな・・・東北大会の打ち上げまでは元気だったんだが、その後なんか元気がなかったと思っていたんだよ・・・」


「マコちゃんってお姉ちゃんがいるんですが、八戸市内のトヨタディーラーに就職が決まっていたんです。それでお姉ちゃんと住むからと言って北海道行きの話は固辞したらしいのですが・・・未成年だからっていうことでそれも叶わず・・・」


その時夏帆の脳裏に見かけやたらと軽薄なオトコの顔が浮かんだ。


「あっ!そのお姉ちゃんって・・・あの、織田さんの彼女・・・の?」


その「織田」というオトコは一見軽薄なナンパ野郎だったが、親からの仕送りが見込めない中生活費を自分でなんとかしている苦労人でもあった。そんなオトコと学生番号が連番だったエンちゃんは実習などでペアになることが多く、誰が見てもその間柄は親友というところだった。


「そうなんだよね・・・今その二人って同棲中で、織田の就職が決まった段階で結婚する流れかと思うんだ。それでその織田はあのNTTに就職するって言って頑張って勉強中で・・・」


「もう、目標が絞れているんですね?」


ちなみにそのNTTこそがバブルの火付け役とも言っていい企業だった。当時を知る人が誰しも知っているあの株式公開後のあの混乱・・・あれよあれよという間に株価が上がり、その株を転がして儲けた人は一般の主婦にまで及ぶ事態だった。


そんな企業の子会社に勤める父親を見返してやろうとしてその親会社に就職しようと努力しているオトコこそがその織田だったのだ。そんな織田に比べ、目標が定まらないそのエンちゃんの口調はどこか弱々しい・・・それは、この先の日本経済の動向を案じてのことなのであろうか?


「そうなんだよね・・・それに比べて僕はその辺の目標が全然で・・・」


その時、自分の目前で将来の方向性が絞れていない義弟を見た義姉が口を開いた。


「まっ、迷うのもまた若者だからな。どんどん悩め!あと根拠のない自信と、思い込みと勘違いはその若者の特権だからな・・・その特権を使えるうちに使ったどうだ?」


「それはいろんなことに手を出してみろってことですか?」


「まっ、そうだな・・・社会も人間関係も・・・あと女性もいろいろ経験するといいことも悪いことも見えてきて楽しいぞ・・・」


「僕もそう思いますが・・・その悪いことって例えばどういう?」


「まっ・・・それは経験しなきゃわからないことだな・・・書物やひとの話、あとウワサ話なんかでも聞けるが、それは所詮他人事だから頭で理解してるつもりでも身にならない知識ってところだからな」


それを聞いた夏帆が思わず口を開く。


「それって当事者にならないとわからないってことですか?」


「そうだな・・・特に男女関係においては・・・なっ、まーくん!」


「やめてください!夏帆ちゃんの前で!」


「香織おばさんが、まるでカボチャワインみたいだったって言ってたぞ?彼女って185センチだっけ?」


「184です!もう、やめてください!」


「失敬失敬・・・小比類巻・・・今のはナシ・・・ってことで・・・なっ!」


「舞衣先生!かえって気になるじゃないですか!それってエンちゃんに何かあったってことですか?」


「そういう関係になったら聞いてみたらいい・・・それでこのオトコを嫌いになったら振っちゃえばいいし・・・」


この時夏帆は考えた。まさかそんなに大きな女性など存在しないであろうと・・・それは、エンちゃんが好きなアニメであって、その主人公の身長が184センチなのだろう・・・と、その時夏帆はそう解釈した。

でも、そんな女性は夏帆とエンちゃんの身近にいた共通の女性だったことに夏帆は気づいていない。


この時、舞衣先生の言った「振っちゃえばいい・・・」と言う言葉を聞いて俯いてしまったエンちゃんが大きく息を吸った。


「舞衣義姉さん!そんなこと言って!・・・本当に振られちゃったら僕立ち直れませんよ!」


この時それを聞いた舞衣先生が満面の笑みで夏帆を見つめた。


「なあ・・・小比類巻聞いたか?今のがこのオトコの本心らしいぞ!」


「エンちゃん・・・」


この時・・・夏帆は顔から火を吹きそうなくらいと言ってもいいほど真っ赤だった。




意図せず恋するエンちゃんの本心を聞いてしまった夏帆。それなら今までどうして夏帆の想いを受け取ってくれなかったのか?女子高生の彼女の存在は?それに、時折登場する「理央」というエンちゃんの同級生の存在も気になります。

次のお客様を出迎えるため盛岡駅前に向かわなければならない時間が迫る中、まだまだその身内の話は尽きません・・・

それではまたよろしくお願いします。

みなみまどか



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