その高速隊員が語ったものとは・・・
それは東北自動車道の滝沢インターチェンジでの出来事でした。
病人搬送のためにエアロキングを誘導した覆面パトカーの高速隊員という方が、こともあろうか夏帆が恋焦がれるカレの実のお姉さんの知り合いだったのです。しかも夏帆が高校時代3年間お世話になった先生のカレシというおまけ付きで・・・
そんな高速隊員が語ったこととは・・・
それは、夏帆が東北自動車道の滝沢インターチェンジ料金所脇駐車場に設置してある電話ボックスから出た時のことだった。たった今救急車で送り出した古賀の搬送先などを会社に報告しエアロキングに戻ろうとしたその時、夏帆の目に高速隊員が麻美子さんに向かって敬礼をしている状況が目に入る。
夏帆が電話をかけた道路脇の電話ボックスの前にエアロキングが料金所手前にハザードランプを点滅させエンジンがかかったまま停車していた。そしてエアロキング前方の駐車場に先ほど夏帆達を先導してきたシルバーのY31型と言われるセドリックセダンの覆面パトカーとその隣には麻美子さんが乗ってきた白いセリカが停車している。
そんな状況下、夏帆はエアロキングとその2台の間で岩手県警の高速隊員と麻美子さんがなぜか挨拶を交わす場面に出会したのだった。それにしてもその高速隊員の身長が高いこと・・・
「風谷巡査。ご無沙汰しております・・・」
その背の高い岩手県警高速隊員がなぜか敬礼をしつつ麻美子さんに向かって頭を下げていた。それに対して麻美子さんは後退りしながら応える。
「ちょっ・・ちょっと・・・やめてください!わたしはもう民間人なんですから・・・」
そんな麻美子さんは元警察官だったと聞いていた。しかし、現在民間人のはずの麻美子さんに対して、現役警察官である水色制服がわざわざ巡査という役職を持ち出したのか、なぜ敬礼をしているのか夏帆には理解できない。しかも、どうやらその水色制服と麻美子さんがどうも初対面ではない様子だ。
ちなみに古河を乗せた救急車は盛岡市内の総合病院に向け走り去ったのだが、その車中には芽衣子さんと芽衣子さんの妹の女医さんが付き添っている。その芽衣子さんの妹の結衣さんという方は、そもそも今まで研修していた二戸市内の診療所から、盛岡市内の総合病院へ研修先が変わるということで打ち合わせに行くことになっていたようであった。それで八戸から盛岡に向かうエンちゃんのレビンに便乗していたとのことだったのだが、急遽救急車で直接目的地へ向かえるとあって一石二鳥と言い残して救急車へ乗り込んで行った。
そんな夏帆の前で、今度は麻美子さんと水色制服が名刺交換を始める。
「あの節は大変お世話になりました。お陰様でわたし最近結婚しまして、今こんなところでお嫁さんやっていまして・・・お名刺頂戴いたします。あっ!巡査部長ってことは昇進試験突破されたんですね?おめでとうございます・・・」
『ん?あの節・・・?』
夏帆は少し距離を取りつつその何かありそうな二人の関係を聞き耳を立てながら見守ることにした。そんな中聞こえるのは水色制服の声・・・
「上のお名前が風谷さんから小林さんにかわられたんですね?ご結婚おめでとうございます。ところで・・・あの後弟さんは・・・ん?この住所に小林ボデー・・・って?」
この時夏帆は、その水色制服がその麻美子さんが差し出した名刺を二度見したのを見逃さなかった。しかも「あの後?・・・弟さんって・・・?」と疑問に思うそんな夏帆の前で、麻美子さんが何か驚いた様子でその水色制服に問いかけた。
「えっ?名刺に何か変なこと書いてありました?」
「い・・・いや・・・」
『ん?なに?』
夏帆はその時その名刺を二度見した水色制服に何かあると察し始めた。
そんな夏帆と麻美子さんの前で長身の水色制服が奥歯に物を詰まらせたような物言いで話を始めようとしたその時、免許証とバスの車検証を持った渡部運転手がまるでゾンビのような表情でひょっこりと現れる。
「あの・・・何キロオーバーでした?今からパトカーの固定メーターの確認ですよね・・・?」
そんな渡部は過去の経験から違反処理の流れがわかる様子だった。表情の曇った渡部はそう言い残すと、たった今まで屋根の上で回転灯の回っていたシルバーのY31へ向かってトボトボ歩み始める。
その項垂れた後ろ姿は哀愁漂う寂しいものだ。
『これって・・・もしかしてこれから赤キップの交付式が始まる?』
夏帆がそんなことを考える中、そんな後ろ姿を見て真っ先に声を挙げたのは麻美子さんだった。
「検挙するんですか?病人を搬送してたんですよ!その後PCで先導してたじゃないですか!」
するとそう問いかけられた水色制服は麻美子さんを見下ろす角度で首を左右に振った。そして覆面パトへ向かって歩くそんな後ろ姿に向かって叫ぶ。
「あの・・・ちょっと待ってください!検挙したわけじゃありませんので・・・」
「えっ?」
渡部はそう声をかけられると振り返ってその水色制服の顔を見つめた。
すると見つめられた水色制服がコクリと頷く
すると・・・みるみるそのゾンビのような表情が安堵と不思議の混じったものに変わる。そんな渡部に向かってその水色制服が口を開いた。
「はい・・・事情が事情でしたので、人命最優先ということで先導させてもらいました。だからご心配なく・・・」
「それじゃ・・・無罪放免?」
「そういうことですので、これからも安全運転に努めてください!」
そう言われた渡部はますます明るい表情に変わり、足取りも軽くエアロキングの前扉からバスに乗り込んで行った。その姿を見た夏帆がその水色制服に声をかける。
「さっきまで免許の点数ばかり気にしてて・・・会社クビになるかもって青い顔してたんですから・・・」
そう言われた水色制服が裏事情を披露する。
「いや・・・道路公団からのホットラインで、三五八のバスが病人を搬送してるという情報もらってましたので・・・」
その話を聞いた夏帆が麻美子さんの顔を見ながら口を開いた。
「それって、あの時の電話・・・?」
そんな不思議そうな顔をしている夏帆の前で麻美子さんがその疑問に応える。
「うん・・・そうなの。でもごめんなさい・・・バスにあの娘を乗せる時にもう一回電話を掛けて事情を説明したの・・・その時、名前聞かれたんで咄嗟に通りかかりの警察官を名乗っちゃったのね。しかも役職名乗る時、癖で旧姓が出ちゃって・・・・」
するとその話を聞いた水色制服が話に割り込む。
「そうなんです。道路公団からのそのホットラインで懐かしいお名前お聞きしまして、巡回に出るはずだったセドリックで参上した次第です。しかもあの珍しいエアロキングだと聞いてましたのですぐに分かりました・・・」
「だから覆面パトカーでの先導だったんですね?」
「はいそうです。そもそも『三五八交通のバスを検挙したら別れる』って彼女から事前通告されているっていうのもありますので・・・三五八のバスは検挙なんかしません。まっ、観光バスが交通違反をするとは思えませんが・・・」
『ん?彼女がそんなことを言っている?・・・と言う事は、ウチの会社の関係者?』
夏帆はそんなことを思いながら話に割り込み聞き返した。
「えっ?もしかして・・・その彼女さんってウチのバスガイドだったりします?」
そう聞かれたその水色制服は首を横に振りつつこう答えた。
「いえ・・・わたしの彼女って八戸の高校で先生をしていますが・・・」
『意外にも三五八交通に関係のない高校の先生がこの水色制服の彼女なのか・・・でも、なんで?』
「八戸ですか・・・遠距離なんですね?それで、ウチの会社とどのような関係が?」
「はい。ちょっとありまして・・・それでその彼女が言うには、なんでも教え子2名ほどが三五八交通でガイドさんをやってるという話でして・・・」
『ん?2名ほど・・・?もしかすると・・・』
この時だった。先ほど来覆面パトが気になって仕方ない様子だった麻美子さんが話を遮った。
「あの・・・ちょっとアレ見せて欲しいんですけど・・・」
「いいですよ・・・なんならサイレン鳴らしてもらっても・・・」
そういったその相手の姿はすでにそこに無く、その本人は覆面パトのボンネットを開けて覗き込んでいた。
「やはり整備工場のお嫁さんですね・・・」
そう言いながら夏帆を見おろすその背の高い水色制服に尋ねた。
「身長・・・どれくらいあるんですか?」
「193センチですね・・・小さいクルマを運転できないのが悩みです。それと・・・前に交通課勤務の時、地域課の揉め事案件で現場にひっはられたことがしばしば・・・」
「どうして揉め事に引っ張られるんです?」
「どうしても背の低い警官って甘く見られるんでしょうね・・・そんな揉め事の現場に私が入ると今まで暴れてた当事者が急に観念したり・・・私は全く手を出していないんですが・・・そんなのが嫌で高速隊を志願してってのもありますが・・・」
「そっ・・・そうですね・・・上から見下ろされるその威圧感っていうのも・・・」
その時夏帆はそんなことを呟きながら、自分を見下ろす角度で話をしているそんななカレを頭の中で舞衣先生と並べてみた。もし舞衣先生カレシだったらどれくらいの身長差かと思っていたが、夏帆が想像する舞衣先生の身長はその水色制服の胸の辺りかそれ以下か・・・それにしてもものすごい身長差だ。
「すっ・・・ごい身長差!実際に並んだらすごいだろうな・・・へ〜」
そんなことを話している傍では、覆面パトの中でこの長身のカレの同僚から何か説明を受けている麻美子さんが何かを操作する様子が見えた。すると覆面パトの屋根についている格納式の赤色灯が出たり入ったりしてフタがパカパカし始める。そんな様子を横目に見ながら水色制服が夏帆の呟きに答える。
「ん?それって誰と・・・ですか?」
「いえ、もしかするとっ・・・てハナシですので気にしないでください・・・」
でも・・・八戸の高校で先生をしているというだけではこのカレの相手が夏帆の身近な人とは限らなかった。でも、確実にその件に関して思い当たる節があった。それは「その教え子2名」ということ・・・
もしかすると夏帆の知らない先輩バスガイドにそんな方がいるのかも知れない。でも、こればかりは聞いてみないと分からない。それがあの舞衣先生のことなのか・・・
『まずは身長から・・・』
「も・・もしかして、その方ってこれくらいの身長ですか?」
その時か夏帆は左手で自分の目の高さを示した。するとそれを見たそのカレが自分の胸の高さを右手で示しつつそれに応える。
「そんな感じですかね・・・」
『う〜ん・・・身長だけじゃ分からないか・・・それじゃ・・・』
「その女性っておっぱいが大きくってすごくグラマーな体型ですか?」
その時夏帆は自分の胸を持ち上げるような仕草でそう尋ねた。するとその水色制服が何かを思い出すようなそぶりを見せ、最後に何かに納得するような表情となる。
『この表情ってそういうことだよね・・・なんか絞れてきたような・・・もしかすると巨乳好き?』
するとその水色制服が夏帆の目を見た。
「なんか職質受けてるみたいですね・・・でも、美人のバスガイドさんから受ける職質ってのも・・・」
普段、美人なんて言われたことがなかった夏帆はどうも照れ臭かった。そんな夏帆は現在特殊メーク中・・・そんな夏帆は冷静を装い答える。
「職質って・・・そう言う訳ではありませんが・・・」
『なっ・・なに?この人ってそういうマニア?それとも変態?』
その時そのカレは目を逸らしながら口を開いた。
「う〜ん・・・そうですね。グラマーって言えばそうかもしれません。いや、世間一般的に見ればそうなるかも・・・」
『グラマーな高校教師ってあまり想像できなかったけど決定打に欠けるな・・・それじゃこの質問はどうだ!』
「それじゃその女性って、おっぱいが大きくってグラマーな英語の先生だったりします?」
「よっ・・・よくご存知で・・・」
『うわ・・・やっぱり!』
この時夏帆は舞衣先生が背伸びをしながら、この長身のカレのキスを受けている姿を思い浮かべた。そして動揺を隠しつつ最後の質問をする。
「そっ・・・それってあの・・・附属の・・・小林舞衣先生のことですよね?」
夏帆にそう言い当てられたそのカレは固まってしまった。そして息を整え口を開く。
「そっ、それじゃ、その・・・教え子さんって・・・?」
『そうだよね・・・教え子ってこだま先輩とわたしなんだよね・・・』
「その教え子二人のうち、一人がわたしみたいです・・・」
「えっ?」
それを聞いたそのカレがさらに固まってしまっていた。そんな時、先ほど覆面パトの助手席から降りてきて、そんな二人の様子を遠巻きに見ていた同僚のもう一人の水色制服がその固まってしまったそのカレに声をかける。
ちなみに、その声をかけたほうの同僚の水色制服が覆面パトの助手席から並走するエアロキングの運転席に声をかけた本人となる。そんな彼が歩み寄りニヤけた表情で口を開いた。
「その方って3年前に味戸巡査部長がスピード違反で検挙した方だったんですよね・・・その方のクルマがすごい改造車で色々聞き取りしているうちに一目惚れしてしまって、それ以降彼女にゾッコンなんですよ・・・」
先ほど麻美子さんと名刺交換していたこのカレは味戸というオトコらしい。そこでそこまで言われたそのカレがその話を制止する。
「ちょっと・・・それはそこまでに・・・」
でも、そんな制止されたはずの片割れの話は終わらない。
「それで、一年かけてやっと彼女にしたのに、これでフラれでもしたら頭丸めて出家しちゃいますよ・・・この前だって、その彼女とケンカしたって言って落ち込んじゃって・・・」
それを聞いた夏帆は、『これまた変わった苗字だな・・・』と思いつつこれに応えた。
「それで舞衣先生と初めて逢った時違反切符は切ったんですか?切符切った後にそういう関係になったんですか?そうなんですか?・・・どうなんです?」
夏帆がその話を聞いて矢継ぎ早にそう問いただすと、さらに奥歯にものが挟まったような表情をして青い帽子の上から頭を掻きながらやっとのことでそれに応えた。
「いや・・・スピード超過で花巻パーキングまで誘導して違反の事実を通告する時一目でヤられてしまいまして・・・そのクルマの音が全然違うんですよね・・・」
カレがそこまで話たのを引き継ぐようにして、同僚の水色制服が口を開く。
「そのKP61ってエンジン自体が違っていたんですよね・・・」
「別の・・・車種のエンジンってことですか?」
「そうです。本来4Kっていう1300CCのエンジンが載っているはずのエンジンルームにあったのは1600CCの別のクルマのもので・・・」
そんなマニアックな話になった時、ちょうど戻ってきた麻美子さんがそんな話に参戦する。
「あっ・・・ソレってアレのことですか?」
「はい・・・そのアレです」
麻美子さんと水色制服のやり取りは「アレ」とか「それ」といった具合で、それを聞いていた夏帆はちんぷんかんぷんだ。
「それって今流行りの4AGスワップですよね?」
「そうですよね・・・見たらまんま4AGのエンジンでした。しかも、メーカーの工場から出荷されたぐらいに普通に載ってました。若い警官ならわからなかったかもしれませんね・・・見た目で分かる違いといえばやたらトグロの巻いたタコ足とドスの効いた排気音くらいでしたから・・・ん?どうかしました?」
「わたしもやったんですよね・・・そのスワップ・・・?」
「えっ?でも、風谷巡査のクルマってあのGT-Fourじゃ?」
「今弟が乗っている86レビンもわたしのです。間も無くここに来ると思いますが・・・わたしのレビンのエンジンを載せ替えたんですから・・・」
「でも・・・載せ替えって・・・」
「いや・・・私のほうのスワップはドナーのほうです」
「えっ?スワップというと、大抵廃車になったクルマのエンジンを使うんじゃ・・・」
「いえ・・・ほとんど新車のエンジンっていいますか、通勤でしか乗ってなかったので距離が伸びなかったといいますか・・・」
「でも、そのレビンって今弟さんが乗ってらっしゃると・・・」
「はい・・・今、弟の乗っているレビンのエンジンと言いますのが一般的にあり得ないと言いますか、公式には口外できないと言いますか・・・あっ、いえ・・・違法じゃありませんよ!きちんとエンジンブロックは4Aですから・・・そんなエンジンが載ってます」
「風谷巡査のお宅って整備工場でしたよね?それでなんとなく想像できます。車検書の記載も変わらない・・・法的にも引っかからないそのエンジンってまさか・・・」
「そうです。そのまさか・・・です」
「新車みたいなエンジンを他のクルマに乗せたとすると、その弟さんのレビンに乗ってるエンジンってやはり・・・」
「あまり大きな声じゃ言えませんが、メーカーが競技向けに耐久試験をしてたエンジンなんです」
「どうしてそんなものが・・・」
「ちょっとしたツテがありまして、廃棄を装って・・・しかも、ヘッドは試したいものがあるっていう新型用の・・・」
「ちょっと待った!これ以上聞くと立場上ダメな感じなので・・・」
「それはエンジンのことですか?それとも入手経路のこと・・・?」
「風谷巡査も人が悪い・・・そんなの分かりきったことじゃないですか?どっちもです。ところでその風谷さんのレビンのエンジンってどうされたんですか?」
「今、八戸で高校の先生をやっている義理の姉のKP61に載ってますが・・・」
「ん?」
「すいません・・・色は何色でしょうか?」
「赤・・・ですが・・・」
「型・・・は?」
「最終型で、テレビのCMでオベ・アンダーソンがテールスライドさせてる・・・アレです」
「足のいいヤツ・・・ですよね・・・?」
「それがどうされました・・・?」
その瞬間、そのカレがなぜかバツの悪そうな顔をしたのを夏帆は見逃さなかった。
『うわ・・・なんかこのカレ、訳はわかんないけどピンチ!」
そんな状況下夏帆が口を挟む。
「あっ!謎が解けました。昨日の夜、エンちゃんのレビンにグループAのエンジンが載ってるって聞きましたけど、そもそもそのレビンに載ってエンジンってたエンジンってどうしちゃったのかな・・・?って思っていたんです。そのエンジンって舞衣先生のスターレットに・・・」
『あちゃ・・・余計なこと言っちゃった!』
その時、夏帆が見上げた青い帽子を被ったカレが動揺したのを夏帆は見逃さなかった。そんなカレが震えるような声で麻美子さんに尋ねる。
「えっ?風谷巡査のレビンのエンジンが舞衣さんのKP61に載ってるっていうことは・・・」
「その舞衣さんってわたしの義理の姉さんの舞衣さんですよ・・・」
「そう・・・なりますよね・・・」
そんな事情を聞いたその水色制服が固まってしまった。でも、舞衣先生とこのカレの馴れ初めを聞いていた夏帆思わず口走る。
「麻美子さん。この方が舞衣先生のカレシみたいなんです!」
それを聞いた麻美子さんが当然驚く。
「えっ?すごい偶然・・・そんなことってあるんですね・・・」
そんな驚いた麻美子さんに夏帆が話を続ける。
「しかも、その馴れ初めっていうのが舞衣先生をスピード違反で捕まえたってところなんですが・・・」
その時、麻美子さんがこの長身のカレを見上げて少し何かを考えそのカレに尋ねる。
「もしかして・・・アレに、やられちゃいました?その身長でしたら・・・やはりそうですよね?」
そう言われたその長身のカレは頭をかきながらなぜか謝る。
「すいません・・・そのとおりで・・・」
実は・・・その舞衣先生は好んでポロシャツを着るような女性だったのだが、ボタンを開けたところから胸の谷間が見え隠れするようなセクシーさを持った女性だった。それは無自覚でのことだったが、長身のオトコが見下ろすであろうその胸の谷間は言わずもがな・・・だったのである。
そんなカレを指差しながら夏帆は話を続ける。
「聞いてください!この方って舞衣先生に一目惚れしていながら赤切符を切ったんです」
そう聞かされた麻美子さんは驚いた表情でそのカレを見上げる。
「えっ?赤・・・のほうですか?」
「いや・・・」
そんな煮え切らないカレに向かって夏帆が問いただす。
「でも、その時スピード違反で切符は切ったんですよね?」
このことは夏帆の担任をしていた時期のことだったが、「自分の担任がスピード違反で捕まった」なんて話を聞いたことはなかった。だから不思議でならない。
そんな夏帆に対して、なぜか弁明でもするかのうような重い口調で水色制服が答えた。
「いや・・・エンジン載せ替えは公認処理がなされていたんで問題なかったんですが、問題のスピード超過を警告書で済まそうと思ったら『きちんと切符切れ!職務を全うしろ!』と怒られまして・・・そんな漢気にさらにヤられてしまいまして・・・」
「これでも切符切れなかった・・・と?」
「いや・・・」
このオトコ・・・否定しないところを見ると相当その舞衣先生にのぼせ上がっている様子である。
その時、そのカレの同僚が話に加わる。
「本当は155キロで速度測定メーターが固定されていたんですが・・・」
その時その速度を聞いた夏帆が驚く。その速度は夏帆が乗っているレックスでは到底出すことのできない速度域・・・
「えっ?155キロ?・・・それって刑事処分じゃないですか?」
その驚いた麻美子さんに対してそのカレがさも当然という口調で答える。
「もちろんそうです!もしかすると身柄拘束に至る事案になるかも・・・」
この時冷静な口調で夏帆にそう答えたまでは良かったが、どうやらこれには続きがありそうな・・・
そんな話の続きをそのカレの同僚が裏事情を披露する。
「一発免停のはず・・・そのはずだったんですが・・・その彼女をパトカーの後部座席に乗せた時味戸巡査長が誤ってメーターのリセットボタンを押しちゃったんです。それで速度の確認ができなくて警告書で済まそうとしたらその彼女が激怒して・・・」
「それでさっきの話に繋がるんですね?」
「そうなんです。お前ら、いい加減な仕事してるんじゃない!って怒られまして・・・それで第2通行帯を走り続けたということにして通行区分違反の切符を切りまして・・・」
「刑事処分を行政処分にしてしまったってことですか?」
その時の麻美子さんの質問に対し水色制服が急にコソコソした口調で答える。
「すいません。結果的にそのようになってしまったんですが・・・決して故意にリセットボタンを押したと言うことではありませんので・・・そのことはオフレコということで・・・」
『ふ〜ん・・・これって絶対わざとリセットボタン押してるよね・・・』
夏帆はそう思いながらその舞衣先生の彼氏と思しきそのカレの目を見ると、それはどこか乙女チックな瞳にも見えなくもない・・・
その時夏帆は麻美子さんに肩を引っ張られ後ろを向かされた。そして内緒話でもするかのように説明する。
「夏帆ちゃん・・・さっき言った赤切符っていうのは刑事処分って言って前科が付くの」
「前科って、履歴書の賞罰欄に書かないと履歴詐称になっちゃう・・・アレですか?」
「夏帆ちゃん詳しいのね?」
「はい。なぜか秋の就職試験に駆り出されることが決まってまして、この前そんな説明を聞いたばかりでしたので・・・」
「なら話は早いわ・・・その前科って一生消えないし、前科持ちを解雇する企業もある。しかも、それが一目惚れした女性とあれば・・・」
「本当はやっちゃいけないけど、あのカレは舞衣先生の将来を守ったってことなんですね?」
「本当はダメなんだけどね!」
その話の後夏帆は改めてそのカレを見上げる。
『へ〜・・・やっぱりこのオトコが舞衣先生のカレなんだ・・2年前に彼女になったってことはわたしが高3の時だよね・・・職員室で舞衣先生にカレといつ逢ってるかって聞いた時ははぐらかされちゃったけどこんな事情だったんだ・・・』
夏帆は心の中でそう思いつつ、改めてそのカレの顔を舐めるように見る。
『うん。でも、これって絶対尻に敷かれてるよね・・・』
夏帆はその苦み走った顔を見ながらそう感じた。そんな様子を隣で見ていた麻美子さんが目の前のカレと夏帆の顔を交互に見ながら、さらに追い打ちをかける。
「ちょっと待って!その小林舞衣先生って・・・今、こっちに向かってますよ!」
そう言う麻美子さんに夏帆が追い打ちをかける。
「そこにエンちゃんが加わったら親族大集合じゃないですか?」
今度はそう説明された麻美子さんがアワアワする。
「改めて考えたらあの舞衣義姉さんのカレシってまさかの警察官で・・・しかも高速隊の巡査部長・・・」
そう呟きながら麻美子さんもそのカレと共に固まってしまった。
夏帆の傍で、それを聞かされた両名のうち先に口を開いたのはそのカレだった。その声はどこか裏返ったような変な声・・・
「すっ、すいません・・・先ほど、名刺を見た時に小林ボデーとあったものですから、まさか偶然とは思っていたのですが、彼女から小林ボデーという整備工場が実家だと伺ってましたので・・・」
その説明を聞いた麻美子さんがボソッと口にする。
「この後、舞衣義姉さんと盛岡で会うことになってますけど・・・」
その話を聞いた舞衣さんのカレが大きく頷きながら口を開いた。
「それだったんですね。昨日、待機官舎の留守番電話にメッセージがありまして、明日の午後に盛岡へ行くから露払いよろしくって・・・」
「露払いって・・・?」
そう言いながら麻美子さんが頭を傾げる。
「そうなんです。余計な取り締まりはするなという意味かと思います・・・」
「盛岡に来る理由は聞いてないんですね?」
「いつもそんな感じなんですよね・・・受け持っている吹奏楽部が忙しいというのもあるんですが、時々楽器の修理とかで盛岡に来ることがありまして、そんな時には予告なしに急に来て官舎で待っていたり・・・明け番だったりすると会えないこともあるので、来る前には連絡をくれるようには言ってあるんですが・・・」
夏帆はそんな会話を聞きながら人は見かけによらないと思った。何せその舞衣先生という人は美人でセクシーなスタイルながら何事も完璧な女性という印象が強かったから・・・
でも、そんな舞衣先生はあの超ブラック部活と揶揄される吹奏楽部の顧問をしている。そんな吹奏楽部は文部省の学習指導要領を完全無視し、年間通じて休みがお盆3日と年末年始の1週間だけというもっぱらの噂だった。
夏帆はそんな舞衣先生がいつカレシと逢っているのか常々不思議に思っていたところだったが、お互い時間が不規則な中、そんな付き合い方をしていたのかと感心させられた夏帆だった。
そんな話の後、改めて麻美子さんがそのカレに問いかけた。
「あの・・・そういえば、妹さんってその後どうなさってますか?男性恐怖症になんてなってませんか?」
そんなことを聞かれたそのカレはちょっと照れたような表情でそれに答える。
「ご心配には及びません。あの時、痴漢から助けてもらってその痴漢を列車から引き摺り下ろた風谷巡査がとっても格好良かったらしくって・・・」
「いや・・・わたしってそのあと、鉄警隊に犯人引き渡す時に犯人に体当たりされてホームから線路に落ちちゃってますけどね・・・」
「いやいや・・・そんな姿もひっくるめてカッコいいと申しておりますので・・・」
そんな話を聞いている麻美子さんは剣道の有段者だった。例の押し込み強盗に襲われた時、警棒の一本でもあれば性被害は免れ今でもこのカレと同じように警察官を続けていたのかもしれないが、すでに起きてしまった過去は変えられない・・・そんなことを思いながら夏帆はその話に引っかかるものを感じていた。
『ん?・・・麻美子さんが助けた?岩手で・・・?しかも痴漢・・・?線路に落ちた?』
そんな時夏帆は昨晩麻美子さんから聞いた日本一周放浪の旅の話を思い出していた。その話によると、旅の終盤に列車内で痴漢に遭っていた女子高生を助けたという件があった。ただ・・・そんな話には線路に落とされた麻美子さんが花巻市内の病院に搬送されたという尾鰭もついていたが・・・
『あっ・・・それか!』夏帆の頭の中でどこか話が繋がった感じがした。そんな夏帆の前で二人の話は続く。
「そうですか・・・妹さん、剣道を始められたんですね?」
「はい。しかも今、警察学校でしごかれてまして・・・」
「えっ?それじゃ・・・」
「そうなんです。高卒で警察官採用試験に合格しまして、風谷巡査目指して自動二輪の免許も取得済みです。しかも、私のCBナナハンを使って引き回しだけを教えたらいつの間にか限定解除までしてる次第でして・・・」
「おめでとうございます!お兄さんに似て筋がいいんですね?限定解除といいますと?まさか・・・」
「交機で白バイに乗りたいと申しておりまして・・・しかも風谷巡査のように鈴鹿に出場したいとも・・・」
その白バイ大会というのは、知る人ぞ知る白バイ隊員の運転技術を競う全国大会である。それは各都道府県警から選出された選りすぐりの白バイ隊員によるその運転技術は神の領域とも言えるものだ。現在はその全国大会が三重県鈴鹿サーキットに併設されている研修施設から茨城県にある中央研修所ということろに場所に変わったものの、令和になった現在でも続いている大会のことである。
しかも、この風谷巡査と呼ばれている麻美子さんが県警代表でそんなに大会に出場していた凄い人だったとは・・・
そんな麻美子さんが、目を丸くしながら目の前の背の高い味戸巡査部長を見上げるようにして口を開いた。
「良いじゃないですか!お兄さんが覆面PCで高速道路、妹さんが白バイで一般道を守るって・・・しかも県警の特練で腕磨けばバッチリです!それでなくとも女性の白バイ隊員って貴重でいろんなイベントに引張りダコなんですから・・・マラソンの先導なんかで妹さんの勇姿がテレビで見れるんですよ?」
「まっ、風谷巡査みたいに入賞できるレベルに上達できればそんな花形になれると思うんですが・・・でも、結局バイクって危ないじゃないですか・・・兄としてはあまりお勧めしてないんですが、訊かないというか・・・」
「あっ!そうですよね・・・ウチの弟が目の前で転倒したのを見てるんですもんね・・・」
この時、今まで高かった麻美子さんのテンションがグッと下がっていた。そんな麻美子さんを見たそのカレが頭を掻きながらその時の話を始める。
「いや〜あの時は驚きました。何せあの速度でしょ?目の前で転倒したバイクが滑走して中央分離のガードケーブルに引っかかって部品が四方八方に飛び散りましたから・・・」
「すいません・・・後で道路公団事務所裏の廃品置き場のカゴに山積みになったバラバラのCBXを見せてもらいましたが、その部品が道路一面を覆ったって聞いていまして・・・」
「まっ、それはそうなんですけど・・・その時その部品が飛び散る中、まるでマネキン人形のようにもんどり打って滑走して行く乗員を目の当たりにしまして・・・」
「そうですよね・・・速度が速度ですもんね・・・」
「その時はそんな速度ですから恐らく乗員も助からないだろうなって腹括りまして・・・」
「いや・・・一番悪いのはそんな速度域でバイクを走行させた弟にありますので・・・」
「でも、お怪我も大変だったと聞きましたが・・・」
「その時どう言う訳か峠を攻めるための装備をしてまして・・・手足のプロテクターはもとより胸部と脊髄パッド入りのジャンパーなんて着てましたので幸い足首の複雑骨折だけで済みました。でも、身体のあちこち火傷だらけでして・・」
「そうですよね・・・プロテクターと言えど路面との摩擦で発熱しますから・・・」
その話を聞いた夏帆は、以前入院したエンちゃんを裸にした時あちこち傷だらけだったのを思い出していた。しかも、看護婦さん曰く足首に金属のプレートが入っているということも・・・
そんな夏帆の前で話は続く・・・
「そうですよね・・・速度が速度ですからね・・・自暴自棄になっていたとはいえ、なんでそんなに飛ばしたのやら・・・」
「事情はお聞きしていました。地元に残してきた彼女さんが亡くなってしまったという・・・分かります。若い時ってどうしても自分の感情を抑えきれないことってありますから・・・」
「でも、自分まで命を落としかねないことをするなんて・・・しかも、それがバイクで飛ばすってことですよ?」
「そうですよね・・・クルマと違ってバイクという乗り物は乗員を守るものが何もない・・・」
「全くですよね・・・ましてや公道上です。走っているのは自分だけでない・・・他の一般車も巻き込みかねない危険な行為・・・」
そこまで話して息を切らす麻美子さんの前では何かを思い出す様子のそのカレがいた。
「でも・・・あの時のクルマが時速160キロからの急性動で轢過は免れましたが・・・その時改めてブレーキ性能というものを考えさせられまして・・・」
そんな話を聞いていたそのカレの相棒が話に割り込む。
「その時の覆面パトって、追尾用にVG30エンジンのターボの過給圧制御が赤色灯のスイッチと連動していて最大過給圧が0.9キロまで上がる仕様になっていたんです。しかもその事案の後にブレーキをあのGT-Rのキャリパーに交換したっていう曰く付きの車両だったんですが・・・」
その説明を聞いて麻美子さんは納得した様子で口を開いた。
「それってもうインターセプターの世界・・・」
「いや・・・そんなカッコいいもんじゃありませんよ。マッドマックスじゃないんですから・・・」
そんな会話をしていた麻美子さんが何かを思い出すような表情で口を開いた。
「でも・・・当時、岩手県警さんのその噂は聞いていました。あのベンツさえも振り切れないとてつもない速い覆面PCがいるって・・・そのY30って3リッターのターボ車でしかもブーストアップ仕様だったんですね・・・速い訳です」
「他警でもそんなウワサになっていたんですね?」
「それはもう・・・Y30って言いますと、これの前の型ですよね?」
「そうですアレです。周りからは教習車か?って揶揄われていたアレです・・・」
その「アレ」とは、バブル末期となる当時のハイソカーブームで飛ぶように売れていたY30・・・ではないとても地味なセダンの方となる。人気のハードトップモデルの陰に隠れ、誰にも知られないそれは当時教習車所かタクシーで多く採用されていたモデルだ。そんなモデルが高速道路を走っているとただの高速教習にしか見えないというもので助手席の補助ミラーも教習車とよく似ていたが・・・でもそのよく似た外見の覆面PCの中身は全くの別物となる。
「教習車・・・って言い過ぎじゃありません?確かに似てますけど・・・」
「言われても仕方がありません。同じ車体でしたから・・・でも、それも早々にエンジンブローでお払い箱にはなりましたが・・・」
「ちょっともったいなかったですね?」
「ウチの管内の東北道って、お隣の宮城や青森と違って直線が多いじゃないですか?・・・ですので速度超過で検挙する違反者も多いんです。でも、一方高性能な外車を放尾する事案も多々ありまして・・・」
「でも当時噂で聞きましたよ・・・あのポルシェ911を200キロ超えで検挙したって・・・」
「いや・・・上からは危険行為だって叱られまして始末書書かされたんですが・・・」
「検挙して始末書って・・・そんな・・」
「でも、直属の上司からは褒められました。何せその事案は逮捕にまで及んだものだったので、新聞報道なんかで結構な話題になって抑止効果は抜群だって・・・」
「じゃ・・・アレを執行したと・・・?」
「はい。交通課配属になって以来初めての経験でした。まっ、流石に123キロオーバーともなれば逃亡を図ったということにもなりますので・・・」
「それじゃ、223キロでメーター固定?」
「そうです。目の前のスピードメーターの針は、メーターコラムの下に支えて何キロ出てるかなんて分かりませんでしたけど・・・」
「じゃ・・・その時のスピードが分かる手段といえば測定用メーターだけですか?」
「そうです。それってご存知のように拡声器のアンプの下にあるじゃないですか?だからそんなメーター読めるはずもなく・・・だから相棒がソレを読んでくれる声だけが頼りで・・・」
「でも、その速度ってマイナス誤差を含んでの・・・」
「そうです。だから実際には・・・」
ここでその話を傍で聞いていたそのカレの相棒が話に割り込む。
「いや・・・あの時は声が震えました。足回りが強化されてるとは言え、それはメーカーが一般的な高速取り締まり用に考えたものです。とても大台超えで走るものじゃありません。しかも高速走行に欠かせないエアダムなんかも一つも装備されてない素の車体で、あのデッカいエアスポイラーを装備したポルシェを追いかけるんですから・・・」
「そうなんですよね・・・速度が200を超えるとまるで接地感がなくなって空を飛んているような感じになって・・・」
「それって・・・何かあったら即アウトじゃないですか!」
「それでその時、速度が200を超えた時に言ったんです。「放尾しましょう・・・」って。でも聴いてくれなくて・・・」
「いや・・・なんか警察が舐められてるのが悔しいと言うか・・・」
「もしかして・・・」
「そうです。追いつきそうになると速度を上げてお尻ペンペンしてるような・・・あの舐めたアレです」
「そりゃ意地にもなっちゃいますね・・・」
「それでそのポルシェを花巻インターまで誘導している時に応援のPC3台で逃亡阻止を図って・・・」
「それはもう逃げられないですね・・・」
「それで最終的にその運転者の手首を掴んで「何キロ出してたんだ!」って問いただしたんです。すると蚊の泣くような声で「・・・260キロくらい・・・」って答えたんです。しかも「セドリックに追い付けかれるとは思わなかった・・・」って言うんです」
「それでどう答えたんですか?」
「その時、先ほどまで舐めた態度とってたその違反者に聞いてみたんです。このポルシェってこの程度しか出ないのか?って・・・」
「その被疑者はどう答えたんですか?」
「もっと出るけど・・・自分の目が付いていかなかった・・・260も出せば覆面なんて振り切ってると思ってアクセル緩めたらすぐ後ろに覆面がいた・・・って」
そしてそのカレが話を続ける。
「職業レーサーじゃないんですから、そんなに目がついていくはずありません。視野はどんどん狭くなり、もはや遠くの1点しか見えないはずです」
「分かります。180・・・いや、200を超えるとクルマの挙動も全く変わりますから・・・」
「風谷巡査もその世界をご存知で?」
「今は家業でそんなことしてまして・・・これでも、車検上がりの納車前試走や調子崩した車両のテストで地元のサーキットに車両持ち込んだりして走らせたりしてまして・・・」
「テストドライバーということですか?」
「わたしってやたら鼻がいいんです。匂いもそうなんですが、壊れる前兆みたいな何かを察する能力に長けてるみたいでして・・・」
「それは凄い!」
「剣道で動体視力を鍛えていたと言うのもありますけど、やはり日常的にそういう景色を見ていないと・・・ねっ?」
そう言いながら麻美子さんはお茶目に舌を出した。その姿を見つつ水色の帽子被り直しつつカレがそれに返した。
「検挙した被疑者は都内在住者だったんですが速度超過の常習者だったんです。フロントのナンバーを取り払い、オービスIII逃れもして岩手管内は200超えで走行する特定違反者だったんです。そんな彼でも目がついて行かなかったと言ってまして・・・」
「えっ?この前ニッサン主催の新車発表会で菅生を走った時、ゼブラの上に干からびた蛇がいたんでオフィシャルに伝えて驚かれたことがありまして・・・」
「それはもはや生まれ持ったものと考えてよろしいかと・・・しかし、一般人たるその被疑者が応援で来た白黒PCに乗せられる時、自分を検挙した外見教習車の覆面パトを見て言ったんです」
「なんて?」
「セドリックってそんなにスピードが出るんですね・・・って」
「どう返したんです?」
「言ってやりました。岩手県警舐めんなよ・・・って」
「かっこいいですね!わたしも言ったやりたかったたくさんありました!」
「でも、実際ポルシェに追い付けるかって言われると懐疑的です」
「メーター誤差もあるから針はそこまで回るんでしょうけど・・・」
「いや・・・アウトバーンを走ることを想定した高性能車のメーターは案外正確で・・」
「じゃ、メーター固定ってそのポルシェがアクセル緩めた後?」
「悔しいけどそうなります・・・」
「それでその運転者に速度違反の事実と逃亡を図った嫌疑を通告してアレを執行しました。そうしたらその手首が震えてて・・・」
「その時初めて罪の大きさを実感したんでしょうね・・・前科も付きますし・・・」
「そうですね・・・それとは違うケースですが逃亡というわけじゃないんですけど・・・あのバイクの追尾の時もそうでした」
「アレの時ですね?」
その時も脇で話を聞いていた同僚が口を挟んだ。
「うん。あの時・・・それは花巻パーキング出口ランプでアパッチ掛けようとして待っていた時のことでした。その時、窓を開けて通過車両の走行音を聞いていたんですけどそんな時インラインフォーの集合管の甲高い音が聞こえきたんですよね・・・」
「そう・・・それは鈴鹿4耐のような同調のとれた綺麗な甲高いサウンドだったんでこれってヨシムラ?モリワキ?な〜んて、はじめは悠長に話してたんですよね・・・」
「それ・・・わたしが買ってあげたモリワキフォーサイトの音・・・」
「かなりいい音させてましたよ・・・」
「なんか、キャブレターの同調取るのに小林ボデーに足運んで勉強してたみたいでして、そのお礼に行ったのが嫁入りのきっかけになったと言いますか・・・エンジンが組み上がったのにエンジンがかからないって泣きそうになってたんで小林ボデーに相談したらってわたしが提案したんです」
「すごいですね。普通なら調整を頼むどころを調整の仕方を勉強するなんて・・・」
「今の時代、インジェクションがもてはやされてますよね?そんな最中にキャブの勉強したいって相談された工場長が喜んじゃって・・・」
「そんなエピソードもあったんですね?」
「負圧測定器なんかも借りてきて、教えてもらった調整の仕方で試行錯誤しながらやってたようでして・・・」
「だからあんないい音させてたんですね・・・」
「そのいい音を轟かせて我々の前に近づいたそのバイクだったんですがその音が予想外に早く近づいてきて、しかもかなりの高音だったんでかなりのスピードであることが分かったんです。そこから本線向けてフル加速する目前、パトランプのスイッチを押した瞬間目の前をかなりのスピードで通過するバイクを現認しまして・・・」
その話を相棒から引き継いだ水色制服が話を続ける。
「いや〜焦りました。音に聞き惚れていたんでしょうね・・・耳で聴いた音で想定した速度と実際目にした速度に乖離があったものですから、アクセルを強く踏み過ぎまして・・・」
「もしかして、やっちゃいました?」
「はい。本線に向かう誘導路にブラックマークを付けてしまいまして・・・」
「そうですよね・・・その時フルブーストですもんね・・・」
「それでそんなものですからケツは振るは加速しないはで更に焦りまして・・・2速にシフトアップしてもタイヤがグリップしなくて、3速にシフトアップしてやっとまともに加速しまして・・・」
「それじゃ・・・加速の時1速と2速でホイールスピン?」
「そうなりますね・・・何せ総務が安いタイヤしか履かせてくれないんで・・・」
「そうですね・・・わたしの時もいつもソレで揉めてました」
「そんなもんですから本線合流の時、後方を確認した時後ろが白煙で見えないくらいで・・・」
「そんなにですか?」
「それで本線合流後はスピードメーターが真下を向いている次第でして・・・」
「それってブラックゾーンですね?」
「そうでもしないと追いつきませんから・・・」
「えっ?もしかして・・・それってわたしの弟の時ですか?」
「そうです・・・例のポルシェで始末書書かせられた後だったんで早めに放尾しようとしたんですが、その時、なんとかして停車させないとダメなような胸騒ぎを感じてまして・・・」
「それって職業柄なんでしょうかね・・・・?わたしも実際そんなことありました・・・」
そんな麻美子さんも、その昔交通機動隊で取り締まりをしていた経験者である。
そんな元交通機動隊員の前で話は続く・・・
「結局追い付いてメーター固定してマイクで違反の事実を何度も通告したんですが聞こえなかったんでしょうね・・・それでそこから再加速されたんで危険と判断してやむなく放尾し矢先だったんです・・・」
「えっ?160でメーター固定したんですね?」
その時、再び水色制服が話に割り込んだ。
「いや・・・あの時のことははっきりと覚えてます。車間距離が一定になったのを見計らってメーターを読んだんです。「159・・・160・・・161・・・160・・・160・・・」って・・・そして味戸巡査長から「メーター固定!」と指示があって針を止めたんですが・・・」
「その後前方のバイクが加速した・・・と?」
「はいそうです」
「ん?」
「はい・・・どうかしました?」
「でも弟はその後加速してますので、転倒したのってそのその速度以上・・・?」
「そういうことになります・・・」
「すいません。自分の弟ながらよく助かったな・・・って思います」
「非常に幸運だったと思います。バイクは斜め右に滑走して最終的に中央分離帯にぶつかって大破してしまいましたが、弟さんは最後まで道路に対してまっすぐに滑走しましたから・・・」
「すいません。その時はご迷惑おかけしまして・・・それで結局また始末書書くハメになりませんでした?」
「いや・・・良いんです。始末書は書き慣れていますんで・・・」
「と・・・いうことは書くハメになっちゃったんですね・・・」
「そんなことにならないように素早く追尾できて、違反車両をいち早く停止させられる車両を導入ことを本庁に要望しているんですが・・・」
「追いつけないと停止命令も出せませんしね・・・」
「そうなんですよね・・・でも速度域が高くなると止まる方の問題も発生しまして・・・」
夏帆はもちろんそんなクルマの専門的な会話は全く理解できなかったが、『バイクが中央分離帯に引っ掛かってバラバラになった・・・』という件についてはあの洗車場でエンちゃんが話してくれた思い出話だった。そんなことを思い出す夏帆の前で麻美子さんが話を続ける。
「でも、その後の適切な措置で通行規制を引いてもらいまして・・・しかも、あの時救急隊から連絡を受けて救急外来の外で待っていたらフロントガラスが蜘蛛の巣になった覆面パトカーが飛び込んできたのには驚きました!」
そんな麻美子さんは、例の旅の途中で花巻市内の病院で看護助手の仕事をしていた。そんな時、救急外来に搬送されてきたのが遠方で大学生をしている実の弟だった・・・という話も昨晩夏帆は麻美子さんから聞いたばかりだった。そんな麻美子さんの驚いたという話にそのカレが応える。
「いや・・・バイクの部品が当たってフロントガラスが割れてしまって・・・でも、クルマは動きましたのでいち早く病院に到着させるために先導した次第です・・・全身打撲ということは分かってましたので一命を取り留めるのが先決と判断しまして・・・」
そこでそのカレの相棒がその話を補完する。
「バイクの事故って、その直後なんともなかった当事者が急に亡くなることが結構あるんです。事故の時、内臓を強打しているのが分からないというか・・・現場検証で普通に話していた方がその夜に亡くなってしまったり・・・だから油断ができないんです」
その話を聞いた麻美子さんが頷きつつそれに応える。
「はい・・・その事案は承知してます。だからわたしも弟のことが心配でした。だから、いち早く搬送していただいて感謝しています」
「できることをやっただけですので・・・」
「でも本当にお世話になりました。その甲斐あって弟も比較的早く退院できることになりまして・・・」
そう言いつつ頭を下げる麻美子さんにそのカレが問いかける。
「そんな・・・それも仕事ですので・・・ところで、弟さんってその後どうなされてますか?事故の後遺症とか・・・噂を聞きましたが、精神的にやられてしまったとか・・・」
『ん?エンちゃんが精神的にやられている?』
これは夏帆の知らない新たな情報だ。しかし、エンちゃんと接する中でそんな素振りも見たことはない夏帆は、その事故での怪我は足首に金属プレートが残る以外は完治したものと解釈したのだが・・・
でもその事故のそもそもの原因というのは、そのエンちゃんが彼女を亡くして自暴自棄になってのこと聞いていた。だからその彼女の死というものがエンちゃんを精神的に追い詰めているのか?
実際には岩手県警から麻美子さんへ手渡された現場検証の写真に写っていたバラバラになってしまった自分のバイクを観たそのエンちゃんがショックのあまり錯乱状態になってしまったというのがソレだった。それは自分の彼女を亡くしてしまったうえ、その彼女と一緒に修理しやっとのことで復活させたそのバイクまでもが無惨な姿になってしまったのを目の当たりにしたことでショックを受けたものだ。
その時そんな詳細など知る由もない夏帆が、前にエンちゃんが口にした言葉を思い出す。
「自分は女性を不幸にする・・・今、夏帆ちゃんを好きになったら地獄へ落とされる・・・」
これは中学校の時の同級生の想いを受け止められず、その後その娘が不良になってしまったこと。また、高校生の時には実の姉が押し込み強盗に遭い性被害を受けて行方不明になってしまったこと。更には大学生になってから地元に残してきた彼女が病気で亡くなってしまったこと・・・
これだけ自分の周りの女性に不幸が続くと、怖くて彼女も作れないというところだろうか?しかも地獄とは・・・
でも・・・その時、そんなエンちゃんに女子高生の彼女がいた。これだけは不思議だった。
そんな彼女は親の再婚により現在北海道へ渡っていたが、エンちゃんはその彼女と連絡は取っていないと言う。エンちゃん曰く、転校早々の学校生活が不安定の中学生の本業以外の恋愛なんてもので余計な苦労はかけたくないというエンちゃんなりの優しさだったが、それは言わずもがな「自然消滅」と言うものとなる。
本当にあの女子高校せはエンちゃんの「本当」の彼女だったのだろうか?それとも、昨晩花巻のホテルで麻美子さんが言ったように何かをカモフラージュするものだったのだろうか?
そんなことを想う夏帆にそれを確かめる術はなかった。
この後、この場所で親族が大集合してしまうことになります。しかも、将来親族になるかもしれない者の含め・・・
そして次のお客様を迎えるために向かった先の盛岡で波乱が待ち受けます。