出会い
「ミケーネ・ルシュライン様! どうして私には会わせてくれないのですか!」
遠くで鈴を転がすような美しい声が聴こえた気がして目が覚めた。俺は、ああ、眠っていたのか。
寝ている間に状態が悪くなったのか全身がズキズキと痛んで目を開ける事すらできない。
「どうしてと言われましても。ベティア殿は命令書はお持ちか?」
それに答える聞き覚えのある声が聴こえる。これは牢の隣の部屋あたりから聞こえてくるこえだ。誰かが。とても強く言い合っている。朦朧とした意識が引きあげられるような感覚と共にその声もはっきりと聞こえてきた。
「それはまだないが……しかし事態は解っているでしょう? 今は協力が必要なのです! 手がかりになりそうな物があるなら皆でそれに当たるべきではないか!」
「それはあなたの言い分だベティア殿。名目上あなたの方が立場は上でも伝統的には各隊長は固有の権限を持つ。私は私で必要だと思っていることをする。何、問題ありませんよ。痩身の男だ。拷問を続ければ長くは耐えられず口を割るでしょう」
ああ、片方は本当に綺麗な声だ。ベティアと言う人なのか。話し方が男の様だがその声は美しく耳に心地が良い、それでいて張りつめた物のある綺麗な女性の声だ。
もう一方はミケーネと言うらしい。ああ。さっき俺を騎士たちが殴りつけているときに命令を出していた髭の男の声だ。なるほど。奴がミケーネ・ルシュラインと言う訳か。
「なっ、ルシュライン様! 証人を拷問したと!?」
「ええ。口が堅く何も言いませんでしたが。さまざまな変わった持ち物を持っていたがアングリアの要素は無い。間諜ではなさそうだ。だが非常に鋭利な短剣を持っていた。旅人には不釣り合いなほど良く切れそうだ。どうだ怪しいでしょう?」
「それだけのことで! あなたがしていることは王国法に反しています!」
「法は大事だがあなたも言っただろう。状況を解っているのかと。今は一刻も早くその人殺しを捕まえなくてはならない。その前には多少の手段などは構っていられないでしょう?」
「そうだとしても、あまりにも根拠が薄すぎる。もしその人がただの旅人であったら」
「その時はその時だ。別に旅人一人気にするほどのことでもあるまい。それよりも今のこの現状こそが騎士団の名誉を大きく傷つけているとは思わないのか!」
「だからと言って無辜の旅人を怪しいと言うだけで拷問しても良いと言う事にはならない!」
「ええぃ。兎に角私は奴を開放する気が無い。あの反抗的な目。気に食わないのだ!」
「それは私情ではないか!」
「ふふふ、なんとでも言えばいい。命令書を持ってきたらいくらでも会わせてやる。だから今は帰るのだなベティナ殿」
「ぐっ……」
ふふふ、何か解らないがどうやら俺のことで言い争っているらしい。原因が何かも解らないが、解らない現状に思わず笑いがこぼれた。
冷たい地面に倒れこんで目を閉じたままそう笑いながらも話し声に耳をすます。
今の俺には目を開く体力もあまり残ってはいない。
「大変ですミケーネ様!」
ふと、新しい声が聴こえた。
「来客中だが、どうしたと言うのだ!」
「ははっ、これを……」
「……」
沈黙が流れる。
「ああ。また人が……」
「九人目だ。また娼婦で、全く同じ手口だ」
ミケーネの悔しそうな声が聴こえる。
「ぐっ、またか。そして時間は」
「死体の状態からまだそれほどの時間がたっていないようだ」
「なるほど。一応聞いておくけどその間あなたが拷問したと言う旅人は?」
「牢の……中だっ!」
「そう。それじゃあその人の身柄は私が預かりたいと思うが。何か異論はあるかな?」
「……好きにしろ! 私はその場所へと急ぐ。おい、お前ら、来い!」
「「「はっ!」」」
その声と共に多くの気配が外へと走り出していくのを感じた。
「ふ、ふふふ、ふふ……」
どうやら話の内容を纏めると、俺とは何の関係もない人殺しが表れて、俺はそいつと間違えて捕まったと言う事らしい。面白い。だが俺が捕まっている間にも殺人は続いたわけか。
俺も人殺しではあるのだから、ある意味その定めからは逃れられないのかもしれない。ふふふ、面白い。
キィと音がして、扉が開く気配を感じた。
目を閉じたままいるとカツカツと足音が近づくのを感じる。
「くっ、何て……酷いことを」
すぐ近くでさっきの美しい声が聴こえる。
「ウェルベ! すぐに水と薬を持ってきて!」
「はっ!」
離れていく足音と近づいてくる足音。
ギギィと錆びた鉄の扉が開く音。
何か冷たくてきもちのいいものが俺の身体をおこす。そして枕の様な柔らかいものの上に 頭が乗せられた。
「すまない。無辜の旅人よ。この度のことは完全に我ら騎士団の咎だ。ガリア王国の騎士団を代表して謝罪をする。出来る限りの贖罪をあなたにしよう」
すぐ目と鼻の先からそんな心地いい声が聴こえた。
思わず目を開けると、そこには。
「あ、あああ、あああっ!」
思わず声を上げた。
「だ、大丈夫か!?」
「あああっ、ああっ、嘘だ、嘘だろ。ハル!」
そう言いながらも涙があふれ出てきてしまう。そんなっ、そんなはずは。もう一度、もう一度だけ会いたかった人が、すぐ、すぐ目の前に。手を伸ばせば届く場所に。
「あい、あいた、会いたかったんだ! 会いたかったんだ! もう一度! もう一度だけでもって」
「な、ななななな! 何を言っている! 私はハルなんかじゃ」
「お願いだ。お願いだからどこにも、どこにももう。もう行かないで。生きて、生きて……」
「ちっ、違う! 人違いだ! 私はベティア・ベルバントであなたの知っている人じゃ!」
「隊長! 大丈夫ですか! なっ、コイツ隊長に何を!?」
「だっ、大丈夫だから! 兎に角はっきりしてくれ旅人よ」
「た、旅人……?」
ふと目の焦点があって行く。そこにはずっと会いたかった最愛の人と似た。いやしかし良く見れば少し違う人が困り果てた顔をしてこちらを覗き込んでいた。
「あっああっ、す、すまない。人違いみたいだ。身体が弱ってるからか寝起きだからか勘違いをしてしまった」
そう。良く見れば違う所は沢山ある。そもそも標準的な日本人であった彼女はこんな銀髪や緑色の目では無かったし。
でもこの良く整った顔や、真摯な光を湛えた綺麗な目。そして何より彼女の持つ空気が俺の知っている彼女にあまりにも似ていたんだ。
「ああ。そう……だな。あなたをこれほどまでに痛めつけたのは我が騎士団の落ち度だ。心より謝罪する」
「いやそれは。あなたに謝られても。まあそれよりも事情を話してくれないかな」
「ああ。そうだな。それでは怪我の治療をしながら話そう」