第一の力 ─止まった時の世界で─
「ふぅ……」
部屋に運ばれた簡素な水とボソボソのパンだけの食事を取り一息つく。
ここは大通り沿いに見つけた宿屋の二階の一部屋。料金は食事つきで銀貨五枚であった。
部屋には木のベッドに直に布がかけられただけの単純なベッド。部屋の隅にはトイレ代わりの壺が置かれ、蝋燭が部屋を照らしている。
窓にはガラスなぞはまっているはずもなく木製の雨戸だけがつけられている。何という原始的な生活。
電気も無ければガスもない。そもそもここはどこなのか。理解の及ぶ範囲でもない。
古来からの神隠しと言うのはこのように別の世界にくることであったのかななどとつらつらと考える。
雨戸をあけて空を見ればいつの間にか一日が終わり夜になろうとしている。疲れていたからか、かなりの時間をあの固いベッドで寝ていたようだ。少し背中が痛い。
ポケットから煙草を一本取り出して蝋燭を引き寄せて火をつけて大きく吸い込む。紫煙が窓の外へと棚引いていくのを眺める。
空には星がきらめき始めている。
星空は昨日までの都会の空よりも何倍も明るくて、近眼気味の俺にでもその満天の輝きを伝えてくれる。
星座を覚えていればよかったな。
もしも同じ星座を見つけることが出来ればきっと地球で、時間か場所が違うだけなのだと解る。だってタコ型の宇宙人なんていなくて同じような人間が生活していて。つまりずっと昔か、それかずっと未来の地球上のどこかで。
だが何となく違う場所なのではないかと、そう思った。見たことも無い文字と言葉が使われていて、奇妙なことは俺はそれを理解できる。
そしてなにより不思議なのはあの喋る剣だ。うるさいうえに偉そうでムカついたので売り払ってしまったがなんだったのだろうかあれは。
山の中で崖を滑り落ちてから信じられないことばかりだ。
だが不思議とそれほど慌てる気持ちにはならない。そもそも俺の人生なんて三年前に。いやそれからあがきにあがいたこの三年で遂に目的を達成した三日前に終わっていても何も問題は無かったのだ。
だから今生きてるいる時間にそれほど意味は無く、例え今死ぬとしてもああそうかと思うだけなのかもしれない。
思い残すことが無いからこそこの程度の動揺でいられるのかもしれない。
ああ、でも……。
崖を滑り落ちた後に見えた霧でできた彼女の姿を思い出す。あれはこの世界のことなのだろうか。
もしももう一度。霧の影なのか夢まぼろしなのか幻覚なのかは解らないがそれでももう一度彼女に会えるのならば。
だったらそれまでは生きてみるのも悪くないのかもしれない。
「夢でもし逢えたらか。ふふふ、それは素敵かもな」
どこかで聴いた歌の歌詞を思いだしながら煙草をくゆらす。
「見つけたぞ」
「ん?」
どこからともなく聞き覚えのある声と共に何か光の粒のようなものが開け放した窓から入ってきた。
蛍のような。でももっと光の大きい玉のように見える。
「何だこれは?」
「何だではない!」
「うわっ!」
突然その光の粒は数と輝きを増して部屋の中に飛び込んできてそして中心に置かれた机の上に集まり輝きを増した。
「何の光だ!」
「ええい我を見忘れたか!」
光が収まるとそこには先ほど銀貨百枚で確かに売り払ったはずの剣があった。
「げぇっ、自称聖剣!」
「自称では無い資格を持つ物よ。それから我のことはカリブールと呼べ!」
「カリブールだかイスタンブールだか知らないがお前どうやってここに。と言うかなんだこの現象は」
「なんだではない。大変であったのだからな。お前の意に沿わぬ強奪であればすぐにでも粒子化からの再々構成してお前の元へと戻ることもできるが納得済みの譲渡となるとそこに歪みが発生する。一時的にあの店主が主になったが奴に資格は無い。担い手にはなれぬ。だが奴に所持を放棄させる意志がなくてはその契約が解けぬので主従の繋がりの中で魅了をかけて放棄させるのに随分と時間がかかってしまったわ! この大馬鹿者!」
「いや、何を言ってるかは良く解らないのだけどなにそれ。お前は空を飛べるってこと?」
「そう言うことではない。剣は剣だ。担い手に持って使われるものだ。担い手がいない中で自由に動くことは出来ぬ。だが離れた担い手のところへ次元の狭間を移動し再結集することは出来るのだ」
「そんなめちゃくちゃな。オカルトじゃあるまいしそんなことは不可能だ」
「不可能だとかあり得ないだとか随分理屈っぽい奴だなお前は。目の前にあり得ることこそ現実なのだ。受け入れろ」
「……理屈っぽいのは仕事柄な。しかし、確かにその通りかもしれない。どれだけ奇妙でも目の前に残ったことが真実とも言うが」
「そう言うことだ。なんだ。ようやく受け入れたか」
「喋る剣に眠る剣。そして異世界だか時間旅行だかしらないがこれだけ色々と起きればさすがにな。しかし何故そこまでして俺の元に戻ってきた」
「それは、だな。つまり我は聖剣と言えど剣なのだ。資格のあるものに使って貰わねば存在が弱くなってしまう。資格のある者の出現は稀だ。その中で善であれ悪であれ力を使われることにより我の真の目的へと近づく」
真の目的……?
「まあよい。説明を早めよう。お前に我の価値をしっかりと教え込んでおかなければな。また何処ぞへとはした金で売り払われてはかなわん。我の力を教えよう。我の力を存分に発揮できれば世界を取ることとて夢ではないぞ」
「世界だ? はっ、そりゃ良く切れて頑丈だって言うのは大したものだが、たかが剣一本で核ミサイルじゃあるまいし世界をなんて冗談がすぎるわ」
「冗談ではない! そう。確かに我は担い手の精神の柱が折れぬ限り決して折れず曲がらずそして常にどんな時も美しい。世界で最も良く切れる最高の剣だ」
「はっ、美しいとまでは言っていないぞ」
「だがそんなものは我の価値の一端にしか過ぎん。我の力が資格を持つ担い手の元で存分に放たれる時、その者は三つの力を手にすることができる」
「三つの力だ?」
「ああ。そのどれもが手にしたものを最高の栄光へとか。または地獄の王へと導くだけの力である。
「そんな大げさな」
「大げさではない。説明を聞けば納得するさ。まずはその一。時間制御だ」
「えっ、時間?」
それは、もしかしたら自由に、過去へと戻って、過ちをやり直せると言うことでは。
そしたらもしかしたらもう一度、彼女に……。
「ふん、何か勘違いをしているようだが時間操作とは言え時の流れは一方向だ。過去にさかのぼれる訳では無い」
「なんだそうか……」
「だが一方向ではあれ一時的に止めることは出来る。起きたことを無かったことには出来ないがこれからの可能性を増やすことは出来るのだ。つまりだ。我の中のすべての核を僅かにそして時空を超える速さで振動させることによって一時的にだな」
「何だか話が長いが、ん? それってつまり時を止めれるってこと?」
「ああそうだ。どうだ、凄いだろう?」
「すげぇ!」
それは凄い。時間を止めると言えばいわゆる物語の中では最強の技ではないか。
「そうだ凄いのだ。だが制約もあってだな……」
「すげぇどうやってやるんだやらせろよ」
そう言いながら剣を握り構えてみる。
「うむ、まあいいが。まずは剣を握ったままだな、精神を集中させろ」
「集中? どうやってさ」
「我には肉体がない。知る訳が無かろう。遠き記録と記憶の中では聖剣の担い手はみな達人であった。軽々と時を止めたと言うぞ」
「ん、むぅ」
精神集中と言われても難しい。剣を持ったままただただ時間が流れていく。
「早くしないか。精神集中だ。全ての時を一定に保つのだ」
「うるさいな。今やってるんだ静かにしろ」
「ぐ……貧弱が過ぎる。解った好きにしろ」
そう言うなり黙り込んだ剣を持ったまま時間だけが過ぎていく。
精神を集中。集中。と言われても難しい。すでに窓の外は夜が深くなり満天の星空は少し近眼の俺でも眩しく輝いて見える。だが窓の外では行きかう人の気配がして。
その言葉も空気も自分の知ってる都会の空気とは違って。ここは遠く知らない場所なのだと感じる。
彼女がいるならばどこの世界でも良かったし、いないのならばどこの世界も平等に価値がない。だからあそこもここも俺にとっては同じく同じ場所なのだ。
視界の端には蝋燭の炎が揺れている。じじじと蝋の燃える音がする。
固い木のベッドと薄暗い部屋。都会の喧騒が消えた古い古い街。窓の外には満天の星空で、知っている星座は一つもみつけられないしそもそも覚えている星座なんて少ししかない。
黒い黒い宇宙の外の星空の隙間から、ふと一筋の流れ星が落ちた気がした。
「む、来たぞ!」
そう声が聞こえたその瞬間!
眼前に向かい時の波が叩きつけるような猛烈な感覚! 手の中の剣が熱く、そして冷たく燃えるような感覚の後に全身に雷が通ったような痛みを覚えた。
「ぐっ、うぐ」
「成功だ! 時が止まる! これぞ我が力の顕現!」
思わず痛みで呻きを上げる俺を気にした風もなく手の中の剣がうるさく何事かを話している。
歪んだ視界の端では蝋燭の炎が揺らめきを遅め、そして完全に静止したのが見えた。
だがその瞬間痛みに耐えかねた全身が一気に息を吐き出す。
それと同時に蝋燭の炎も風に当たったかのように大きく揺らめきを取り戻した。
「ぐっはぁ!」
「む、もう戻っているではないか。どういうことだ」
「ハァ、ハァ、なんだよこれ。無理が過ぎるだろ。こんなの。確かに時間が止まったかのような体験をしたが身体は痛みが走るし一瞬、二秒くらいじゃねぇか!」
実際に身体中酷い痺れを感じるし酷い虚脱感を覚えている。息は荒く、一歩動くのも大変な程だ。これが何かの実戦の中で役に立つとも思えない。
仮に熊に襲われたときに時を止めたとしてもこの痛みと時間であれば動けるのは一瞬だろうし、その間にとどめを刺せなければ、あるいは敵が複数いればすぐにでも死ぬのは自分になるだろう。
「そんなはずでは。聖剣を使った過去の英雄たちは皆止まった時の世界で自由に敵を屠ったと記憶と記録に」
「あー英雄。英雄ね。つまり武術の達人か。それならそう言う芸当もできるかもしれないが、あいにく俺は一般人なんだ。残念ながら」
なるほど達人ともあれば精神の集中はお手の物であろうしまたあれほどの衝撃の中で自由に敵を倒すことができるだろうさ。
だが一般人には。それも体力が衰えた二十代後半の喫煙者には辛いものがある。
「な、なんという貧弱、虚弱! 資格ある担い手がこのざまだとは、情けないぞ。適用しているのだ。お前こそが誰よりも我を存分に使いこなせるはずなのだぞ!」
「知るかよ。はぁ。なぁ。他の力ってのもこんな感じで制約があるのか?」
「ああ。ある。当たり前だ。大きな力が代償も無く使えるはずもなかろう」
「はぁーー……」
なんだそれ。使い道無さそうだなぁ。
とても今のこの精根尽き果てた状態で試せそうにはない。
「なぁ、後のふたつの力については明日聞くわ。疲れた。限界だ。眠りたい」
「ぐむむ。仕方あるまい。このままではどのみち試せそうにないからな。明日が逃げる訳では無い。それもよかろう」
「そういうことだな。それじゃあ俺は眠る」
「ああ。我もまた眠るか」
「眠る剣ねぇ……ふふふ」
そう笑いながら木のベッドに倒れこんで窓の外の空を見る。満天の星空は相変わらずも美しく手を伸ばせば届きそうで、都会で見ていたものと同じものとは思えない。
意識に霞がかかったようにぼんやりとしてくる。腕時計も何も持っていないので今の時間だって解らない。そもそも今の時間を知ったところで同じものかは知れないし何かの意味があるかもわからない。
目を閉じれば三日前のあの瞬間のことを思い出す。そんなことに意味は無いと言った人もいたが確かに虚しく、そして寂しささえも覚えたが。引き金を引いたその瞬間に報われたと言う充足感だけはあった。
それでも彼女が帰ってくる訳では無いが。だとしても、やるべきことだったのだ。
意識が朦朧としてくる。
深夜真夜中意識の外で。
窓の外から女の悲鳴が聴こえた気がした。