第三章その19
交易の国から避難する人々の群れに紛れて、シーナは重い荷物を背負って歩いていた。荷物はもちろん盗んだ物ではなく、勤め先である「紅玉と翡翠の夕べ」亭の物だ。自分の物はひとつもない。
まさかこんな形で交易の国を離れる事になるとは夢にも思わなかった。もしそれがあるなら他の国に売り飛ばされる時で、このままこの国に骨を埋める事になると思っていた。
交易の国での日々は思い出しても辛い事ばかりだった。主人は厳しい人で、息をつくヒマもなく、朝早くから夜遅くまでへとへとになるまで働いた。砂の国から売り飛ばされたダークエルフの少女はどこへ行っても珍獣を見るような目で見られ、悩みを打ち明け、愚痴を零すような相手もいなかった。
このまま嬉しい事も楽しい事もなく、誰からも惜しまれる事なく死んでいくものだと思っていた。そう思うと、涙が零れ落ちそうになる……。
「……あっ」
考え事をしていたのが悪かったのだろう、シーナはつまづいて転びそうになった。しかしそれを支えたのは隣を歩く酒場の主人だった。
「あ、ありがとうございます……」
「勘違いするな。お前の背負っているのは、うちの店の荷物だからな。それにお前だって店の備品みたいなものだ。怪我なんかされたらこっちが迷惑なんだよ」
主人はぶっきらぼうに言う。
「足場が悪いから気を付けろよ」
「は、はいっ」
気を取り直して、シーナが再び歩き始めた時だった。
「おい! あれを見ろ!」
若い男が元来た道を振り返って指をさしている。みんな釣られて振り返る。
遙か遠く、交易の国の上に浮かぶ、魔王のおぞましくも不吉な姿。そこに向かって一筋の紅い線が走る。
「竜騎士だ! 竜騎士レヴィンだ!」
「三年前に魔王を倒した男だ! 今度もきっとやってくれるぞ!」
みんなが見守る中、紅い線が魔王に届く。圧倒的な光が爆発したかと思うと、魔王の姿は消え去っていた。
「おおーーーっっっ!」
「やったーーーっっっ!」
「さすがは竜騎士レヴィンだ! 竜の国の勇者レヴィンだ!」
みんな揃って歓声を上げ、それぞれ抱き合い、手を叩いて喜びを爆発させる。誰もが勇者レヴィンの名を讃え、故国が救われた喜びを分かち合う。酒場の主人も例外ではなかったが、シーナだけは魔王がいた空間を一心に見つめている。
魔王を倒したのは竜騎士レヴィンだけではない。他の六人の勇者も参加していて、砂の国の勇者ヒルケもいるのだろう。
ヒルケは命がけで戦っているのだろうか? 他の勇者の足を引っ張っていないだろうか? 無事だろうか? 怪我などしていないだろうか……?
シーナは思い出す。
この国に来て初めて、自分のために怒ってくれたヒルケを。
砂の国の未来を真摯に思い煩っていたヒルケを。
いつも自分の幸せより誰かの幸せを願い、はにかむような笑顔を浮かべていたヒルケを。
……強く生きよう。
シーナは心に誓う。
自分もヒルケのように生きよう。
自分の幸せより誰かの幸せを願い、目の前に困難が立ち塞がっても決して挫けない、ヒルケのように生きよう。
明日が見えない今日であっても、笑顔を浮かべて懸命に生きよう。
こんな自分でも、きっと誰かをほんの少しだけ幸せにできるはずだから……。
片や交易の国で働く給仕娘、片や砂の国を背負って立つ勇者。
シーナはもう二度と出会う事はないであろう、少年の顔を思い浮かべる。
でも何故だろう? 何故だろう……。
シーナの目からは熱い涙がとめどなく溢れ、頬を伝った。




