第三章その2
翌日、勇者たちとリーゼは朝から闘技場の控え室に集まっていた。全ての対戦カードを終え、明日の別れを控えた今、一様に重い表情をしている。
「……そう言えば、ヒルケの姿が見えないな」
フローリアがぽつりとつぶやく。
「あ、そう言えばそうですね」
「また王様のところかな?」
リーゼとアリアーネはそれぞれ首を傾げている。
「……いないならちょうどいい。みんなに話しておきたい事がある。闇の神ダルムの事だ」
「闇の……神……?」
光の神の聖女フォルナの表情が露骨に不機嫌そうになる。
「……フォルナ、不快になるのはわかるが、今はこらえてくれないか? 話が進まない」
「………」
フォルナは黙って答えない。その沈黙を了承と受け取ったフローリアは話を続ける。
「……神代の昔、世界には三つ柱の神が存在していた。
まずは法による秩序を重んじ、人々の欲望に基づく行動を戒める事こそ理想の社会を作る術だと考える光の神ライリオ。
次に人々の自由な意志と行動を尊重し、あらゆる制約を取り除く事こそ人々の在るべき姿だと考える闇の神ダルム。
そして争い事を嫌い、話し合いによる相互理解こそ唯一の解決の道と信じ、意見の違いから度々争いを繰り返す両者の仲裁に入る月の神ルテナ。
やがて光の神と闇の神の争いは激しさを増し、月の神の手に余るようになっていった……」
フローリアが淡々と語るのは、誰でも知っているような広く語り継がれる神話だ。
「……神々の争いは人間やエルフなどの種族を巻き込み、それぞれの神の元に集結して軍隊を組織して争うようになった。
戦争が苛烈になっていくと、闇の神は気付く。人々の自由のため幸せのためのはずだった戦争……それがいつしか人々から自由を奪い、幸せを奪っている事に。
闇の神はこの大いなる矛盾に絶望した。全知全能であるはずの闇の神はついに気付けなかった。いや、全知全能であるが故に、自身の過ちに気付けなかった。自身が過ちを犯すなどと思い付きもしなかった。
厳しい秩序だけでは息苦しい社会になり、人々の幸福など望めるはずもない。自由だけでは犯罪が横行し、一部の人が富を独占して多くの人々が貧困に喘ぐ社会になり、やはり幸福など望めるはずもない。秩序も自由もどちらか一方だけを追求するのは間違いだ。両者を高度なバランスで成立させてこそ、健全な社会の元で大多数の人々の幸福を追求する事ができる。
やがて苛烈を極めた戦争は神々の心を絶望に染め上げ、その肉体を滅ぼし、ようやく終結へと向かった……」
「………」
「……今さら問うまでもないと思うが、神の力を借りて奇跡を起こすのに必要な物は?」
「何を藪から棒に……?」
ボロスが顔をしかめる。
「……必要な事なのだ、ボロス殿」
「神への敬虔な信仰心と敬愛の念……光の神でも闇の神でもそれは変わりません」
フォルナが不機嫌そうに答える。フローリアとは目を合わせようともしない。
「……ありがとう、フォルナ。しかし神の力を一時借りるだけならともかく、もし神その物をその身に降臨させようとすれば、それだけでは遠く及ぶまい」
「そうです。過去に何人もの偉大な神官たちが挑みましたが、誰一人として神の降臨には至りませんでした」
「……フォルナの言う通り、記録の上で神の降臨に成功した例はひとつもない。それは恐らく、信仰の他に決定的な物が欠けているからだ」
「信仰の他に……それはまさか……」
そう言葉を漏らすのはレヴィン。昨日の最終戦でヒルケを破り、ヒルケの全戦敗北を決定づけたのは彼だ。
「……誰よりも真摯に人々の幸せを願い、命をかけて戦いながら、かえって人々を苦しめる事になった深い絶望、激しい憤り……それは今のヒルケにそのまま重なるのではないか?」
「そ、それではヒルケ君は最初から僕たちと戦って勝つためではなくて……」
クライナーの口から震える声が漏れる。
「……そうだ。砂の国の王デストゥートはヒルケを私たちに勝たせるために送り込んだわけではない。負けて絶望に追い込み、三年前の魔王をこの交易の国に再現させるために……」
しかしフローリアはその言葉を最後まで続ける事はできなかった。
控え室全体が身震いする生き物のように鳴動する。壁が崩れ、天井が落ちてくるまでわずかな時間しかなかった。




