第二章その30
ランスダウンと別れたフローリアだったが、どこかに行く当てがあった訳ではない。街をあちこち彷徨い歩いた挙げ句、辿り着いたのはいつもの「紅玉と翡翠の夕べ」亭だった。
ドアをくぐっていつものテーブルに向かうと、いつもの顔触れが揃っていた。
ただ、昼間の対戦で敗北を喫したヒルケと、明日に対戦を控えるフォルナだけがいなかった。
「おお、フローリア。遅かったな」
上機嫌で声をかけるのは、今日の勝者のボロスだ。
「……ボロス殿。今日は勝ったそうだな。おめでとう」
短く祝福の言葉をかけて、フローリアは席に着く。
「……ああ、そうか」
フローリアの口から漏れ出る言葉。
「……こうしてこの面々で集まる事もなくなるんだな」
「ちょっ、フローリア、何を言ってるの?」
アリアーネが慌てる。
「……明日の対戦で負ければ、私は勇者でなくなる。こうしてみんなが集まる場所に参加できなくなる。それだけの話だ」
「ど、どうして戦う前から負けるような事を言うんですか?」
同じく慌てるのはリーゼ。
「……明日の相手はフォルナだ。負けても不思議な事は何もない」
「昨日のケンカのせいなの?」
「………」
アリアーネの指摘にフローリアは黙り込む。
「三年前はいつも二人でお話してたのに、今回はちっとも一緒にいないと思ったら、昨日のケンカだもん。誰だって何かあるって思うわよ」
「……まあそうだろうな」
フローリアはひとつ溜息をつく。
「……正直、私は疲れたのだ」
「疲れ……た?」
「……みんなも知っているだろうが、私とフォルナが出会ったのは三年前の魔王との戦いの折りだ」
フローリアは淡々と話す。世界について、様々な事を話して聞かせた。目を輝かせて熱心に耳を傾けるフォルナ。しかし三年ぶりに再会したフォルナはフローリアを否定した。
「何とか話し合いで解決できないでしょうか? きちんと説明すればフォルナさんだってきっと……」
いつも陽気なクライナーが、らしくもなく真剣な表情で言う。
「……無理だな。昨日の夜、痛感した。まるで聞く耳を持たない者を説得できる言葉などない」
フローリアの言葉に、同席していたうなずくリーゼとアリアーネはうんうんとうなずく。
「……もういいんだ。私が身を引けばそれで全てが丸く収まる」
「フローリア、本当にそれでいいのか?」
そう問いかけるのはレヴィンだ。
「夜の国の死病……解決するんじゃなかったのか?」
「………」
フローリアは黙り込む。夜の国に蔓延する死病。墓から抜け出し、夜の街を徘徊する死者。それは発展した死霊魔術の副作用として発生したとされるそれは、夜の国を何百年も前から悩ませている。
その解決はフローリアと夜の国にとっての悲願だ。明日の対戦でフローリアが勝った場合、解決のためにフォルナと百人の神官が派遣される事になっている。
「……それは……諦める他にない。きっと次の世代が解決してくれるだろう」
フローリアはぎゅっと唇を噛む。
「……死病の解決も世界の創造も、私にとっては譲りがたい大切な物だ。しかしフォルナの事も、やはり私にとっては大切なのだ」
「フローリアさん、そんなのダメですよ。大切な物を諦めてまで付き合うなんて。フォルナさんがフローリアさんの気持ちを知ったら、きっと悲しむと思います」
リーゼが必死に訴える。
「……リーゼ殿。あなたにはまだわかるまい。大人になれば好きな相手でも、それぞれの立場や信条がそれを許さない事もある」
「そんなのおかしいです。だって……フォルナさんはお友達じゃないんですか?」
「……とも……だち?」
「そうです。お友達なら言いたい事を言い合って、違う意見を持っていても仲良くできるんじゃないですか? 大人とか子供とか関係ありません。そうじゃなきゃ悲しいです」
「………」
「フローリアさん。フォルナさんから逃げないで下さい。お友達から逃げないで下さい」
決意を込めた瞳で見つめるリーゼに、フローリアは目を瞠る。
「……ああ……そうか。今までずっと気付かなかった。フォルナは私の友達だったんだ。どうして今まで気付かなかったんだろう?」
「あ、あの……フローリアさん? どうしたんですか?」
フローリアがいきなり声を押し殺して笑い始めたので、リーゼはおろおろと狼狽えつつ、フローリアの顔を覗き込む。
「……やれやれ。“不死の女王”などと呼ばれ、いい気になっていたらしい。誰よりも知識を蓄え、世の中を知ったために逆に見えなくなる事もあるのだな。まさか私がウォルト殿の孫娘から教わる事になろうとは」
「はあ……」
「……礼を言おう、リーゼ殿。あなたは私に肝心な事を思い出せてくれた」
フローリアは力強く首を縦に振ってみせる。
「……約束しよう。明日の対戦、絶対に勝てるとは言わないが、負けてもいいなどとは二度と言わない。全力で挑む事を約束しよう」
フローリアの言葉に、一同の顔にも笑顔が戻る。
「よし、ようやく元気になったようだな。シーナ、酒を持ってこい!」
「は、はい!」
ボロスの言葉にシーナが厨房に向かって駆けていく。
「……おいおい、私は明日、対戦があるのだが……いや、断わるのも悪いので少しだけいただこう」
「結局飲むんじゃない!」
フローリアとアリアーネのやり取りに、一同は笑い声を上げる。
今夜も「紅玉と翡翠の夕べ」亭の夜は更けていく……。




