第二章その23
七本の水の槍が一斉にクライナーに襲いかかる。盾で受ける事も剣で弾く事も飛んでかわす事もできないよう、わずかに角度やタイミングをずらした絶妙な制御はアリアーネにしか成し得ない。
しかし月の神が地上に残した奇跡は、そんなアリアーネの神業さえ意に介さない。攻撃に反応して即座に結界が展開する。絶対防御を誇る障壁に阻まれ、強力な威力を誇る水の槍は虚しくただの水飛沫へと姿を変える。
その時だった。クライナーは右の頬に熱い感触を感じる。そっと指で触れると、指先に赤い血が付いていた。
……破られた?
クライナーの表情に緊張が走る。月の神の盾の絶対防御。それが破られるはずがない。ならば何故?
水飛沫が収まった時、クライナーの疑問は氷解した。緊張の表情を微笑で上書きしたクライナーに対し、驚愕を隠そうともしないアリアーネが弓を持って立っていたからだ。
……まだ、弱点は知られていない。
アリアーネの表情からそう読み取る。絶対的防御を誇る月の神の盾の弱点。強力な攻撃には鉄壁の防御を誇るが、弱い攻撃は通してしまう……それが知られたわけではない。
まだ優位は崩れていない。だが、いつ気付かれるかわかったものではない。
クライナーは表情を引き締める。
……当たった?
一方、奇跡的に攻撃を当てたアリアーネ自身は事態を理解していなかった。
七本の水の槍の後のに弓矢で追い打ちをかける。ただの苦し紛れで放った一矢がたまたま当たっただけの事である。月の神の盾の弱点に気付いたわけではない。そもそも彼女の月の神の盾に関する知識は「ただの強力な盾」でしかないのだ。
しかし、それでもその防御を破ったのだ。あとは小さな成功に基づき、トライアンドエラーで失敗を積み上げ、大きな成功に結び付けなければならない。
アリアーネが放った奇跡の一矢は与えた傷こそ掠り傷とさえ言えないような浅く小さい物だが、戦況に与えた影響は大きい。
問題はそこに至るまでに消費した魔力。特に七本の水の槍のために消費した魔力は、アリアーネにとっても軽い物ではない。
肩で息をしながら、それでもアリアーネは不敵な笑みを作る。
「アリアーネさん、このままでは怪我人が出ます。ここらで平和的に休戦というのはいかがでしょう?」
「……休戦?」
「ええ。僕は商人ですから。然るべき対価をいただければ、お客様がお求めの商品を提供するのにやぶさかでありません」
「なるほど。良い心がけじゃない」
「僕はこの対戦での勝利をアリアーネさんに提供します。その代わりアリアーネさんは今すぐ、この場で僕に熱い口づけを……」
「誰がするかっ!」
激情に任せてアリアーネはレイピアで突きかかる。
無茶な提案をして冷静さを失わせる。そこまではクライナーの計算通り。しかし計算外だったのは、冷静さを失いながらもアリアーネの剣は一分の隙も見せず、ますます冴え渡った事だった。
突きが主体のレイピアの攻撃は単調だが、剣速では圧倒する。アリアーネの華麗な連続攻撃を防ぐ事は、剣の達人であるクライナーにとっても容易な事ではない。
しかしクライナーは持てる剣技を尽くし、何度も危うい瞬間を乗り越えながら、その難事をやり遂げる。クライナーとて交易の国を代表する勇者なのだ。月の神の盾の力に頼らずとも、鉄壁を誇る防御は決して揺るがない。
剣だけでは埒があかないと判断したアリアーネは、飛び退いて間合いを広げる。身体を丸めて地面に掌を押し付ける。
「木の精霊よ! 力を貸して!」
アリアーネの呼びかけに応じ、クライナーを取り囲むように七カ所、地面が盛り上がって割れると、人の腕の太さほどもある木の枝が延びてくる。銛のように先端の尖ったそれはクライナーの心臓を貫かんと、一直線に突き進む。
「また同じ手が通用すると思っているんですか?」
クライナーは月の神の盾を掲げる。盾が生み出す結界は絶対不可侵を誇る。木の銛は侵入を阻まれ、それぞれに砕け散り、あるいはねじ曲げられていく。
木の銛を防いだだけで油断するクライナーではない。先ほどは油断から矢の攻撃を受けた。アリアーネはきっと同じ手を狙ってくるに違いない。木々の隙間に目を凝らし、アリアーネの次の手に備える。
クライナーはふと、両足首に違和感を感じた。見下ろすと木の蔦が足首に巻き付いている。
「なっ!」
クライナーは短く声を上げる。それは相手を束縛する木の銛の魔法の付帯効果。水の槍より遥かに遅い木の銛を回避すれば蔦の束縛を受ける事は滅多にない。ところが攻撃力のない蔦は月の神の盾に防がれる事はないし、防御を盾に任せきっていたクライナーには蔦の存在など思いも寄らなかったのだ。
蔦はさらにクライナーの手にも延び始め、右手を狙った蔦は危ういところで剣で切り落としたが、盾を持つ左手は胸の前に掲げた位置で束縛されてしまった。
そこに襲いかかるのは、全く同じタイミングで放たれる三本の矢だ。残り少ない魔力の浪費を避けるため、矢を風の魔法に乗せて運ぶというアリアーネの苦肉の策は、本人の意図しないところで功を奏していた。魔法で運ばれているだけの矢には魔法は込められていないから、月の神の盾の結界も作用しないのだ。
心臓に向かった一本は盾に当たって落ち、眉間に向かった一本は辛うじて首を捻ってかわし、最後の一本は剣で叩き落とす。
身体を束縛されながら全ての攻撃を防いだのは、クライナーに幸運と実力の両方が備わっていなければ成し得なかったであろう。
「アリアーネさんは本気で僕を殺す気ですか!」
「あんたは殺したって死なないわよ!」
身勝手な暴言を吐きながら、アリアーネはレイピアを手に自らが魔法で生み出した木の銛を踏み越えていく。クライナーは唯一自由になる右手の剣だけでそれを迎え撃つ。
この時、二人はまだ気付いていなかった。
アリアーネはクライナーを追い詰めながら未だ相手の盾のややこしい性質を知らず、自分のレイピアが防がれる事に気付いていなかった。
クライナーはアリアーネのレイピアがミスリル銀製である事を知らず、自分の盾の防御対象である事に気付いていなかった。
アリアーネがその事に気付いていれば、レイピアで攻める事をしなかっただろう。
クライナーがその事に気付いていれば、剣で迎え撃つ事はせず、防御を盾に任せていただろう。
しかし二人は気付いていなかった。だからその後に起こる悲劇は避けようがなかったし、幾重にも積み上げられた偶然の産物だとしても、迎えたその結末は必然だった。
必勝を期したレイピアは月の神の盾が生み出す結界に弾かれ、アリアーネはバランスを崩す。
レイピアを弾こうと跳ね上げた剣は途中で標的を失い、クライナーはアリアーネへの致命傷を避けるために慌てて剣を引き戻す。
その結果、剣の切っ先はアリアーネの左右の胸当てを繋ぐ紐を裁ち切り、内側の衣服も切り裂く。
「……………」
「……………」
「……………」
「…………………………………………………………………………………………………………!」
割れんばかりの喧噪に満ちていた闘技場は一瞬にして凍り付いたように静まり返る。
対戦相手のクライナーも観客席の勇者たちや代表たちも、一様に言葉を失う。
切り裂かれた衣服の間から、慎ましやかなふたつの胸のふくらみが顔を覗かせ、雪よりも白い柔肌が太陽を照り返して輝き、衆目に晒されていた。
声にならない悲鳴を上げ、アリアーネは両腕で胸を隠して地面に両膝をつく。
「あ、あの……アリアーネさん?」
クライナーはアリアーネの顔を覗き込んで……その頬に涙が伝うのを見た。
「こ……」
アリアーネの口から消え入りそうな声が漏れる。
「……こ?」
「この……バカーーーーーーーーーーッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!」
クライナーの頬が鳴った。高い音が闘技場の沈黙を貫く。
「………」
クライナーの身体はぱたっと後ろに倒れる。
月の神の盾の力を駆使し、森の国の勇者アリアーネの度重なる攻撃をことごとく凌いできた交易の国の勇者クライナーは……森の乙女の恥じらいの平手打ちによって、精神的に致命傷を負って撃沈した。
そしてアリアーネはというと、地面に両膝をついたまま泣き出してしまい、動けない。
「……しょ、勝者……森の国の勇者アリアーネ……殿……?」
審判が自信なさげな声で決着を告げる。
その声を聞き届けるや否や、竜の国の勇者レヴィンは観客席を飛び出して一直線にアリアーネの元に駆け寄る。自分のマントを外してアリアーネの肩にかけると、その身体を抱えて屋内に運び込んでしまった。
詰め掛けた観客は呆然とその早業を見ているしかなかった。
勇者大戦、第五戦目。森の国の勇者アリアーネと交易の国の勇者クライナーの対戦は、誰の胸にも釈然としない気持ちを残して幕を閉じた。
この後、各国の代表が集まった場で、交易の国の女王セラフィナが異議を申し立て、クライナーの剣がアリアーネの胸を露出させた時点で勝敗は決していた、クライナーの勝利は明白だと主張したが……他の国の代表の誰一人からも賛同を得られず、勝敗は確定した。




