第二章その18
アリアーネがいつもより遅れて「紅玉と翡翠の夕べ」亭に着いた時、いつもの席にはいつもの面々が顔を揃えていた。
「アリアーネさん、待ってましたよーっ!」
「遅かったな。何かあったのか?」
「うん。ちょっとね。ありがとう」
はしゃぐリーゼと気遣うレヴィンに笑顔を見せて、アリアーネはいつもの席に座る。
改めて席を見渡すと、今日対戦のあったヒルケの姿がなく、そのせいかシーナは何となく所在なげに見える。
「どうした? 浮かない顔して」
そう眉を寄せて声をかけるのはボロスだ。
「何でもないわよ」
「腹減ってるから元気が出ないんだ。肉を食え、肉を」
「食べないわよ! お腹空いてるわけじゃないわよ! エルフはみんな菜食主義なのよ!」
アリアーネは怒って並べ立てるが、狙い澄ましたタイミングでぐうっと腹の虫が鳴いて赤面する。
「私、何か持ってきますね」
シーナは席を立って厨房へと小走りに駆けていく。すぐに皿をいくつか持って戻ってくると、アリアーネの前に並べる。
「さあどうぞ」
「ありがと」
アリアーネは礼を言って、早速料理に手をつける。
「で、何か悩み事でもあるのか?」
そう問いかけるのはレヴィンだ。
「何かあるなら遠慮なく言って見ろよ。仲間じゃないか。相談に乗るぞ」
「うん……そっか。そうだよね。私たち、仲間だもんね。みんなの意見を聞いてみるって手もあるもんね」
ひとしきり何度もうなずくアリアーネ。
「じゃあみんな、聞いてくれる?」
アリアーネの頼みに、一同はそれぞれうなずいてみせる。
「わかりました。他ならぬアリアーネさんの頼みです。特別に低金利で融資しましょう」
「お金じゃないわよ! っていうか利子とるの!」
商人らしいクライナーの言葉に、アリアーネはすかさずツッコミを入れる。
「……この銭ゲバの事は放っておいた方がいい」
「フローリアさんまで! 僕は本当にアリアーネさんの事を心配して……」
「それもそうね。じゃあ話すわね」
フローリアは話し始める。
「困っているのは明日の対戦の事なのよ」
「明日の……?」
「うん。明日の対戦で私が勝てば森の国は今まで通りに他の六カ国とは交易を行わない。でも負ければ森を切り開いて街道を造り、交易を行う事になるわ」
「………」
「外の国と交流を持つ事はきっと素敵な事だって、ずっと思ってた。色んな国の人とお話して、色んな国を見て回って……色んな国の人が集まる交易の国みたいになるのが、森の国にとっても良い事なんだって……」
嬉しそうに話すアリアーネの表情がふっと曇る。
「でももし森の国にたくさん人が押し寄せる事になれば、美しい森は失われる事になりかねないわ。豊かな自然に守られた、今まで通りの素朴なエルフの暮らしはできなくなるかも知れない。そして砂の国のように貧しい国になればシーナちゃんみたいに、森の国のエルフが交易の国に売り飛ばされる事になるかも知れない……」
アリアーネの声は消え入るように小さくなる。リーゼとシーナが不安そうな面持ちでアリアーネの顔を覗き込む。
「アリアーネさん。お兄さんのハーミッシュさんは交易に反対ですよね?」
そう力強い口調で問うのは、光の神の神官であるフォルナだ。
「え? ……う、うん。そうよ」
「それなら妹であるアリアーネさんは年長者の意見に従うべきです。何としてでも明日の対戦で勝利を掴みとるべきです」
「………」
「それに森の国のエルフは神代の昔から、外界から隔絶された暮らしを送ってきたのです。古き良き伝統を変えるべきではありません」
「……光の神の神官らしい、頭の固い考えだな」
そう口を挟むのはフローリアだ。
「……なんですって?」
「……新しい物に触れず、多くの人と交わろうとしないなら、何の進歩も発展もあり得ない。カビの生えた古い考え方にいつまでもしがみついていていいのか?」
「光の神の教えの素晴らしさは未来永劫変わる事はありません!」
「ふ、二人ともやめて下さいよ~! どうして喧嘩腰になっているんですか~!」
涙目でリーゼが割って入って、二人ともそっぽを向いて黙り込む。
「難しい事はよく解らんが……」
そう前置きしてボロスが自分の意見を述べる。
「目の前に戦いがあるのだろう? まずは勝つ事に全力を尽くさずしてどうする?」
「いや……そうなんだけど……」
「負けたなら負けたで、交易の国如きに好き勝手にされるほど、森の国のエルフは弱いのか?」
「そ、そんな事ないわよ!」
「だったらいいではないか。勝とうが負けようが何とかなる!」
「な、なんてアバウトなのよ……」
自信満々に言い放つボロスに、アリアーネは呆れ顔だ。
「不安に思っていても、やってみれば意外と何とかなるものだ! 案ずるな!」
「……あんたの意見をちょっとでも聞こうと思った私がバカだったわ」
「失敬な。年長者の意見は聞くものだぞ」
「実年齢は私の方が上よ!」
アリアーネは怒鳴った後、小さく溜息をつく。
「森の国が他国と交易をするべきだって私が思うのには、ちゃんと理由があるのよ」
そう前置きして、アリアーネは語り始める。
「私が子供の頃、森の国に人間の子供が迷い込んできた事があったの」
「……人間が? 迷い込んできた?」
興味津々といった様子で身を乗り出してくるのはフローリアだ。
「うん……森にかかっている幻惑の魔法は、純真無垢な子供には効果がない事があるの……ってこれは内緒にしてよね」
「……む。それは残念だが仕方ないな」
「そういう子供は私たちエルフが引き取って育てる事になっていて、その子は私と同じくらいの年だったから、すぐに仲良くなったわ。でもそんな幸せな時間は長くは続かなかったの」
「………」
「そう……その子が来てから二十年くらい経った頃だったかな」
「にじゅう……ねん……?」
「おい! どこが長くは続かなかったなんだよ!」
「エルフなんだからしょうがないじゃない! ……その二十年でその子はあっという間に大人になったわ。だけど私たちは何も変わらない。自分一人だけ駆け足で年老いていく……そんな状況に耐えられなくなったの。森の国を出たい、人間の暮らす国に行きたいって繰り返すようになったの」
「………」
「でもそれは認められなかったわ。森の国の中の事は外に漏らしてはならない。そもそも迷い込んできた子供を引き取るのも、秘密を守るためなんだから。
その子は自分を森の外に連れ出してくれるよう、私に頼んだの。その子だけでは幻惑の魔法がかかった森を抜ける事はできないけど、エルフである私の案内があれば抜け出られる。
いけない事だとはわかっていたけど、私はその子を外に連れ出す事にしたわ。あの頃のその子は怒りっぽくなってすぐに周りに当たり散らしたり、かと思うと急に泣き出したり塞ぎ込んだり……誰が見てもこのままじゃいけないのは明らかだった。もうここにいてはいけない。私が連れ出すしかない。そう思ったの……」
アリアーネは目を伏せる。
「誰にも見付からないように準備をして、こっそり抜け出そうとした……でも森の国を出る事はできなかった。途中で見付かって連れ戻されたの。私はおとがめなしだったけど、その子は一生、狭い小屋に閉じ込められる事になった。
最期は心を病み、気が狂って……首を吊って自ら命を絶ったわ」
「………」
「私はただ、その子に幸せになって欲しかったの」
アリアーネは切々と訴える。
「だけど閉鎖的なエルフの社会はそれを許してくれない。森の国はエルフにとっては楽園だけど、人間にとってはそうじゃない。森の国が他の国と交流を持つようになれば、こんな悲しい事は起きなくなる……」
アリアーネは顔を上げ、一同の顔を順番に見つめる。
「三年前の魔王との戦いの時、私は生まれて初めて森の国を出た……そしてみんなと出会った。みんなすごく素敵な人だと思った。みんなとたくさん話をして、みんなの故国に行って……そうすればきっと仲良くなれる。閉鎖的なエルフの社会を変える事ができる。不幸になる人を減らす事ができる……」
アリアーネの視線はレヴィンの上で止まり……目が合うとさっと視線を逸らす。
「でも……交易の国の女王セラフィナ様に言われるがままに交流を始めるのは、間違っている気がする。私が望んでいる形とはかけ離れている気がするの」
「やれやれ……さっきから黙って聞いていれば、ずいぶん勝手な言い草ですね」
クライナーが口を開く。いつもとはまるで違う、冷ややかな口調。
「勝った方が良いとか負けた方が良いとか、僕を相手にして勝つも負けるも自由自在っていうのが前提なんですか? 結構な自信ですね?」
「あっ……う、うん、ごめん……」
「いえ、それはどうでもいいんです。重要なのはもうひとつの方です」
クライナーは静かに首を横に振る。
「神々が滅びてから、人々は集まって村を作り、村が集まって街を作り、街が集まって国を作りました。その過程で様々な文化や技術、商品を生み出し、互いに切磋琢磨して発展させ、それを売り買いして交易の輪を広げてきました。それが人間の歴史です。それは決して誰にも止める事のできない時代の流れです」
「………」
「アリアーネさん、明日のあなたと僕の対戦がどのような結末を迎えようと、いずれ森の国は交易を始める事になるでしょう。時代の流れがそれを要求しているんです。
明日の対戦であなたが勝ったところで、せいぜい時代の流れを遅滞させる程度です。止める事はあなたにはもちろん、動かしている僕たち商人にもできないんです」
「で、でも……それは……」
「申し訳ありません。僕とした事が言い過ぎました。酔いが回ったのかも知れません」
そう言ってクライナーは席を立つ。
「これで失礼します。アリアーネさん、明日の対戦はお手柔らかにお願いします」
「あっ、ちょっと……」
アリアーネが呼び止めるも、クライナーはさっさと歩き去っていった。
「………」
クライナーの去り際の言葉のせいか、場の雰囲気はすっかり冷え切り、残された一同は黙り込む。
そんな沈黙を破ったのはレヴィンだった。
「アリアーネ、お前自身は森の国が交易を行なうべきだと思っているんだな?」
「え? ……う、うん」
「しかし交易の国のやり方は間違っている。だったらやり方はひとつしかない。まずは明日の対戦で勝つ。その上でハーミッシュ殿を始め、森の国のエルフに自分の意見を伝えるべきだ。さっき、俺たちに向かってしたように」
「レヴィン……」
「お前なら大丈夫だ、アリアーネ。剣と魔法のない戦場でも、勇者のお前は簡単に負けはしない。きっとみんなの心を動かす事ができる」
「う、うん……レヴィンが言うなら……私、がんばってみる」
頼りなくうなずくアリアーネに、リーゼも元気に声をかける。
「でもその前に明日、クライナーさんに勝たないとですよ! がんばって下さい、アリアーネさん」
「そうね。ありがとう、リーゼちゃん。明日の対戦はがんばるわ」
アリアーネに笑顔が戻り、リーゼの頭に手を乗せる。
そしてこの日の夜のささやかな宴は、みんな笑顔でお開きになった。




