第二章その14
その日の夜、「翡翠と紅玉の夕べ」亭には久しぶりに七人の勇者が顔を揃えた。
一同の顔触れの中にヒルケを見付けて、シーナが駆け寄ってくる。
「ヒルケさん! 二日も来てくれませんでしたけど、大丈夫だったんですか? 怪我とかしてなかったんですか?」
「うん……怪我は大した事なかったし、光の神の神官が治してくれたから……」
「そうですか……二戦続けて負けたって聞いたから、心配していたんですよ?」
「ありがとう。期待には応えられなかったけどね」
「次で勝てばいいんですよ! がんばって下さい!」
「うん、がんばるよ」
そして一同は席に着き、酒と料理が運ばれてくる。
当然のようにシーナもヒルケの隣に座り、店の主人もそれを黙認する。
「私も応援に行きたいんですけど……お金がないから……」
寂しそうにうつむくシーナ。
「あの、クライナーさん、チケットって高いんですか?」
ヒルケはこういう事に一番詳しそうなクライナーに尋ねる。
「そうですね……それ以前にこの店に売られてきたシーナさんには自由に使えるお金なんてないでしょう?」
「う……はい、そうです」
シーナがしょんぼりとうつむく。
「もしそんなお金があったとしたら、もっと有効な使い道に使った方がいいですよ」
「はあ……例えばどんな……」
「勇者大戦を一試合見るだけのお金があれば、シーナさんは自分自身をこの店から買い戻して、お土産を買って故郷に帰れるでしょうね」
「……えええええっっっっっ!!!!!」
シーナがすっとんきょうな声を上げる。周りの客や他の店員、店主までがこちらを注目して、シーナは顔を赤くしてうつむく。
「チケットってそんなに高いんですか?」
「それはまあ、僕たちの戦いを一目見ようと世界中からたくさんの人が集まってきますから。高いお金を出さないと買えなくなってしまうんですよ」
「はあ……私一人がチケットより安いなんて……ショックです……」
はあっと溜息をつくシーナ。
「これだから貴様ら商人という人種は……人の命より紙切れの方が大切なのか? 全く、血も涙もない人でなしだな」
ボロスがクライナーを睨み付け、苦々しく吐き捨てる。
「ちょっと待って下さい! 僕が悪いみたいに言わないで下さいよ!」
「違うのか?」
「違いますよ! いいですか? 物の値段というのは市場が決めるんです。高いお金を出しても手に入れたいという人がたくさんいれば値段が上がるし、そうでなければ値段は下がる。その結果がこの値段なんですよ!」
日頃の美男子ぶりをかなぐり捨てて、クライナーは顔を赤くして激昂する。
「……まあ市場価値がどうであれ」
フローリアが淡々と口を開く。
「……それをどう捉えるかは人それぞれだ。金銭的価値だけを判断基準にするか、あるいはそれ以外の物を判断基準にするか……ここにいる全員が後者だと、私は信じているがな」
フローリアの言葉に、一同はそれぞれうなずいたり、苦笑を浮かべたりする。
「……本当だろうな?」
「だからどうしていちいち僕の方を見るんですか!」
ボロスとクライナーは相変わらずそんなやり取りをしている。
「あの、フローリアさん」
意を決して声をかけるのはヒルケだ。
「……どうした?」
「フローリアさんは色んな事に詳しいんですよね?」
「そうよ! フローリアは知らない事はないと言われているすごい人なのよ!」
アリアーネが自分の事でもないのに自慢げに言う。
「……知らない事はない、などという事はない。新しい事を知れば知るほど、自分の知らない事がまだまだたくさんある事に嫌というほど気付かされる」
「………」
「……で、私に何か聞きたい事があるのでは? 何でも知っているとは言えないが、大抵の事は知っているつもりだ」
「は、はい、教えて欲しいのは……」
ヒルケの声が低くなる。ごくっと喉を鳴らして口の中の唾液を飲み込んで、言葉を続ける。
「魔王って一体、なんだったんですか?」
「………」
「三年前、砂の国に突然現われた魔王は破壊の限りを尽くしました。砂の国の軍隊では全く歯が立たず、街は破壊され、オアシスは枯れました。空に浮かぶ恐ろしい姿。そこから次々と産み落とされる魔物の姿は今も目に焼き付いています。僕の両親や兄弟も殺され、僕一人だけがたまたま助かったんです……」
ヒルケの肩が震えている。テーブルの下の手はみんなには見られないように、固く握りしめられていた。
その後の事はレヴィンら六カ国の勇者たちの方が良く知っている。他ならぬ魔王を倒した当人なのだから。
「砂の国の人々は、魔王が残していった傷に今でも苦しんでいます。魔王に徹底的に叩き潰された心は、今なお立ち直れないでいるんです……」
「……なるほど、君は魔王に家族を殺されたのか」
フローリアが気怠そうに口を開く。
「……ならば知る資格があるのかも知れない。魔王の正体を」
「し、知っているんですか?」
ヒルケが上擦った声で聞き返す。残りの面々も驚いた表情を隠しきれない。
魔王の正体は不明。ずっと当たり前のようにそう思っていたのだ。
「……確証はないが、三年の研究で辿り着いた推測だ。それで良ければ聞かせよう」
こほんとひとつ咳払いをして、フローリアは続ける。
「……三年前の魔王……あれは闇の神ダルムだ。私はそう考えている」
「闇の……神?」
光の神の神官であるフォルナの口から声が漏れる。
「……さて、皆は神についてどの程度の知識を持っているのだろう……ああ、フォルナは詳しいな」
「……闇の神なんて知りません」
フォルナは口を尖らせる。
「……そう言うな。光の神も闇の神も、教えは違えど神としての性質は同じ」
「教義の違いが重要なんですっ」
一際強い口調で言い、フォルナはぷいっと顔を背ける。自分から説明するつもりはないらしい。
「……仕方がない。私から説明しよう」
フローリアはやれやれと首を振る。
「……かつてこの世界には三つ柱の神が存在した。光の神ライリオ、月の神ルテナ、闇の神ダルムがそれだ。世界を創造した……とされている。その後、長年に渡って協力し、世界を統治してきたが、やがて意見の違いから対立するようになり、人間や獣人、エルフなどを巻き込んだ壮絶な戦いに発展した。その結果、神々の肉体は滅び、意識とかつての力だけが世界に漂い、満たすようになった」
フローリアはそこまで一気に話して、一つ息をつく。
「……と言われている」
「い、言われているって何ですか!」
テーブルの上にずっこけつつ、リーゼが口を挟む。
「……仕方ないではないか。そういう伝承が伝わっているだけで、物的証拠があるわけではない。確かなのは祈りに応えて奇跡が起きる、という事だけだ」
「………」
フォルナは不信心者二人を白い目で見ている。
「……神に祈りを捧げて奇跡を起こす。それをとことんまで突き詰めると、神その物をその身に宿す事さえできるのではないか?」
「………」
いきなり飛躍した話に、流石の勇者たちも言葉をなくす。
「じゃあ……三年前に俺たちが倒した魔王は、闇の神だったっていうのか?」
微かに声を震わせて言うのは、魔王にとどめを刺したレヴィンだった。
「……あくまでも仮説に過ぎない」
「……誰なんですか?」
ヒルケが低い声で尋ねる。
「一体、誰がそんな事を……魔王を呼び出すなんて事を……砂の国をメチャクチャにするような事をしたんですか!」
かつて両親と兄弟を殺されたヒルケが激昂するのも無理はない。シーナがヒルケの怒りを抑えるように、そっと手を重ねる。
「……仮説だと言っただろう。しかしひとつだけ言える事がある」
フローリアは声を潜める。
「……魔王がまた現われる。その可能性は決して否定できない」
「………」
誰も返す言葉を持ち得なかった。
重い沈黙は、ささやかな宴がお開きになるまで続いた。




