第二章その9
みんな寝静まった夜、竜の国の王女エミリアは暗い廊下を足音を忍ばせて歩いていた。
「はあ……すっかり遅くなってしまいました」
知らず知らず溜息混じりの声が漏れる。
「でっ、でもこのまま進めば、もうすぐレヴィン様に……」
「……レヴィン様にお会いになるんですか?」
「きゃっ!」
背後からかけられた声に、エミリアは王女らしからぬ声を上げて飛び上がる。だが声の主の姿を確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
「なんだ、クレアじゃないですか……」
動きやすい服装に腰から剣を提げた、ボーイッシュな少女。名前をクレアといい、幼い頃からエミリアに付き従い、護衛を務めてきた。エミリアにとって半身にも等しい存在だ。
「なんだじゃないです。夜更けに私にも内緒でこそこそしているからどこへ行くのかと思えば……レヴィン様に夜這いですか?」
「よ、夜這いなんてふしだらな! レヴィン様は明日、平原の国の勇者ボロス様との対戦です。激励に伺うのは何もおかしな事ではありません」
「そうですね……では枕を抱えているのはどうしてですか?」
「え? こ、これは……私としてはそういうつもりは一切ありませんよ? でもレヴィン様の方から私をお求めになる事もありうるかもと……」
「完全にそういうつもりじゃないですか!」
クレアは思わず大きな声を上げてから、溜息をつきつつ抑えた声で続ける。
「まあ……私としては姫様がそういうつもりでも一向に構いません」
「え? そうなんですか?」
「姫様のレヴィン様への想いは重々承知していますし、姫様と勇者様が結ばれれば竜の国の行く末も安泰です。ただ……」
「ただ?」
「竜の国の王女ともあろうお方が、夜更けに枕を抱いて徘徊しているなんて醜聞が流れてはたまったものではないと……」
「こ、これはその……つい物の弾みで……」
「だから誰にも見付からないよう、こっそり速やかに行きましょう。付いてきて下さい」
「う、うん。クレアは本当に頼りになりますね」
エミリアが寄せる信頼を嬉しく思いながら、それでも「交易の国まで来て何やっているんだろう?」という疑問が抑えられず、心の中でそっと溜息をつくクレアだった。
足音を忍ばせて進む内に、二人はレヴィンの部屋に着いた。
エミリアはドアをノックするが、返事はない。
「……眠っていらっしゃるのでしょうか?」
「それは好都合。ちょっと行ってきます。クレアはここで誰か来ないか見張っていて下さい」
「え? あ、あの……」
返事も待たずにエミリアはドアを開けて部屋に入っていく。
目を凝らして暗い部屋の中を見通し、ベッドを見付けると、忍び足で近付いていく。
「レ・ヴィ・ン・さ・ま♪」
エミリアは甘えた声で愛しい勇者の名を呼び、床を蹴ってベッドにダイブ。
ところが……。
「あら?」
エミリアを受け止めたのは、柔らかいベッドの感触だった。
「エミリア様……」
「何しているんですか……?」
その声にはっとして振り返ると、入り口近くに愛しの勇者とドラゴンの少女が呆れ顔で立っていた。
「え? 二人ともいつの間に……」
「す、すみません、お止めする暇がなくて……」
二人の隣で小さくなって頭を下げるクレア。
「いいえ、いいんです……それよりお二人は今までどちらに?」
「勇者のみんなで酒場に行っていたんです」
「そうでしたか。みなさんお揃いで楽しかった事でしょうね……では私はこの辺で……」
「で、エミリア様はここで何をしていらしたのですか?」
「う……そ、それは……えっと……レヴィン様がお休みになるベッドの具合を確かめに……とか?」
「エミリア様がそのような事をなさる必要はありません。この部屋に何をしにいらしたのですか? 枕まで抱えて」
「はうっ! こ、これは!」
慌てて枕を背中に隠すが、もう遅い。
「これは……その……だいたい、レヴィン様が悪いんですよ!」
冷や汗をかいて言い訳を考えていたエミリアだったが、急に逆ギレして大声を上げる。
「え? 俺? いや、私が?」
「そうです! せっかくレヴィン様と一緒にお出かけして、たくさんおしゃべりとかできると思って楽しみにしてたのに……確かにここまでの道中は楽しかったですけど、交易の国に着いてからは各国の方たちとの会談ばかり。もっとこれからの事とか、レヴィン様とお話ししたいのに!」
「ああ、いや、そうでしたか……それは気付かずに申し訳ない事を」
「わかればそれで良いのです」
「しかしこの部屋に忍び込む理由には……」
「明日の試合、がんばって下さい! 心から応援しています!」
「は、はあ……」
目を輝かせて手を取るエミリアと、呆然と手を取られるレヴィン。
「これで元通り仲良しですね!」
「はあ……これが我が国の姫君と勇者……何が何やら……」
大喜びのリーゼに、溜息の理由に事欠かないクレアだった。
「……ああ、そうです。エミリア様エミリア様」
「なんでしょう? リーゼ」
「そのベッド、ゆーしゃ様のじゃなくて私のですから」
「はうっ!」
エミリアは声を上げてひっくり返った。




