序章
また「大使館物語」に続く過去作再利用です。
今回の「勇者大戦」は私の新人賞応募歴で最も高い評価を受け、色々あって思い出深い作品です。
ぜひ一読を!
ソレは虚空に浮かび、おぞましい姿を世界に晒していた。
山のような大きさの球状の巨体を埋め尽くすのは、顔、顔、顔……。
苦悶に歪む顔、憎悪に引きつる顔、慟哭の涙を流す顔、断末魔の悲鳴を上げる顔……どれもが見る者を震え上がらせずにはいられない。
無数の顔の隙間からは無数の触手が伸び、粘液にぬめりながら蠢いていた。
この世のありとあらゆる死と絶望と恐怖を体現するソレを、人は「魔王」と呼んだ。
大地には人が群れを作り、魔王を取り囲んでいる。
森の国の美しいエルフたちは得意の弓矢を風の魔法で飛ばし、夜の国の魔法戦士たちは魔法で生み出した火球を叩き付ける。
竜の国の騎士団が魔王の触手を切り落とし、切り落とした触手から生まれる異形の怪物を平原の国の獣人の戦士たちがその牙で噛み殺す。
交易の国の傭兵部隊とドワーフ戦士が隊列を組んで異形の化け物を迎撃し、神聖王国の神官たちが負傷者の治療を光の神ライリオに祈り、再び戦場へと送り込む。
人間とエルフと獣人とドワーフの連合軍による魔王との戦いは、一進一退の様相を呈し始めていた。
その戦いを遠く離れた小高い丘から見下ろす者がいた。
魔王には遠く及ばないが、他のあらゆる生物に比べれば遥かに巨大な身体を、煌めく金色の鱗に覆っている。
巨大な口の隙間からは鋭い牙が並ぶ姿を見せるが、炎のように紅く揺らめく瞳に浮かぶ色はどこまでも理知的だ。
金色の竜王ウォルト。
竜の国に住まうドラゴンの長老にして、地上から姿を消した神々に次ぐ力を持つ、地上最強の生物。
“人間とは理解しがたい生き物だな”
それは大気を媒介して伝わる音声ではない。意志を直接相手の頭の中に伝える、念話だ。
“身を守るために集まり、国を作ったかと思えば、国同士で争い、共通の敵が現われれば手を結んで戦う”
「しょうがないだろ。俺たち人間はじーさんたちドラゴンとは違うんだから」
答えるのは金色の竜王に寄り添うように立つ人間だ。
ドラゴンを模した兜を被り、紺青の鎧に身を包んだ、まだあどけなさの残る少年。
飾り気のない槍を肩に担いでいる。
竜騎士レヴィン。
ドラゴンと契約を交わし、その血を受けてドラゴンの代弁者として共に生きる道を選んだ少年。
「じーさんたちドラゴンと違って、山に籠もって家族だけで暮らすわけにはいかないんだから。仕事して金を稼いで買い物をして、人と繋がらなくちゃ生きていけないんだ。その中で対立する事もあれば、協力する事もあるさ」
ウォルトは答えない。人間であれば、ふんと鼻を鳴らすところだが、ドラゴンであるウォルトはその代わりにわずかに口を開いて小さく炎を吐いた。
「んじゃ、そろそろ行くか」
“うむ”
ウォルトが頭を下げると、レヴィンは鎧を着込んでいるとは思えない機敏さでその首に跨がる。
手にした槍が一回転すると、それは長大な騎兵槍へと姿を変える。
竜騎士槍。
ドラゴンの血を受けた竜騎士だけが手にする事を許された伝説の武器。
それが今、真の姿を現す。
そしてウォルトがその翼をはためかせると、その金色の巨体は軽々と宙を舞う。二度三度と宙を旋回して針路を定めると、魔王へ向かって一直線に突き進んでいく。
「……なあ、じーさん」
“ん? どうした? ここまで来て怖じ気ついたか?”
「そんなわけねーよ……ただ、魔王を倒してこの戦いが終わったら、どうなるんだろうって」
“………”
「平和になるのかな? それとも前みたいにまた戦争を始めるのかな?」
“そんな事、儂の知った事ではない。全ては人どもが決める事だ”
「そーだよなあ。俺たちが自分で決めなくちゃいけないんだよなあ」
会話が途切れると、金色の竜王はスピードを上げる。巨体が空を裂き、巻き起こす風は雲を蹴散らしていく。すでに常人には目を開けている事さえできない領域に到達しているが、その首に跨がる竜騎士は平然と行く手を見据える。
そこに浮かぶ世界の敵、魔王の姿を……。
そして魔王との戦いは多くの犠牲を払いながら、人の勝利に終わった。
それから三年の年月が流れ、新たな戦いが始まる……。