第9話:人間が好きです。
「わたし、バニラクリームフラペチーノ。トールで」
「私はこのヘーゼルナッツソイラテをアイスでお願いします。サイズはショート」
「俺、アイスコーヒー。トールね」
★
運よく窓ぎわの四人がけが空いていた。わたしと優香さまは並んで座り、九鬼さんに向かい合った。
「それで、どうしたって?」
九鬼さんはわたしがいるので機嫌が悪い。使い魔ふぜいが同席しやがって! そんな視線を感じる。わたしとしてはべつに、九鬼さんに対してへこへこおもねる必要なんてこれっぽっちもないから、コンニャロと堂々にらみかえすわけだけれども。
「はい。あの結界。あれは九鬼さんに関係するものでしょうか?」
「なんだ、俺はてっきり君がなにか実験でもしてるのかと思って無視したんだがなあ」
九鬼さんはキザったらしく銀髪をかき上げながら言った。どうやら関係ないらしい。
「ということは」
「ああ、俺はなにも知らない」
「そうでしたか。実は私のクラスに転校生がありまして――」
優香さまは簡単に事の経緯を説明した。
「つまり、この黒猫がドジって目を合わしちまったが、まあ怪我の功名、と」
あごでしゃくるようにして、なじるように九鬼さんは言った。
「黒猫じゃない。わたしの名前は黒子です!」
「たかが使い魔がえっらそうに」
あきれたようにそっぽを向いて、ストローをくわえる九鬼さん。
「うまく隠しているようだがな、おまえの尻尾と翼、俺にはよく見えるぜ」
「!」
あわてて後ろ手に背中とお尻をチェックする。
「へっ、冗談だよ」
冗談だって? わたしは事実、真の姿を隠している。蝙蝠の翼と黒猫の耳、そして二股に分かれた尻尾を持っているのだ。人間社会に生きるため、つねに徹底して隠している。本当に見えたのだろうか? 魔力看破から推知したのだとしても異常な精度である。しかも、吸血鬼の力が弱化している日中であるにもかかわらず。こいつ……危険だ。
「九鬼さん。この子の名前は黒子です。無礼はゆるしません」
優香さまが微笑んで……お、怒ってる?
「無礼? 俺が? こいつに? おいおい」
九鬼さんが中空で片手をぶらぶらさせて言った。
「無礼はゆるしません。“たかが使い魔”と」
一瞬、空気が凍る。優香さま……
「……ふん。あやまりはしないがね、今後からかうのはよしておこう。君のためにな」
ご丁寧にわたしをひとにらみして、九鬼さんは言った。
「感謝します。それでは、話をもどしましょうか。と言っても、すでに共有すべき情報は底をつきましたけれど」
「服部、だっけ? どうする? 消すのかい?」
物騒なことを言う。こいつ、本当に九鬼影光の息子か? 発想が邪悪すぎる。
「……九鬼さん、彼女はおそらく人間です。目的はわかりませんが、できることなら傷つけずにすれちがいたい」
「人間だからなんだってんだ。結界張ったり、わけのわからんものを見せたり、こっちの領域に足を踏み入れてるやつをかばうつもりか?」
「彼女が私たちに害をなそうとしているのだとしたら“対応”しなければなりませんが、そうでないなら、たとえ私たちにとって都合が悪くても、決して関わってはならない。九鬼さんは今回のことに手を出さないでください。情報は逐一提供します」
「やれやれ、人間のフリをして、それが共存か」
九鬼さんは眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように言った。
「私たちもよく“フリ”という言葉を使いますが、正確には決してフリではありません。私たちは人間でいられる、ということです。私たちの能力は私たちの領域においてのみ在ればいい」
優香さまの声は静かな、落ち着いたものだった。
「ばかな。この能力があってこそ、影から人間を支配できようものではないか。それが“共存”だろうが」
「それは“共存”でも“支配”でもなく、単なる“寄生”でしょう。幼稚な乗っ取り行為に過ぎませんよ」
「ちがうね。種間競争の問題だよ」
「……九鬼さん。私は人間が好きです。人間が育んできたものがまぶしい。私たちの力に意味があるとしたら、それを守ることではありませんか? それを奪うことではなく、慈しむことではありませんか? 力に驕り、魅せられ、短絡的な欲求に埋没するのだとしたら、それは人間の醜い一側面を模倣しているにすぎません。私たちが感得すべきものは、人間たちの“愛”ではありませんか?」
わたしは思わず優香さまの横顔を見つめてしまった。遠い視線と、はかない微笑がわたしの胸を打った。優香さまはテーブルの下でそっとわたしの手を取り、やんわり握ってくれた。
「愛? 愛なら、おれたちにもあるだろう?」
なぜかうろたえるようにして、九鬼さんは言った。
「いいえ。残念ながら」
「たとえば……そうだな、血族の愛を信じないのか?」
「《真の始原的統一は相違の意識のなかにこそある。その統一を、すべての者は充実したいと願い、またおのおのに与えうるちからがある。ぜひなく、わたしたちはすべての者を愛さなければならない。わたしたちはおのおの代替不能の個体ではあっても、巨人でも神でも小人でもなく、ひとつの変わった異種同型体であるのだから。わたしたちはみな誰もがそうであることを知っているがゆえに、お互いに愛し合うことができる。……》※」
「な、なんだ?」
キョトン。九鬼さんもわたしも同じ表情をしていたと思う。
「死んだ英国詩人の、ある長詩から。九鬼さん、おわかりになりませんか?」
「わからんね」
やれやれ、と言わんばかりのバタ臭いジェスチャーをまじえ、九鬼さんは深いため息をついた。
「人でないものの話はこれくらいに。あとは、これを飲み終わるまで閑談といたしましょう」
そう言うと、優香さまはいつものようにやわらかく微笑した。急に空気が軽くなる。店内のざわめきに空気が同調する。会話のイニシアチブは終始優香さまが握っていたようだ。
「なあ。やっぱり携帯の番号教えてくれないか?」
アイスコーヒーをすすりながら、ふてくされた声でアプローチする九鬼さん。
「メールで十分でしょう?」
「じゃあ、今度のライブ観に来てくれないか?」
おいおい、「じゃあ」ってなんだよ?
「門限がありますので」
うお! 門限なんてないのに……優香さまエライ!
その後は、わたしと優香さまで九鬼さんをからかって過ごした。なんのへんてつもない放課後。フツーの高校生ライフを楽しんだ。――九鬼さんはいけ好かない野郎だけれど、ふむ、あえて三枚目に甘んじる程度の度量はあったようですね。
※Wystan Hugh Auden“New Year Letter”