第4話:謎の結界
7時57分。通勤タイムの銀座線の混み具合はもはやスシ詰めどころの話ではない。わたしたちは女性専用車両を利用しているので一般車両よりはまだマシだが、それにしてもヒドイありさま。新橋で吐き出されるように降車する人びとの数も異常だ。わたしもそのなかのひとりなのだけれど、「これだけの人間がこのちっぽけな電車に入っていたとは!」と日々驚嘆の念を禁じえない。
優香さまは電車が苦手で、人いきれに酔いがちなのだけれど、
「黒塗りベンツで通学なんて感じ悪いわ。それに、乗り換えを含めてもたったの3駅じゃない。もっと遠くから通学している人もいるんだから、あんまり贅沢言っちゃダメよ」とのこと。ウィッチブルーム(ホウキ)で飛行通学なんてもってのほか。でも、優香さまほどの魔女が満員電車にゆられて高校に通ってるなんて、なんだかなあ。
《――JR線、都営地下鉄浅草線、ゆりかもめはお乗り換えです。》
新橋到着。ばたばたばたばた、人びとのものすごい足音が構内のかん高いアナウンスと入りまじって、朝の喧騒を強調している。わたしたちは浅草線に乗り換えだ。
「眠いなあ」
ぽつりとつぶやく優香さま。魔女用頭痛薬『グルナール』がばっちり効いているようだ。
「大丈夫ですか」
お顔をうかがうと、優香さまはふるふる顔をふり、つづけて両手を上げて伸びをした。
「んんん〜。ごめんごめん、ついぼやいちゃった。いつものことなのにね」
「え、あ、いえ、そんな」
優香さまはごく何気ない動作がかわいすぎるので注意が必要だ。わたしは通りすがりに見とれている会社員や男子学生をギロリとにらんだ。
★
8時17分、清應到着。予鈴の鳴る前とはいえギリギリだ。
「すみません、優香さま。わたしがちゃんとしていれば、こんなあわただしい朝にはなりませんのに」
遅刻したことはないけれど、結構な頻度で今朝みたいになってしまう。
「いいのよ。ちゃんと間に合っているもの。それに、黒子は45分までには必ず起きてくるじゃない。約束を破ったことは一度もないわ。あとね、外では“優香さま”じゃないでしょう?」
「あう。ごめんなさい“お姉ちゃん”」
――そう、繰り返しになってしまいますけれども、わたしは人間社会においては優香さまの妹なのです。戸籍上もそういうことになっています。ホント光栄すぎて鼻血が出そうです。
「ふふふ、行きましょ――」
「はい……あれ? あの、あれ?」
校舎に入ろうとしたのだが、妙だ。優香さまも気づかれたらしく、立ち止まっている。
「変ね。結界?」
「そう、ですね。かなり歪なかたちですけど」
魔力を視神経に集中して見ると、微弱な結界の線が浮き上がってきた。カモフラージュされているわけではなく、単純に力が弱いため気づきにくい。
生徒たちが立ち止まるわたしたちを不審げに見やりながら通りすぎていく。――あ、言い忘れてましたが、清應は共学です。
「時間がないわ。とりあえずわたしたちのなかでだけ無効化しておいて、様子を見ましょう」
「そうですね。この弱さなら効果がなんであれ無効化できますし。それに解除したら術者にばれちゃいますもんね。でも、なんでしょうね、また九鬼さん関係でしょうか」
――九鬼さんは3年B組に在籍する吸血鬼、九鬼影雅のこと。東日本亜人協和会に所属する九鬼家の一人息子です。父親の九鬼影光は協和会の戦団に多くの戦士を投入している有力者で、なかなかの人格者でもあります。表向きはレコード会社・九鬼グループの社長さん。ちなみに、西園寺家は代替血液を提供している兼ね合いで九鬼家をはじめとした吸血鬼の名家と友好的です。
ただ、九鬼家と仲がよいといっても、息子の九鬼影雅はぼんぼん育ちのどら息子といった感じで、わたしは大きらいです。あのナンパ野郎は、なにかと優香さまにちょっかいを……!
「うーん、九鬼さん? どうかしらねえ。あら、えっと、どうしたの? 怒ってる?」
「へ? あ、いや、いえいえ、そんなことないですよ?」
ああ、わたしって九鬼さんのこと、本当にきらいなんだなあ。ちょっと解説しただけで、こう、イライラっとしてしまう。気をつけなくては。
――キインコオンカアンコオオオン
予鈴の音が響き渡る。
「あらあらいけない、黒子、いそぎましょう」
「はい!」
謎の結界の出現……トラブルの予感がする。大切なのは、優香さまの日常を守ること。魔女の力を行使せずに事なきを得ることだ。ぬかるな黒子!