Apple pie.
『The answer is……』の前日談(?)となります。
ホラーではないと思いますが、シリーズなので一応ホラーとなっています。
どうして。
どうしてあのタイミングで、手を握ったりしないんだろう。
それか。
あのタイミングで、手を握ってくれたら。
いいのに。
☆
ガチャガチャと音を立てる食堂は、時間も時間でそろそろ空いてきていて。
遠くに見える食券の券売機はほぼ売り切れ。
お腹はいっぱい。
でも、気持ちは少し、空っぽ。
ピッピッと、時計のアラームが鳴る。
「じゃ、講義だから」
そう言って、金谷んは席を立つ。
「ウソ、もうそんな時間。めぐは?」
時計に目をやって、京子ちゃんも。
「うん、木野ちゃんはね、今日はもう終わり。だからのーんびり図書館」
うん、私は、今日はもう終わり。
なのにきっと、この二人は、今日、この後も一緒。
「終わったら図書館に迎えに行くよ」
「はーい」
カバンを持って去っていく二人の後ろ姿。
どうしてあの二人の間に私がいないんだろうという、焦燥感が持ち上がる。
頭を振る。
振った頭から、前髪を止めていたピンが落ちる。
違う。
あの人の隣が、どうして私だけじゃないのか、という焦燥感、だ。
テーブルに落ちたピンを拾う。
正直、面白くない。
この黒い、ピンみたいに。
重くのしかかる前髪みたいに。
落ちてくる。
一本一本が。
その毛先まで、自己主張する。
ガラス張りの向こう側は、透明な傘の列。
「雨、降ってきちゃった」
☆
図書館の入り口には、専用のゲートがあって、そこで学生のチェックが入る。
別に、学生証を機械にかざすだけ。
それで、どこかのドアが開く、というわけでもないし。
じゃぁ、かざさないと入れないのか、というと、そういうわけでもない。
なんとなく、チェック。
きっと、数を数える、ということが、ここの図書館には必要で。
数を数えられてますよ、と教えることが、何かの役に立つんだろうな。
学生証をかざすと、ピピっと、機械が音を立てる。
あ、この音、さっきの時計の音と同じ。
「また、思い出しちゃった」
やだな。
後ろを振り返ると、私の傘は入り口の傘立ての中で。
みんなのビニール傘に交じって、ここからじゃわからない。
あの傘の本数は、誰も数えてくれない。
私も同じ。
「みんなと同じ」
ただの、友達。
建物を貫くらせん階段は、上も下も、静か。
どっちに行っても、今日の天気は変わらない。
「今日は、上、かな」
きっと、その方が太陽に近くなって。
少し、気分も変わるかもしれないから。
「もう、何ポエムみたいなこと考えて」
カーペットは、みんなの足跡で少し濡れていて。
私の小さい足跡も、その中に合流。
じわっと滲む靴のかたちは、昔よりは少しだけ大きくなったんだよ、って自己主張。
「でも、この位がちょうどいいって、言ってくれたもん」
誰かの、知らない誰かの足跡の上を、踏む。
二階と三階の机はすでに埋まっていて、仕方なく、階段を四階まで登ることになった。
エレベーターもあるけれど、階段があるなら、階段を使う。
時折、すれ違う人が、視線で私を追いかける。
そんなにおかしい恰好、してるかな。
最初の内は、そう思うこともあったけれど。
京子ちゃんに言わせると、可愛いから、自然と目で追いかけてしまう、らしい。
可愛いんだって。
言われると嬉しいけど。
「可愛くいるのだって、努力が要るんですよー、だ」
一回、そう言ってアッカンベーをしたことがあったっけ。
壁一面、ガラス張りになった窓際に、空いてる席を見つけてカバンを置く。
ガラスの向こうは、構内の街路樹が茂っていて、パチパチと音もなくぶつかる雨粒と、曇った空と。
今、あの二人が居る建物と。
その位しか見渡せない。
そっちに向けてあっかんべーをすると、ガラスに映った私が、私に向かって舌を出した。
バカみたい。
カバンの中から、読みかけの本と、ノートを取り出す。
今日の本は、表紙に真っ赤なリンゴの絵が描いてある。
写真じゃなくて、イラストっていうところが気にって、買った本。
きっと、新しい本に手を出す時間はないから、今日はこの本のまとめ。
イスに座ると、少しだけ濡れたスカートがしっとりとしていて。
やだな。
ちゃんと乾かさなきゃ、しわになっちゃう。
帰る頃も、雨なのかな。
☆
マーカーを引いて、付箋を貼る。
重要な所は、ノートに書き出す。
ページをめくって。
ページを戻って。
その繰り返し。
ゼミの発表の準備って、いつもこう。
うちのゼミは変わっていて、持ち回りで本を読んで、その内容を発表して、みんなでディスカッションをする。
来週は、私の番。
今週中には読み終わって、週末にはレジュメをまとめて、週が明けたら印刷して、人数分まとめて。
まとめ方も人それぞれ。
全部書いてくる人もいるし、メモだけにする人もいるし。
書き方はバラバラ。
金谷んは、全部書いてくる方。
京子ちゃんは、要点だけまとめる方。
よく、二人とも書き方でケンカしてる。
金谷んが、言いたいことは全部書きたいって言ったら、京子ちゃんは、レジュメを読んでわかるなら、私はその場で一言も喋らないって。
レジュメの補足をするのが、発表者の仕事じゃないのって言ってた。
私も、京子ちゃんに賛成、かな。
でも、あそこまで綺麗にまとめられないな、といつも思う。
なんて言うんだろう。
レイアウトなのか、文章なのか。
とっても、綺麗。
そう、京子ちゃんは、綺麗。
私と違って。
可愛くなくて、綺麗。
嫉妬したくなっちゃうくらい。
「ふぅ」
ひと段落して、しおりを挟んで本を閉じる。
本を閉じると、また、赤いリンゴが目に入る。
リンゴの表面は、ツルツルで、ザラザラで。
触ってみないとわからない。
もしかして、ツルツルかも。
もしかして、ザラザラかも。
本の表紙を触ってみる。
そこには、リンゴがあるように見えて。
何もなかった。
☆
「めぐ、おまたせ」
声に顔を上げると、そこには京子ちゃんが一人で立っていた。
「うん、待ってたよ、京子ちゃん」
そう言って辺りを見回す。
「あれ、金谷んは?」
近くにいるのは、京子ちゃん一人。
「金谷はね、バイト思い出したって言って、先帰っちゃった」
そう言って、肩をすくめる。
「どう、まとまった?何か手伝おうか?」
京子ちゃんは、そう言って机を覗き込む。
「この本、結構内容難しいじゃない。できることあったら言ってよ」
パラパラと本をめくる。
「ううん、大丈夫。手伝ってもらったら、また先生に怒られちゃうから」
「怒られちゃう?」
「うん。出来が良すぎ、って」
そう言って、二人でくすっと笑う。
前回の、金谷んの発表が、もう、京子ちゃんが手伝ったのがバレバレで。
「あの時は、怒られたなぁ」
そう言って、窓の外を見る。
何が書いてあるんだろうって、私も外を見る。
少し暗くなった窓の外にも、空にも、もちろん窓にも、何も書いてない。
「そうだ、そしたらさ」
京子ちゃんが、パンと手を鳴らす。
「うち来なよ、アップルパイ、作ってあげる」
「アップルパイ?」
「そう、リンゴつながりで」
☆
京子ちゃんの家は、大学から歩いて二十分くらい。
少し古めの、学生御用達アパートの一階。
少し、雨脚の強くなった空の下。
二人並んで、傘をさして歩く。
「うちの実家がね、リンゴできたから送るねって言って、箱で送ってきたの。もう、食べきれなくて」
笑いながら言う京子ちゃん。
「京子ちゃんちって、リンゴ作ってるの?」
「作っているって言っても、自分たちで食べる分だけ。でもほら、リンゴって医者いらずって言うじゃない。だから、みんな元気で困っちゃう」
嬉しそうに話をする京子ちゃんを見ていると、少し、いいなって思う。
水たまりが、寂しそう。
「どうしたの、めぐ」
京子ちゃんが、顔を覗き込んでくる。
「ううん、なんでもないよ」
私からすると、少し見上げる形になる京子ちゃんの顔。
「そう。良かったら、少し持って帰ってよ」
また前を向く京子ちゃん。
「金谷んにあげればいいじゃない」
少し、意地悪に言ったかもしれない。
「どうして金谷?全部カレーに入れちゃうから、ダメ」
そう言ってため息。
そんな事を言われると、どうしても足が止まってしまう。
そっか、そこまで知ってるんだな、京子ちゃん。
「あのね、京子ちゃん」
そこまで言いかけた時。
「めぐ!?」
通った車が勢いよく跳ね上げた水で。
「あ」
私は、びしょ濡れになった。
☆
シャワーが流す暖かい湯気の向こうで。
洗濯機が動く音がする。
「着替えとタオル、ここ置いとくから」
京子ちゃんの声がする。
「うん、ごめん、ありがとう」
返事をする。
シャンプーの香り。
京子ちゃんの香り。
私は今、京子ちゃんと同じ香り。
「ふふ」
笑いがこぼれる。
「京子ちゃんと、一緒」
京子ちゃんのシャンプー。
京子ちゃんのボディーソープ。
京子ちゃんのお風呂。
ここを出たら。
「京子ちゃんの服」
ふふ。
「ふふふ」
あぁ、なんか、うれしい。
水をかぶったのは、許せないけど。
でも、いい。
レバーをひねって、お湯を止める。
髪の中に指をくぐらせ、水気を切る。
鏡に映った自分の顔は。
「笑ってる」
もしかして、今日、一番の笑顔かもしれない。
☆
「京子ちゃん、お風呂ありがとう」
タオルで髪を拭きながら、京子ちゃんの所へ行く。
「ううん。服、サイズ大丈夫?」
「うん、大丈夫、ぴったり。それより、良い匂い」
そう言ってシャツをつまむ。
シャツから香る洗剤の匂いは、いつもの嗅ぎ慣れた匂い。
「乾燥機、回してるからそんなにかからないと思うんだけど。アップルパイも、もう少しで焼けるから」
いい匂いといったのを、アップルパイの匂いと思ったのだろう。
確かに、焼ける、甘い匂いがオーブンの中から換気扇へ向けて、寄り道をしながら歩いていくのがわかる。
きっと、このアップルパイは、とっても甘くて、酸っぱい味がするんだろう。
「奥の部屋で待ってて。何か飲む?」
マグカップを用意して、戸棚を覗き込む。
「うん、京子ちゃんのお任せで」
私は、そう言って奥の部屋へ行く。
部屋の中は、片付けされていて、でも、分別されたキッチンのごみ袋には、カップ麺や、ビールの缶がこれでもかと入っている。
「京子ちゃん、ちゃんとご飯食べてる?」
ゴミ袋をつつきながら、そう言ってみる。
「え、ちゃんと食べてるよ。たまたま、たまたまだよ」
手をひらひらとさせて、笑いながら。
本当かな。
でも、なんか、ちょっとほっとした。
少し、京子ちゃんが身近な気がした。
部屋には、机と、ベッドと、本棚と。
どこに座ろうかと考えながら、本棚にあるタイトルをずっと見ていく。
辞書。
コミック。
小説。
専門書。
並んでいる本のジャンルは、教科書を除けばバラバラで。
ところどころに、赤くて透明なリンゴのオブジェが置いてあって。
「本棚、面白い?」
湯気の立つマグカップを二つ持ってきた京子ちゃんが、そう言う。
「うん。ジャンルがバラバラ。どれが京子ちゃんの好きな本なんだろうって」
そう言って笑いかけてみる。
「うん、そうだなぁ。好きな本は、ここにはないよ」
そう言うと、マグカップをテーブルに置いて。
「好きな本は、何回も何回も読んだから、もう全部ここの中」
頭を指さす。
「だからね、外には出さないの」
そう言うと、私の手をぎゅっと握った。
「京子ちゃん?」
握られた手から、熱が伝わってくる。
握られた手から、熱が伝わっていく。
「めぐ……」
京子ちゃんの目が、真っ直ぐに私を見つめる。
真っ直ぐに、私の目を、貫いていく。
「京子……ちゃん……?」
部屋を満たす、甘い香り。
そのまま、ぐっと引き寄せられる。
くらくらする。
マグカップの中は。
紅茶のように赤く。
ときどき黒く。
何かが動いていて。
浮いて。
沈んで。
甘い香りで。
壁が回る。
天井が落ちてくる。
目の前に、何かが覆いかぶさるように。
ギシッと音がして。
柔らかくて。
「さ、アップルパイを、食べようか」
☆
「アップルパイって、とっても簡単なの」
膨らんだパイ生地の上を、熱くなったリンゴが滑って歩く。
「だって、パイ生地を買ってきて、大好きなリンゴを並べて。あとはオーブンで焼くだけ」
立ち上がる湯気を、一身に浴びる。
「ほら、よく膨らんでいるでしょう」
ふんわりとして、刺々しいキツネ色。
「でも、このままじゃ食べれないから」
一枚一枚の隙間に、滑り込む様にナイフが入る。
「切り分けて、取り分けてあげるの」
パイ生地も、リンゴも、切り取られていく。
「お皿の上に、さぁどうぞって並べてあげるの」
切り口から、リンゴが滴る。
「並べられたリンゴは、赤かった?」
滴ったリンゴは、赤かった。
「切り分けられたパイは、何色だった」
パイは、リンゴで赤く染まってた。
「あなたも、このパイと同じ」
私も、このパイと同じ。
「簡単で、熱くて、冷めやすい」
簡単で、熱くて、冷めやすい。
「ほら、ナイフを手に取って」
お皿に乗った、パイの前で。
「切れる?」
うん、切れる。
「じゃ、切ってみようか」
ナイフを動かして。
「よくできたね」
うん、よくできた。
「じゃ、口を大きく開けて」
私の口を、大きく開けて。
「さぁ、召し上がれ」
☆
ドアの外は、すっかり雨が上がっていい空。
「いい天気になったね」
脇にいる京子ちゃんの顔は、雨の日も、晴れの日も、やっぱり大好き。
「また、アップルパイ、食べにおいでよ」
そう言って笑う顔も。
何か、忘れた気がするけれど。
すっかりと乾いた、昨日と同じスカートが。
私の足元で、今日も跳ね回っている。
ありがとうございました。