それぞれの転機
「いい加減に起きて下さい、キョウ様。
もうお昼近いですよ?」
彼女の声にピクリと身体を反応させた狂戦士はゆっくりと手で瞼を擦った後、未だ定まらぬ視界をリナの方へと向けて小さく呟いた。
「……ルゥナ?」
「っ寝ぼけないで下さい、キョウ様。
私はルゥナではなくリナです」
名を間違えられた事に軽く苛立ちながら布団を捲る彼女に、ようやく意識がハッキリしたらしい狂戦士は、なぜか怪訝な顔を見せる。
「えっ、誰ルゥナって。リナ、何言ってんのー?」
「たった今、キョウ様がそうおっしゃったんじゃないですか」
そのとぼけた返答に対し、リナは早くもある種の疲れを感じて肩を落としため息をついた。
これがわざとでは無く本気で言っているというのが、狂戦士のタチの悪いところである。
「知らないよー、聞き間違いでしょー?
もー、リナは本当どうしようもないなぁー」
「なんでそうなるんですかっ。
もういいです。そんな事より食事の用意が出来ているので早く片付けちゃって下さい」
逆に呆れた様な視線を返されて、理不尽な思いに囚われながらも彼の言動にこれ以上振り回されまいとリナは用件を告げる。
聖女討伐の命令が下ったのは、ちょうどその食事が終了したすぐ後のことだった。
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廃墟と化したどこかほの暗い街跡を聖女は一人歩いていた。
ここは、数年前に狂戦士の手によって滅ぼされた海辺の小都市である。
多くの家屋は見るも無残に崩れ落ちており、ところどころに埋葬されぬまま白骨化した死体が転がっている。
そんな虚しい光景に、かつて貿易で栄えていた頃の面影は微塵も無い。
誰もいないはずのその場所で、聖女はどこか緊張した様子で辺りをキョロキョロと見回していた。
「うわっ、ホントにいたぁーっ! けきゃきゃきゃきゃ!」
と、そこへ遥か頭上から唐突に場にそぐわぬ笑い声が響く。
それに反応して廃ビル屋上へと顔を向ける聖女だったが、そうした次の瞬間には彼はもう彼女の目の前に立っていた。
咄嗟に距離を取りつつ、苦々しい表情で男の名を叫ぶ。
「……っ狂戦士!」
「ひひっ。お久しぶりぃー。会いたかったよ、せーじょさまぁー。
なぁんてねぇーーっ! いひひひひひひ!」
ケタケタと笑いながらも、狂戦士は獲物から目を放さない。
彼の血に飢えた野獣のような瞳は少なからず聖女に恐怖という名の感情を植え付けたが、彼女はそれを無理やり自分の中から追い払って皮肉気に笑い返した。
「あぁ。こちらこそ会いたかったぞ、狂戦士。
わざわざ殺されに出て来てくれて礼を言う」
「あっひゃひゃひゃひゃ! 何だか知らないけど、せーじょさまが吠えてるよぉーっ!
おっかしぃー! いひっ、いひひひひひひひ!
前の時にぃ、痛めつけすぎて記憶でも飛んじゃったのかなぁー? カワイソーっ!
くふっ。ボクちん、親切だからぁ思い出させてあげるねー?」
狂戦士はそう言うと、何とも不気味な笑みを張り付けたまま聖女へ襲いかかった。
十メートルはあろうかという距離を一足飛びで詰めた彼は、その勢いで彼女の腹へ拳を振りかざす。
それを聖女は己の左拳で外側に弾き、反動で身体を捻らせながら狂戦士の左側面へ回り込んだ。
そのまま彼の背を右拳で殴り抜こうとするも、彼女と反対方向に身体を回した狂戦士の鋭い後ろ回し蹴りが迫り、殴る為の手を止め腕の肘を突き出して防御する。
足と肘のぶつかる衝撃を利用して少し聖女から距離を取った狂戦士は、不思議そうに首を傾げた。
「あれぇ、当たらないなー」
心底理解出来ないといった表情の男を睨みつけながら、聖女はビシリと指を突きつけ声を張り上げる。
「人は誰しも成長する!
私が、組織の皆が、いつまでも弱者の立場に甘んじていると思ったら大間違いだ!
それを、お前に……帝国に教えてやるッ!」
駆け出して、聖女は狂戦士にラッシュを仕掛けた。
ただただがむしゃらだった以前とは全く違う研ぎ澄まされた攻撃は、ときおり狂戦士の身を掠めて行く。
それらはほんの数秒で治る程度のささいな傷だったが、その数が増えるほど狂戦士はおかしくて堪らないといった風に声を大にして笑った。
「ひひ! いひひっ! はははは! あははははは! あーっはははははははははははは!」
まともに耳にすればいつか彼の狂気に引きずられてしまいそうで、聖女は息をする事も忘れてひたすら攻め続けた。
だが、それも束の間。時間が経過するにつれ狂戦士の動きはより鋭さを増していく。
いつしか攻守は入れ替わり、防御一辺倒になった彼女は段々と後方におされていった。
どれだけそんな状態が続いただろうか。
人の身を越えた者同士の壮絶な戦いに決着がついたのは、ほんの些細なきっかけからだった。
眉間に皺を寄せ歯を食いしばりながら猛攻に耐えていた聖女は、足元の瓦礫に気を取られ狂戦士の手刀を受けてしまう。
身を守るため咄嗟に構えた彼女の右腕は、皮一枚を残して大きく縦に裂けた。
大量の血液が噴出し、尋常でない痛みに襲われて思わず叫び声を上げる聖女だったが、しかし、彼女はそれをチャンスに変えるべく気力を振り絞った。
腕を大きく振り自らの血を彼の顔めがけて撒き散らすと、避けきれず視界を奪われた狂戦士が反射的に身を固める。
「なっ!」
「今だ! ヤレぇぇえええええッ!!」
その姿を後目に空高く飛び上がった彼女の叫びとほぼ同時に、彼女の真後ろにあった建物から爆音が轟いた。
一瞬の間も置かず、壁を突き破って飛んで来たソレに狂戦士はなす術も無く蹂躙される。
彼の首から上を構成していたものがてんでにばらばら飛び散って、それから、全身がグラリと背面に傾い倒れる。
拍子に、地面に溜まっていた砂埃が舞い上がった。
また、広く散った彼の肉片の中に奇妙な黒い金属の様な物体が混ざっていたのだが、あまりの小ささゆえ誰の眼に止まる事も無いままソレは瓦礫の隙間に消えて行った。
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少しばかり時は遡る。
反帝国組織のあるアジトでは、実行を目前にした計画の最終確認のため主立った人間が集められていた。
緊張した面持ちの者、ソワソワと落ちつかな気に身体を動かす者、極めて冷静沈着な者、どこか浮ついた雰囲気を纏う者、苛立つように足を揺すっている者など、それぞれ様々な様相を呈している。
聖女もまた神妙な面持ちで腕を組み、ときおり人差し指をトントンと二の腕に打ち付けていた。
と、そこへ一人の青年が現れると、皆は一斉に待ちわびたような視線を向けた。
通信兵である青年はそれに構わず、淡々と己の役割をこなす。
「別動隊、配置完了の報告が入りました」
「順調だな。
帝国はどうだ? 動きはあったか?」
「未だ会議が続いているようです」
「そうか。まぁ、現時点で計画は続行だ。
兵器部で待機している奴らにも状況を伝えておけ」
「ヤー」
右拳を心臓の上にかざし左足の踵で地面を鳴らすという組織内で定められている敬礼の形を取ると、通信兵はきびきびと部屋から去って行く。
会話を追えた幹部の男に、仲間の一人である筋骨隆々な肉体と整えられた口髭が特徴的な壮年の男が、眉間に皺を寄せながら唸る様な声で話しかけて来た。
「……しかし、情報を流したからと素直に狂戦士がおびき出されてくれるものか?」
「問題ない。例え罠だと知っていたとしても、マリアを葬るまたと無いチャンスなんだ。
それを、みすみす逃したりはすまい。
……帝国側も後がないからな」
「ここで万が一にも失敗すれば、後がないのはむしろ僕達の方なんですけどね」
二人の会話に、いかにも頭脳労働担当といった風情のメガネをかけた青年が割り込んで来る。
小難しい表情で目を瞑っている彼の方へと顔を向けた幹部の男は、慎重に頷いて、それから全員に視線を巡らせた。
「我々にとっても此度の作戦は大きな賭けである事を忘れてはならない。
……ここが平和を勝ち得るか否かの正念場だ。何が何でも狂戦士を亡き者にするぞ!」
力強い彼の宣言にそれぞれがそれぞれの言葉で了承の意を示すと、場はにわかに活気づいた。
直後、帝国に動き有りの報告を受けて、彼らは精悍な顔つきで足早に会議場を後にする。
それに追従する聖女は、出口の程近くで背後から幹部の男に声をかけられ振り向いた。
中途半端に伸ばされた男の手を怪訝そうに見つめながら、彼女は首を傾げて問いかける。
「どうした。今さら役割の変更なんてのは無しだぞ?」
「いや、それは無い。無いんだが……。
マリア。この作戦の要はお前だ。
これは周知の事実であり、お前自身誰よりそれを感じているだろう」
「…………まぁ、そうかもな」
聖女は彼が今さら口にするまでも無い無益な話を切り出した事を訝しく思いながら、曖昧に頷き肯定する。
しかし、彼はそんな聖女の様子を気にせず話を続けた。
「だが、失敗を恐れる事は無い。
先程は皆を鼓舞するためにああ言ったが、お前が生きてさえいれば再びチャンスもあるだろう。
こちらには対バイオコマンド用の新兵器があるんだ。
いざとなれば倒せずとも逃げる事くらいは出来る」
「……何?」
それを聞いて、聖女は大いに顔を顰めた。
男のそのセリフは言外に彼女自身に対する信頼が低い事を告げているようで、酷く不快な気分にさせられる。
彼女の機嫌が下降したのを見て取るや、彼は慌てた様子で首を横に振った。
「あぁ、いや。そういう意味じゃないんだ。そうじゃなくて。
何が言いたいかというと、その……奴に復讐する機会は、これ一度きりじゃ無い。
だから、まぁ、何だ…………気負いすぎるなよ、マリア」
俯き加減に頭をガシガシと掻きながら吐き出された予想外の言葉に、聖女は先程顰めた顔を緩ませキョトンとした瞳を向ける。
いたたまれないのか、男は彼女の視線から背を向けガンと拳で壁を殴りつけて叫び出した。
「っだー、クソ! こんなのは俺のキャラじゃねぇんだよ、畜生!」
男が羞恥に悶える様を見ていた聖女の胸の内に、ジワジワと可笑しさが込み上げて来る。
どうやらこの男は、命の危険性のある重要任務を前にした彼女の緊張を柄にもなく解そうとしてくれているらしい。
自身の口に手を当てて何とか堪えようとするが、情けなく取り乱す彼の姿を前に彼女はついに腹を抱えて笑いだしたのだった。
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水に極限まで圧力をかけて撃ち出すその兵器は、分厚い鋼鉄をも穿つ力を持つ。
欠点は、次を撃ち出せるようになるまでに十五分という戦いにおいてはけして短くない時間を要する事と、兵器自体が巨大すぎる所にあった。
縦横共に二メートル近くあるそれは当然重さも相応で、鍛えられた肉体を持つ成人男性が少なくとも五人以上はいなければ持ち上げる事も叶わない。
ゆえに、彼らに与えられたチャンスはたった一度きりだ。
外してしまえば次を待つ間も無くその場の人間は全て数秒の内に葬られ、どころかせっかくの兵器さえも破壊されてしまうだろう。
狂戦士がいる限り皇城は墜ちない。
よしんば皇帝の首を取ったとしても、主を失った狂戦士がこれまで以上に殺戮の限りを尽くすようになってしまうのは想像に難くない。
だから、彼らは彼ら自身の切り札でもある聖女をおとりに使う事を決意したのだ。
しばしの間の後、盛大な歓声が上がった。
「ああああああ! やった! ついにやったぞぉぉおおお!」
「ざまあみろ狂戦士! ざまあみろ死神皇帝ぃーーーーッ!」
「うぉぉぉおおお!
ジョッシュ! ミリアン! トニー! バーネス! ダリア! マイケル! それから、みんな!
ようやく仇を……っ仇を取ったぞ!」
「これで帝国も終わりだ! 我々の勝利は約束された!」
彼らの声を聞きながら、聖女は地面に片膝をついた状態で静かに身を回復させている。
腕の痛みがあってか笑みこそしていないが、その表情はどこか満足気であった。
そんな彼女の前方に一人の男がしゃがみ込んで話しかけて来る。
「マリア、怪我の具合はどうだ? すぐに動けそうか?」
「……問題無い。傷を負ったのは腕だしな。
完全に千切れてしまったワケで無し、この程度なら移動中にでも治るだろう」
「そうか」
互いに頷き合うと、次いで男はスックと立ちあがり、湧き立つ面々に注意を促した。
「おい、お前ら! 喜ぶのは分かるが、今は急いで別動隊と合流するぞ!
せっかく狂戦士を倒してもあっちが負けたんじゃ元も子もねぇ!」
「おぉ、そういやそうだったな! 行こうぜ、みんな!」
「よぉし! 帝国兵の奴らにも、俺たちの力を思い知らせてやろうぜ!」
男の言葉に対し、そこかしこから同意のセリフが返って来る。
そうして彼らは勝利の余韻に酔いしれたまま、新たな戦場へと移動を開始した。
失われた場所が頭部のような繊細な場所ともなれば、復元にも時間がかかる。
よくよく観察すれば狂戦士の首元が再生の為に小さく蠢いている事が分かったはずだが、すでに彼らの思考は別の場所に向いていたため誰一人それに気がつかない。
帝国側と違い正確なバイオコマンドの性質を理解していない反帝国組織の面々は、彼の死を疑うことなくその場を後にするのだった。
それから数時間が経過した夕暮れ時の事。
誰もいなくなった街の傍らで、廃墟の隙間を抜ける風が嘆くように声を上げていた。
再生が終わらず未だ地に伏したままの狂戦士の身体に細かな砂埃が集っている。
グチュグチュと少しずつ脳を再生させながら、戻ったばかりの彼の二つの目玉が虚ろに光った。
「…………ル……ゥ……ナ……」
どことなく悲しげな彼の囁きを聞く者は無く、その音は風と共に舞い虚空に溶けていく。
修復中の個所から流れ続ける自らの血液が、冷たく頬を濡らしていた。
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皇城で狂戦士の部屋を整えていたリナは、扉の開く音を耳に入れて笑顔で振り向いた。
誰に禁止されているわけでも無いが、わざわざ危険と知るこの場所に自ら足を踏み入れようなどという無謀な輩は一人もいない。
「キョウ様、おかえりなさいっ。
今回もご無事でようございました」
「……うん。ただいま、リナ」
後ろ手にドアを閉じどこか理知的な瞳で微笑む己の主人に、彼女は言い知れぬ違和感を覚えて眉を顰める。
「キョ……ウ……様……?
……ううん、そっくりだけど……違う?
貴方、誰っ? キョウ様はどうしたの!?」
叫んで、リナは困惑と恐怖の混じる表情を浮かべ、大きく後ずさった。
狂戦士は脅える彼女に困った様な笑みを返す。
「僕がその狂戦士だよ、リナ。
脳を一度全て破壊されたからか、以前の……人間だった頃の記憶が戻ったんだ」
「のっ……! そんな! 大丈夫だったんですか!?」
一気に顔を青くして心配そうに駆け寄って来るリナ。
別人かもしれないと疑っていた事をあっさり忘れて無防備な姿を見せる彼女に、狂戦士は苦笑いを隠せない。
二度ほど呼吸を繰り返してから、彼はリナに優しく語りかけた。
「心配してくれて、ありがとう。見てのとおりピンピンしてるよ。
……それより、リナ。聞いて欲しい話があるんだ」
リナの肩に手を置き、神妙な顔つきで彼女の瞳を真っ直ぐ見つめる狂戦士。
その姿に、リナは何とも言えぬ戸惑いを覚えて不安げな顔を覘かせた。
人間であった頃の記憶が戻ったという事は、もう自分の主人であったあの狂戦士はどこにもいないのだろうか。
迷惑ばかりかけられていたが、彼女を救い、彼女という存在を求めてくれたのは彼だけだったのに……とリナは思う。
入れ物が同じだけの見知らぬ他人になってしまった狂戦士を前に、彼女は胸の内がツキリと痛むのを感じていた。
こちらの顔を見上げたままどこか遠くに意識を飛ばすリナに痛ましげな視線を向けながら、彼は静かに呼びかける。
「リナ……」
「っあ。も、申し訳ございません。
それで、話とは何でしょうか」
リナはその呼びかけにハッとした表情で返事をする。
特に彼女の態度を追及する事もなく、狂戦士は少しばかり申し訳なさそうな顔で言った。
「うん。ちょっと長くなるんだけど、どうしても君には聞いてもらわないといけないんだ。
今までの事と、そして、これからの事……」
しかしてその後、リナが新しいゼルナリオと名乗る男を受け入れるまでに、そう時間はかからなかった。
元々、人から与えられる優しさというものに飢えていた少女が、まるで血の繋がった家族であるかのように慈愛を持って接されたとあれば、その心地よさに絆されるのも無理からぬ事である。
さらに、彼は彼女以外の人間の前では依然と変わらぬ狂った自分を演じ続けていた。
リナだけがゼルナリオの秘密を知っている。
その事実は、リナにまるで彼女が彼の特別な存在にでもなったかのような錯覚を抱かせた。
どんなに中身が変わろうとも、彼がリナの狂戦士であり唯一の主人であり心の拠り所である事実に変わりは無い。
だから……と自分自身に言い訳をして、リナは彼がただの狂戦士だった頃にはけして抱かなかった淡い感情を密かに胸の内で育て始めるのだった。