ストロベリームーン
狂戦士はリナを探して皇城内を忙しなく駆け回っていた。
ほどなくして、彼は目的の人物を発見する。
「あっ、いたいた。リナぁー」
言いながら、狂戦士は廊下の端でリナと会話をしていた女官の頭を掴んで壁に叩きつけた。
そうした事に特に理由はなく、単にリナと話をするのに邪魔であったから無意識に除けたというだけの行動である。
弾け飛んだ女官の頭蓋骨の破片が彼女の頬を掠り、薄く血が滲んだ。
リナはただため息をひとつ吐きながら、侍女服のポケットからハンカチを取り出して己の身に降りかかったモノをサッと拭っていく。
あまりに日常的に行われる殺人に、彼女はいつしかすっかり慣れきってしまっていた。
おそらく自分も少しずつ狂っていっているのだろうと考えるリナだったが、さりとて彼から離れようとは思わない。
一人になると途端に様々な人間から様々な手法で嫌がらせを受ける彼女からしてみれば、狂戦士の傍らは疲れはしても、それ以上に安心感を与えられる場所であり、唯一の心の拠り所であった。
先ほどと反対側のポケットからもう一枚ハンカチを出して、今度は狂戦士に付着した汚れを丁寧に拭いながら不満気な顔で話しかける。
「キョウ様。貴方の不始末は全て私一人で片付けるよう言い渡されております。
気ままに死体を増やす事はくれぐれもお慎み下さいと、もう何度もお願い申しあげたはずですが……」
「そーだったっけー? 覚えてなぁーい! やははは!」
何ら気にした風も無い狂戦士に、リナは諦めるようにため息をついて半目で彼を見つつ言った。
「……それで、一体私に何の用事でしょう?」
「あっ、そーそー!
ボクちん出撃命令賜っちゃったからぁー、ご飯いらなーい! ひひっ」
彼の言葉に、彼女は小さく眉を顰める。
その立場からどうしても情報に疎くなりがちなリナは、以前と比べ格段に狂戦士の出撃回数が増えた事で酷く不安をかき立てられていた。
「また……ですか。
最近、いやに多くありません? 大丈夫なんですか?」
「意味分かんないー。
多いとかぁ、普通に嬉しいだけだしぃー! ひゃはははは!」
「そうですか……。詮無い事を申しました。
いってらっしゃいませ。くれぐれもお気をつけて……」
「あひゃひゃひゃひゃ! じゃーねー!」
言うなり、狂戦士は近場の窓から戦場へ一足飛びに駆けて行く。
リナはその窓をそっと閉じながら、静かに空を見上げ彼の無事を祈るのだった。
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それからさらに数ヶ月が経った。
反帝国組織との争いが激化する中で、聖女の情報を掴めそうだという理由で戦場から呼び戻されていた狂戦士が自室でこれでもかと暴れていた。
「あー! 殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したいぃぃーーーっ!
待機なんて冗っ談じゃないよぉー!」
言いながら、彼は部屋の家具や調度品、果ては壁まで手当たり次第に破壊していく。
報告を受け急いでやって来たリナは、そんな狂戦士の様子を見てピキリと額に血管を浮かび上がらせた。
「お止め下さい、キョウ様! あとで片付けるのは私なんですよ!
無意味に暴れていないで、今の内にゆっくり睡眠でも取って鋭気を養って下さい!」
「えー、やだぁ! 眠るの嫌いー! アタマ痛くなるー!」
リナに怒鳴られた途端、狂戦士はピタリと破壊活動を止め彼女に向かって言い返す。
深く息を吐いて気を落ちつけながら、リナは彼を説得するために口を開いた。
「何を子供の様な事を……。
ようやくキョウ様が殺したがっていた聖女の居場所が分かるのでしょう?
だったら、いつ命令が下されても良いように万全の態勢を整えておくのは当然です。
ホラ。片付けの邪魔ですから、さっさと寝台に入って下さい」
彼の足元に散らばる壁の破片を拾いながら手でしっしと追いたてると、狂戦士は文句を言いつつも彼女の示す通り寝台へと向かって行く。
「……ちぇっ、寝るよ。寝ればいいんでしょー。
もー。横暴だなぁ、リナはー。
大体ぃー、ご主人さまに命令するペットってどうなのー?」
ふんふんと不貞腐れながらドサリとベッドに横になった狂戦士は、拗ねたようにリナに背を向ける。
そんな彼の姿に苦笑いを零しながら、彼女はその背に優しく囁いた。
「おやすみなさいませ、キョウ様。良い夢を……」
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「ゼルお兄ちゃん!」
「ルゥナ、どうした?」
パフリと腰に抱きついてきた妹に微笑みかけながら、ゼルナリオは彼女の栗色の髪を緩やかに撫でた。
それを嬉しそうに享受しながら、ルゥナリアは元気に要件を告げる。
「ルゥナね、お兄ちゃんにお昼ごはんを届けに来たの!
ゼルお兄ちゃんの好きな卵とお野菜のサンドイッチだよ!
ルゥナも手伝ったんだから!」
キラキラと目を輝かせる妹の様子にさらに笑みを深くしながら、しかし、少しばかり困った顔でゼルナリオはそれに返答した。
「そっか。ありがとう、ルゥナ。
でも、その……僕にはルゥナが何も持っていないように見えるんだけど……」
「あっ!」
慌てた様子で自分の両手を見つめた後、キョロキョロと辺りを見回すルゥナリア。
それから、ゼルナリオに向き直ると茫然とした顔で呟いた。
「……おうちに忘れて来ちゃった」
ルゥナリアは小さく身体を震わせながら、くしゃりと表情を歪め目からポロポロと涙をこぼす。
「どうしよう。忘れて来ちゃったよぅ。
お兄ちゃんのお昼ごはん……。
うぇっ……ごめんなさい、ごめんなさいぃ」
「あぁ、ルゥナ。泣かないで。僕なら大丈夫だから」
地面に膝をついて、そっと泣き濡れる彼女を胸の内に抱き込みその背を撫ぜる。
ゼルナリオ15歳、ルゥナリア10歳の春の事だった。
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深い月夜の晩。
ごつごつとした岩場の隅に腰を下ろして、聖女は一人空を見上げていた。
ふと、背後に見知った人間の気配を感じて、彼女は緩慢な動作で顔を向ける。
組織の同士であり、今最も彼女が信頼を置いている幹部の男がそこにいた。
「マリア。いくらお前が聖女だからと、単独行動は感心せんぞ」
開口一番の小言に苦笑いしつつも、聖女は再び空へと視線を戻す。
「……すまない。
計画を前に、少しばかり感傷的になっているようでな」
いつも気丈な態度を崩さない彼女が、憂いるような表情をしている。
男は軽く腕を組み、聖女の側へと腰を下ろした。
「……どうした?
話ぐらいなら聞いてやるぞ」
その言葉を聞いているのか、いないのか、聖女はただ夜空を見上げ続けている。
しばらく沈黙が続いていたが、やがて彼女は独り言のようにポツリポツリと語り出した。
「皆には聖女なんて呼ばれているけれど、本当は私にそんな資格なんて無いんだ……」
突然の告白に、男はピクリと片眉を上げて怪訝そうな顔を見せる。
まさかここに来て役割を放り出し逃げ出すつもりではないのかと、内心で彼女に疑いを持ったのだ。
多くの者から聖女と祭り上げられているが、いかんせんまだ年若い娘である。
また、組織の今後を決定付ける大事な計画を前にして、男の心には少しばかり焦りがあった。
「…………何で、そう思う?」
彼の問いに、聖女は自嘲する様な笑みを浮かべる。
視線は空に固定されたままだ。
「虐げられている人々を助けたいだなんて、そんなの大嘘だ。
故郷を滅ぼしたあの狂戦士に復讐がしたい。ただそれだけのために、私は力を欲した」
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「見て見て、ゼルお兄ちゃん!
この前の十一歳のおたんじょうびに貰った首飾りにね、お兄ちゃんの絵を入れてもらったの!」
ロケットの中を開いて見せながら、ルゥナリアは兄の腕に絡みついた。
それを解くでもなく享受しながら、ゼルナリオは困惑した様子を見せる。
「え……僕の?
確かに好きな絵を入れてもらえばいいと言ったけれど……」
「だって、ルゥナが一番好きなのはゼルお兄ちゃんだもん!
それにね、これでお兄ちゃんがおうちにいない時でもずっと一緒みたいでしょ!」
「ルゥナ……。
ありがとう。僕もルゥナが一番大好きだよ」
妹の言葉に感激したゼルナリオは、甘く微笑んでルゥナリアを抱きしめた。
傍にいた両親がまるで恋人同士のようだと苦笑いしていたのだが、抱擁中の二人の視界には入らない。
平穏で、そして、どこまでも幸せな空間がそこにはあった。
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「養父母の元から旅立つにあたって、真っ先に故郷を訪ねたよ。
当時子供だったとはいえ、さすがに村の名前や大体の場所くらい覚えていたからね」
彼女はそこまで言って、ギュっと何かを堪えるように眉間に皺を寄せた。
男は黙って、ただ聖女の語るままに耳を傾けている。
「けれど、そこには何も無かった……何も、無かったんだ。
村を囲っていた柵も、家も、畑も、井戸も。
そこに村があった痕跡は、どこにも残っていなかった。
実は私の記憶の方が間違っていて、全てが夢だったんじゃないかと思ってしまうくらいにな……。
現実だと肯定できたのは、この首飾りがあったからだ。
それから私はどうして村が無くなったのか、村のみんなはどこに行ったのか、必死で情報を集めた」
「そして、狂戦士に行きついた……と。
それで復讐か」
フゥとひとつ息を吐きながら、男は納得したような表情で己の顎を撫で擦った。
そんな彼に強い瞳を向けて、聖女はさらに言葉を重ねる。
「それだけじゃない。
復讐を成したら、帝国から助け出したい人がいる」
「……そのロケットの男かい?」
聞かれて、彼女は目を細めながら己の首飾りをキュッと握りしめた。
「あぁ、そうだ」
「恋人か?」
冗談交じりの男の問いに聖女はフッと小さく笑み、肩をすくめながら答える。
「残念ながら」
「じゃあ、誰だ?」
「……兄だよ。
私が十一歳の頃に、帝国兵に連れ攫われてしまった。
何もかもが急だったし、私はひどく混乱していたから、どんな理由で兄が彼らに捕まったのかは分からない。
けれど、あの人は本当に優しく、強い人だった。
二人で森へ逃げたあの時、完全に足手まといだった私のために、兄は自ら……」
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「全て、国民は帝国に血液を献上せよ。
これは偉大なる皇帝陛下の勅命である」
役人率いる研究師団が村を訪れたのは初夏の事。
村人たちはその目的も分からないまま、彼らに逆らうことなく自らの血を差し出した。
それが大きな間違いであったのだとゼルナリオが気がついたのは、同じ年の秋の終わり。
内密に反帝国組織に加入していた幼馴染である村長の息子からの密告だった。
「やぁ、久しぶり。どうしたんだい、そんなに慌てて」
「暢気に挨拶している場合じゃない!
ゼルナリオ、一刻も早く妹を連れて村から逃げろ!」
「いきなり物騒だね……。何があった?」
「いいか、良く聞け。
帝国は恐ろしい改造兵士を作り出そうとしている。
あの有名な解体公爵のふざけた研究がついに実行段階まで進んじまったらしい。
血液献上の命はその実験の適合者を探すためのものだったんだ。
そして、ゼルナリオ……お前とお前の妹は、見事それに合格しちまった」
「何だって……?」
聞けば、すでに帝国兵が間近まで迫っているという。
両親への説明を幼馴染に任せて、ゼルナリオは素早く旅支度を整え、妹の手を取ってこっそりと村から抜け出した。
「けして街道は使うな。
スアルの森を越えて、ティティカの町へ向かえ。
俺の仲間がお前たちを保護してくれるはずだ」
そんな彼の言葉通りに森へ足を踏み入れると、間もなく村の方向からいくつもの機馬の走行音が耳に届いて来る。
ゼルナリオは妹を抱き上げ足を速めつつ、自分たちが逃げた事によって罰せられてしまうのではないかと、残された村人たちの身を案じるのだった。
「くそっ、まさか解体公爵が直接出張って来るなんて……っ」
ゼルナリオの代わりにその身を帝国に投げ出そうとした幼馴染は、変態的研究者の解体公爵により血液の色が違うとあっさり正体を見抜かれてしまう。
また、問いかけに嘘で答えようとも、公爵の鋭い観察眼により小さな仕草から正答を導き出されてしまい時間稼ぎにもならない。
彼は悔しさに唇を噛み瞳に涙をにじませながら黙り込んだ。
「第三部隊から第五部隊は森を捜索、残りは村人を見張っていなさい。
兄の適合率87%、妹に関しては驚異の99%と出ています。
必ず生け捕りにするのですよ」
けたたましい機馬の音が森に近づいている事に気がついたゼルナリオは、一つの決意を固めた。
「いいかい、ルゥナ。
今、僕らは帝国兵という、とても悪い人たちに追われているんだ。
だから、彼らに捕まらないように森を抜けて、安全な町まで行かないといけない。
ここまでは分かるかな?」
「うん」
「いい子だ。
それで…………僕は、今からその悪い人たちをやっつけて来ようと思う。
でも、悪い人たちはいっぱいいるから、僕はルゥナを守りきれないかもしれない。
だからね、ルゥナ。この荷物を持って、一人で森を抜けるんだ。
太陽の見える方向に歩けば、ルゥナの足でも夜には森から抜け出せる」
「そんなのやだ! ゼルお兄ちゃんと一緒じゃないと、やだもん!」
「お願いだよ、ルゥナ。悪い人をみんなやっつけたら、絶対に迎えに行くから。
すぐに追いつくから、それまで……ね、お願い」
ぐずるルゥナリアを何とか説得して見送った後、ゼルナリオは細剣を手に森中を引き返した。
最愛の妹を守るため、彼は命を投げ出す覚悟で迫り来る帝国兵へと単身向かって行ったのである。
「ふむ。まぁ、一人手に入っただけでも良しとしますか。
それにしても、まだ年若い少年が下級とは言え我が軍の兵士を相手に互角以上とは……。
これは今から実験が楽しみですね」
クスクスと笑いながら解体公爵は後方へ視線を伸ばす。
その視線の先で、死なない程度に痛めつけられ無残な姿へと変わり果てたゼルナリオが機馬に括りつけられていた。
「さて、陛下の意向に逆らった愚かな村人共の始末はどうしましょうかねぇ。
このまま他の適合者への見せしめに残らず処刑してしまっても良いのですが……」
ふぅむ、と顎に指を当て小首を傾げる解体公爵。
しばらくして、彼はその顔にニヤニヤとした嫌らしい笑みを張り付けて言った。
「……いいことを思いつきました。
とりあえず、今日はこのまま帰りましょう。
第一部隊は残って村人共が一人も逃げ出さないように見張っていなさい。
なに、早ければ来月にでも解放してさしあげますよ」
太陽が沈んで間もなく、奇跡的に森を抜けた先でルゥナリアは力尽き倒れた。
そこへ偶然通りかかった隊商のとある夫婦に拾われ、彼女は以後彼らの娘として育てられる事になる。
肉体と精神を多大に消耗していたルゥナリアが目を覚ましたのは、それから二日ほどが経過した頃だった。
戻って来ると約束したはずの兄ゼルナリオは、当然ながらそこにはいない。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
「…………リ……ア」
「マリア?
マリアちゃんって言うの?」
少しの間の後、彼女はこくりと頷く。
己の弱さのせいで兄を失ったのだと思い込んだルゥナリアは、名前と共に自身を捨てた。
誰よりも強くなって、いつか兄を迎えに行く事を自らの心に誓ったのだ。
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ギュっと拳を握りしめて、聖女は声を震わせる。
「……兄は絶対に死んでいない。
帝国兵なんかに殺される人じゃない。
だから、私はこの戦いにどうしても勝たなければならないんだ」
「マリア……」
彼女のその姿は祈っている様にも懇願している様にも見えた。
聖女自身、彼の生存を心の底から信じてはいないのだろう。
だが、それをわざわざ口にする事は憚られた。
二人の間に何とも言えぬ沈黙の時間が過ぎて行く。
ふと、聖女は夜空に輝く赤い月を仰ぎ見た。
その瞳はどこか不安気に揺れている。
「どうした?」
彼女はその問いに、小さく首を横に振る。
「……いや、何でも無い。
ただちょっと、誰かに呼ばれた様な気がして……」
「ふぅん。案外、お前の兄貴が呼んだのかもしれないぜ」
「…………だと、いいがな」
男の気休めに力なく答えて、聖女はソッと目を伏せた。
ルゥナ。
ルゥナリア。
どうか泣かないで。
笑っていて。
僕の何より大事な、可愛い妹。
君を守るためなら僕は……。
「…………大丈夫。
ルゥナを傷つける奴は、ボクがみぃんなみぃんな、殺してあげるから……ね……」
皇城の一室で小さな寝言が響いて消えた。
夜空に輝く赤い月が、割れた窓から静かに部屋を照らしていた。