カケラの行方
彼女を視界に入れた瞬間、正体不明の不快感が全身を駆け廻り狂戦士は眉を顰めた。
だが、その感覚もすぐに治まり、今度は興味深げに目の前の女を観察する。
「白髪赤眼……。
お前が帝国の狂戦士か」
リャンガから機馬で五日ほどの位置にある湖の畔で、狂戦士と聖女が正面から対峙していた。
事前の情報通り、みつあみに結った腰まであるサラリとした金の髪を揺らしながら、同じく金の瞳で聖女は狂戦士を睨みつけている。
彼女の背後には連れ立って来たのであろう反帝国組織のメンバー十数人が控えており、一方の彼の背後には案内役として追従していた下級兵士が一人、いつでも離脱できるよう機馬に跨った状態で成り行きを監視していた。
狂戦士には珍しく、一言も口を開かず己に射殺さんばかりの視線を向けてくる聖女をただジッと眺めている。
今まで人間からこんなにも真っ直ぐに殺意を向けられた事のない彼は、肌に当たるピリピリとした空気を内心で楽しんでいた。
その感情のまま口の端を引き上げると、聖女はギリと歯を軋ませて吐き捨てるように言う。
「同士の仇……そして、無力な女性や子供を見境無く手にかけたその大罪……。
貴様の死をもって償ってもらう!」
叫ぶと同時に、彼女は地面を蹴って狂戦士に殴りかかった。
戦闘スタイルは互いに素手である。
彼らの力に耐えうる強度を持つ武器が存在しないためだ。
そんな聖女の拳を難なくかわしながら、彼は堪え切れずに笑いをこぼす。
「くっ。ひひっ。せーじょってぇ、面白い事を言うんだねー。うひゃひゃっ。
ねーねー、相手が無力じゃなかったらぁ、何人殺しても罪にはならないのー? はははは!」
瞬間、聖女の動きが明らかに鈍った。
狂戦士が軽く放った蹴りをきっかけに、後方に跳躍し距離をとる。
着地し顔を上げた彼女の表情は泣きそうに歪んでいた。
先程までの殺気も今は影を潜めている。
元より、平和のためにその身を投げ出した彼女である。
例え敵であっても、多くの人間の命を奪う事は酷く苦痛でならなかった。
それでも大義のためだと自分を無理やり納得させていたのだが、狂戦士の問いはそんな彼女の心の傷を容赦無く抉ってきた。
「ねー、教えてよー。罪にはならないのぉー、せーじょさまー? いひっ、いひひひひ!
あーっはっはっはっはっはっはっは!」
「…………まれ。……黙れ。黙れ! 黙れぇ!!」
滅茶苦茶に襲いかかって来る彼女に対して、笑いを止め、どこか冷めた風な瞳を向け防御に徹する狂戦士。
周囲の人間達から見れば彼らの攻防は肉薄しているようであったが、実際は狂戦士と聖女の間には殺人における技能も経験も、そして何よりその精神に大きく開きがあった。
攻撃がかすりもしない事に焦り懸命に手数を増やすも、彼には一向に届かない。
呆れた様に小さく息をついて、狂戦士は聖女の両腕をガッと掴んだ。
痛みを堪え、歯を食いしばって彼の手から逃れようと力を込めるが、まるで握り潰すことが目的であるかのごとく凶悪な握力を発揮され、聖女は己の無力を悟らざるを得なかった。
「……っぐ。放……せっ」
「あーぁ。結局、せーじょなんて言ってもただの人間かぁ。
確かに力だけなら、それなりにボクちんに迫ってるみたいだけどー……」
それから音も無く目の前から狂戦士の姿が消えたかと思うと、彼女の背後から声が響く。
「拙いね」
言って、狂戦士は聖女の背を思い切り蹴りつけた。
鈍い音と共に勢い良く飛ばされた彼女の身は木々をへし折りながら減速し、林を抜けた先の平原で幾度もバウンドを繰り返した後、ようやく地面に擦られながら停止する。
バイオコマンドの真の恐ろしさは、その超人的な怪力よりも回復力の異常な高さにあった。
聖女の肉体がグジュグジュと音を立てながら折れた背骨と傷ついた皮膚を修復していく。
狂戦士は瞬間移動さながらの速度で未だ地に転がる聖女の元へと走り、彼女の修復中である背を無慈悲に踏みつけた。
反射的に返って来た呻き声を気にも留めず、彼は言う。
「そんな脆弱な心で、その身体は扱えないよー?
このまま片付けちゃってもいいけどー、今のままじゃボクちんちょっと消化不良かなぁ。
先に、小うるさいお仲間でもつまんじゃうー? ふっ、くふふふ」
「やめっ……あぁぁあああああ!」
血を吐きながらも仲間の身を案じる聖女を、その背を更に強く踏み込むことで遮る。
ついと顔を上げた彼の視線の先では、後を追って来た反帝国組織の面々が必死な顔で聖女の名を呼んでいた。
だが、狂戦士に恐れをなしてか、誰もある一定以上から近付いて来ようとはしない。
再び視線を落として、無理にでも起き上がろうと足掻いている聖女の様子を観察する。
狂戦士は彼女の背からゆっくりと足を放して、そのまま地面から僅かに浮いた彼女の頭を躊躇なく蹴った。
ゴキリという首の骨の折れる音と同時に、聖女が数十メートル先の切り立った崖の側面に埋まり消える。
普通の人間ならとうに死んでいる威力の攻撃だが、彼らは体内のどこかに存在する特殊臓器を跡形も無く潰してしまわない限り再生し続けるという性質を持っていた。
自らの肉体について誰より理解している狂戦士は、当然彼女に追い打ちをかける予定だったのだが……。
彼はなぜかそれをせずに、とあるものを見つめて固まっている。
飛ばされる際に、聖女の胸元から小さな首飾りが落ちた。
その首飾りは中央がロケットになっていたようで、落下の衝撃でパカリと蓋が開いていた。
中にはダークブラウンの髪と瞳を持つ優しげな微笑みを浮かべた少年の肖像画が描かれている。
狂戦士はその肖像を視界に入れると、薄ら笑いを止めて彫像のごとき無表情へと変わった。
しばらくそのまま佇んでいたが、聖女が崖下から息も絶え絶えに這い出て来ると、顔をそちらに向けて小さく息をつく。
「……やーめた」
そう呟いて、狂戦士はサッと踵を返した。
突然の事に戸惑いを隠せずにいる人間達に気だるげな顔を向けて、彼は手をひらひらと振りながら告げる。
「なぁーんかー。ボクちん頭痛いから帰るー。
そこの君。あと、よろしくぅー」
案内役の下級兵士を指差し、彼の反応を待たずして狂戦士はその場から消えるように離脱する。
前代未聞の有り得ない出来事を前にして、当の下級兵士はただ呆然とするしかなかった。
未だかつて彼が獲物を前に殺害以外の行動を取った事は無い。
元々、暴走した狂戦士に殺される事を前提とした使い捨て要員であった下級兵士にまともな判断などつくはずもなく、ただ混乱の中で彼は抵抗する間もなく反帝国組織に捕えられてしまうのだった。
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狂戦士が彼女を発見したのは、その帰り道での事だった。
周囲に何も無い荒野で十三、四歳ほどの黒髪の少女が一人蹲ってすすり泣いている。
普段の彼なら、路傍の石と同様に視界にすら入らないか、目についたとしても次の瞬間には手にかけているところである。
ゆえに、彼がその少女に話しかけたのは全くの気まぐれに他ならなかった。
「ねー。お前、こんなトコで何してんのー?
もしかしてぇ、ユーレーかなんかー?
なんてねぇー! 無い無い!
ボクちんユーレーとか信じてないしー! うはは!」
狂戦士の声に一瞬ビクッと身体をはねさせて、少女は怖々と上半身を起こした。
何を思ったのか、彼は少女の眼と鼻の先に己の顔を寄せてジッと観察を始める。
そのあまりの近さに彼女が反射的に背をのけぞらせて距離をとれば、狂戦士は少女の態度を気にした風も無く先ほどと同じ質問を投げかけた。
「でぇ、何してんのー?」
少女はハァとひとつ息を吐いて気を静め、目の前の男に視線を向けて口を開く。
「……何も。
リナは、お父さんと……お母さんに…………捨てられた……の」
事実を口にしたことで再び悲しみに襲われた彼女の瞳が涙で滲んでいく。
だが、そんな事はお構い無しに、狂戦士は少女を指差してこう言い放った。
「え! お前、捨てられちゃってんのー!?
うっは、何だソレ! みじめぇー! 笑えるぅー! いひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
予想外に爆笑し始めた狂戦士を、ポカンとした表情で見つめる少女。
彼女は泣きたい気分であった事も忘れて、腹を抱え楽しそうに笑い続ける彼をただ眺めていた。
ひとしきり笑い終わった後に、狂戦士は彼らしくも無いとある提案を口にする。
「あぁー、笑った笑った。
ところでさー、行くトコ無いんだったらボクちんが飼ってやろうか?」
「へ? ……か……飼う?」
目をまん丸くさせて言葉を復唱する少女に、ニヤニヤとした笑みを張り付ける狂戦士。
「そーそー。えーと、リナだっけぇー?
お前さー、ボクちんが飼ってやるからぁ、換わりにボクちんの面倒見てよー」
「意味が分からない……」
怪訝な顔で少女がそう呟くと、彼はパンパンと己の膝を叩きながら面倒臭そうにこう言い放った。
「だぁかぁらー! 餌と寝床を提供するから、ボクちんの身の回りの世話をしてって事ぉー!」
「……え、あ、あぁ」
ようやく彼の話を少し理解できたのか、小さく頷く少女。
つかめない性格をしているようだが、いかにも人を見下したような物言いや細かな刺繍の施された高級そうな服装から、おそらくそれなりに身分のある人間なのだろうということが窺い知れる。
このまま荒野に置き去りにされるよりは、言動は多少おかしくとも彼の案を受け入れた方が、飢え死にすることも、まかり間違って蛮族に襲われたり娼館に売られたりすることも無いだろう。
頭の中でそんな計算をしつつ、しばらく無言で狂戦士の顔を見つめた後、彼女は覚悟を決めたように自らの拳に力を入れ頭を下げた。
「お……、お願いします……」
それを満足気に見つめながら頷いていた狂戦士は、突如何かに気付いたかのような声を上げる。
「あ!」
「え?」
戦々恐々と次の言葉を待つ彼女とは逆に、狂戦士は軽い冗談のように笑いながらとんでもない発言をかました。
「そーそー。なんてーかー、うっかり殺しちゃったら、その時はゴメンねー? ひひ。
いやぁー、もーね。ボクちんそういうのしょっちゅうだからぁー。
この前へーかにも、お前のせいで侍女が足りないーなんて怒られちゃってさー! けきゃきゃきゃ!」
「こっ、殺っ!?」
彼の言葉を聞いて、早くも己の決断を後悔せずにはいられない少女であった。
この後、連れられて行った先が皇城であったり、そこでいきなり皇帝の前につき出されたり、彼の正体が狂戦士であることを知ったりと、彼女の身に許容量を大幅に超える出来事が連続で起こるのだが、逆に何事にも動じない度胸を手に入れて彼の元で逞しく侍女業に精を出す事になる。
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狂戦士が討つべき聖女を放置し帰還した事によって、リャンガ防衛は回復し駆けつけた彼女の力によってあと一歩といったところで戦況をひっくり返され失敗し、制圧された。
元々圧政を強いる帝国に憤りを感じていたリャンガの民は反帝国組織を歓迎し、彼らの協力によって組織の技術力は大幅に上昇する。
その結果に多くの者は憤ったが、皇帝は意外にも狂戦士を責める事は無かった。
また、本来なら何らかの罰が執行されておかしくない状況でありながら、彼のこれまでの功績や聖女に唯一対抗できる戦力であるという事実、何より彼の性格が考慮され、お咎め無しとの決が下る。
これもまた人々の狂戦士に対する不満を募らせる要因となったのだが、正面からそれを本人にぶつけられる者があるはずもなく、皇城はどことなく不穏な空気に包まれる事となる。
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本人が拾って来たとはいえ、すぐ死体に変わるだろうという理由から、リナは皇城で働く事をあっさりと許された。
しかし、大方の予想を裏切って、彼女は怪我一つすることなく、もう幾日も彼の世話を続けている。
乾いた血液がこびりつき、そこかしこが赤黒く染まっている部屋を懸命に掃除しながら、ふとリナは顔を上げて退屈そうにベッドに転がっている狂戦士に声をかけた。
「そういえば、狂戦士様のお名前は何とおっしゃるのですか?
お仕えする方に呼び名がありませんと、どうにも不便で」
狂戦士専属とは言え、皇城で働く侍女としてリナは一通りの教育を受けさせられていた。
追い出されてはたまらないと懸命に言葉づかいや作法を覚えたのだが、彼女がどう変わろうと全く反応を見せない狂戦士相手では、つい気が緩み今回のように身分を越えて気軽に話しかけたり時には仕事を手伝わせたりと侍女にあるまじき態度を取ってしまう。
声をかけられた狂戦士は、特に彼女に視線を合わせるでもなく天井を見詰めたまま答えを返した。
「んー?
別にぃ、ボクちん名前とかって無いしー。リナの好きに呼んでいーよー。
そのまんま狂戦士でも被検体213号でも、ペットらしくご主人様でもー。きひひっ」
元々は彼もただの人間であり当然のごとく名も存在したはずなのだが、拷問にも等しい実験を繰り返される中でいつしか過去の記憶は全て失われていた。
副作用から来るものか心労から来るものかは分からないが、ある日を境に彼の頭髪の色素は失われ、その瞳は血液を集めたかのような真っ赤な色に変化する。
容姿の変貌に加え、さらに、帝国は非情にも狂戦士の故郷である小さな村を当の本人に試験的に襲わせ滅ぼしているため、すでに彼の本名を知る者は存在しない。
そんな背景をリナが知るはずもないのだが、狂戦士本人が名の無い事実を気にしている風も無いので、敢えて追及する事はしなかった。
「……では、狂戦士から取りまして、キョウ様と呼ばせていただきます」
「ひひ、キョー様ねー。
なぁんかー、人間と間違われそうな呼び名でいいんじゃなーい? いひゃひゃひゃ!」
彼の言葉の本意が分からずにリナは小さく眉を顰める。
何が楽しいのか、狂戦士はそれからしばらく彼女の決めた呼び名を呟いては一人ケタケタと笑い続けるのだった。
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相変わらず戦場ではその異常性を如何なく発揮する狂戦士だったが、リナが世話係になってからというもの、待機の間にオヤツと称して人命を弄ぶことは無くなっていた。
しかし、その一方で、聖女に対して並々ならぬ敵愾心を露わにするようになった。
一度は自ら殺害の機会を手放しておきながら、アレは自分の獲物であると豪語する彼の姿に、皇帝含む重鎮たちは首を捻らずにはいられない。
とはいえ、狂人の理屈を理解できるとは彼らも考えてはいなかった。
本人の望み通り聖女を始末させようとすれば、リャンガ制圧以後、優秀なブレインが参入したらしい反帝国組織の巧妙な情報操作により、出現場所の特定が困難となっていた。
おそらく、狂戦士に手も足も出ず嬲られたことで、万一にも聖女を失う可能性に気付き、これを恐れたのであろう。
さらに、反帝国組織はその勢力を急激に増大させ、複数都市の同時強襲や時には綿密な内部工作による無血開城などにより、次々と帝国の重要都市を落としていく。
強大な力を持つ狂戦士を抱えているとはいえ、彼はたった一人であり、複数の場所に同時に存在することはできない。
大陸統一に王手をかけながら、帝国は次第に窮地に立たされるようになっていったのである。
※機馬…バイクのようなもの。