彼という人間
「……殺さなきゃ」
それが、彼が彼になってから、初めて発した言葉。
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大陸統一に向けて日々戦争を繰り返す帝国に、一人の狂戦士がいた。
真っ白な髪に真っ赤な瞳、年の頃は二十ほどの青年。
頬に飛び散った赤黒い液体をペロリと舐め取って、その表情を愉悦に染める。
目の前の人間たちが逃げ惑い絶望に顔を歪ませる様を、彼は心から楽しんでいた。
「いひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!
どいつもこいつも死ねっ! 死ねぇーー!
いひひひひひゃーっはっはっはっは!」
圧倒的なスピードとパワー、そして狂気。
全身甲冑に身を包んだ兵士たちを狂戦士はまるで紙でも千切るかのように素手でバラバラに引き裂いていく。
真っ赤な装飾の施された無残な屍が、大地を覆い隠すように積み重なっていた。
もはや動く者すべてが彼の標的となり、戦場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。
この場に彼を止められる者は誰一人として存在しない。
もぎ取った生首を三つ、お手玉のように両手でポンポンと飛ばしながら、狂戦士は恍惚とした表情を見せた。
「楽しいなぁー。ボクちんってば、人を殺している時が一番幸せだなぁー。
うふっ。くふふふ。ふひひひひひひひははーっ!」
笑いながら、より遠くを逃げる人間から順に生首を投げつけると、その衝撃のあまりの強さに双方がバラバラに弾け飛んだ。
およそ人間としてあり得ない能力を持つ彼は、帝国の研究によって造り出されたバイオコマンドである。
実験の唯一の成功例である狂戦士は、その壊れた精神に目を瞑って有り余る利益を帝国にもたらしていた。
万を超える軍勢を前にしても、彼はその身にかすり傷ひとつ負うことは無い。
殲滅を目的とした戦場に投入すれば、結末の行方を疑う者はいなかった。
「…………あっれー? なんだー、もう終わりかぁ。
まだ全然満足できてないのにぃ。
つまーんなーい、つまーんなーい、つまーんなーいなぁーっと。
ま。終わったものはしょーがないから、かーえろっ」
瞬間、何かが爆発する様な大きな音が轟いて、戦場から狂戦士が消えた。
抉れた地面と血だまりに沈む肉塊が静かに風にあおられていた。
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「ねー、へーかー。こーてーへーかー。
今度のところは人数も質も悪かったんだよー。
すぐ次を用意して欲しいなー、ボクちん。
ねー、いーでしょ、へーかー。ねー」
赤く染まった全身を拭う事もせず、帝国の頂点に立つ現皇帝の執務室へと足を踏み入れた狂戦士は子供のように催促を繰り返していた。
部屋の隅に控えていた侍従たちは、顔を真っ青にさせ彼という存在に怯えている。
執務室の扉の前には、原型が分からないほどグチャグチャに潰された警備兵だったものが転がっていた。
皇帝はところどころに白の混ざったグレーの髪をかき上げながら、ため息交じりに口を開く。
「今日警備についていた騎士達は、それなりに貴重な人材だったんだがな……」
「そんなの知らないよぉー!
アイツらがボクちんの行く手を遮ったのがイケナイんじゃないさー!
そんなこといーからへーか! ホラ、早く次のトコロー!」
パンパンと両手を叩きながら再び催促を繰り返す狂戦士。
反省の色の全く見えない彼の様子を前に、皇帝は眉間に皺を寄せスッと目を細めた。
「……それに、その格好は何だ?
余の前では常に身なりを整えておけと命令しておいたはずだが?」
「もーっ! へーかってば、細かい!
またすぐに汚れるんだからいいでしょーっ?」
彼の中ではもう出撃は決定事項のようである。
皇帝はその言葉にピクリと片眉を上げて、苦々しげな声で言った。
「まだ次を用意すると言っておらんだろう……。
今はお前に提供してやれるような戦場は無い。
大人しく待機していろ」
「えぇ何、ダメなの!?
やだやだ、そんなのやだ! へーかのケチ! ドケチ!
ボクちん、おさまりがつかないったらないよー!
足りないー、足ぁりぃなぁいぃー!」
両拳を握りしめブンブンと顔を横に振りながら喚く狂戦士を前に、皇帝は渋い顔をして額に手を当て俯きつつ妥協案を述べた。
「本当に今日はもう無理だ……。
足りないと言うのなら、先日捕まえた反帝国組織の者が数名いるからソレで手を打て」
「うぅー、もー。しかたないなぁー。今回は我慢してあげるよー、へーかー。
ボクちんってばぁー、こーてーへーかの従順なお狗様だもんねー!
きゃきゃきゃきゃきゃ!」
どこが従順なのかと返したい気持ちをグッと堪えて、ひとつため息を吐くに止める。
深く精神が疲労するのを感じながら、最後にこれだけは伝えなければと皇帝は口を開いた。
「…………あと数日で今日より何倍も質の良い狩り場を提供できるだろう。
頼むから、それまでは城内で余計な問題を起こしてくれるな」
「起こさない起こさない!
でもぉー、最低でも一日五人はオヤツとして用意しておいてくれないとぉー、ちゃんとは約束できないかもー? くひっ。
んじゃ、早速ボクちんは地下で遊んでくるよーん。
いひひひひひひひーっひっひっひっひ……」
耳にした者の思考までも狂わせるような不気味な笑い声を響かせながら、狂戦士は執務室から去って行く。
入れ替わるようにやって来た老齢の宰相は、至極冷静な態度で『被害が少なくて重畳でしたな』などと呟いて、テキパキと侍従の入れ替えや死体処理、警備兵の補充などを指示していた。
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皇城の中でも特に厚い壁と扉に守られたとある会議室。
そこで、皇帝を始めとした帝国の重鎮たちが、近年ますます勢力を増す反帝国組織の存在に頭を悩ませていた。
「襲撃の軌跡から考えるに、次に狙われるのはおそらくリャンガでしょう」
年齢を感じさせぬ引き締まった肉体を持つ壮年の帝国軍元帥が、重々しく口を開く。
それを引き継いで、諜報に長けた公爵家の老人が腕を組み目を細めながら自らの情報を開示した。
「何でも聖女と呼ばれる十六、七の娘がおよそ人とは思えぬ怪力を発揮して組織を勝利に導いておるとか……」
「何だそれは……眉つばでは無いのか?」
日々情勢の変わる帝国において否応なく働き続け、今にもノイローゼに陥りそうな財務会計担当である小太りの公爵が怪訝な顔で老人を見る。
老人は情報を疑われた事が癇に障ったらしく、睨みつけるだけでそれ以上何も語ろうとはしない。
そんな二人の様子を見かねて、宰相が口を挟んだ。
「しかし、現在確認出来ている十倍の規模の反乱分子が存在したと仮定しても、そう易々と落とされる帝国軍ではありませんぞ。
私の部下からも同じような報告が届いている以上、まるきり間違いだという事も無いでしょう」
宰相の言葉にようやく納得した様子の財務会計担当と、その様子に軽く留飲を下げた老人。
すると、今度はまた別の場所で火花が散った。
狂戦士を造り出した研究部の責任者である三大公爵家の最後の一人である青年に、元帥が剣呑な目を向けて吐き捨てるように言う。
「ふん。化け物のような怪力とは、まるでどこかで聞いた様な話ではないか。
研究部は情報管理もろくに出来ぬ痴れ者揃いと見える。
おかげで、我が軍の優秀な兵たちが無駄に散ってしまったぞ。
失態を犯した研究部は、この責任をどう取られるおつもりかね」
「これはこれは、元帥殿。
己の無能を棚に上げて責任転嫁ですかな?」
「なんだと……?」
髪をサッとかき上げつつ放たれた青年の煽りに対し、殺気をまき散らしながら椅子から立ち上がる元帥。
それを諌めたのは、この場の最高権力者である皇帝であった。
「不毛な諍いを起こすな。時間の無駄だ。
最も……お前たちが反帝国組織の手の者であると言うのならば、話は別だが……?」
内容に反してどこまでも静かな皇帝の声に、その場にいた誰もが背筋に冷たいものを感じて黙り込んだ。
いきり立っていた元帥も、顔を青くし緩やかに椅子に腰を下ろす。
重苦しい空気の中、再び会議を進めるべく口火を切ったのは宰相だった。
ゴホンとひとつ咳払いをし、自らに注目を集めて彼は慎重に口を開く。
「……では、リャンガ防衛において最大の障害となるであろう聖女への対策について、僭越ながら私の考えを述べさせていただきましょう」
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後日、新たな情報を元に一つの結論を導き出した同メンバーは、それぞれ重苦しい空気を纏いながら静かに椅子に座っていた。
異様な沈黙が続く会議室。
そこへ、いっそ破壊を目的としているのではないかと疑いたくなるような勢いで扉を押し開いて、一人の闖入者が現れる。
重鎮たちは揃って眉を顰めながら、視線を出入り口へと向けた。
「へーかー、呼んだぁー? あっひゃひゃひゃ!
もしかしてー、ついにぃー、出撃命令ぃー?
だったら、いーなー!
ボクちん、もう待ちくたびれちゃったよぉー!」
言いつつ、ずかずかと皇帝の元へ歩み寄る狂戦士。
見れば、彼はなぜか片手で上半身のみとなった人間を引きずっており、その死体の千切れた腹部から未だ零れる赤が床をしとどに濡らしていた。
それに腹を立てたのは財務会計担当の小太り公爵である。
「なっ! 貴様、帝国最高会議室を下賤な血で穢すとは何事だ!
いや、それよりも! 皇帝陛下に対して何という口の利き方をしている!」
「はん?」
瞬間、皇帝と当の小太り公爵を除く全ての人間が息を飲んだ。
この場で狂戦士の脅威を理解していないのは、今まで実際に彼を目の当たりにした事のない公爵だけである。
なまじ言葉が通じるだけに一見して彼の狂気を理解できる者は少ないが、それでも同じ部屋に五分といれば、その異常性は嫌と言うほど骨身に刻まれるだろう。
いくら公爵などという高位の身分を持つ存在であっても、皇帝以外は全て等しく殺害対象である狂戦士からしてみれば、自分の話の邪魔をした鬱陶しい男という認識でしかない。
その独特の感覚で例えるならば、眼前を飛び回るハエのようなものであろうか。
そんなハエ同然の男にチラリと視線をやって、彼は小さく笑いながら皇帝に訪ねた。
「なはは。へーかー、何このブタぁー。妙にうるさいんだけど殺していいのー?
って、よく見たら他にもいるねぇ。だったら、一人二人減っても大丈夫かなー? きひっ」
それを聞いて、自らに被害が及ぶ事を怖れた他の重鎮たちは、揃って不用意な発言をした小太り公爵に恨みがましげな視線を送る。
そんな周囲からの視線にも気がつかずに、彼はブタ呼ばわりされた事に対してさらに声を荒げていた。
皇帝は、それらを全て無視して狂戦士へ向き直る。
「我慢しろ。これらは皆、帝国に必要な人材だ」
「えーっ!」
「……そう不満気な声を出すな。
お前の期待通り出撃命令を下してやろうと言うのだ。
今、敢えて、この者たちでなければならぬ理由もあるまい」
「なぁんだ、へーか。それならそうと早く言ってよー!
あひゃひゃひゃ!
じゃ、これはもういらないや」
言うと同時に、狂戦士は手の中の死体を適当に放り投げる。
だが、その行動を目で追えた者は無く、グチュリという嫌な音が耳に届いて振り向いた時には、すでに死体は潰れた状態で壁にベッタリと張り付いていた。
比較的重みのある部分からゆっくりと地面へ肉が落ちていく。
間もなく部屋中に生臭い血液の香りが充満して、戦経験のない小太り公爵が顔を青白くしてこみ上げるモノを堪えるように口に手を当てた。
再び静まり返った会議室に、皇帝の冷静な声が響く。
「今回の標的は、リャンガ制圧を狙う反帝国組織の者たちだ。
その中に、聖女マリアと呼ばれる金髪金目の16、7の娘がいる。
彼の者だけは何があっても確実に仕留めろ。
だが、女だからと言って油断はするなよ。
聖女はお前と同じような超常の力を持っているそうだ」
「うえぇっ。せーじょだってぇー、気持ち悪ーい!
ていうかー、ボクちんと同じ力とかってぇ、生意気じゃなぁーい?
なんちゃってぇー! いははははは!
とりあえずー、ボクちんの殺しの邪魔をするやつはみんな死んじゃえばいいと思いまーす!
ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
狂戦士の態度に皇帝は軽く自らの眉間を揉みながら、さらに会話を続けた。
「ひとつ尋ねたいのだが……。
今回は常とは違いリャンガごと滅せば良いというわけにはいかんのだ。
彼の民を生かし、都市に被害を出さずに、反帝国組織の者だけを相手にする事は可能か」
「やははははははははははははははは!
そんなの無理だって、へーかが一番良く知ってるじゃないー!
なに言ってんのぉー! ぷはーはは! あー、おっかしぃー!」
腹を抱えて心底面白そうに笑う狂戦士を前に、皇帝は難しい顔をして黙り込んだ。
他の重鎮たちも、頭を抱えたりため息をついたりしながら苦渋に満ちた表情で口を噤んでいる。
リャンガは鉄鋼業の栄える、帝国にとってもかなり重要な工業都市である。
それゆえ、反帝国組織に奪われ利用されることだけは避けなければならない。
しかし、聖女の存在が実際に確認された今、通常の兵をいくら配置したところで結果は目に見えていた。
そして、長い話し合いの末、狂戦士を投入し都市ごと消滅させるという結論に至ったのである。
帝国にとっても最悪ではないというだけの手痛い選択ではあったが、これで聖女さえいなくなってしまえば後は通常の軍でどうとでもなるだろうという自信があった。
リャンガは大陸統一を成すためのやむを得ない犠牲であるのだと自らを納得させつつも、実際にそのような手段しか取れない事を彼らは胸の内で情けなく思わずにはいられなかった。
ひとしきり笑い終わった狂戦士は、今度は薄ら笑いを貼り付けて、とある提案をしてきた。
今までにない事を口にする彼に、その場にいた全員が揃って目を見開く。
「でさー、へーかー。そんなに殺させたくないならぁー、せーじょだけでも別の場所に行かざるを得ないような情報を流すとかしたらどーなのー?
そいつがいなかったら、別にそっちで対応できるんでしょー? ひゃひゃっ!
面白そーだから、ボクちん今回はそのせーじょってヤツを殺せればいーよー。
まー、拍子抜けってくらい弱かったら、その時はどうなるかわかんないケドぉー! いはははは!」
それは実に渡りに船な内容だった。
普段、数千規模の戦に駆り出そうとも、敵の如何によっては足りないと言って目につく者を端からその手にかける彼の言葉とはとても思えない。
狂戦士の相手には比較的慣れている皇帝もこれには大層驚いてしまい、普段であれば自らの中で結論を出したであろう愚問を投げかけてしまう。
「……情報を流す? お前に何か策があると言うのか?」
「ぶはっ! まっさかー! 考えるのは、そっちの仕事じゃーん?
ボクちんはぁ、殺すだけーっ! きひひひひひ」
「あ……あぁ、そうか。そうだな。
詳細な作戦については、こちらですぐにでも検討しよう。
お前は、いつでも出られるように自室で待機していろ」
「はいはーい! なるべく早くね、へーかー! ひひっ!
やー、楽しみだなぁー。せーじょってぇ、どんな肉の色をしているんだろー?
ふっ、くふふふ」
今にも踊りだしそうな軽快な足取りで会議室を去って行く狂戦士。
扉の閉まる音でようやく正気に返った面々は、いまだ狐につままれたような思いに捕らわれながらも、即座に思考を切り替えリャンガ防衛の策を固めていくのであった。