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29歳のBirthday


一点の曇りもない、澄み渡った青空が広がる10月の初旬。


長く暑かった夏の影がようやく去って、心地よい温度の風がさわさわと頬をくすぐる。


その風の混ざって、ほんのりと金木犀の香りが漂ってくる穏やかな気持ちの良い秋の日。


……今日が晴れて良かった。


どこまでも高く澄み渡った空を見上げて、自分の愛しい人の事を想う。



今日は俺の彼女の、29歳のバースディ。



街の中のカフェで待ち合わせて、これから彼女とデートの予定だ。


ざわつく店内の中、一人でブラックコーヒーを飲みながら、窓から外を覗く。


しかし、彼女はまだやって来ない……。


ま、いつもの事だ。


ふう、と一回軽くため息をついて、持って来た文庫本を開いた。


俺は慎重派な上に神経質、必ず待ち合わせの時間の十分前には来ている。


仕事の時はまず遅れる事はない彼女だが、こうした待ち合わせには必ず遅れて来る。


彼女が待ち合わせに遅れる事にすっかり慣れてしまった俺は、これ位の事ではもう怒ったりはしない。


それよりも、彼女が来てくれるだけで、俺は嬉しいのだから。


これも惚れた弱みってやつか……


彼女の可愛い笑顔が脳裏に浮かんで、ふっと自然と笑いが漏れる。


その時、高いソプラノの可愛い声が俺の頭上から響いて来た。


「お待たせ! タケシ君!」


その声が聞こえてくる方向に視線を向ければ、満面の笑みを浮かべた彼女が俺の前に立っていた。


急いできたのか、肩までのショートボブの髪が微かに揺れて、大きな瞳はキラキラと輝き、その可愛い顔にドキリと心臓が跳ねる。


俺よりも六つも年上だと言うのに、童顔で小さくて可愛い彼女は、まったくそんな事を感じさせない。


そんな彼女ともう二年も付き合っているというのに、見つめる度に高鳴る鼓動。


それを彼女に悟られまいと、わざと落ち着き払った声で彼女の名前を呼んだ。


「……真琴(マコト)

「ごめんね~、遅れて! あ、私はカフェオレー」


俺の前の席に座り込むと、彼女は店員に素早く注文を出して、間髪を入れずにマシンガントークを繰り出した。


「ね、ね、聞いてよー、タケシ君! あのね、」


はきはきとして明るい彼女は、とても話好き。


どちらかと言えば無口な俺は、いつも聞き役に徹する。


色々な話をしながら、クルクルと変わる彼女の表情を見ているだけで、俺はいつも幸せな気分になれた。


「ねぇ、そう言えばさ……私、仕事辞めちゃった!」

「ぶっ! ゴホッ」


何気ない彼女の日常の話の中で、いきなりのとんでもない発言に、俺は思わず口に含んでいたコーヒーを吹き出してむせてしまった。


「大丈夫? タケシ君?」


そんな俺に、ニコニコと屈託のない笑みを向けながら話し掛けて来る彼女。


「仕事辞めたって……ホントなのかよ? 何で? 今の職場は凄く働きやすくて、好きだって言ってたじゃないか。何かトラブルでもあったの?」


むせながら彼女の顔を覗き込む。


「え? 何も無いよ? というか……何となく?」

「は?」


……何となくって? それだけ?


「……はぁ~、真琴、何となくで会社辞めんなよ……。どうすんだよ、この不況にこれから。この間、正社員になれたって張り切ってたじゃないか」

「ん~、ホントに突然思い立ったんだよねぇ。私にもよく解んないだ」

「ニコニコ笑ってる場合じゃないだろ!」

「まあまあ、タケシ君。そんなに怒らないで? 怒ると身体に良くないよ?」


どっちが会社を辞めたんだ、というような感じで、俺の方が彼女に諌められる。


何の邪気も感じられない素直な笑顔を向ける彼女に、少しイラつきを感じてしまう。


「どうすんだよ……。これから」

「う~ん、どうしようかなぁ?」

「てか、お前、自分の歳を考えた事があるの?」

「うっ! それを言われると辛い……」


どうせ今日で29歳だよ~、タケシ君よりも六つも年上だよ~と両手で顔を隠して泣いているような声を出す彼女。


でも、チラリと指の間から見えるその顔には、涙の欠片も見当たらない。


「泣き真似すんな!」

「あ、バレた?」


両手を離して、ペロッと舌を出す彼女。


その可愛い表情に、怒っているのを忘れてつい見とれてしまいそうになった。


「……いつ辞めたんだよ」

「え? 三日前だけど?」

「お前なぁ、それならそうと早く言えよ。一応俺はお前の恋人だろ?」

「まあ、今日会った時に言えばいいかな~って思って」


この時勢に無職になったというのに、彼女には危機感などまるで感じられない。


そんな彼女の態度に、深くため息を吐いた。


「で? もう失業保険の手続きはしたのか? 保険証と年金も早い所切り替えないとダメだぞ!」

「あ、忘れてた! ごめ~ん。タケシ君に言われなかったら、すっかり忘れるところだったかも。やっぱ、頼りになるなぁ、タケシ君は!」


クスクスと声を上げて笑い出した彼女。


はぁ、とため息をもう一回吐きながら、何とも頼りない年上の彼女を睨みつけた。


「まあ、そんな顔しないで! 何とかなるよ」

「真琴は本当に楽観主義者なんだから……」

「タケシ君がそうやって色々心配してくれるのが嬉しいよ。……でもね、私、ちょっとワクワクしているの!」

「え……?」


これからどうなるか解らないっていうのに?


彼女の意外な言葉に、思わず疑問の声を上げてしまう。


一体、彼女は何を考えているんだ?


「そう、あのね、上手く言えないんだけど……確かに仕事を辞めてしまった事で不安はあるんだけど、その分、新しい所で新しい人たちに出会える機会が出来たってことだよ!」


キラキラと子供のように輝く瞳。


溢れて零れんばかりの笑顔。


「今までの職場でも、沢山の新しい出会いがあって、沢山の大切な人達が出来た。新しい場所に行けば、それがもっともっと増える……素晴らしい事だと思わない?」


すぐに物事を悲観的に考えてしまう俺と違って、彼女はいつもポジティブで前向きだ。


いつも、彼女の周りには光が溢れている……


沢山の彼女を想う人たちに囲まれて。


素晴らしいのは彼女の方だ。


常に前向きで明るく笑顔を絶やさずに、どんな事でも強く逞しく乗り越えていってしまう、彼女の方だ。


きっと仕事を辞めたのも、何か理由があったのではないかと思う。


でもそんな事をおくびにも出さずに、彼女はいつも未来を見つめながら笑っている……


……本当に、敵わないな。


興奮しながら話す彼女を見て、俺もつい笑顔になる。


目の前で笑う彼女は、童顔で。


並んでいると、俺の方が年上に見えてしまう。


考え方も俺は充分にジジ臭くて、保守的だ。


彼女のように、子供みたいにはしゃぐ事はない。


でも、彼女には俺が超える事の出来ない大人の部分があって。


それを思い知らされるような出来事があると、自分はまだまだ彼女には敵わないと思ってしまう。


自分にない部分に魅せられて、強く惹かれる……


魅力的で強くて可愛い彼女。


何年経っても、きっとそれは変わらないだろう。


そんな彼女が、どうしようもなく好きで好きでたまらない。


「……そうだな」

「うん! タケシ君もやっぱりそう思うでしょ? 良かった!」


俺が笑って彼女の意見に同意したのに安心したのか、彼女はホッと胸を撫で下ろした様子を見せた。


そして俺の手を取り、また笑顔を浮かべる。


「ね? 今日は誕生日だから、私の好きな所へ連れて行ってくれるんでしょ?」

「ああ」

「どこがいいかな~、やっぱネズミーシーかなぁ?」

「お前、あそこ好きだな。この間も友達と行ったって言ってなかった?」

「いいの! 何度行っても楽しいんだもん。それに一緒に行く人が違えば、それだけまた違った楽しさがあるんだもん! さ、行こう、タケシ君」


見とれる程の笑顔を向けて、彼女は俺の手を引いて店を出る。


「楽しみだね~、今日はいっぱい乗るぞ~!」


最初はやっぱ絶叫系だよね~と楽しそうに話す彼女の手を握り、俺達は街を歩き出した。


背の低い彼女を、視線だけ向けて覗くように見つめる。


どんな時も幸せそうに笑う彼女。


そんな彼女と、いつまでも手を握って、ずっとずっと彼女と歩いていけたらいい。


きっと何年経っても彼女は幸せそうに笑って、俺に幸せを分けてくれるだろうから。


十年後も……


二十年後も……


その先もずっと、彼女と過ごしていけたらいい。


ずっと彼女と一緒に未来を見ていけたらいい。


俺は自分の手の指と彼女の指を絡ませて、ギュッと握り直した。


いつまでもずっと、彼女の隣で歩いていけたらいいと願いを込めて。


強く。


強く。


決して離れる事のないように、強く力を込めて。


俺がしっかりと絡めた手を見て、彼女は頬をほんのりと赤らめて恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべている。


本当に、彼女は最高だ。


そんな彼女の可愛い笑顔が、秋の日の高く青い空の下、一際眩しく俺の目に輝いて映った。



end。


お友達のお誕生日記念に書いたものです。

そのお友達をイメージして書きました。

私としては凄く気に入っているお話です。明るくて希望のある話って、良いですよね。(鬼畜も好きだけど。笑)

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