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Instinct~本能





「寒いな……」

「ああ……」

「今日はクリスマスだな」

「そうだな。……もう、そんなになるんだな」



壁がボロボロに崩れた民家の一室で、友は苦しそうな呼吸を吐き出しながら静かに呟いた。


ここは戦場。


俺の後ろに付いて歩いていた友は、腹を撃たれて倒れた。


幸いにも急所は外れていたが、腹の中に入り込んだ弾はじわじわと彼の中で命の源を流し出していた。


俺は自力で動けなくなった友を引きずって、近くの崩れかけた民家に身を隠したのだ。


すぐに手術をすれば、友も助かるかも知れないが、こんな戦地の真っただ中では、撃たれた傷を圧迫して止血する位しか出来ない。


夜の闇が支配する中、時折遠くから響く爆発音や銃声だけが、俺達の耳に入って来る。


「ああ、去年のクリスマスは良かったなぁ。母さんが旨い料理をいっぱい作ってくれて……」

「そうか……」

「ああ、また、母さんの料理が食べてえなぁ……」


また食べれるよ、と声を掛けようとしたが、俺はその言葉を喉に詰まらせた。


彼はもうすぐ、何も口にする事は出来なくなるのだ。


友は苦しげに息を吐き出すと、傷の痛みで眉をしかめて苦痛の表情を浮かべた。


「……くそっ、痛ぇな…」

「大丈夫か?」

「……そう言えばさ、お前煙草持ってんだろ? 吸わせろよ…」

「煙草?」

「俺、お前が最後の一本を隠してるの知ってるぜ」

「お前、知ってたのか?」



かなり前に配給で手に入れた煙草。


戦局が苦しくなり、もう手に入らなくなっていた。


隠していた筈なのに、そんな事を知っていた友に向かって薄く笑ってから、俺は胸ポケットを探って最後の煙草を取り出した。


周囲に敵の気配がないかを伺ってから、その煙草に火を点ける。


暗闇の中に、ボウッと小さい赤い光だけが浮かんだ。


「ほらよ、持てるか?」

「……ああ」


友は細かく震える指先で煙草を取ろうとするが、どうやら力がもう入らないようだ。


俺は震える友の唇に、煙草を挟んで支えてやった。


「ああ、母さんの料理には敵わないけど、美味いなぁ……」


友はゆっくりと何回か紫煙を吸い込んで吐き出した。


「もう、いいよ。ありがとな」

「もういいのか?」

「ああ、……ゴホッ」


一回咳込むと、友の唇の端から大量の鮮血が溢れだした。


腹を圧迫していたタオルも、辺りは暗いというのに、鮮血の色が見えるかのように濡れているのが解る。


俺は吐きだした血で窒息しないように、溢れた血を拭き取ると友の上体を少し起こしてやった。


だが、そろそろ彼も限界だろう。


「ああ、母さん達に会いたい…。帰りたい、帰りたい…。……死にたくねぇ…死にたくねぇよ…」


友は子供のような口調で、小さく消え入るような声で繰り返した。


その眼はすでに焦点が合っていない。


多分、意識も薄れてきたのだろう。


いつも勇敢に先頭を切って戦っていた彼とはまったく異なる弱々しいその姿に、目を逸らしたい思いに駆られた。



「……眠…い……」


多分、彼の最後になる言葉を掠れた小さい声で発すると、友は意識を失った。


まだ呼吸こそ止まってはいないが、苦しげに顎をヒクヒクと震わせる浅い呼吸に変わっていた。


死の間際の呼吸だ。


半開きになっている眼からは涙が零れ、睫毛が微かにピクピクと揺れて、友の身体は時折ビクリと痙攣を繰り返している。


もうすぐ、彼の人生は終わりを告げるのだ。



「……終わったか…」


そして、俺は友の呼吸が止まるのを静かに見届けた。


こうやって一体、何人の友を見送ってきた事だろう。


でも、こうして苦楽を共にした友が死んだと言うのに、俺の心は乾ききって何も感じる事はない。


戦場のあまりにもむごたらしい現実に、涙はすっかり枯れ果ててしまった。


俺はもう何も言わないただの死体となってしまった友の瞼に手を当てて、薄く開いたままのその瞳をそっと閉じてやった。



その後、俺は当然のように弾薬を友の銃から抜き出し、素早く自分の銃に詰め替えた。


残っていたわずかな食糧を自分の荷物に詰め替え、手榴弾とナイフを自分のベルトに付け替える。


自分が生き残るために。


そしてあらかためぼしいものを探り終え、俺は最後に友の胸ポケットに手を伸ばした。


伸ばした指先に、カサリと紙の感触がする。


それをポケットから取り出すと、紙に二重に包まれた何かが出てきた。


「これは……」


その包みをそっと開けると、それは一本の煙草。


「……何だよ。お前、自分で最後の煙草を持っていたんじゃないか…。それなのに、俺のを分捕りやがって。……ケチな野郎だな、お前…」


俺はもう何も言わないただの死体になった友に向かって語りかけた。


そして、再び辺りの様子を伺ってから、俺はその煙草に火を点ける。


湿った匂いのするその煙草の紫煙を、ゆっくりと肺いっぱいに吸い込んで味わった。



『帰りたい、死にたくない』


と、最後まで呟いていた友の顔が揺れる紫煙の中に浮かんで来る。


本当は知っていた。


友が帰りたいと言っていた、俺達の故郷――


その故郷は酷い戦闘に巻き込まれ、破壊されつくし、今いるこの街と同じに廃墟になってしまっている事を。


焼き尽くされ瓦礫に埋まってしまったのは、その故郷の近隣の町や村も同じだ。


例え運良く逃れられていたとしても、その廃墟となってしまった後に、生き残れる可能性はほとんどないと言っていい。


友の家族、俺の愛する妻やまだ小さい娘も、多分神の元へと召されているだろう。



友の残した最後の煙草を吸い込んでいると、いつの間にか頬が濡れてゆく感触が解る。


それは、戦場を共に闘ってきた友の死体に、ぽつぽつと零れ落ちては染みを作った。


愛する者は、すべて失った。


守るべき国も、今は無いに等しい。


それなのに何故、俺はまだ戦っているのだろう…。


一旦溢れだした涙は、留まる事を知らないように流れ落ちては闇の中に消える。


でも、こうして戦場の中に生き、生きるか死ぬかの生死の境を彷徨っていると、ただ生きたいと言うシンプルな本能しか感じられない。


目の前に銃を突きつけられると、まず浮かぶのは愛するものや守りたいものではなく、生きたい、死にたくないという生き物としての本能だけ。


自分を守るために、何人もの人間をこの手で殺めた。


友も最後まで希望を失わずに、生きていたかったに違いない。


だからこそ最後の煙草を、俺には隠していたのだろう。


立ち上がった俺の頬に、いつの間にか降り出した冷たくて白い雪が舞い落ちて来た。


暗く厚い雲に覆われた空から静かに舞い落ちて来る白い結晶を見ていると、ここが戦場と言う事を忘れてしまいそうだ。


「そう言えば、今日はクリスマスだったな……」


きっと今頃、故郷も真っ白い雪でそのすべてを覆われているだろう。


破壊の後を、まるで何事も無かったかのように白く、深く。


俺は肩に降り積もってきた雪を片手で掃うと、銃を構えて、瓦礫に埋まった道を狙撃に警戒しながら歩き出した。



本能に従って、ただ、生き抜くために。



【Instinct~本能】



end。


初めまして。

作者の野原と申します。

小説家になろうさんへの初めての投稿で、少しドキドキとしております。

まだまだ稚拙な駄文でお恥ずかしい限りですが、頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

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