水の街の三つ編み娘
「ねぇね、髪結んで欲しい」
リボン片手に、やってきた娘は。
「あー待って、わ、服が裏返しじゃん」
1人で着れたのは褒めてあげたいけど。
「はい、両手を上に、わーいのポーズ」
「わーい」
修道院から引き取ったこの子に。
ママでも母さんでも名前でも、呼びやすい呼び方でいいと言ったら、
「ねぇね」
と呼ばれた。
この子から見ると、私はまだ若く、ママや母に思えないらしい。
きちんと自身を見つめ直して、自分の足でしっかり立てるようになってから、長い間、母と共に世話になった修道院から、子供を1人、預かろうと思っていたのに。
修道院の子供達に、差し入れを持ち込むたびに。
「……」
他の子の様に積極的には絡んでは来ないけれど、離れた場所で、じっとこちらを見つめてくる子がいた。
ひねくれているわけでもなく、
「大人しくて、外で遊ぶよりも、1人で本を読んだりお花を摘んだりが好きな子ね」
少し以前の自分なら、何を考えているか解りにくいなと、少し苦手意識を持ったかもしれない。
でも。
「こんにちは」
声を掛けてみれば。
「……こんにちは」
ほんの少し、舌足らずな声。
目が合えば、唇をきゅっと閉じるけれど、
「……お菓子、絵本、いつも、嬉しい」
もじもじとお礼を貰えた。
「どういたしまして」
あの黒髪の子より、もう少し大きいくらい。
異国の彼の腕に抱かれ、長い髪を海風に靡かせていた。
「修道院は、ここは好き?」
「わかんない」
分からないか。
母親に、あの子を引き取りたいと話すと、あっさり了承された。
修道院で現在、一番上の立場の母親から許可が降りれば、街の方でも簡単な身元調査や審査はあるけれど、決まったも同義でもあり。
私も修道院出身な部分も、とても大きいと思う。
母親には。
「あの子には可哀想だけど、もし自分と合わないと思ったら、あの娘は、またここで預かるから、早めに相談しなさい」
「う、うん……」
てっきり、人を1人育てるのだから覚悟しなさいと厳しく諭されると思ったのに。
「……あのね、そうは思えないかもしれないけど、私は、あなたも大事なのよ」
笑いもせずに言うのだから。
代わりに、
「ありがとう」
目一杯の笑顔で礼を言ってやる。
あまり使われない大きな待合所に、彼女を連れてきて貰い。
「ねぇ、お試しで、うちに来てみない?」
軽く誘ってみれば。
「行く」
即答。
「え。……ここより、全然狭いけど」
「平気」
「部屋、ごちゃごちゃしてるけど」
「大丈夫」
「ご飯も、たまには適当になっちゃうけど」
「いい」
「……私でいいの?」
「好き」
(……可愛い)
修道院に、物をよく差し入れするから好きなのだろうか。
だったら、街の方からの支援の方が何倍も多いし、顔を合わせる機会も多いだろう。
母親には、この子が、どうしてこの修道院に来たのかは聞かなかった。
「組合と街の方にも、書類を出しておいてね」
こっちからは出しておくからと。
「分かった」
修道院の敷地の一部に学舎と託児所があるため、この子も、修道院の皆との大きなお別れにはならない。
それから5日もしないうちに、街と修道院から、あの子の保護者として認められ、仕事が休みの晴れの日。
待合室でぬいぐるみを抱えてぽつりと立っていた彼女は。
「……」
黙ってこちらに駆けてきた。
この子は、どこから来たのか。
この街の子供ではなさそうで。
私の娘になる彼女と手を繋いで、今は、ここで眠っていると思える父親の墓にも挨拶してから、やってきた乗り合い馬車に乗り込む。
キョロキョロせず、とても大人しい。
「えっと、何が好き?」
「あめ」
飴。
「ねぇねがくれたから」
私は覚えていないのだけれど、一度、手渡しであげた時があったらしい。
この子はいつから、私を好きだと、特別だと思っていたのか。
飴をあげた時か。
もしくは私が、うちに来るかと訊ねるまでは、案外、何も思っていなかったのか。
今更ながら、この子の親がいない理由を、聞いておくべきだったかとも思う。
父親が自ら死を選んだ自分や、母親が性に奔放故、父親が不明の先輩の様な、特異な理由で修道院に来る子供は少なく。
行商人の両親が事故や怪我が原因で、結果1人きりになってしまった子供や、夫を亡くした大きなお腹を抱えた女性がたまにやってくることがほとんどで。
「……あっ」
街へ進む馬車の中、思わず声を上げてしまったのは。
「?」
彼女は、きょとんとこちらを見上げてくるけれど。
「水の女神様に挨拶するの忘れちゃった」
長年、彼女には、複雑な気持ちを持っていた。
でも、だからこそ、忘れることはない存在だったのに。
街で馬車を降りずにこのまま戻ろうか、でも、この子もいるしと迷っていると。
「ねんねだよ」
「え?」
「水の神様、今はねんねしてる」
ねんね?
「え、寝ちゃってるの……?」
女神様が?
「うん、すごく」
こくりと頷かれる。
なぜ。
なぜ解るのだろう。
「……それは、他のみんなも解る……?」
彼女は、
「んー」
と首を傾げてから、
「わかんない」
それは、わからないことが、わからない。
今日も水の神様に祈りに来る人達はいたし、今も、水の女神様に祈りを捧げた人達が数人、同じ馬車に揺られている。
街で馬車を降り。
「よいしょ」
小さな彼女を、水路沿いのベンチに抱き上げて座らせると、隣に腰を下ろし。
「……どうして寝ちゃったのか分かる?」
「わかんない」
今はキョロキョロと街中を見回し、楽しそうに足をプラプラ揺らしている。
この子が来たのは、しばらく前。
私が、子供を引き取ろうと決意した切っ掛けになった、あの彼等が旅立った後。
「もうねんねしてた」
何も言ってないのに、
「……っ」
考えを読まれた。
でも。
この子の言葉を信じるなら。
神様なのに、眠るんだ。
寿命?
まさか。
神様なのに。
なら、なぜ?
街の人たちの信仰心が足りないから?
でも、街の人たちは変わらずお祈りに来てくれるし、これと言った何かが起きているわけでもない。
起きたことと言えば。
1人、シスターが寿命を全うして、天に召された。
(そうだ……)
厳しくて優しくて、私だけでなく、母も世話になった。
遠くからも、色んな人々がシスターを見送りに来てくれた。
でも。
あの時も。
隣の彼女の言葉通りなら、水の女神様は、もう眠っていたのか。
私は長年、水の女神様が死者の魂を天に返してくれると思っていたし、修道院でも、そう教わっていた。
「……」
教わっていたのだけど。
私は、今、無条件に、この子の言葉を信じている。
栗毛先輩からは、帰ったらシスターのお墓にお花を添えに行くから付き合ってと返事が来ていた。
赤の国で元気にしているらしい。
「ねぇね?」
「あ、ごめん。帰る前に、何か食べようか」
「食べる」
パッと可愛い微笑みを浮かべ、ベンチからぴょんっと飛び降り、片手を伸ばしてくる。
「なにがいい?」
その小さな手を繋で問えば。
「飴」
(飴……)
飴が大好きなのは改めて解ったけれど。
「飴は、買って帰ろうね」
「うんっ」
素直。
ひねくれた私と、素直なこの子。
何となくだけど、この先、うまくやっていけそうな予感。
ここは、水の街。
水の女神に愛され、守られた水の街。
賑やかで非常に垢抜けていると、旅人にはそんな感想を伝えられる。
若い男女が、新婚旅行としてこの街に訪れるのも、理由の1つだと思う。
今も、若い男女が、街の住人には何も珍しくない水路に目を輝かせ、水路を抜ける小舟に手を振っている。
こちらへ流れてきた小舟の乗り手に、なぜか笑顔で手を振られ、顔見知りでもないのにと不思議に思っていると、
「?」
私と手を繋ぐ小さな彼女が、小舟に手を振っていた。
「乗りたい?」
「うん」
「今度乗ろうか」
「乗る」
その場でぴょんぴょんと嬉しそうに跳び跳ねる。
水の女神様は眠っていても、この街は今日も華やかで賑やかで。
(信仰って、なんなんだろう……)
修道院のお陰で、母も私も、大きな不自由なく生きてこられた。
それは、水の女神様がいたからこそ。
でも。
「ねぇね?」
馬車に乗って来たのは、修道院にある父親の墓の前。
袖を引かれ、ハッと我に帰る。
「あ、ごめん、行こうか」
「うん。じいじ、またね」
彼女はお墓に手を振る。
「……ね。じいじは、ここにいるの?」
「いる」
あっさりと頷かれた。
(いるんだ……)
父さん。
一体。
いつから居るんだろう。
いつから居たんだろう。
いつから、居てくれたんだろう。
亡骸は全て、海に呑まれていても。
「父さん、また来るね」
魂だけは、ここに、戻ってきてくれた。
私たちの許へ。
「お昼は何か食べてから帰ろうか」
「真っ黒パスタ食べたい」
「えー、お洋服汚さない?」
「汚さないもん」
修道院に向かってくる馬車を待っていると、
「あぁ、まだ馬車は来てないのね」
良かった、と母親が建物から小走りにやってきた。
「どうしたの?」
「お使いがてら、一緒にお茶にでも付き合ってもらおうと思ったのよ」
お茶。
「この子、イカスミパスタ食べたいって」
「えっ」
母親は明日のスケジュールを思い出す顔をし、
「だ、大丈夫よ」
気丈に頷いて見せる。
しっかり者でも、孫には甘い。
「本当に?」
修道院だけでなく、街の顔の1人でもあるシスターの口腔が真っ黒では、あらぬ噂や推測が飛びそうだ。
トコトコと海風に吹かれながら馬車がやってきた。
「あぁシスター、こんにちは」
「シスター、この間は有り難うございました」
母親は、修道院に来た街の人たちに、代わる代わる声を掛けられる。
当然、
「ごめんなさい、お待たせしました」
馬車を待たせるため、御者に謝ると、
「いえいえ、最近、修道院のシスターたちが、更に明るく街を歩く姿が、とても絵になると話題なんですよ」
「え?」
母親は驚くけれど。
背筋を伸ばし、凛としたシスターが街を歩く。
しかし街の人たちに挨拶をされれば、ふわりと慈悲を含んだ笑みを浮かべ、手を取り、手を取った相手の幸せを祈ってくれる。
「旅人さんなんかね、この街のシスター目当てに来てみた、なーんて不届き者もいるくらいだ」
街から離れた崖の先に聳える修道院だけれど、人の集まる修道院は、噂が届くのは案外早い。
でも、その噂話も、馬車の御者には敵わない。
「ううん、それもどうなのかしら……」
母親は、あの老シスターとは違い、以前から街に降りることが多かったし、今も多い。
もともと、街にいた人だから、街が好きなんだと思う。
店でイカ墨パスタが運ばれてくるのを待ちながら。
「街に降りてたのは、たまには、あなたを眺めるためだったのよ」
「え?」
そうなの?
街に降りたのは、修道院を出て働き始めてからだから、とっくに大人だったのに。
「……全く、親の心子知らずね」
溜め息を吐かれると思ったら、身体を揺らして笑っている。
そんな母親は、イカ墨パスタを食べるのが上手い。
唇には勿論、歯も汚さず、真っ黒になった孫の口許を拭っている。
「今日も美味しかったわ」
そして、皿を下げに来た店主に礼を告げ、
「よかったぁ。そうだシスター、近々相談へ伺っても?」
「勿論よ、いつでもどうぞ」
街の人達にも頼られる母親は、水の女神様が眠っているのを知っているのか、知らないのか。
ただ。
水の女神様が起きてきても眠っていても、街は変わらず賑やかで、今のところ、大きな水害なども起きていないし、そんな予兆もない。
「ねぇね、アイス食べたい」
「あら、いいわね」
答えるのは母親。
女神様が目を覚ます日は来るのだろうか。
ただの勘だけれど。
少なくとも、自分が生きている間は、来ない気がした。
バタバタする朝の支度中。
開いた窓から小鳥が飛んできた時。
娘の裏表に着た服を着替え直し、娘の髪を結っているその時。
また、母親が倒れた報せかと、胸がヒュッとなったのは確かで。
けれど、
「ピチッ♪」
ご機嫌な小鳥が足首に留めているのは、
「……?」
(どこの国のだろう?)
しっかりと模様の入った金筒。
今は私に背を向けて椅子に座る、修道院から引き取った彼女。
私の娘は、親馬鹿を差し引いても、とても賢い。
大人しくしていて欲しい時は、きちんと大人しくしてくれている。
この年で親元から離れ、少しの間、集団生活に揉まれたせいもあると思う。
今も、
「それは何?どこから来たの?鳥さんだ可愛いね、お手紙?誰から?なんて書いてあるの?」
と目では訴えて来るけれど、口にはしない。
きゅっと小さな口を閉じている。
「ありがとう、少し待っててね」
こくんと黙ってワンピースの裾を握るその姿は。
(……ぁ)
少しだけ、あの黒髪で赤い瞳をした、小さな少女を思い出す。
「へ……?」
思わず声を出してしまったのは、差出人が、まさにあの少女と一緒にいた旅人だったから。
『思ったより早い手紙に驚かせてしまったかもしれません』
『取り急ぎの報せをと思いまして筆を取りました』
『隣の国の山の麓に家を買いました』
『いつかあなたが山を見に行くと仰っていたことを思い出し』
『私達はもう家から出発をしてしまいましたが』
『また家に帰ります』
『帰りましたら手紙を送るので』
『その時は、宿代わりにでも我が家を訪れてくだされば』
『彼女や狸の彼共々歓迎しますので』
『タイミングが合えば是非』
とても短い手紙。
「……」
「ねぇね?」
固まる私に、娘がどうしたの?と心配そうに袖を引いてくる。
金筒には、
『今後も何かと入り用でしょうから』
と薄い布に包まれた宝石が3つも入っていた。
「わぁ、綺麗な石っ」
覗き込んできた娘がきゃっきゃっと跳ねる。
(あぁもう……)
彼等は、別れ際にくれたパンやお菓子の袋にも、少なくない石を、こそりと忍ばせてくれていたのに。
それに。
何より。
「家を買ったって……」
やることなすこと、あまりに急すぎて、笑いが漏れてしまう。
そんな私を不思議そうに見上げてくる娘に、
「あぁ、ごめんごめん」
髪の毛、途中だったねと手を伸ばして頭を撫でると。
「うんっ」
嬉しそうにくるりと回って背中を向け。
「……ねぇねの、お友達からのお手紙?」
おずおず訊ねてくる。
「そう。少し前に会った旅人さんたち」
「どんな人?」
「男の人と、女の子と、たぬき」
「タヌキ?」
「茶色くてふわふわで足が短いの」
娘はどうしてか、おかしそうに笑う。
「女の子は小さいの?」
「あなたより小さいかな」
「ちっちゃい!」
そう。
それなのに。
随分と、大人びていた。
海風に靡く艶々した髪も、凝った装飾のワンピースに、傷1つない革靴。
初めて彼女が、目の前に現れた時。
何1つ不自由のない、お嬢様だと思った。
両親に愛され、珍しい動物を与えられ、若い従者を付けられ、きっと、この子の気まぐれとわがままで、旅までさせてもらっているのだろうと。
けれど、
「いや、拾った子なんですよ」
「……え?」
あの色男が、仕事先でたまたま見掛けて拾い上げた子だと、苦笑いで教えられた。
あの男が彼女を見掛けた時には、すでに1人と1匹だったと。
「……」
男の灰色がかった髪色からして、遺伝かと思ったけれど、彼の母国だとこの髪色は珍しくなく、けれど、彼女の髪色もあのまっすぐな髪質も赤い瞳も、男も見たことがないと、かぶりを振っていた。
それより。
何より。
あの子も、孤児。
「以前は、洞窟に住んでいたと聞きました」
洞窟?
「山の中の洞窟だそうです」
一時とは言え両親もおり、母親はいて、自身の服もら少なくない寄付で補え、食事も、ご馳走ではなくても、毎日お腹いっぱいには食べさせて貰え、夜も、怖いのは雨風、荒れた日の波音であり、寝ている場所に雨が風が吹き込むこともなく。
「……」
彼女と比べると、恵まれた環境で長年ひねくれていた自分が、ますます恥ずかしい。
「恥ずかしくないです。自分も、似た環境なら、きっとひねくれていたと思います」
色男は優しい。
あの娘が、異様に大人びている理由も解った。
「はい出来た」
可愛く結べた。
「ありがとう、ねぇね」
「どういたしまして」
託児所も兼ねている修道院までの馬車の乗り場まで、娘を送る。
「ねぇね、行ってくるね」
「うん、いってらっしゃい」
馬車に揺られながら手を振る娘を見送り。
仕事場へ向かいながら。
(家かぁ……)
どんな家なんだろう。
この街の様に、家が建ち並んでいるのか。
もしくは、修道院のように、ポツリと離れた場所なのか。
想像も付かない。
でも。
数日後の昼休み。
「すみません、陸地の方へ向かう旅人の方に手紙を託したいんですけど」
「お、見晴らし塔のお嬢さんじゃないか」
組合へ向かうと、受付の、母親と同世代の男が、一方的に私を知ってくれていた。
「あの、託す場合のお礼って、いくらくらい払えばいいんですか?」
「手紙は場所も取らないし、ついでにって無償でやってくれてるから、気にしなくていい。代わりに届かなくても、文句は言えないけどな」
不慮の事故もあるから、時間を置いて何通か送ればいいとアドバイスを貰う。
手紙の宛先には、今は、どこにいるかも分からない彼等の外見の特徴を書き。
これを運んでくれる、見知らぬ旅人への礼も短く書き。
組合を後にする。
仕事場に戻りながら。
賑やかな水路沿いの道を進みながら。
「早く帰って来ないかなぁ」
待ち遠しさで、思わず口ずさんでしまう。
そう遠くない未来に、彼等からの手紙が届いたら。
娘を連れて。
彼等の家へ。
知らない場所へ。
まだ、見たことのない世界へ。




