第7話「空を駆ける舟」
「──伝承の空鯨……!」
女ハンターの背が視界から消えてもなお、リコの脳裏にはその言葉が焼きついていた。手にした古典書のページは、もう何度めくったかわからない。だが、今ようやく確信した。これはただの物語じゃない。これは“記録”だ。
「……よし、まとめよう。頭の中が、散らかってきた」
勢いで歩き出すリコのあとを、ロウがゆっくりとついていく。大きな背中に、どこから現れたのか、三人の子供がそれぞれしがみついて遊んでいた。片手にぶらさがる子、肩に乗る子、背に乗ってロデオのようにはしゃぐ子。ロウは何も言わず、されるがまま。たまに首を傾けるだけで、どの子も器用にバランスを取り直すのだった。
港町の市場は朝から活気にあふれていた。甘い果実の香りと、塩気のある風が入り混じり、喧噪の中にもどこか牧歌的な雰囲気がある。
「なあ、ロウ。あんたってほんと、怖そうに見えるくせに……なんでこう、子供とか動物にはモテるんだろうな」
「……さあ」
ぽつりと返る、低くて間の抜けた返事。リコは吹き出す。
「ま、いいけどな。あんたが怖がられてたら、あたしも買い物しにくいし」
市場を通り抜けると、坂を下った先に、古びた木の看板が見えてきた。フィヨルド料理を出す食堂『ヤールの大皿』。港町では定番の、なんでも乗ってるワンプレートが名物の店だ。
「ほら、朝食べてないだろ。入るよ、ロウ」
ロウはうん、とだけ言って、そっと肩の子供たちを地面に降ろす。名残惜しそうな顔をしていた子供たちに、小さく手を振る。その指先はぶっとくて、けれどとても優しい。
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「うおっ、このザリガニのでっかい版みたいなやつ、うま……! バターとディルが効いてる!」
「……うん」
「てか、あたしのパン取ったろ? 今、あんたの皿にパンなかったよな?」
「……わけた、だけ」
「分けたって……! じゃあこの小魚の揚げ物、そっちの皿にあったっけ?」
「……うん」
「うそつけ! 目ぇそらしてるし!」
ワンプレートをはさんで繰り広げられる、リコの独壇場。対するロウは、ほとんど何も言わない。彼の視線はといえば、今は目の前のスープ皿。とろみのあるオニオンスープを、じっと見つめていた。まるで、味に思索を深めているかのように。けれど真相は──おそらく、なにも考えていない。
「……さて、レフ=モラの対策だけどさ」
唐突に話題が変わっても、ロウは眉ひとつ動かさない。リコはパンのかけらを齧りながら、古典書を開いた。
「レフ=モラ……あの空鯨の名、絶対この“七つの炎”の一体だ。記述がそっくりだった。問題は、周囲の近衛。あれらがそれぞれ、“五感を封じる”力を持ってる。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚……それぞれの感覚を妨害してくるってわけ」
ロウの視線がようやくスープからリコに移る。
「つまり、真ん中を狙うには、まずその外殻をどうにかしなきゃならない。でも、接近戦でやるのは得策じゃない。ならば、広範囲を一斉に攻撃する手段が必要……ってことで、弓か、爆裂系の連射ボウガン。最終的には、あたしの一発と、あんたの投擲でとどめを刺すのが理想……って聞いてる?」
ロウはにこりと笑った。やっぱり、何もわかっていなかった。
「……うん。がんばる」
「……ま、いいか。あんたは耐えて、投げてくれりゃそれでいい」
再びスープへと戻っていくロウの目線に、リコは呆れたように笑い、立ち上がった。
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食堂を出たところで、リコは空を見上げて足を止めた。
「……あれは」
鋼鉄の鱗のような板を組み合わせた、バイク型の小型空舟。背に積まれたランチャーが朝日にきらりと光る。数艇のうち、先頭にいたのは──あの女ハンターだった。
「くっ……もう飛んでる!」
雲を切って駆けていく空舟を、リコは唇を噛んで見つめた。その目は、悔しさと焦りに揺れている。
「追いつかないと……!」
隣のロウが、ぽつりとつぶやく。
「……あのひとたち、たたかい方、みて。リコの、さくせん……うまく、いくか。わかる」
珍しく長いセリフだった。しかも、妙に鋭い。
「……は?」
思わずリコは見上げた。ロウは、まだ空舟を見ている。その顔にはいつものようなぼんやりした笑みはなく、どこか真剣な色が宿っていた。
「……ふふ。なんだよそれ、珍しくまともじゃん」
「……?」
ロウは首をかしげた。たぶん、言った本人がよくわかっていない。
「じゃ、準備は入念に、だな」
肩に猫を乗せたロウを連れて、リコは坂を下っていく。目指すは、町外れの武器屋。とある噂のばばあのところだった。
*
市場から北へ二つ角を曲がった先、くすんだ銅の看板が風にきしんでいる。
《打ち棄てられた槍》──古道具屋のような名だが、実態は旧式装備専門の武器屋である。
ギィ…とドアを押すリコの肩越しから、ロウが頭をかがめてついて入った。屋内は狭い。所狭しと並べられたバリスタの矢、刃こぼれした剣、異国風の短弓…そして、どれも使い手を選ぶ曰くつきの品ばかり。
「ここ、で合ってる?」
「このへんじゃ“試作装備”が手に入るって聞いた。無茶なやつ。だから、来た」
リコが言い終える前に、棚の奥からギィと戸棚が開いた。現れたのは、骨のように細い手と、レザーエプロン姿の白髪の老婆。片目にスコープの義眼を嵌め、背は低いが、視線は矢のように鋭い。
「……客かい。珍しいね。おまけに、ちびと巨人のコンビとはまた──風変わりだ」
「……ちびは余計」
「で、用件は?」
リコは一歩前に出た。
「“レフ=モラ”を落とせる武器を探してる。でかくて、速くて、何より空にいる。
……普通のバリスタじゃ話にならない。破壊力と精度、両方あって、連射できるやつ。ある?」
老婆は黙っていたが、ちらとロウに視線を移し、じっと見る。
「……その体格、反動制御は問題なさそうだ。
なら、あるよ。試作品だが、“使いこなせれば”あいつらにも届くかもしれない」
「見せて」
「いいけど──条件がある」
「やっぱあるんだ、そういうの」
老婆は黙って、カウンターの奥から設計図と紙束を引きずり出す。並行して、何かを確認するように視線だけリコに送る。
「“伝承の空鯨”を狙うってことは、それなりの情報を握ってるんだろう?
……この街の狩人たちは誰一人、あの空域に深入りしたがらない。理由は、あんたもわかってるはず」
リコは少し黙ったあと、小さな紙片を取り出した。それは、古典書の一節の写しだった。
「……“七つの牙を携えし獣、空を渡りて大地に眠る”」
老婆が目を見開く。
「……あんた、これをどこで?」
「答える気はない。けど、こいつは“伝承の核”に近い記述だと思ってる。
レフ=モラの群れが護ってるのは、ただの縄張りじゃない。中心に“何か”ある。
それをあたしたちは見に行く。だから、その武器が要る」
老婆はしばらく黙り、煙草の火を揉み消すような息をついた。
「──まあいい。あたしにとっても、気になる話だ。
契約成立だよ、嬢ちゃん」
ごろ…と引き出されたのは、鋼鉄のケース。開けると、蒸気を吹き上げる多関節式の機構が姿を現す。まるで生き物のような重装型──
「──ホーミング式。飛翔石の浮遊動力を使い、熱反応を検知して標的の進行を追尾する。
さらに弾頭には、着弾と同時に視界妨害のスモークを展開するガスを内蔵してる」
「連射できる?」
「できるさ。だが、反動もすさまじい。普通の人間なら、二射目で肩が外れる。
けど──」
老婆はロウに目をやる。
「こいつなら、いけるかもしれないね」
ロウはニコニコしながらリコを見ていた。たぶん何もわかってない。
「……よし、もらう。代金は?」
「金はいらない。ただ──帰ってきたら、その目で“何があったか”教えておくれ。それで十分だ」
店を出たとき、ロウの肩にはまた野良猫が乗っていた。空は、もう西の端に沈みかけている。
「──作戦、決まりだね」
リコは静かに呟いた。その視線は、遥か空の果て、獣の眠る場所へと向いていた。




