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第6話「ヨルドフィルのニシンパイ」

 


空舟《ノーチラス号》がきしむたび、リコの顔もしかめっ面になった。

帆はよれよれ、外装にはひび、底のパネルなんか……叩くと音が違う。


「……また、どっか抜けてんなこれ。てか、この音……え、まさか穴、空いてる……?」


 空じゃなくて、海。

 今回の航路は海峡越え、風と潮のど真ん中。

 いくらロウ謹製の機体でも、さすがに二度目の越境には耐えられなかったようだ。


「ロウ、降りるよ。あれ、フィヨルドの港じゃない?」


「んー……海の割れ目……谷?」


「地形じゃなくて街の名前ね。“ヨルドフィル”って書いてあるじゃん」


 よく見ると崖の合間に、ぎゅうぎゅうと積み重なるような漁村がある。

 フィヨルドの裂け目にへばりついたその街は、空から見ても肌寒そうだった。


「このへんって……北方の漁港だったっけ。ニシンとか?」


「……すしってやつ、たべてみたい」


「ないよ。てか生で食う文化がまずない」


「……むう……」


 ロウはがっくりと肩を落として操縦桿を切る。

 ふたりを乗せたノーチラス号は、かすれた音を立てながら、崖と崖の間へと滑り込んでいった。


 



 


 ヨルドフィルの港は、空舟の受け入れには慣れていないようだった。

 係留所に降り立った瞬間、漁師たちの驚いたような声が響く。


「おいおい、空からか? なんだそのボロ……」


「てか降りれるんだな、あんなボロで」


「うるせえなあ!ちゃんと飛んでたし!なあロウ!」


「……飛んでた、のは……うん、してた」


 擁護にもなってない。


 とりあえず修理と整備を頼み、工房に預けることにした。

 当然、費用は……高い。


「いち、じゅう、ひゃく……って、足りないじゃん!」


 戦利品の換金で手に入れた路銀も、もう心許ない。

 仕方なく、ふたりはギルドの掲示板へと向かう。


 


「んー……なんかないかなー。軽めで、命取られない系」


 掲示板の張り紙は、見事に“重労働”ばかりだった。

 中でも「地引網手伝い急募!!力自慢歓迎!」の文字に、ロウが引き寄せられるように立ち止まる。


「……おれ、これ……向いてる?」


「やる気になってるのはいいけど、地引網って10人で引くんだよ?ロウひとりで?」


「たぶん、できる」


 実際、できた。


 



 


 漁師仕事の数日間は、文字通りの“肉体労働”だった。


 仕掛け漁の設置や回収はリコが担当。

 潮の流れと日差しの角度で獲れる魚を見分けて、漁のタイミングも提案する。


「なんか……リコちゃん、地元出身か?」


「ちがいます」


「むしろ海、初めてみたいな顔してたよな最初」


「じゃあ褒めて!!素直に褒めてよ!!」


 一方ロウは──

 10人がかりで引いてた網を、ひとりで黙々と引いていた。


 漁師の親方は、最初こそ怒鳴りつけていたが……


「……あいつ、バケモンか?」


「いや、たぶんオーガってやつかも」


「うちの一番頑丈な船のアンカー引きずってたぞ、素手で……」


「ちょっと好きかも」


「やめとけ、女の人生狂うぞ」


 そんな日々が、一週間。


 そして──ふたりの短期契約の最後の日。

 漁師たちは送迎会を開いてくれることになった。


 



 


 漁師食堂。テーブルの上にずらりと並ぶ海の幸。

 塩ニシン、燻製、ニシンのパイ、謎の赤いタマネギの酢漬け。


「やば……ここで定住したくなってきた……」


 食欲オーガ、発動。

 リコは手当たり次第に皿に手を伸ばし、味を吟味することもなく胃に放り込んでいく。


 一方ロウは、取られた皿を遠くから見つめながら、ちょぼちょぼとパイの端をかじっていた。


 その顔はほんのり赤く、どこか子供のようだった。


(……ロウ、ワインで顔赤くなってる……)


 なんだよ、かわいいかよ。


 ──ふと、そのときだった。


「なあ、聞いたか?あの話……」


「空鯨、また出たって?」


「おう。しかも……ちょっと、厄介なヤツらしい」


「見て帰ってきたやつ、ほとんどいねえんだってな」


「いても“見たような気がする”とか、“故郷の母ちゃんの夢見た”とか、支離滅裂なことしか言わねえって」


 ざわざわとした話の端々に、聞き捨てならない単語が飛び交う。


 リコは、ふっとワインのグラスを置いた。


「……ねえ、それって。もしかして──」


 言いかけたその言葉が、口の中で止まった。


 胸の奥が、ざわっと波立った。

 まるで──潮の満ち引きのように。



「……伝承の空鯨?」


リコの呟きに、漁師たちは顔を見合わせた。年季の入った顔に皺が寄る。


「おい嬢ちゃん、それどこで聞いた? あんた、ギルドのモンか?」


「いや、まあ、あたしは……準ギルドみたいなもんだけど」


リコが苦笑いしながら、腰のバッグから一冊の分厚い本を取り出す。古びた革の装丁には、見慣れぬ文様と消えかけた金の文字。


「ヒスパニアのギルドからの餞別ってやつ。誰も読めないって渡されたんだけど……まあ、語源さえ拾えればなんとかなるからさ。で、この図。」


パタン、とページを開き、港の木箱の上に置く。そこには精緻な手書きの挿絵。巨大な空鯨の中央に、五つの小さな影が浮かんでいる。


「これ、見覚えある?」


「……おい、これじゃねえか?」

「神話のやつだ。うちの村じゃ“七つ目の影”って呼んでる」

「“白い霧に包まれて、空を食らう”って言い伝えがある」


ひとり、またひとりと口を開き始める。誰も確証は持たないが、昔話として語られてきた何かが、目の前の本の中に確かに存在していた。


「ギルドは知らんぷりしてるが、数日前に北の空で見たってやつがいる。……その後、寝込んじまったってさ」


「寝込んだ?」


「ああ、目が開かなくなって、ずっと泣いてたらしい」


「……なるほど。名前、ある?」


「知らねえ。だが気をつけな。お嬢ちゃん、首突っ込むには重てぇ相手かもしれねえぞ」


リコは一礼してその場を離れた。後ろでロウが小さくついてくる。でっかい体に、ぶら下げた小袋の魚干しがゆれる。


「……におい、つよ……すぎた……」


「酔ったの? え、そんな少しで?」


「……うん……ねむい……」


「ダメだよ、あんた見張り番なんだからね。今日は野宿」


ロウは目をしぱしぱさせながら、こくんとうなずいた。



港の片隅。ノーチラス号の船体が、青銀の月明かりを反射していた。


その横に、いつものようにシートを敷き、簡易テントも張らずに2人は寝転がる。

リコはロウの腹の上にぺたりと身を投げ出し、手に古典の書を持ったまま、空を仰いだ。


「……ねえロウ」


「……ん」


「空って、落ちてこないのかな」


「……ううん」


「だって、空鯨が落ちてきたらどうする?」


「……リコ、にげる……それで、いい」


「逃げるのはいいけどさ、あたしが巻き込まれたら?」


「……おれ、うけとる」


「……えっ、あんたあの大きさ見た? 街ごと潰れるよ?」


ロウはごろりと仰向けのまま、首だけ横に向けた。

その瞳は月の光を映して、じっとリコを見ていた。


「……リコ、おもくない」


「……なにその基準」



夜空には星が滲んでいた。港の明かりも少しずつ消え、波音と夜鳥の声だけが響く。


そのまま、リコのまぶたが重くなり——本を胸に抱いたまま、眠りに落ちた。



夢の中


そこは、どこまでも青白い空間だった。風も音もない。だが、光だけが漂っていた。


その光の中に——六頭の白い影が浮かんでいた。


中心には、一際大きな一頭。まるで都市のような巨体。


そのまわりに、やや小さな五体が、**“守るように”**滑空している。


それらは言葉を持たず、ただ、静かに、空を泳いでいた。


ゆっくりと、視界がにじむ。


リコは、なぜか涙が出そうになる。


「……名前……あるの……?」


誰に問うのでもなく、言葉だけが消えていく。


そのとき——視界の端に、女の姿が見えた。


長い髪と、黒い装束。目元だけを残した顔に、仮面のような影。


リコがその方に手を伸ばした瞬間、視界が白く弾けて——




「……リコ……リコ……」


「……ん……?」


「……かお、なんか……ぬるい」


「うげっ!!」


バサッと跳ね起きるリコ。顔に乗っていたのは、釣り人が置いていったと思しきイカ干しだった。ロウはいつものぬぼーっとした顔で、それを指さしていた。


「……イカ、しんだ……」


「それ言い方、やめて……」


「……リコ、こわい夢……みた?」


「うん……いや、うーん……覚えてない」


「……なら、よかった」


「……へぇ、優しいじゃん。よし、行くよ、ギルド」




「リコ…イカくさい」


「……うっさいなあ!じゃあロウが拭いてよ!」


そう言って、リコは濡れた顔を手ぬぐいでぬぐいながら、靴紐をきゅっと締める。

ロウは立ち上がり、重たい背負子を背負うと、淡々とリコのあとをついていく。

彼の肩にはいつの間にか、どこかの子猫が乗っていた。



ギルドの掲示板は、今朝も賑わっていた。

朝市帰りの腕利きハンターたちが、狩猟報告と報酬に一喜一憂している。


だが、掲示板の奥——

一枚、誰にも触られていない“古い伝令文”が貼られていた。


《北洋域 外周圏にて、白霧の目撃情報。近隣漁師の健康被害多数。接触不可。調査依頼・報告義務》


「……白霧?」


リコが目を細めた瞬間、背後から声がかかる。


「……見てたの、あんただけだったわね。珍しい」


その声に振り返ると、いた。


黒いハンターコートに身を包んだ女。

顔の半分を仮面のような布で隠し、艶のある黒髪を三つ編みにして背に流している。

腰には、鋼糸のような双剣。


「昨日の……港にいた女」


「ふふ。覚えてくれてて光栄だわ。あんた、スヴィーリ訛りね。北方の」


「……で、それがなに?」


「“白霧”に惹かれるってことは、何か知ってるんでしょう?」


その目がリコの鞄へと向く。

そこにあるのは、あの古典書——


「本は関係ない。……ただの昔話よ」


「ふーん。じゃあ、質問。

“七つ目の影”って、どこにいるの?」


リコの瞳が、一瞬だけ揺れる。

彼女は——知っている。


(なんで……)


「……あんた、何者?」


「ギルドとは無関係。でも、あんたと同じで、空を見上げてる者よ」


女が一歩、リコに近づいた。

背後でロウが動こうとするが、リコがそっと手をあげて制止する。


「何を……知ってるの?」


「場所なら知らない。ただ、“その一体”が目覚めたら、他の六体も目を覚ます”って記されてた。

あたしの故郷じゃ、そう言い伝えられてる」


「どこよ、あんたの故郷」


「……それを言ったら、あんたも“鍵の意味”を話す?」


女の言葉に、リコは黙った。


——鍵。

古典書の最後のページに描かれた、“七つのうち、ひとつだけ描かれていない影”。


(あれが鍵……?)


言葉にしなくても、女には通じたらしい。


「……なるほどね。

あんた、本当に“読める”んだ。あの古典書」


女がくるりと背を向ける。


「名前は、ノルナ。今後、港を離れるなら、一度“外洋に浮かぶ死の環礁”へ寄るといい。

そこに、“はじまりの目”が残ってるかもしれない」


「……どうして教えるの? 罠かもって思わないの?」


ノルナは少し笑ったようだった。


「だって——あたしも、会いたいのよ。

空に還れなかった、“七つ目”に」


そのまま、黒い影はギルドから消えた。


リコはしばし立ち尽くし、やがてロウを振り返る。


「行こう、ロウ。……支度しなきゃ。」


「……あい」



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