問いは思考を照らす診断装置である
問いは、単なる疑問文ではない。
それは、言葉の形をした思考の照明器具であり、投げかけた瞬間に、対象となる人の認知構造を照らし出す装置となる。
ある問いにどう答えるかは、その人の価値観や知識量の反映に見えるかもしれない。
だが実際には、その問いに対してどの段階でつまずくか、どこで飛躍し、どこで思考停止に至るか──その過程こそが、観察すべき対象となる。
問いは、相手の意見を引き出すためのものではない。**その思考の輪郭を抽出し、診断するためのプローブ(探針)**である。
このとき、問いは一種の「構造検査装置」として機能する。
答えの内容を重視するのではなく、**“その答えが出るまでに通った回路”**を観察するためのトリガーとなる。
すなわち、問いを投げかけたときの「沈黙」「躊躇」「即答」「言葉選び」などすべての反応が、その人の内面構造の出力として可視化されるのである。
診断とは、「正しいか誤っているか」を評価することではない。
観察者にとって重要なのは、問いを通じて“構造の特徴”を明らかにすることである。
それは、物理的に見えない認知の仕組みを“反応”として外に出させ、他者を理解可能な対象に変換する行為だ。
この章では、問いという装置の構成要素と分類方法を解き明かす。
問うこととは何か。問われたときの反応は何を示すのか。
そして、どのように設計された問いが、どのような思考の断面を可視化するのか。
問いは探求の起点であると同時に、観察の最小単位である。
そして観察者にとっては、答えの正否よりも“思考の構造そのもの”を診る道具としてこそ、最も価値を持つ。