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少年は天命を覆す  作者: 言ノ葉紡
運命編
5/18

日常の終わり

「いってぇー!」


 北の大陸の南西部、港街ツクヨ。潮風が吹く街の片隅にある剣道場に、高らかな少年の悲鳴が響いた。


 年の頃は十四歳ぐらいであろうか。手に持っていた木刀を床に放り投げ、痛みに顔を歪めてしゃがみ込む姿に試合を観覧していた少年たちが賑やかに笑う。それに誘発されたのか、まだ瑞々しさの残る若葉に似た瞳が涙で潤んだ。


「ルーキ!道場の跡取り息子が姉貴に負けてどうすんだよ!」

「うるさい!オレにも勝てないくせに!」


 周囲から飛ぶからかいを多分に含んだ野次に少年――ルーキフェルは眦を吊り上げて怒鳴り返す。まだあどけなさを残したその声に、少年と相対していた少女が木刀を担いで笑った。


「はいはい、そこまで。これで今日の私の白星は五つだ。どうする?まだやるかい?」

「……シルフィ、お前面白がってるだろ」

「そりゃあね。いつまで経ってもお前の剣は素直すぎるよ」


 涙目で見上げられた少女――シルフィが肩を竦める。粗雑ささえ感じられる口調とは裏腹に清廉な空気を纏うさまは、荒野に凛と咲き誇る花を思わせる。整った顔を縁取るようにさらりと揺れる銀糸の髪は細く繊細だ。着飾れば相当に美しいであろう容姿に甘く掠れた声音。周囲で囃し立てていた少年たちが彼女に見惚れてほうっとため息を漏らした。


「お前は強いよ、ルーキ。でもね、優しすぎだ。稽古であろうと殺意を欠く者に私が負けるわけないだろう」

「それはそうかもしれないけどさ」


 正論を語るシルフィを見上げるのをやめて、ルーキは己の手を見つめる。


 シルフィとルーキの間に歴然とした実力の差はない。寧ろ、単純な腕力や剣撃の速さだけでいえばルーキの方に軍配が上がると言ってもいいだろう。にも関わらず、一度としてシルフィから白星を勝ち取れたことがなかった。勝敗を分けている原因は指摘されるまでもなくわかっている。ルーキに何がなんでも勝とうという気概が欠けているせいだ。


 だが、それはどうにも克服できない弱味であるとルーキ自身は思っている。

 シルフィとルーキは、血の繋がらない姉弟だ。ルーキがまだ五つにもならない時分に、ルーキの父がどこからか拾ってきた女の子。それがシルフィだった。


 ……その頃の彼女のことを、よく覚えている。泥だらけの衣服に身を包んでいて、肉付きだって悪かった。くすんだ銀髪も暗く濁った眸もこけた頬も痛々しいのに、近づく者全てを威嚇していた。近寄れば獣のように唸り、手を伸ばせば爪を立てた。力いっぱいに手を噛まれたことだってある。料理すらろくに受け取らず、勇気を出して話しかけてみても一言だって返してくれなかった。


 この世の全てを憎んでいた年上の女の子。

 汚泥に塗れてもなお生きようとしていた孤独な女の子。

 その姿が、ずっとずっと頭から離れない。笑うようになっても、姉として慕うようになっても。呪いのようにこびりついている。


 同情や憐憫と言うには愛しさの混ざるそれをルーキは持て余していたし、それが故に稽古の時であろうと彼女に対して殺意を向けることはどうしてもできなかった。


「オレはシルフィに勝てなくていいよ」


 ぽつりと誰にも聞こえないように呟いて、ルーキは立ち上がった。放り投げた木刀を拾い、まだ何か言いたりなさそうな顔をしているシルフィに頭を下げる。


「お手合わせ、ありがとうございました」

「……ありがとうございました」


 道場は神聖な場所だ。心情がどうであれ礼節は守らねばならない。言いたい言葉を呑み込んだシルフィも不満そうにしつつも一礼を返す。


 そこに、場違いな拍手が響いた。


 ぎょっとしてその場にいた全員が音の出所――いつの間にか開かれていた道場の入り口を見やる。


 果たしてそこには、少女がいた。年の頃は、ルーキとそう変わらないだろう。透き通るような白い肌は陽の光に透けそうなほど透明感がある。それを彩るかの如くゆっくりとはためいた睫毛と零れ落ちそうなほど大きな翡翠の瞳がひどく印象的だ。淡い薔薇の花弁にも似た唇は匂い立つように美しく、ヴェールで覆われた黄金の髪とあいまっていっそう少女を浮世離れしたものに見せている。艶やかさとは無縁の清楚な刺繍が施されたローブから伸びる嫋やかな肢体は折れそうなほど華奢で庇護欲が誘われた。


 大凡全ての美が集結したかのような儚げな美貌の少女に誰もが言葉を忘れて見入った。触れたら壊れてしまいそうな、ほろほろと解けて消えてしまいそうな、砂糖菓子のような娘だ。


「凄かったわ」


 薔薇の唇が開かれて、竪琴の如き声が感嘆を囁く。


「とても、とても、素晴らしかった」


 コツン、と。音が鳴る。美しい少女が土足で道場に足を踏み入れたのだ。


 あ、と誰かが漏らしたが、誰もそれ以上を紡げない。咎められる立場にあるルーキやシルフィも少女の存在感に呑まれてしまっていた。


 少女が近づく。一歩、二歩と。そうしてルーキの前まで来た少女は顔にふわりと柔らかな微笑を乗せて甘やかに愛を歌った。


「私、貴方が好きよ」

「……は?」

 



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