人格の混ざりの話。
今回は、人格の混ざりについて綴ろうと思う。
『人格の混ざり』というのはDIDにおいてよくある現象の一つだ。どういう状態かと言うと、本来はっきりと分かれているはずの人格同士が同時に表に出たり、お互いの思考や口調などに影響が出たりする。これはあくまで一時的なもので、医学的にも人格の統合(融合)とは異なるものとされている。
俺たちが混ざると、和が出ているのに俺の思考が口から出たりする。さらに混ざりがひどくなると、今どちらが出ているかわからない状態になったり、交互に口を使って会話をするなんて事もある。
今思えば、和の学生時代は和を主体に俺が混ざって学校生活を送っていたように思う。ただ当時は今のように激しい混ざり方はしなかったし、和が俺という存在を認識出来ていなかったので基本的には和が表に出た状態で俺の要素が混ざるといった具合だ。ただ時折俺の要素が強く出ると口調が変わるらしく、「時々ぶっきらぼうになる」「言い方がきつい」などと言われる事があった。しかし大抵こういう時は俺が強く前に出ていたと思われるので、和は自覚が全くない。和にはよくある事として認識されていて深く考えた事はなかったようだが、そういった出来事が幼少期から俺が存在していた裏付けになっている。
混ざりが起こると自分が自分でいられないような感覚になるので、俺は多少の違和感や不快感を覚える。しかし前述したように学生時代はほぼ毎日混ざっていたので、和を主軸に俺が混ざる時に和は違和感や不快感を感じる事はないらしい。どちらが出ているかわからない、あるいは両方出ていると感じる程に混ざりが強い時はさすがに違和感はあるようだが、和は表で俺が喋る様子を知らない(俺が出ている間の記憶が残らない)ので面白がっていたりする。
強い混ざりの時には内界に霧がかかったようになり、俺も和も内界を認識できなくなるという特徴がある。これは恐らく、中途半端に2人共が表に出ている状況だからだと思われる。俺たちの場合、表に出ると「内界の体」は消えてしまう。(当事者によっては内界に体が残るらしい。)その為、同時に表に出ると内界にはどちらの体も存在しなくなる。それに加えて、完全に表に出ている訳でもなければ内界に居る訳でもない。その中途半端さが内界の認識を難しくさせているのだろう。
内界が霧がかる事で中に戻る意識がしづらくなり、そのまま交代してしまうケースも多い。和にとっては混ざりの嫌な点の1つだろう。ただ、混ざりの後に交代が起こるのは珍しくはないようだ。
この混ざりという現象は、非常に感覚的なものなので説明が難しい。当事者である俺たちですら、どういう仕組みでそれが起こっているのかはわからないのだ。
また新しい発見などがあれば、ここに記録したいと思う。




