俺たちの住む内界と和の話。
今、俺たちがどんな生活をしているかを話していこう。和が24歳の秋、俺が本格的に表に出るようになってからの話だ。
『表』というのは、謂わば現実世界のことである。逆に、表に出ていない間人格が過ごしている場所を『内界』、『中の世界』などと表現する。
まずはその内界について。『内界』と一言にいっても、その様子は患者により様々で、千差万別だ。脳内にはっきりと世界があり、家があり部屋がある。そして、その中で人格たちが姿かたちを持って生活しているパターンやそもそも内界など存在しないという人たちもいる。
俺たちはその中間といったところだろうか。薄暗い空間があり、その中にポツンと表の様子が見られる画面のようなものが浮かんでいる。表に出ている人格が内界に意識を向けるとシルエットでもう一方の人格が見えるのだ。これを書いている今も、俺の後ろには和の姿がある。
しかしその姿は、今の和の姿ではない。まだ電動車椅子に乗るようになるずっと前、子供用の手動車椅子に乗る小学校低学年ぐらいの頃の姿だ。しかも和は内界にいる時は大きなクッションを抱えて眠っている。その為、俺が表に出ている間は、和とコミュニケーションを取る事は出来ないし、俺が出ている間の記憶は和にはない。俺がわかることは表情は見えないはずなのに不思議と伝わってくる穏やかに眠る和の様子だけである。
俺が小学校低学年のころの姿と表現したのには理由があり、一つは明らかにサイズが小さい事、二つ目は、普段は眠りっぱなしの和が一度だけ内界で目を覚ましたことがあったのだ。その時和は、車椅子の乗り心地や手で触れて確かめたホイールの形などから「小学校低学年のころに乗っていた車椅子だ」と証言していたからだ。何故、和は内界では幼少期の姿なのか。その理由は俺にもはっきりとはわからない。想像しうる理由として、俺は和の内面の成長度合い、つまりは精神年齢が反映されているのではないだろうかと考えている。
和は知能検査を受けたことがあるが、全体としてのIQ自体に問題はなかった。しかし、知能検査で測ることのできる4項目のうち2項目は平均を下回っていて、そのうちの1つは平均の半分程度の数値だった。ただ1項目平均よりも高い数値だった為、平均を取った場合、知能発達に遅れはないという結果になるのだ。そんな発達の凹凸からか、和は24歳になった今もかなり幼い部分が見られるのだ。「どこが幼いのか?」と問われれば少し難しい。強いて言葉で表すならば、雰囲気と行動、反応だろうか。和は言語知能の発達に優れており、幼少期から大人顔負けの言葉を使っていた。その所為もあってか、外では敬語もしっかりと使い、マナーも守る事は出来る。しかしコミュニケーションが円滑に取れるのかと言えば、それは別問題だ。発達特性もあってか、言葉で自分の気持ちを表現する事があまり得意ではない。その分、表情や身振りに感情が表れやすい。嬉しい事や楽しい事があれば満面の笑みで手足をパタパタとさせ、悲しい時や怖い時はすぐ表情に出る。そんな子供のような一面を持った彼女だから、俺は内界においては彼女の精神が反映されているのではないかと思っている。