DIDが取り上げられた作品の感想。
今回は、DIDが取り上げられた作品の当事者として感想について綴ってみようと思う。
俺が触れたことのある作品は二つ。東野圭吾の「プラチナデータ」(小説・映画)と映画「水曜日が消えた」だ。
俺が初めて読んだ小説が「プラチナデータ」だった。本作の中心人物がDIDである。作品の内容について多くは触れないが、ミステリかつサスペンス系の小説なので、そこに描かれるのはDIDが中心ではない。しかしDIDというものがセンセーショナルに描かれている。物語では定番だが、人格が罪を犯してしまうのだ。しかし、疾患自体については比較的忠実に描かれていた印象だ。一部架空の治療が行われている事を除けば、発症理由も頷けるものだった。
だが、結果として彼は犯罪に手を染めてしまう。俺はフィクションを否定する気は全くないが、こういった作品(創作物)のイメージからDIDへの先入観が生まれてしまうのかもしれないと思っている。
ただ、小説としてはとても面白かった。
次に、「水曜日が消えた」。これは七人の人格が各曜日を生活してるというストーリーだった。作中で『解離性同一性障害』という言葉は出てこないが、恐らく間違いないだろう。曜日ごとに出る人格が決まっているというのが、なかなかに興味深い設定だなと思えた。突発的な交代が発生しないDID。そんなことも実際にもあるのだろうか、なんて疑問が浮かんだりもした。
この作品では、最終的に人格の共存が描かれている。俺自身、DIDを扱った創作物に多く触れているわけではないが、珍しいのではないかと思う。「共存」という一つの選択肢が作品で扱われるのは、共存を目指す俺としては嬉しかった。
二作品に共通して気になったことが二つある。
一つ目は、交代や人格間での意思疎通が図れた際に尋常じゃない頭痛に見舞われるというものだ。実際には、確かに交代などで頭痛が生じる事はあるが、身悶えるほどかと言えば少なくとも俺たちは違う。第一、交代の度にそんな事になっては身が持たないと思う。これは恐らく、受け取り手がわかりやすいように表現手法として使っているのだろう。
二つ目は、どちらも当事者が男性という事だ。母にも聞いてみたが、DIDを題材にした作品の多くが男性のようだ。しかし実際には、女性の方が多いという研究結果もある。そういった事実と異なる点も少し気になった。
ここまで色々と綴ってきたが、俺は作品においてDIDが扱われるのは好意的に感じている。何故なら、フィクションであっても実在するこの疾患を知ってもらうきっかけにはなるからだ。
一方で、プラチナデータの所でも触れたが、[DID患者・人格=危険人物]という方程式が広まる事を危惧している。このエッセイがそんな先入観を取り払う一助になる事を願っている。




