人格ごとの身体機能の違い。
今回は、人格ごとに変わる身体機能について綴ろうと思う。
前回は感覚の違いについて触れたが、俺たちの場合は感覚以上に身体機能の方が違いが出やすい。
DID患者の人格ごとの身体機能の違いで有名なのは、声や話し方だろうか。この違いが出るかどうかは実は人によるのだが、俺たちはある程度変化する。
和は女性の中でもかなり声が高い。なんなら、子供に交じっても高い可能性すらある。その為、俺の場合は声が低くなっても高さ的には年相応の女性と言ったところだろう。ただ、話し方はかなり変わるようだ。和はふわふわとした話し方をする。一方俺は、比較的落ち着いた話し方で和のふわふわ感はなくなるらしい。人の印象を左右するのは声の高さ以上に話し方の違いのようだ。言葉遣いもあるが、抑揚の付け方やテンション感などの要素が大きいように感じる。俺の場合、周囲は話し方の印象から男だと感じるようだ。
他に人格間で変わる代表的なものは、表情や顔つきだろう。俺たちも多少顔つきが変化するようで、母は表情の違いで突発的な交代を認識する。
そして実は俺たちの中でかなり差が出るのが、体の使い方、運動機能だ。一般的にもDID患者は人格が変わると体の使い方が変わると言われている。先ほど挙げた声の違いや表情の違いも声帯の使い方や表情筋の使い方が異なる事が原因なので、体の使い方の違いと言えるだろう。
しかし、ここで言及するのはもっと根本的な運動機能の差だ。ここからはDID患者における一般論というより俺たちの場合になるが、俺と和では出来る事が違ってくる。勿論体は同じなので、体(脳)の機能を超える事はない。その為、俺が内界においては健常者であっても表では四肢に麻痺が出る。しかし、一部の動きにおいては和が出来ない動きを俺が出来たりする。
例えば、スプーンやフォークを使う時、和は小さな子供のように上から握る形で持つ。手首の旋回が難しく、一般的な持ち方は難しい。しかし、俺に交代するとそれが出来るようになる。やりずらさが全くない訳ではないが、俺にとっては自然な持ち方として定着し、ある程度再現が出来る。他にも、動作速度や書字速度も俺の方が早かったり、つかまり立ちも俺の方が安定感が出る。
これは恐らく、ボディイメージの違いだろう。和は生まれた時から麻痺のある体で生活している。その為、健常の体の使い方やその感覚を知らない。一方俺は、内界においては健常の体だ。立ったり歩いたり、手を動かすイメージを持つ事が出来る。和は謂わば体の使い方がわからないのだ。だからそれを知っている俺とでは、体の使い方も変わってくるのだろうと思っている。ちなみにつかまり立ちの安定に関しては、内界での俺は170㎝程の身長があるので、そのイメージのまま和の150㎝もない体を使うと自然と重心の位置が下がるからだと思っている。
しかしここで不思議に思うのは、何故和から生まれた俺が健常者のボディイメージを持てているのかという点である。これにも俺なりの仮説がある。それは、俺が健常だと思っている体のイメージは実は「和の想像した健常者の動き」をしているのではないだろうか、という事だ。和が日頃見てきている健常者の動きのイメージの集合体こそが、俺のボディイメージなのだ。その証拠に一部の動きは、俺が体の使い方のイメージを言語化して伝える事で和にも出来るようになった。しかし、それに伴う労力の差が激しく日常的に使うのは難しいようだ。あとは習慣付いた癖や男性人格との筋力の差によって、動きに差が出るのだろう。
今回も前回に引き続き人格ごとの違いを綴ったが、やはりその理由は「人格が違うから」としか言う事が出来ない。上記のものは全て俺たちの想像だからだ。俺たちはいつかこの疾患の研究が進み、その理由が明かされる事を夢見ている。




