DIDの治療。
今回は、DIDの治療について綴っていこうと思う。
DIDの治療において、重要な点が二つある。一つは有効な治療薬はないこと。二つ目は、DIDの治療のゴールは「完治」ではなく、「寛解」となる場合が多い事だ。
寛解とは、治療を受けている状態で状態が落ち着き、症状がほぼない場合を指す。DIDにおいては、人格の有無は問わず、生活に支障をきたさなくなれば寛解したと言えるだろう。
先ほど、「人格の有無は問わない」としたが、それには理由がある。DIDの治療方針には『統合』と『共存』が存在するからだ。
統合とは、複数いる人格を一つに纏める事だ。カウンセリングや精神療法などを用いて人格を一つにしていく。一方で共存は、複数の人格が存在する中で、安定した生活を送れるようにする事が目的となる。しかし精神医学界においては、統合をDIDの治療とする事が多い印象を受ける。やはり、「一つの体に人格は一人であるべき。」という風潮がまだあるのではないだろうか。
それでも俺たちは、「共存」の道を選んでいる。その理由は至ってシンプルで、それが俺と和の望みだからだ。俺目線で話をすれば、統合は俺自身の消滅を意味する。DID患者で統合を経験した人の中には「一緒になったから消えていない」と表現する人も居る。そうなのかもしれないが、一緒になった時点で「俺」は「俺」ではなくなるのだ。俺は今の「俺たち」の生活が好きだ。勿論、不便な事もある。それでも俺は、和を「一人」にはしたくない。それに統合すれば、あの辛い記憶の数々を和に渡すことになる。それを避けたいのも俺が統合したくない理由の一つだ。そして何より、和本人が統合を望んでいない。それどころか、俺が消える事を恐れている。和は俺の事を兄のように慕ってくれている。加えて和は一人が苦手なのだ。俺の存在を認識出来るようになった今、和の生活は常に「二人」なのだ。
とは言っても、人格が分かれている事での生活への支障は勿論ある。
まずは和の記憶の欠落。俺は和が出ている間も内界から表の様子を見ていられるが、和は違う。内界に入ると眠ってしまい、一切の記憶が残らないのだ。だから和はこのエッセイの内容も、自分が表に出て読んだ時初めて知る。
次に時間の問題だ。1日は24時間しかない。その中で俺が出ている時間は、平均しておおよそ5~6時間だ。そうなると、和が活動する時間は10時間に満たない。その上、事業所に通所すればそれだけで4時間は潰れてしまう。要するに、和が自由に使える時間が極端に減ってしまうのだ。だが、現状和が表に出ていられるのは10時間程が限度だ。
今の俺たちの治療目標は、和が少しでも長く無理をせずに表に出ていられるよう環境と精神状態を整える事だろう。




