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私の壊れ始め

また、夢を見た。寝室のクローゼットで母子手帳を見つけてから、ずっと同じ夢を見る。私の生まれる前のこと、私の生まれた時のこと。まだ生まれていないのに、なぜ記憶があるのか私にも分からない。けれどひとつ言えるのは、私が生まれたのは、平凡で、誰の心にも留まらないごく普通の日だったということ。


◇◇◇


「これからは三人で頑張っていこうな」

「ええ、もちろん」


私の父と母は、そんなことを簡単に誓い合った。

でも暫くして父は会社に行かなくなった。それどころか、給料を全てパチンコに費やし、更には母の給料までもをギャンブルに注ぎ込んだ。家はどんどん貧乏になっていった。そんなある日、父が私と母の寝ている病室に来た。


「お見舞いにきてくれたの?」


そう母が期待したのも束の間。


「いやー実はパチンコで負けちゃってさ、お金貸してくんね?」


そんなことだろうと思った。でも少し期待していた。そんな自分に腹が立った。と、母は手帳に書いていた。


「パチンコって……家賃とか、学費だってこれから

あるのに、もうお金は貸せない。いい加減あなたもちゃんと会社に行って、働いて」


それが父の反感を買ってしまったらしく、父は途端にすごい剣幕で私を睨みつける。そして、段々と私の方へと近づいてきて、私の寝ているベッドを下からドンッと蹴り上げた。


「ちょっと何するの!やめて……!」


まだ出産したばかりでベッドからすぐに動けなかった母は蹴り上げられて泣き声をあげる私を、ただベッドからみているだけだった。

私はベッドから落ちそうになって、さらに泣いた。すると今度は私の声がうるさかったのか、父が私に殴りかかろうとした。


「こんな奴産むから、金が無くなるんだろ!」


大きな怒声を聞きつけた看護師さんが、父を取り押さえて、どこかへ連れて行ってしまったらしい。

母は泣いた。私のようにうるさく声を上げることなく、静かに、静かに泣いた。


「ごめんね陽夜……ごめんね、ごめんね……」


◇◇◇


ここで毎回目が覚める。なんと夢見心地の悪いことか。夢であってよかったと同時に、クローゼットからこっそりと持ち出してきた母子手帳に目をやる。表紙には母と父の名前に加えて、私の竹本陽夜(たけもと ひよ)という名前が書いてあった。中身が気になり手帳を開けると、夢は全て現実に起こっていたことなのだと再認識する。そして、その夢のお話には続きがある。それは、私の首がすわってきた頃のこと。父と母は離婚し、私は母に連れられて、母の実家で暮らすことになった。祖父も祖母もまだ働いており、お金の面は苦労しなかった。しかし、病弱だった私は、またすぐにあの白い部屋に閉じ込められる羽目になった。退院したかと思えば、しばらくしてまた別の病気にかかり、母を苦しませた。私が幼稚園に上がっても、病弱なことに変わりはなく、しょっちゅう休んでいた。その上好き嫌いも激しいものだから、栄養のあるものを満遍なくとることはできなかった。お見舞いには毎回母と母方の祖父母が来てくれていたが、父が来ることは1度もなく、私はそれを少し不思議に思っていた。物心がつき始めた年少さんの頃、私は母に言ったらしい。


「どうしてみんなのおうちには、()()()()()ってひとがいるの?」


母は困った顔をして私にこう話す。


「ママだけだと大変だから、お父さんに助けて貰っているのよ」


けれど、それだけだと満足できなかった私は


「じゃあなんでママは()()()()()にたすけてもらえないの?」


と言ってしまった。母は


「ママは強いから、お父さんなんかいなくても大丈夫なのよ」


と笑顔で話した。

この笑顔が心の底からの笑顔なのか、それとも母の精一杯の作り笑いなのかは、幼い私にはわからなかった。ただひとつ言えるのは、その時の母は美しかったということだけだ。

それからしばらくして、私は退院した。退院は嬉しかったが、幼稚園に行かなければならないのは少し面倒くさかった。それでも一度幼稚園に行ってしまえば、案外楽しいと思える、子どもなんて単純なものだ。


「陽夜ちゃん病院怖かった?」

「ううん!ひよね、ちっとも怖くなかったよ!ひよは強いんだ!」


教室に入るなり、大丈夫?と心配そうに寄ってきてくれる先生や友達に、私は自慢げに話す。するとみんなはそっか~と言ってどこかへ散っていく。それを少し寂しく思いながらも私は自分の席へと着いた。隣の男の子が


「きょうはきたんだ」


と素っ気なく声をかけてくる。うん!と元気に言うと、男の子の顔は赤くなり、顔をそらす。やっぱり素っ気ない。別にそこまで仲のいい子ではなかったので私は気にしなかった。それどころか普段話さない子と少し話ができたので嬉しかったくらいだ。でも、そんな喜びも楽しさも、すぐにかき消された。


「あれぇひよちゃん、ようちえんきたのぉ?」


彼女が来た。私のことが気に入らないのか、いつも何かと突っかかってくる。鬱陶しい。そう思い、私が少し嫌な顔をすると、彼女はムッとした顔で近づいてきて、私の机をバンっと叩いた。本人は赤くなった自分の手のひらをさすりながら、ツンとした態度で話す。


「なによそのめ。にらんできたって、せんせいにいってやるんだから!」


そう言って階段をかけ降りていった。あーあ、またか、と思いながら私はロッカーからお絵かき帳を取り出し、架空のお父さんを描く。

幼稚園ではよく、家族の絵を描きましょうと言われることがある。入園当初は楽しく描けていたのだが、私とみんなの家族構成が少し違うと気づいてからみんなの絵に合わせるのに必死になってしまっていた。お父さんはどんな風に描くんだろう。みんなはどんな風に描いている?そう思い、何度も何度もみんなの絵を見せてもらった。

そんな時に、一人の女の子が私に声を掛けてくれた。


「ひよちゃん。ひよちゃんは、おとうさんがいないの?」

「うん!」


元気に返事をした。

私はそれが普通だと思っていたし、何も気にしてはいなかった。それに、あの頃は、話しかけてくれるのが単純に嬉しかった。私は周りからは幼稚園に来ない問題児として見られていたから、誰も寄り付こうとはしなかったので、話してくれる子とは親友になりたいなんて簡単に考えていた。そう、浅はかだったのだ。体調が元通りになって、幼稚園に行く頻度が多くなってきたと母に褒められた頃、事件は起きた。


「ひよちゃんってうざいよね」

「わたしひよちゃんだいっきらーい!」


幼稚園児が言うような言葉ではないと、今なら思う。でも、あの時はみんな、聞いたばかりの言葉を使いたがる時期なので、仕方がないのかなとも割り切ることが出来る。でも、それが出来なかったのは、私もまた、あの子たちと同じ幼稚園児だったからだ。


「ねえ、やめてよ!ひよもあんたたち嫌い!」

「なっ……せんせー!ひよちゃんがいきなり嫌いって言ってきた!」


その日は散々だった。先生には私だけ怒られて、私だけが謝って、いつも通りの仲間外れが始まった。1人でお絵描きをしたり、砂場でお山を作ったり。そんな私を見ても先生は私に声をかけてこなかった。そんな先生が不思議で仕方がなかった。でも、そんな私ともたまに仲良くしてくれる友人がいた。その子とは喧嘩ばかりだったが、すぐに仲直りができてしまうほどの仲だった。でも、その友人は年中さんになって変わってしまった。


「あ!ねぇねぇ、一緒に……」

「え、いや……」


そう言って、私をだんだん避けて行くようになった友人を呼び止めることも出来ず、私はまた、年少の頃と同じひとり遊びを始めた。1人で遊ぶことにも慣れてきた頃、当時私の大の苦手だった子が、お医者さんごっこをしようと誘ってきた。私はもちろんのった。もう1人で遊ぶのは耐えられなかったから。寂しくて苦しかったから。でも、その後に待ち受けている苦痛を知れば、きっともうその子と遊ぼうと思うことも無くなるだろう。


「じゃあ、わたしがお医者さんね!」

「うん、いいよ」


彼女はそう言ってから、私の腕に粘土ベラを突き刺した。幸い、彼女はまだ幼稚園児ということもあって、力はそんなに強くはなかった。だから血が出ることもなかったし、肉がえぐれることもなかった。少し痣ができて凹んだ程度。でもその凹みは、今もまだ私の腕に残っている。

年長さんになり、私は、私を避けていた彼女と同じクラスになった。

初めこそ嬉しかったものの、どうせまた避けられるんだと思い直して周りにバレないように一人ため息をついて自分の席に座った。


「ひよちゃん?」


聞き慣れた声が頭上でして、私は上を向く。そこには、散々私を避けてきた彼女がにこやかな笑顔を整った顔面に貼り付けて立っていた。


「いっしょのクラスだあ!よろしくね」

「よ、よろしく」


どうしてまた話しかけてくれるようになったのか、私にはわからない。もしかしたら都合のいい奴だったのかもしれない。それでも、また私の元に戻ってきてくれたという事実が嬉しくて、1人じゃない事がとても嬉しくて、思わず笑みが溢れた。

それから私はまた彼女と過ごすようになった。幼稚園の送迎バスでも話すようになったし、何より、休み時間は彼女の方から遊びのお誘いまでされるようになった。悩みなんて、何も無くなったかのように見えた翌週。この幼稚園が市の音楽コンテストに出場の機会を貰ったのだ。私達園児は、楽器で威風堂々を弾くことになった。私の担当はキーボードで、彼女と同じだった。配役を決めてすぐ、練習は始まった。でも、楽器なんか当然演奏したことない私は、最初の音からつまづいた。先生に何度も何度も直されて、ようやく1小節を完璧に弾けるようになった時、先生がとんでもないことを言い出した。

明日、1人ずつテストをするというのだ。やっと1小節を弾けるようになった私への当て付けかと思った。でも、先生に逆らうことなんか出来ないので、私はひたすらに練習をした。いつも私は、人の2倍3倍と出来が悪い。食べるのが遅くて、私だけいつも別室で食べさせてもらっているし、みんなが上手に作っている図画工作の作品だって、私は1度もまともに作れたことがなかった。そんな私が、練習をしたところで意味なんてあるのか疑問に思っていたけれど、練習をしたら、少しはマシになるのではないかと淡い期待を抱いていた。次の日、私は昨日のたった一日で、最初から最後まで完璧に弾けるようになっていた。母に見ていてもらって何度も何度も練習したおかげだ。頑張ったら、私でもできるのだと気づいた。

先生にキーボード班が呼ばれた。昨日あれだけ練習したんだから、大丈夫。そう言い聞かせ、私は鍵盤に指を置いた。次々と流れてくる伴奏に合わせながら指を動かす。順調だ。先生は褒めてくれるだろうか。ひよちゃんすごいね、頑張ったねと言ってくれるだろうか。これで先生が褒めてくれたことを母に言ったら、きっと母も喜んでくれる。私はだんだん楽しくなった。頑張ることの楽しさを覚え、もっともっと頑張りたい。頑張って褒められたいという思いが強くなっていった。そんな時、さっきまで隣にいた子達が見当たらないことに気づいた。どこに行ったのだろうときょろきょろしていると、廊下から「先生ごめんなさい」と声が聞こえてきた。

曲に熱中し過ぎて気づいていなかったが、どうやら音を外してしまい、先生に廊下に引きずり出されたらしい。まあ、あいつらは私のことを散々いじめてきたヤツらだし、別に気にならない。ざまあみろと言ったところか。そして曲のフィナーレ、私が一番お気に入りとしていた部分で、ついに私まで音を一つ外してしまった。勿論、先生は聞き逃すことも無く、その場で私を廊下に引きずり出した。私と仲の良かった彼女も、私と同じところでつまづいてしまったらしく、2人同時に廊下に連れていかれた。キーボードは私と彼女が引きずり出されたことにより全滅。誰一人として完璧に弾けなかった。帰りの会が済んで、皆は次々に教室を出ていく。一方で、キーボードを持たされたまま廊下で置き去りにされていた私達は、その後先生に叱られた。

「どうして練習してこなかったの。テストするって言ったよね?他の子は完璧に出来てたのに。キーボードが一番大事なの。だからあなた達が完璧じゃないとダメなのよ」

たった一音外しただけでこれか。お前はキーボードを昨日初めて持たされた状態で明日テストをすると言われたら、完璧にできるのか。

私はだんだん、先生に対して怒りが込み上げてきた。


「特にひよちゃん。あなたはもうちょっとで完璧に弾けそうだったじゃない。なんであそこで間違えるの?あなたには先生ガッカリだわ。やる気がないなら出ていって。もう来ないでいい」


……やる気がない?違う。私はやる気で満ちていた。先生に言われた無茶ぶりにだって応えようとして、昨日たくさん練習したんだ。この中の誰よりも練習した自信がある。それを、それをこんなふうに、私がまるで頑張ってないかのように。お前に何がわかる。お前に私の何がわかる。そう、言ってやりたかったのに。


「……ごめんなさい」


それしか言えなかった。その日は帰っていいとの事で私達は荷物をまとめてそそくさと帰った。

次の日から、先生はもっとスパルタになった。キーボードだけではなく、指揮者の子にも怒るようになった。そして迎えた音楽コンテスト当日。会場にはたくさんの親御さんや、一般の方も来ていた。

母が見ていてくれるから頑張ろう、そう思った。

曲が始まり、緊張が走る。リズムをとって、早まらずに指を動かしていく。そしてフィナーレ。テストの時に間違えてしまったところに気をつけて弾く。……よし、今回はちゃんとできた。安堵して指を止めると、一人、また一人と拍手が伝染していった。拍手の嵐だった。やり切れた、完璧に弾けたと嬉しくなった。これならきっと先生だって褒めてくれるのではないかと、この時はまだ先生に希望を抱いていた。テストの日にあれだけの事を言われて怒りを覚えたとしても、まだ私には先生を嫌いになれるほどの心はなかった。

先生が一人一人の親御さんと話をする。私の方を見た。きっと頑張ったねと言ってくれる。私はワクワクして先生を見つめた。

でも先生は私を見るなりすぐに目を逸らし、私とは逆の方にいる親子の所へ向かった。もう二度と、先生には期待しないと誓った。

コンテストが終わり、次に待ち受けていたのは卒園式だった。

卒園式はお遊戯会と一緒で、セリフを覚えて読むだけだから簡単だった。当日は仲の良かった子達と写真を撮ったり、外の遊具で少し遊んだりもした。とても楽しかった。ただ一つ嫌なことがあったのだとすれば、先生が私に


「ひよちゃんが居なくなると寂しくなっちゃうね」


と言ってきたことだった。きっと毎日幸せに幼稚園で生活をしていた人はこの言葉の意味が分からないだろう。それどころか、先生は私のことがそんなに好きなんだ、とまで思うだろう。でも、こいつは違う。こいつが言いたいのは


「ひよちゃんが居なくなると、ストレスのはけ口がなくなっちゃう」


こういうことだろう。私はもう二度とここには来ないと誓った。そして先生に


「小学校が楽しみ」


とだけ言って母と一緒に園を出た。思えば色んなことがあった。女の子のほとんどには嫌われていたが、私を好きと言ってくれる子は少なからずいた。男の子が私のお昼ご飯のシュークリームを取ったり、私の顔を鋭い爪で引っ掻いたりしてきたこともあったけれど、それも今となっては思い出の一部に過ぎない。退屈しない幼稚園生活だったと思った。もう、あんなところには二度と行きたいとは思わないけれど。

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